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23 蜂蜜飴と紅色てがら

 北区大路、暮れて道沿いの商家の灯りがまばゆく温かく輝き出すところを、老騎士とひょろい少年が大股に歩いてゆく。その大小背中の後ろ、ふよふよ女神がくっついてゆく。



「お手伝いしてお駄賃もらうなんて、俺はじめてだッ」



 お忍びで通う習字のお稽古と、“紅てがら”からの帰り道。


 十二歳のウルリヒ王子は黒羽じるしの描かれた右頬をあかく上気させ、全くさめない興奮で鼻息をふんふん言わせながら、騎士に話す。



「良かったですねー、ナイアル君もお姉さんも喜んでらしたし! とってもいいものを、いただきましたね」



 騎士も女神も、目を細めて笑顔である。北区下町のお習字教室に通わせて二年、ウルリヒの字は劇的に改善していた。彼の書く字はもうけむし大渋滞なんて連想させない、まじめでひたむきな“男の子の字”になっていた。堂々として明るくて、読みやすい。



――字だけじゃないわ! ウルリヒそのものが、堂々明るくてあったかい子になってきてるんだわ。



 女神も王子の変化が嬉しかった。王室内のことは芳しくない話題が多いけど、子ども達の成長は手放しでほめるところだ。



「蜂蜜飴、お姫様にも分けてあげたらどうです?」



 “紅てがら”の蜂蜜飴は、騎士もしょっちゅう買って帰る。歌ってばっかりいるから時々喉がかすれてがらがらになる、それを予防するのに最適なのだ。



「あ……えーとね、ミルドレ。エリンちゃんには……その、言わないで?」


「え?」



 騎士は首を傾げた。やさしい子である、何かいいものがあると必ず妹姫に分けてやって、それで自分も満足するのが普通なのに。



「これだけはね、……うん、別にあげたい人が……」



 終わりの方はうつむいて声がくぐもってしまった、耳のいい騎士にもよく聞き取れない。


 けれど女神はふよふよ少年のそばに浮き寄り添う。目を細めながら言った。



『そうそう。そうなんだよねーえ。だからおてがら、頼んだんだもんねぇー』



 うふふふふ、頬っぺたをまるくしている女神を不思議そうに見つつ、ミルドレは城門前で外套を脱いで、草色の表地にかえした。



・ ・ ・ ・ ・



「く、黒羽ちゃんッッ! これはもしかして我々、王子様の歴史的瞬間に立ち会っているのではッ?」



 もっさり茂った月桂樹の隙間から片側だけ顔を出して、騎士は囁いた!



『たぶんそうよッ!! 第六感まで全開放して、見守るのよッ』




 翌日昼過ぎ、槍稽古の後。


 これは乗馬同様、貴族子弟を集めて城内で行っているもので、ウルリヒと同年代の男児らが週二回通ってきていた。ミルドレは以前、師範側で参加していたけど、王子王女の世話仕事が多くなってきた今は見守り専門である。


 着替えた後は食堂でおやつが振る舞われるものだが、そこへ行く群れからそっと抜け出したウルリヒが、展望露台に行くとミルドレに言うのだ。


 後ろにもう一人、背の高ーい子がついてきている。面長の顔を、きょとんとさせていた。




 さあっと通っていった小雨の後、午後の陽光が濡れた石壁をちらちら輝かせている。


 廻廊を出かけた辺りで、ウルリヒが言った。



「ちょっとだけ、この辺で待ってて」



 す、とその子を従えて行ってしまった。そこでようやく、じじ騎士にも合点がゆく。



「なんだ、お友達と二人で話がしたかったんですね」



 露台中央あたりにいる、二人の子を眺めた。



「これまでは、話し相手もエリン姫ばっかりだったウルリヒ王子が……。いいですねえ、ナイアル君効果ですかね。どんどん同年代のお友達を作ってもらいたいもんです」


『ちょっとミルドレ、方向性とんちんかん言ってない?』


「はあ?」


『ウルリヒは、たぶんあの子がいいんだわ』


「……え?」



 騎士は二人を見る。ひょろんとしたウルリヒの隣、さらにひょろんと背高い少年の後ろ姿。ちょっと長めの白金髪が、ちらちら光っている。



「セクアナさんちのシャノン君が……え??」



 ぶあっっっし――ん!!!


 もちろん威力控えめではあるが、翼裏拳がミルドレの胸板に炸裂した!!



『ミルドレ――ッッッ、シャノンは女の子よ――ッッ』


「え――――っっっ!?」



 口を四角く開けて、老騎士は目をひんむいた!



「嘘でしょう!? むちゃくちゃしゅッとした、かっこいい男の子としか思いませんでしたッ」


『かっこいい女の子だって、いるわよー!!!』


「うあらららら、これはいけませんッッ。近衛騎士、王室係主司として、王子様の人間関係は把握しとかねば!」



 ものすごく敏捷な動きで、騎士は植え込みの間をさささと移動し、ウルリヒとシャノンに近付いていった!!



『わたしも女神様として、幼き王子の恋を見守らねばッ!』



 女神もミルドレにくっついて、植え込みづたいに素早く飛ぶ! かの女は別に隠れなくってもいいのだが、勢いでその辺忘れている!






「ありがとう、リヒ君。とってもおいしいね。これ」



 早くも二つめ蜂蜜飴を素焼壺からつまみ出し、ぱくりと口にしながら、かっこいい少女は言った。



「僕、蜂蜜すっごくいんだ」


「うん。前にそう言っへはてたのを、おぼえてたから」



 まだまだ一つめを口中に転がしながら、王子も言う。



「うまいよな!」


「本当だよね。僕のうちはあんまりお金ないから、甘いものなんてほとんど買わないんだ」


「俺んちも、甘いのはあんまり出ないぞ!」


「そうなの?」



 少女は三つめを口に入れる。間があく。



「……シャノン、蜂蜜はちみちってなー!! 蜂が作ってるって、知ってたか!!」


「うん、知っているよ。だから蜂蜜って言うんだものね」



 ゆったり余裕表情の少女、対するウルリヒはどや顔を固めて赤くなっている!



『知らなかったのーッ、ウルリヒーッ』


「あらららら……、話題がもちませーんっ」



 月桂樹裏で、ひたすらやきもきする女神と騎士である。



「……俺はいつか、この城の上にもいっぱい巣籠を置くぞー! そしたらシャノンにも、山盛り蜂蜜はちみちのおすそ分けだッ」


「いいねえ、それ。でもリヒ君が蜜蜂に刺されそうで、心配」


「へっ、蜂さされの一発や二発……」


「あ、だめだよリヒ君、それすごく危ないんだよ? 一度刺された時は平気でも、二度目でひどい病気になって亡くなる人がいるんだ。虫には、刺されないに越したことはない」



 ウルリヒは目をぱちぱちさせている。



「僕と妹、お父さんと一緒に時々湖や川で釣りするからね。そういうところは油断しちゃならないって、小さい時からずっと言われてるんだ」



 少女はどこまでも、きりっと涼やかに言ってのけている。



『か……賢い子だわ……!!』




「えーと……シャノン。残りは、あげるから」



 ウルリヒは素焼壺にそっとふたを載せて、言った。



「いいの? どうもありがとう」


「このてがら、髪にむすんだらいいと思うぞ」



 壺のくびれた部分に巻かれた、紅い細布をさして言っている。でも目はあさって向きだ。


 涼やかな瞳を開いて、少女はちょっとだけ驚いた表情になった。



「そう? ……でも僕、女の子らしい恰好は似合わないと思……」


「試してみたかッ」



 ふるふるっ、と少女は顔を横に振る。


 ミルドレと女神は小首を傾げる。確かに少女の装いには、女の子的な要素は何もない。生成色の麻の短衣、その下に恐らくさらしをぐるぐる巻いているのだろう。くびれの未だない頑丈そうな細い身体に、乗馬用のびしっとした黒い股引と革の長靴。これではミルドレでなくても、多くの人がぱっと見は男の子だと思うだろう。



「試して、みようッッ」



 ウルリヒは、壺の上で蝶々になっていた紅色てがらをしゅるっと解いた。少女の後ろに回り込み、手を伸ばしかけて、躊躇する。



「えーっと! ええと、シャノン! ちょっとだけ、しゃがんでみてくれッッ」


「……うん……」



 首をひねりつつ、シャノンは腰を落とした。


 しゃしゃしゃっっ!! 肩にもつかないその白金髪をウルリヒの手櫛が梳く、くるくるっとまとめた所にきりっと紅てがらがむすばれて、紅いちょうちょができた!



『うまいわねッ』


「エリン姫の髪、しょっちゅう結ってますからね!」



「ようしッッ」



 背を伸ばして、少女はウルリヒを見る。



「……リヒ君、自分じゃわからないよ」


「ううむ、そうかッッ……シャノン、俺はもんのすごく良いと思うぞ!」



 これ以上はないと言うくらいに顔をあかーくして、王子は言う。



「こんなかわいいの、僕、なんだかなあ……。恥ずかしい……」



 少女の方も、決まりわるげに頬をちょっとあかくしている。右手でそうっと、うなじの蝶々に触れている。



「シャノンはなー!! 何もしなくてもそのまんまで、すんげえかっこ良いんだけどなー!!」



 ほとんど叫び声、腹の底から気合を入れている声で、ウルリヒは言い放った!!



「てがらつけると、さらーに!! かっこ良いと、俺は思ーうッッ」



 ずどーん!!


 十二歳男児の真剣気迫に、女神は震撼した。ああ、やっぱりどこか似てるッッ!



「……そう? じゃあ、つけとこうかなあ」



 少女はもじもじと照れ笑顔になった。“かっこ良い”と言われて嬉しがっている、女の子。



「ありがとう、リヒ君」


「ようしッ、下でおやつ食おうかぁッッ」


「そうだね!」



 少年は素焼壺を少女の右手に渡す。でもって素早く、あいた左手をとって、ぐんぐん歩き出した。


 シャノンは何にも言わなかった。だまって、でも笑顔で右手に壺、左手にウルリヒの右手を握っていた。



「ミルドレ―! あれぇ、ミルドレ?? どこ行ったのかな」



 王子が歩きながら自分を呼ぶ声を耳にしても、騎士は月桂樹の裏から出て行けない。



「うううっ、本ッ当いい風景見ちゃったなあ……」


『これも、心が洗われるって言うのよぉお』



 ミルドレは最初に取り出したひよこ柄手巾を女神に差し出し、自分は次に出てきたじじむさ深緑色のを広げる。


 ふたりとも手巾を目元に押し当てて、感涙に咽んでいたのであった。



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