2 白い亜麻手巾
「黒羽ちゃーん」
それからミルドレは毎日、かの女のところへやって来た。
隠しの中から果物やお菓子を出して、“お供え”してくれる。休憩の時間ぎりぎり、色々なことを喋りまくって帰ってゆくのである。
かの女はおもしろくて仕方なかった。自分の声を聞いてくれる人、自分の言うことを笑って楽しんでくれる人!
「昨日の夕方、西の塔のあたりで、黒羽ちゃんの彫刻を見つけましたよ」
『へえ?』
「階段脇の石壁にね、ふわっと翼を広げた姿で刻まれてました。反対側のは、今みたいにお羽をすぼめていたな」
『そう言えばずっと前、画師のおじさんがそういうの作るって言ってたわ』
――その人、わたしを見ても聞こえなかったのだけどね……。
「黒羽ちゃん、最近はお羽を広げないんですか」
ミルドレは、かの女がもこもこ翼に埋もれている格好しか知らない。
『うーんとね、広げてもいいんだけど……。実は衣が朽ちちゃってて、ないの』
百数十年間、風雨にさらされて原型をとどめられる麻衣や綿衣なんてない。
「……うあらららら、じゃ黒羽ちゃん、その下お裸なんですかぁッッ!? いけません、それは絶――ッッ対にいけませんッ」
騎士はがばっと立ち上がって、自分の草色外套を脱いだ。
「さあ、これを羽織って!」
『だめよミルドレ、その草色外套はテルポシエ騎士の大事な一張羅じゃないの。お供えしたら、“緑の騎士”じゃなくなっちゃうわ! ……ね、何か布切れもってない?」
「手巾ならありますよ。えーと……」
騎士は短衣の隠しを探る。あった、いやこれはだめだ、先ほど鼻をかんだやつである。続いて股引隠し……おおあった、“騎士心得”を実践しておいて本当に助かった、とミルドレは思う。
「さあ、どうぞ!」
乙女の危機用に常備している、純白の亜麻手巾である。
「こんなのもありますよ!」
三枚目だって持っている!
『すごいどぎつい紅色ね……。なんで??』
「鼻血を出してしまった時に、目立たない色なんですよ!」
『……わたし鼻血は出ないから、白い方をちょうだい。そこに広げてくれる?』
言われた通り、ミルドレが透かし堂の床に白い亜麻布を広げると、女神はふわりと立ち上がる。
小さな白い足首から先が、羽毛の下から突き出てその上にのる、
ふああああああっっ!
布がいきなり大きく大きく床いっぱいに育ち広がって、ミルドレはぎょっとした。
黒羽が左右にくあっとひろがる、その中心にまばゆく輝くような女神の裸身がある、亜麻布がぐるぐるぐるっとそこにまきついて“衣”になった。
『うん、なかなかすてき』
かの女はその辺、腰やお腹を触ってみて、にっこりした。
布は左肩だけにかかって右はむき出しである。そこに長ながくるんと黒い髪が垂れていた、上の方だけ結い上げられた豊かな髪に騎士が目を向けると、なにか金色のものが、にゅるにゅるしゅぽんと出てきて咲いた、幾つもの小菊がそこにほころんでいる。
「……」
『ありがとうね! ミルドレ』
女神の顔もほころんで、ミルドレを見上げていた。
騎士は顔をあかくして、ちょっときまり悪げである。さっき急いで目を逸らしたけど、一瞬ぴかぴかの裸を見てしまっていた。
そして立って向かい合ったのは初めてだった、確かにうしろの翼はものすごい。けれどその真ん中にあるのはひとの身体、ちょっと小柄な女性だったのだ。
もこもこ黒羽から頭だけがのぞいていた時は、“女神さま”だし、人とはほど遠いものとしか思っていなかった。けれど予想を大きく裏切って、いま目の前で自分を見上げているのは、何をどう見ても“女の子”である。
ミルドレは困った。心底困ってしまった。こんなかわいいひとを、彼は他にしらない。
ふわーり! 小菊の爽やかな香りが漂って、彼の鼻腔をくすぐった。