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19 巨人の真実

 夜。通いで来ている使用人が帰ってしまって、むだに広い屋敷はいよいよ暗く、がらーんとする。


 唯一灯りのついている自室にかみつれの香湯を運んで、騎士は寝台隅っこに座る女神に声をかけた。



「昼間のお話は、どうなったんです?」


『あら、憶えてた』



 女神は、新しい筒っぽねまきを着ていた。空色地に白くねこ柄が入っている。最近はかわいい柄の手巾を買うのにも全く抵抗がなくなった。通りがかりの市で、孫娘へのお土産に! と言えばよろしいのである。この辺はとしを食うのも悪くないかも、と前向きに感じるミルドレだった。



「当たり前でしょ、あなたのことなんだから。昔は大きかったってことなんですか?」



 ミルドレはかの女の隣に腰かける。こちらはじじらしく、深緑いろの上下ねまきである。



『そう。元々は、ものすんごーく大きいわたしなのよ。ちょいとした丘くらいあったのよ、人間なんて手のひらでひょいでプチよ。あ、もちろんつぶしていじめたりなんかしないわよ?』


「へえー? じゃあ何でまた、かわいらしく縮んだんです?」


『沙漠ではしょっちゅう砂嵐が来るからね、こう体と羽でぐるっと集落を守ることもあって、大きいことは良いことだったのよ。でもだんだんと、大きい体でいること自体に、疲れてきたの』


「ふふん?」


『だから、人間と話す部分だけを小さく起こしておいて、体の大きな部分は必要な時以外は眠らせて、しまっておくことにしたの』



 平べったい言い方だったが、ミルドレにはいまいちよく分からない。まぁ神さまのなさること、人間に説明のつけられない所が多くて当たり前かもしれないけれど……。



『しばらくは、それでいい感じだったの。でもいつだったかなあ……。わたしとは全く別の、かなり怖い女神が出てきてね、人間をいじめようとするもんだから、わたしそいつと戦ったのよ』


「そして勝った! さすが黒羽ちゃん、負けた女神はどうなりました?」


『おとなしく、食べられたわよ』


「たべられ……え、誰に」


『わたしに』


「ひぃいいい、神さま界って弱肉強食なんですか!?」


『うーん、たべたって言うと人間の感覚になっちゃうかな……。そうね、吸収しちゃったの。そいつの全体を取り込んで、わたしの一部になってもらったのよ。わたしはちょうど力がなくなってきていたし、そいつも完全に消えたくはなかったから、双方都合よくおさまったの。わたしは大きな体部分にそいつを押し込めて、それで眠らせてしまっておくようにしたの』


「へえ……」


『それでここ一番、と言う時に今の小さいわたしと、大きい体が一緒になって、どかーんと登場して活躍するって形になったのよ。人間から見たら、巨人が現れたって思うわよね』


「ほうほう。それで、昼に見た本の中の巨人に繋がるわけですね?」


『うん、そういうこと。お話の中の善い王子様は“黒きつばさに守られた王子”、つまりわたしの姿が見えて、声が聞こえて、わたしの祝福をがっつり受けているのよ。そういう人とちゃんとわかり合えた所で巨人になるんだから、何も問題ないわ。砂嵐や地崩れから皆を守ったり、いじわるな獣の大群を追っ払ったりできちゃうのよ』


「まさに守護神ですね」



 相槌を打ちながら、ちょっとミルドレはどきどきし始めた。神様ってそういうことなのである、……そんなおそれ多き存在にねこ柄ねまきをあげたりしている自分は、もしかしたら罰当たりなのだろうか。



「……けれど、お話の中には別の姿も出てきましたね? 絵はなかったけど、赤い巨人でしたっけ」


『ええ。ユングードはもちろん見たことがなかったから、描けないって。わたしもテアルも、まぁそれでいいか、って文面だけで済ませちゃったんだわ。……悪い王が呼んだ時、赤い巨人の姿で現れて、人間たちをいじめたわよね? あれもわたし……と言うか、考える部分抜きの大きな体部分なのよ』


「それは、どういうことなんです?」


『お話の中の悪い王は、正しい王統を持たない支配者としてあるけど、つまりわたしを見られず聞けない人のこと。大事なのはわたしと話せることだから、王様の血筋なのかどうかは気にしなくって良いのだけど……。そういう話せない人たちでも、体部分を呼び出せちゃうのが問題なのね』


「巨人を呼び出すこと自体は、誰にでもできてしまうと?」


『そう。でもそうなると、あいつ……吸収した女神のやりたい放題になるから、ものすごく危険なの。実際それで、いくつも滅ぼされちゃった』



――いくつも……って、何を“いくつも”?



 ミルドレは問いたかったけれど、女神の話は切れ目なく続く。



『お話の中みたいに、呼び出した人が死ぬか、赤い巨人に食べられてしまえば、わたしも体の中へ入っていけるようになるんだけど……それまでは何もできない。集落や町が滅びていくのを、黙って見てるしかない』



 女神は唇を引き結んで、目を伏せた。



『神って言っても、わたしは全知全能なんかじゃない。身の回りの人間たちを守って、なるべく長くその生命の連なりをつなげてもらえるよう、できる限りのことをする……そのくらいしか力はないの。今は大部分寝かしてるから、さらに半神よね。


 けれどあいつ……“赤い女神”は、わたしよりずうっと旧い時代からここ、アイレーの地にいた。人の命はなくなった分、たくさん丘の向こうから帰ってくる、と言っている。だから自分はどんどん人を殺して、どんどん新しく生まれさせる、そうすることでこの地を生命でいっぱいにしてると言ってた……。


 それが本当なのか、わたしにはわからない。どたんば判断だったけど、あんな危険なものを吸収するなんて、わたしは間違ってたのかもしれない』



 寂しげな女神の表情の奥に、ミルドレは深い苦悩を見た。


 ひとつの存在でありながらそれを分断したらしいかの女、別の女神を吸収し内包するも、それに脅かされている黒羽の女神。つまりかの女の中に、半神対巨人という構図ができている、ということなのだろうか?



――半神、対、巨人……。



 なんて壮絶な響きだろう!? 理由ははっきりとしないが、老騎士はその語感に、並々ならぬ畏怖を抱いた。



「でも、黒羽ちゃんはそれ全部、人間を守るためにやったんでしょう?」


『ええ』


「じゃあ何も問題ないですよ。要は人間が黒羽ちゃんときちんと意思疎通して、大きい体部分だけを起こすような、おばかな真似をしなきゃいいだけの話で」


『やっぱりミルドレ、わかってるぅ』



 女神は騎士の胸のあたり、ぎゅうと抱きついた。感覚がなくても嬉しいミルドレである。



『そろそろお香湯こうゆ、もらってもいい?』


「ええ。いい頃合でしょ」



 ちょっと濃いめに淹れたかみつれ湯、女神の大好きな林檎に似た香りが漂う。


 それを口に含みながら、ミルドレは呟いた。



「ああ……だから大事なんですね。あなたを見て聞ける人がいることが」


『そう。特に王族……その国や町や集落の上にいる人たちね。体部分の呼び出し方は、そういう偉い人たちだけが伝えて知るようにしてあるから、他の人たちはめったにいたずらなんてできないはずなのよ』


「私には絶対教えないで下さいよ、その方法。怖いから」


『あなたにはわたしが見えて聞こえるんだから、大丈夫よ』


「……ああ、そうですね。ディアドレイは、ちゃんとやり方知っているのかな?」


『ええ、父王から聞かされて知ってるはずよ。ウルリヒとエリンちゃんにも、そのうち話すでしょう……あ、うーん……』


「? どうしました」


『そう言えばその時、わたしディアドレイと父王の脇で聞いていたのよ。話の本筋、と言うか呼び出し方はぎりぎりすれすれで正しかったんだけど……、まわりの部分がだいぶ違っていたわ。伝言遊びと同じで、やっぱり代を重ねるごとに変化しちゃったみたい。わたし、なぜだか妖精ってことにされてたし』


「えーっ、女神様なのに!」


『まあ、見えて聞こえない偉い人の間なら、むしろ呼び出し方も忘れられちゃった方が、安全なのかもしれないわ』



 女神は唇をすっぱい感じにすぼめ、老騎士は渋い顔をした。妖精だなんて……! これは『精霊』のやわらかめな言い方であるが、イリー人の感覚で精霊は神さまよりよっぽど下っ端の存在、とみなされている。


 ミルドレの脳裏に、広場の女神像のすがたが浮かぶ。全然似ていない、真の女神とは途方もなくかけ離れた、つくられた表象としての黒羽ちゃん……。ちりちり頭を小さく振って、無理やり話に戻ってくる。



「えーと、そうだ黒羽ちゃん。ちなみに今現在、大きな体部分はどこで眠ってるんです?」


『墓所のとなりにある、東の丘よ。沙漠から皆とこっちまで来た時、かなり長い間大きいまんまでいたから、ほんとに疲れちゃって……。もうだめー、って。そこでばたんきゅうしたの』


「なるほど……。あすこは何もないし、ほとんど人が入りませんものね」


『イリー人の祖先たちは、赤い巨人の姿は知らなかった。けど過去に起こったことを断片的に伝え聞いていたし、わたしもよく話しておいたから、初めのうちは誰も心配してなかったのよ。


 ……けど、二百年くらい前かな。わたしの声を聞けて、見える人が急に減った。前はみんな聞こえて見えたのに、聞くか見えるかのどっちかになっていった。そういう人もどんどん減っていって、珍しくなった。


『テアルの巻』の話者テアルは、伝承保存を担当していた一族の出身だったの。昔の話、……歴史とそのもう一つ前のお話なんかを憶えて、王や皆が必要な時に話して聞かせる仕事をしてたのよ』


「書庫みたいな人ですね!」



 現在そういう騎士職はない。少なくともミルドレは聞いたことがなかった。



『と言うより、書庫がテアルに取って代わったのね。テアルのお父さんは見て聞こえたのだけど、テアルは聞くしかできなかった。彼の子ども達は見えず聞こえなかった。当時の第五代王も、その家族も全くだめだった。そうして、わたしと話が通じなくなることをものすごく恐れていた』


「……わかります!」


『テアルはそういう時に、ティルムン帰りのユングードと意気投合したの。彼はわたしの声が聞こえなかったけど、姿を見ることができて、そうして絵に描くこともできた。だから二人はわたしにまつわる大事な話を、本にしてのこそうっていう風に決めたのよ。王様も応援していたわ』


「はー、なるほど!」


『あのお話自体は、それまで過去に沙漠の方で繰り返された色々な出来事のまとめだから、ほんとじゃないわ。ただ、こういうことをしたらこうなりますよ、って学べるようになっている。教訓よね。


 テアルとユングードと五代目王様は、本当にわたしに良くしてくれたの。透かし堂のあたりを何度も補修してくれたし、しょっちゅう会いに来てくれた。心配なさるな、我らが子孫はいつまでもあなたと共にいる、あなたを忘れませんからって言ってくれて、……』



 なつかしい過去の記憶をさまよっているらしい、女神の黒い瞳がやさしく潤んで、……ぽろっと涙が出た。



『……』


「いらっしゃい、黒羽ちゃん」



 陶器椀を脇の小卓に置いて、ミルドレは両腕をひろげた。


 その中に小さくおさまる黒羽の女神の肩が、ふるえている。


 触れられなくても、ミルドレは手のひらをそこへまるく当てた。



「あの本はとてもきれいだから、これから先も王室の宝として、ずうっと大切にされるでしょう。もこもこかわいらしい黒羽ちゃんの絵は、後々の王子様お姫様の目にもきっと残っていくはずです。テアル侯たちの言った通り、あなたが忘れ去られる、なんてことはないんですよ」


『……』



 数十年間、事あるごとに提案し続けたけれど、へし折れた透かし堂が再建される事はなかった。“傍らの騎士”として一番勢力のあった時ですら、監視拠点としての優先性利便性を欠くとして、賛同する者がいなかった。


 そもそも鐘楼は無事なのだから、危うげな位置にあえて意味のない装飾をつけなおすのもいかがなものでしょうか、……言い放ったとある故人の近衛に、ミルドレは本気で殺意を抱いたこともある。


 ……意味? つまり透かし堂の由来すら、彼らは、皆は忘れ去っている……??


 廃墟となった一角を眺め、あんなに美しいお堂でしたのに、と心から寂しげに言ってくれたのは唯ひとり。……来訪中のオーラン元首、ルニエ公だった。


 ミルドレは、あかるい声を出す。女神の寂しさだけじゃない、自分のかなしさを吹き飛ばすために。



「それに、ミルドレはまだまだ元気ですからね! 丘の向こうへは、当分ご縁なしです」


『……』


「あなたは、私と一緒にいてくれる。だから黒羽ちゃんを、絶対にひとりにはしません」



 目の前に広がるくるくる黒髪ともこもこ羽毛を見ながら、老いゆく騎士は必死に考えている。自分のことばを実現できる方法を、探し続けている。



「若い頃は、あなたのことがひたすらよくて、ただそれだけで生きてきた気がします。でも本当の黒羽ちゃんのことを、深く知ろうともしていなかった……いけませんよね、これは」


『わたし、そのまんまだわよ』



 くぐもった涙声が答えた。



「ふふふ、それでもいいんですけど。でもこれからは今日みたいに、古いお話もいっぱいして下さいね」


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