16 赤い病
黒羽の女神はテルポシエじゅうを飛び回って、赤いぶつぶつを全身に浮かした病人たちの床をおとずれる。
急に市内各所で、かの女を呼ぶ声があがり始めた。いつもは呼ばないその名前を、熱に浮かされ死に脅かされて誰もかれもが口にする、しきりに女神様に頼る。
「女神さま、たすけて」
『大丈夫よ、あなたはこれからも、いっぱい生きるの!』
「……つらいよう、女神さま」
『うんうん、辛いよね! 早く治して、またお菓子たべようね!』
「女神さま。……お母さん、さよなら……」
『行かないで、だめだめだめ、まだ……待って、行かないでぇ』
――なんで! どうして、わたし何にもできないの!?
女神はべそをかきながら、皆の額に口づけてまわる。けれどかの女の祝福は、彼らの苦しみを少し和らげるだけ。
静かに丘の向こうに旅立った、少年の首筋に浮かぶ赤い湿疹にぼたぼた涙を落としつつ、かの女はそれを凝視した――小さな赤いつぶが、にやりと笑った気がして、はっとする。
黒羽の女神は、テルポシエ北門を出た脇にある、東の丘に飛んだ。
樹々も育たない、けものも棲まない吹きさらしの荒れた丘。ばたばた巨石の倒れている、その頂上に降り立つと、かの女はわめいた。
『こぉらぁーッッ、ちょっと! 起きなさいよッ! わたしだわよッ』
ぎゃんぎゃん叫び続けて、ようやく地中深くにもぞりと動く気配がする。
≪何じゃ≫
『あんた一体、何してるのよッ』
≪寝とるだけじゃ、ばかもの≫
『うそおっしゃい! 赤い病気をテルポシエに流したの、あんたでしょうッ!?』
ふあー、低いあくびが聞こえる。
≪寝言は寝て言え。我はねむい、また寝る≫
『しらばっくれるんじゃないわよ! これみよがしに赤いぼちぼちで人間たちを苦しめて、大量に丘の向こう送りにするだなんて、あんた以外に誰ができるのよ!?』
≪病じたいができるであろう。我は何もしとらん≫
『でも、こんな強烈ないやらしい病気……!』
≪お前も相変わらず、あほうよの。病だって生きとる、日々進化しとるわ。自分の手に負えなくなったというだけで取り乱すとは、さてはお前は退化、いや劣化したんかの。ほほほ≫
『……!!』
≪あるいは、恋にぼけたかえ。においがついとるぞ、ようやく人間の男でも捕まえたか? うまかったろう、たんと喰え≫
『だまらっしゃーい!!』
≪静かに寝てるとこへ、うるさく言って来とるのはお前じゃ、小娘。次に因縁つけてきたら、お前とお前の男ともども、ぜんぶこそげ取って喰いほろぼすぞ。病よりもよっぽどきれいに、テルポシエをあとかたなくしてやろうぞ。お前こそ黙れ、ちび≫
最後にすごみを利かせてから、それは地中深くでまた、寝返りをうったらしかった。
――くうっ……。
力なく翼を羽ばたかせて、女神はよろよろ南区の屋敷に戻った。
リルハが玄関脇に立ち、両手で顔を覆っている。隣に立つミルドレの手には、便りがあった。
街道沿いの防衛拠点に駐在していた長男が、赤点疼で亡くなったと記されている。
市内の貴族宗家に嫁いでいた、長女次女が同じ赤い病のせいで、丘の向こうへ行ったばかりなのに。