15 ディアドレイの即位式
「あらららら、これはまた! おめかししましたね、今日もすっごくきれいですよ!」
『ふふん。こないだもらった手巾が気に入ったから、衣にしちゃった』
淡い鮭肉色の衣をまとった女神を見て、騎士は目を細める。笑いじわがぐーっと深く出る。
女神の頭のてっぺんに、ばらのつぼみがぷくっと膨らんで、橙色の大輪が五つ六つ、次々にはじけ咲いた。
「すんばらしい。まさにお祝いの装い!」
『ミルドレも、一番いい外套着るんでしょう!』
「そうそう、――どれでしたっけ」
騎士は自室の壁に取り付けられた、外套入れの戸をがたりと開ける。傍目には全くおんなじ草色外套が、ずらーり八着下がっている。
「えーと、これかな。冠婚葬祭用の……」
『違うわよう、それ冬用じゃないの。ほらほら、リルハがちゃんと手前にしといてくれた、こっちが夏用だってば』
「えっ? ……あららら、本当ですね。でもこれだけ見分けつかないのだし、別の着てっても誰も気付かないのでは……」
『騎士なんだから、その辺うるさくけじめつけないとー』
ミルドレもやはり老眼入ってきてるのだわ、と内心で思っても言えぬ女神である。
さらさら上等な草色外套を羽織った騎士と、しゃけ肉色にひらひら装う女神は、青月吉日の朝、きもち良く城へと向かう。
まだ空は白っぽいけれど、何日か居座った霧雨が上がって、もうじきに晴れ上がる見込み――そう、絶好の即位式びより。
ディアドレイが女王となり、オーリフを傍らの騎士とする。ふたりは結婚するのだ!
朝も遅く、ようやく中広間に現れたディアドレイを見て、各種おじさん騎士たちの間でふよふよ浮いていた女神は、ぱあっと笑顔になる。
金ぴか長衣の父王とティユール妃とに挟まれて、新女王はやわらかく笑っていた!
『ぎゃああああ、とんでもすばらしいわあ、ディアドレイ! めっちゃんこきれい、どうしましょ』
女神らしからぬ語彙の乱れに身を任せつつ、かの女はすっ飛んで行ってディアドレイの額にくちづけた。
『いつまでも、そういう風に笑っていてね!』
金糸刺繍の入った白い長衣、上品にうつくしく開かれた胸元は曇りなき乳白色。鎖骨のあたりに首飾りの大粒真珠が泡のように重なっている。
高々と結い上げられた白金髪よりも、はにかんだようなディアドレイの笑みが、その場をあかるく照らしていた。
音もなくオーリフが現れた。宗主の老騎士らに囲まれて、静かに何やら話している。
――心をあらためて、ディアドレイを大切にするのよッ!
『祝福したげるわよ、オーリフ』
ぴかぴか白金髪にくちづけた後、耳元で囁いてやったら、ふっと目を上げて一瞬笑顔になり、うなづく。
――よーしよし。次はええと……あれッ!?
中広間の入り口あたりを見て、どきっとした。グラーニャが来た!
小柄な妹姫は、ひどい恰好をさせられていた。手の甲から喉元までをぴっちり覆う重くるしい紫紺の長衣、白金髪は塑像みたいにまとめて結い上げられ、装飾品と言えば耳に吊り下がる真っ黒い黒曜石の雫だけ。ものの良さはわかるけれど、でもあからさまに場違いの装いだ。くらすぎる。
はかない影ぼうしのような姿のグラーニャは、何かに責めたてられ、追い詰められたような哀しげな瞳で、あたりに目線を走らせている。
――ちょっと……今、夏が始まった所よ? 青月なのよ? 真冬のお葬式に行くんじゃあるまいし、一体誰がこんないじわるを……!!
ぎくっと思い当たる。いやいやいや、と女神は思い直す。自分の草色外套にも無頓着なミルドレが、ディアドレイを引き立たせるため妹姫の魅力をわざと覆い隠すような恰好をさせるだなんて、そんな器用なことは……。
黒羽の女神は、そっとグラーニャに寄り添った。近くで見るとよくわかる、ずうっと泣いて昨夜もきっと寝ていない。あんなにぴかぴか、ふっくらしていた輪郭が、見る影もなくやつれてしまっていた。
その小さな頭を抱いて、女神はグラーニャのつむじに口づけた。
――ミルドレは、ああ言ってたけど……。
『グラーニャ、あなたは強くなる。そうしてあなたを待つあなたの幸せと、いつか必ず未来で出会う』
妹姫が深呼吸を始めた。きっとした視線の先を見ると、おや、ディアドレイがこちらに来るではないか。
「グラーニャちゃん」
輝く姉に自分の名を呼ばれた妹姫の鼓動がどくどくどく、かたく脈打ち始めるのを女神は聞いた。
――えっ? どうしたの??
グラーニャは大きく一歩を踏み出した。二歩、
「ごめんなさい、姉さま」
三歩目とともに、彼女が何かきらっとするものを両手にかまえて、力強く押し出そうとするのが見えた。
『グラーニャッッッ!!!』
引き裂くような叫び声を上げて、黒羽の女神はうしろからグラーニャに翼びんたを喰らわした。
「痛っ!!」
黒々とした、小さな妹姫の身体は床にころがる。
驚いた声がいくつも同時にあがる。一瞬早かった女神の声を聞いて、ふたりの草色外套が敏捷に動いた。
素早く立ち直りかけて顔を上げたグラーニャの目の前、ディアドレイを背にして長槍穂先をグラーニャに向けるオーリフ。
長い腕が伸びてグラーニャの右手をとる、ねじり上げる、ごとんと重い音を立てて石床に落ちたのは裁ちばさみだった。間髪入れず、グラーニャの小さな両肩をすくい上げるようにして、ミルドレは妹姫を中広間から引きずり出す。
ほんの一瞬だったのに、黒羽の女神にはとんでもなく長い時間に思われた。
……真っ赤な顔にぼろぼろ大粒の涙を流して、唇をゆがめながら惨めに引かれてゆくグラーニャを見ていられなくて、かの女は目を逸らした。
・ ・ ・ ・ ・
その日のうちに、グラーニャは王室専用の航海船にのせられて、マグ・イーレへと送られた。
騒ぎのすぐあと、どうにか式を終えたディアドレイは吐き戻してしまう。皆に懐妊が知れる。
最後に見たグラーニャの泣き顔が心に痛くて、黒羽の女神はしばらくミルドレの部屋の隅っこで、自前もこもこの中に籠った。
それまで重傷者を出さず、ゆるやかに流行していた“赤点疼”が、はじめて死者を出した。
年輩のもの、若いもの、子どもたちが、次々と高熱にあえぎ出す。