第四話 もはや家族ではない
グレースは生まれてこのかた、侯爵令嬢として生きてきた。
辛くはあったが、その地位に誇りを持っていた。しかしそれはととても儚いものだったと突きつけられる。
「グレース。それは誠か」
「はい。私は突然、婚約破棄を言い渡されました。もちろん事実無根でございますが、父上とて信じてくださいませんでしょう?」
父であるアグリシエ侯爵に、たっぷりと恨みを込めた言葉を投げかける。
継母と違って、彼はグレースと血が繋がっている。なのに一切こちら側の味方などしてくれたためしがないのだ。
「無論だ。王太子殿下がそうおっしゃったのなら間違いはあるまい。して、罪状は」
「私が義妹のジェイミーを虐げたそうです。完全に彼女の発言のみで証拠はありませんでしたが」
「ジェイミーの言葉が間違っているとでも? お前は前から怪しかった。ジェイミーを虐げていたとは、見損なったぞグレース」
このバカ親は脳みそが腐り切っているらしい。
ジェイミーは親の前では甘え、可愛いそぶりを見せる。だから完全に騙されてしまっているのだ。
ジェイミーがとんでもない嘘吐きだということには気付かずに。
「なんという娘だ。今まではお前は勉学の才があるからと見逃して来たが、王太子殿下の怒りを買うなど今日ばかりは我慢ならん!」
侯爵が激昂する。
その姿があまりに愚かすぎて、グレースは笑ってしまった。
「承知しました。侯爵家にご迷惑をおかけしてしまい誠に申し訳ございません」
口頭では謝っているものの、もちろん心の中ではクズ親だと罵倒していた。
貴族にとって娘というのはこんなものだ。それにしてもこの父親はあまりに酷過ぎる。
自分の妻が子を孕もうという時期に他の女と交わり、そしてそれを隠しつつ妻を病死に見せかけて殺し。
後妻という名の妾を家に迎え入れ、その娘をまるで一人娘であるかのように可愛がって、長女を追い出す。
もはや家族ではないと言われたが、それはむしろ喜ばしいことかも知れなかった。こんな奴らの家族でなどありたくない。後で継母にどんな罵倒を浴びせられるかはわからないが、とにかくそれで何もかも終わりだ。
この家とは縁を切ってやる。
背後で何やら喚いている侯爵をよそに、グレースはそっと父の執務室を出た。
そして廊下を伝い、自分の部屋へ向かう。最低限荷物をまとめなければならない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「この侯爵家から物を持ち出すことは許されません。ハンカチ一つでもね!」
グレースの部屋へわざわざ乗り込んできてそう怒鳴ったのは、継母だった。
確かに美貌はあるが、それ以外何の取り柄もない女だ。さすが平民と言うべきか、淑やかさの欠片もない。
グレースはあえて彼女ににっこりと笑いかけ、静かに言った。
「これらは侯爵家の財産ではなく私物です。あなたにどうのこうのと言われる筋合いはないはずです」
「まあっ。母親に対してその口の利き方は何なの!?」
「あなたは私の母親などではありません。母様はもっと美しい方でした。心が、ですけれども」
グレースの本当の母は、特別綺麗な人ではなかった。
しかしいつも微笑んでいて優しく、素晴らしい女性だったとグレースは思っている。この継母とは大違いだ。
「本当であればジェイミーに盗られた物も私物ですから、頂戴しなければならないのですが。けれどそれは別に持っていくつもりはないのですよ? それだけでもマシだとは思われませんか?」
グレースは取り繕うことを忘れ、吹っ切れている。だからどんなに生意気なことを言っても少しも恐ろしくはなかった。
今まではいい子を演じすぎていたのだ。両親に従順であり婚約者を心から支え、ただ美しくあろうと努める。その結果がこれであるのなら、もはやいい子である必要がない。
「ジェイミーに盗られたですって!? なんて嘘吐きなのかしら! 泥棒まがいのことをして何度もあの子を泣かせたのはお前でしょ!」
「事実無根です。もっとも、そちら側が主張すれば白も黒になるので何を言っても無駄かも知れませんね。
やかましいので部屋から出て行ってくださいますか? 私、あなたのことがずっと嫌いだったのです。もう姿を見たくもありません」
激情が抑え切れずに肩を震わせた継母は、グレースの頬に爪を立て、思い切り引っ掻いた。
桃のように白い頬から一筋の血が流れ出す。しかしグレースは笑顔を崩さない。
「決別の証としてこの傷はしばらく大切にさせていただきますね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
使用人たちは、いつ頃からかグレースの味方ではなくなってしまった。
継母の手によって前妻に仕えていた者は次々に辞めさせられ、グレースを気遣ってくれていた執事や侍女も今はいない。
悪魔のような人たちだ、とグレースは改めて父と継母のことを思った。
何でも自分の都合の良いように物事を捻じ曲げる。だからジェイミーもあんな風になってしまったのだろう。
そもそものところ、彼女に早く婚約者を作ってやれば良かった。
しかし彼らは一向にそうしなかった。ジェイミーを嫁にやりたくないのかと今まで思っていたが、きっとそうではない。彼女の方を王太子妃にするべきだと考え行動したに違いなかった。そしてそれは見事に成功してしまったのだった。
「……全て仕組まれていたのですね。私を追い出すために」
何もかも筋書き通り。それに気づけなかったこちらの敗北だ。
しかし、これからはそうはならない。そうはさせてやるものか。
生まれ育った侯爵家を出て行く。
馬車ではなく徒歩だ。ドレスを引きずりながらやっとの思いで前進の一歩を踏み出す。
侯爵家の籍から強制的に抜けさせられ、平民落ちした彼女にとっては当然の仕打ちと言えた。
侯爵家をチラリと振り返れば、当然のように見送りの者はいなかった。
面白い! 続きを読みたい! など思っていただけましたら、ブックマークや評価をしてくださると作者がとっても喜びます。
ご意見ご感想、お待ちしております!