第一話 「婚約破棄を宣言する!」
賑やかなパーティー会場。
しかしその空気が一変したのは突然だった。
「アグリシエ侯爵令嬢グレース、お前との婚約破棄を宣言する!」
耳を疑うようなその発言に、一点に視線が集まり、信じられないというようにどよめきが広がる。
婚約破棄宣言を堂々と言い切ったのはこのボークス王国の王太子であるところのハドムン・イェア・ボークスだった。
ハドムンが真っ直ぐに指を突きつける方、そこに立っていたのは名前を呼ばれた令嬢だ。
彼女は栗色の髪を揺らし、頭を下げたあとで小さく首を傾げた。
「王太子ハドムン殿下にご挨拶申し上げます。グレース・アグリシエでございます。――ところでハドムン殿下。誠に失礼ながら、今、なんとおっしゃいまして?」
「婚約を破棄すると言ったのだ。そんなこともわからぬか!」
整った顔を最大限に歪めたハドムンが彼女を詰る。
しかし彼女――侯爵令嬢グレース・アグリシエはまるで動じなかった。
「ハドムン殿下の仰りたいことは承知いたしました。ですがどうか落ち着いてくださいまし」
「落ち着いてなどいられるわけがなかろう! お前は口にするのも憚られるほどの虐待を行った。しかも実の妹に、だ。悪魔のごとき非道な心を持つ女などを未来の王太子妃には据えておけぬ!」
「妹? ああ、ジェイミーのことですか。それならば私は全くの無実でございます。妃教育等で多忙な私が、どうしてそのような遊びをしなくてはならないのでしょう?」
にっこりと柔らかな微笑を浮かべるグレース。
しかしその空色の瞳は少しも笑っていなかった。冷たい光を帯びながら、まっすぐにハドムン王太子を見つめる。
そして次に、ハドムンが背に庇うようにしている少女に目を向けた。
「ジェイミー。王家の方、しかも王子であらせられるハドムン殿下に対しての虚偽がどれほど重罪であるか、わかっておいでですか。あなたはお義母様に本当によく似て、か弱いふりがお上手ですね」
「お義姉様、ひどい……! 嘘なんて吐いてないのにっ」
目に涙を浮かべて訴えかけるのは、グレースより一回りほど小さい少女。
小柄で愛らしい淑女がお好みの殿方を引きつけること間違いなしの容貌を持つ彼女は、グレースの腹違いの妹のジェイミーだった。
彼女は甘い声で「信じてくれますよね?」とハドムンに縋る。
彼は愛おしげに目を細めながらジェイミーの体を抱くと、グレースへ向かって声を荒げた。
「ジェイミーに何か言える立場だと思っているのか、この悪女め! お前はたった今婚約破棄され、未来の王妃という地位を失ったのだぞ」
清々しいほどにジェイミーとグレースへの態度が違い過ぎていて笑いを禁じ得ない。
たった今まで、彼と婚約者だったはずなのに。
「わかっています。王族主催のパーティーの最中、ハドムン殿下のお強い正義感によって王家と侯爵家の取り決めである婚約を破棄された。解消ではなく破棄でございますから、重く受け止めておりますとも」
グレースは、誰からどう見ても穏やかに見えただろう。
しかし内心は燃え上がっていた。意訳をすれば、
『何ですかあなた、最低ですね。こんな場所で馬鹿なことをしないでくれますか。やるならもっと場所とやり方を選んでおやりなさい。そんなぶりっ子に絡め取られて恥ずかしくないのですか。お花畑なクソ王太子!』
といった感じである。もちろん口には出さないが。
「尋ねさせていただきたいことが一つ。私が行った非道とやらの証拠はあるのですか?」
「ジェイミーの証言がある。それ以上に何が必要というのだ?」
「色々と必要なのではないでしょうか。被害者以外の証言や、物的証拠。それがない限りは断罪できないと思いますし、それは法廷がやることであって王太子のお仕事ではありません」
「お前に口出しされるようなことではない。思い上がるな」
ハドムン王太子の漆黒の瞳が怒りに吊り上がる。
せっかくの美形なのにこんなに馬鹿では話にならない。なので今度は義妹に向き直る。
「ハドムン殿下を手玉に取るのは容易かったでしょう。私が多忙な間に殿下と接触し、そして甘い言葉をかければ彼はすぐ手に入れられたでしょうからね。ずっと羨んできたお義姉様を貶めた気分、どうですか?」
「言いがかりにもほどがありますわ……!」
「ここが法廷でない以上、私の発言とあなたの発言のどちらが真実かを検証することはできかねます。ので、これはあくまで私の戯言と片付けてくださっても構いませんけれどね。――あなた、王太子妃は楽じゃありませんよ」
グレースは身をもってわかっている。
王太子妃教育の過酷さを。頼りない婚約者を支えなければならない辛さを。
同じアグリシエ侯爵家の娘にあたるから政略的には問題ないので容易に鞍替えできてしまうというのが性質が悪い。
グレースとジェイミーでは受けてきた教育の質がまるで違う。彼女にそれが耐えられるだろうか。
相応の覚悟を持っているなら何も口出しはしないが、少なくとも過酷な道になることは確かだ。だから、
「たとえ後悔なさることになったとしても救いの手を差し伸べたりはいたしませんので、ご了承くださいね」
「――耳にする価値もない戯言だ。直ちにその女を引っ捕らえよ!」
ハドムン王太子の命令で、控えていた騎士たちが動き出す。
強制的に話を終わらせるつもりだと悟り、グレースは「最後に」と言った。
「この場の皆さん、お騒がせして誠に申し訳ございませんでした。引き続きパーティーをお楽しみくださいませ」
さあ大変です。今から色々と考えませんとね……。
少し憂鬱に思いながら、彼女は騎士団たちに連れて行かれる。
緊迫した空気の中でパーティー参加者が何事かをヒソヒソと囁き合う中で、ジェイミーだけは薄く微笑むと、王太子に擦り寄った。
「ハドムン様、ありがとう」
「お前に不当な扱いを受けさせる奴は誰であろうと許さないと決めたからな。これまでもこれからもお前こそが我が最愛だ」
なんとも甘ったるい雰囲気を漂わせながら、王太子の声が響き渡る。
「ジェイミー・アグリシエ侯爵令嬢を新たに私の婚約者とする!」と。
祝っていいかわからなかったせいか、そもそも誰も彼の言葉を聞いていなかったのか。
誰も拍手を送ったり歓声を上げたりはしなかった。
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