母親の記憶
マルセルはベッドに広がった銀色の髪をじっと見つめていた。身体の上で軽く組まれた白い手はやせ細り、左手薬指にはサイズの合わない銀色の指輪がはめられたままだった。
あまりにも長い時間こうしていたので、もうどれだけここに座っているのかも分からなくなっていた。
──母上は……もう動かない。
マルセルは椅子から立ち上がると、ベッドに横たわった母親に向かって深く礼をしたまま小さな声で囁いた。
「さよなら……母さん。」
* * * * *
ここ、ザール地方はトロメリン王国でも最東端にあたる海に面した交易の要所だ。
トロメリン王国の第一王子として産まれたマルセルが王都にある王宮ではなく、ザール地方でひっそりと暮らしているのには訳があった。マルセルの母親であるマリエが、国王から妃として正式にその存在を認められていないからだった。
マルセルの母親──マリエがトロメリンに突然現れたのは国王が王位についた翌年の事だった。王都の大通りから一本入ったところにある商店街に女が倒れているという知らせを受けた騎士が駆けつけてみると、異国の美しい女が倒れていたのだという。
言葉の通じないマリエはその後すぐに国によって身柄を保護されることになったのだが、どこから来たのかは全く分からなかった。
その頃国王には既に妃がいた。トロメリン王国の由緒正しい侯爵家出身の妃は、跡継ぎを授からないままいつの間にか結婚して五年の月日が経とうとしていた。
国王は騎士団によって保護された素性の知れない女性が大変美しいという噂をどこからか聞きつけるとすぐに興味を示し、王宮に侍女として召し上げることを決めた。王宮に連れて来られたマリエは事情もよく分からないまま、王の直属の侍女として働かされることとなったのだ。
マリエが身篭るまで、そう長い時間はかからなかった。王宮の者ならば誰でも、お腹の子供の父親が誰であるかは気が付いていた。
そしてお腹が目立ち始めてきたある日、マリエは突如として王宮から姿を消したのだった。国王によって王都から離れたザール地方の屋敷にひっそりと移されたためだ。
マリエのその後は、極秘事項として外部に漏れ聞こえる事はなかった。ザールの屋敷に出入りできるのはごく限られた使用人と必要最低限の業者のみ。
当然マリエのお腹の子が無事に産まれたのかどうかは国王とごく一部の関係者しか知りようがなかった。
つまりはマルセルはトロメリン王国の第一王子なのだが、その存在は外部にほとんど知らされていない。
マルセルの腹違いの弟となる第二王子が王都で生まれたのはマルセルが五歳になる頃だった。そしてその頃から何者かによってマルセルとマリエは命を狙われるようになった。マルセルは幼いなりに事情を理解し用心に用心を重ね、決して目立つことがないようひっそりと暮らして来た。出来るだけ人目に触れないよう、屋敷に引きこもりながら──。
それに加え、マルセルはその容姿のせいもありここ数年屋敷から外に出ることもままならなくなってきていた。母親譲りの見事な銀髪に薄紫色の神秘的な瞳。一目見れば誰もが忘れられないと言うほど、マルセルの姿は年々美しくなっていたからだ。
ザールの屋敷に気安くマルセルを尋ねる事が許されたのは、幼馴染のロベール位のものだった。