16-3
その翌日。須貝と会える。
夜になるのがこんなに待ち遠しい日が来るなんて、思わなかった。
「おひさしぶりです、ってほどでもないですか。こんばんは、すみれさん」
「こんばんは。秀平さん。あの、先日はごめんなさい。私のために怪我をさせてしまって」
須貝の顔を見て、声をきいた瞬間、ほうっと全身の緊張がとけた。
無事だということはわかっていたことだった。けれど実際にこの目で見て、話さないと納得できない自分がいた。
元気そうないつもの笑顔をみれて、心底ほっとした。
「いえいえ、大したこと無かったので大丈夫ですよ。ただ……なんだか以前より物忘れが激しくなったような」
「ええっ大変! ごめんなさい! どうしましょう」
慌てる私を見て須貝がたまらず、といった様子で吹き出す。
「ふふっ。冗談です」
「えっ……もう、酷いです!」
「じゃあ、これでおあいこってことで」
ホント、ヒヤヒヤするからそういう冗談は言わないでほしい。
食事をしつつ、私がなぜ退職しなければならなかったのか。その説明を聞いた。
「……つまり私を守るために退職させた、と。そういうことですか?」
「そうです。会社設備を用いた私的通信に関して、必要に応じて調査をおこなうということは、法律上法人に認められている権利ではあります。しかし今回のケースは微妙で」
「細かく調べすぎ、と取られる可能性もある、ということですか?」
「そうですね。なのでチサトは、『アレはAIが勝手にやったことにする』という判断をしました。現在AIを縛る法は存在しませんからね。そういった状況に、個人がいては都合が悪かったんです」
「それならそうと、説明してくれれば」
あの子は自分ひとりで罪をかぶろうとしたのか。
「それと余計な気持ちをあそこに残してほしくなかった……のかもしれませんね」
「それはどういう?」
「手ひどく別れれば、以前の場所に未練はのこらないでしょう? 彼女なりの優しさだったんだと思います」
「なんていうか……不器用ね。チサトも、その主人も」
ため息混じりの言葉に、須貝は上目遣いに私を見る。
「ボクですか? ま、器用な方ではないと思いますが」
そのまま恥ずかしそうに頭をかきつつ話す彼に、追い打ちをかけてやる。
「どうして黙ってたの? ……中田くん」
すると彼は目を見張って一瞬あっけにとられたような表情を見せる。不意打ちは成功のようだった。
「……おどろいたな。いつ気づいてたの?」
「昨夜、電話する前。……名前が同じっていうのに今まで気づかなかったのよ? どんくさいったら。……中田くんはいつ気づいていたの」
途端に須貝の表情に笑みが戻る。
「実は、ビッグサイトで」
「最初から!?」
「ごめん」
「どうして言ってくれなかったの?」
「気恥ずかしかったのと、なんだか利用するみたいで嫌だったから」
何を利用するというのかしら。
「利用するって? 何を?」
「昔の関係、かな」
驚いた。そんな10年前の、手も繋いだこともない彼カノの思い出を逆手に取るだなんて、そんなの実際に効果あるとは思えないけれど。
でも、そんなことを真剣に考えるところ、たしかに彼なのかもしれない。
つい口元がほころんでしまう。かわいい人。
「――10年以上前の話よ? 今更」
「ボクは振ったつもりも、振られたつもりもないよ」
「秀平くん……」
ああ、彼にとっては、まだ福岡での、あのときのままなんだ。
「みーちゃん。また付き合ってほしい」
どんどん胸は高鳴る。もう気持ちは一杯一杯。けれどこんな時に昔の呼び方をする卑怯者には、少し意地悪をしてあげないといけない。
「――ダメ」
「えっ、だめ……ですか」
かぶりを振る私の答えに、明らかに落胆した様子。
「……手も握ってくれない人とはお付き合いできない」
続く言葉に表情を明るくした彼は、途端に困った表情をみせ頭をかく。
「あはは、随分根に持たれちゃったな。……昔はすごく恥ずかしかったんだ。こんな可愛い子と絶対自分は釣り合わないって。けど今は違う」
「わかったわよ、もう。でも……とりあえず今は食事を楽しみましょう?」
もっとゆっくり話をしたい。昔の話、離れてからの彼の話。私の話。そしてつい最近の話。
そんなに焦る必要はない。じっくり近づければいい。わかりあえればいい。
そう。止まった時計は再び動き始めたのだから。
そのあと食事とともに盛り上がった昔話などを十分楽しんだ後、店を出て夜の日比谷通りを二人で歩く。
昔は互いに恥ずかしくてできなかった、手をつないで。
東京のど真ん中だというのに、皇居のお堀端は暗く静かだ。通りの柳がそよそよと流れる。火照った頬に夜風が心地いい。
秋の気配が漂うこの季節。徐々に肌寒くなってきたからか、人影もまばらだ。
しばらく無言で歩いていた。不思議と気持ちは通じている気がした。
けれど我慢できなくなってしまった。
どうしてもあの時のことを話さずにはいられない。
「あのとき……」
「ん?」
「かばってくれたとき。びっくりしたけれど、とても申し訳なく思ったけれど。でも……とても嬉しかった」
ああ、と思い出すように視線をさまよわせると、照れ笑いを浮かべる。
「うん……ま、ボクも必死だったからね」
「もう、あんなことしちゃダメなんだからね」
「あんなこと、そんなしょっちゅう起こっても困るけれどね」
「ふふ、そうだね」
「――あのときは、絶対守らなきゃ、って思ったんだ」
そういって彼は握る手にそっと力を込めてくる。
「うん……嬉しい。ありがと」
彼の思いを受け止めるように、握り返す。
そして二人立ち止まり、互いに見つめ合う。
「これからも君のこと、ずっと守れるボクでいたい。いさせて、くれるかな」
随分再会したときよりずっと謙虚だけれど。
「ずっと手を握っていてくれるなら」
――うん、約束する。