16-2
今日はフジコを家に招いての退職おつかれさま会だ。
「ふーん。すみれもたいへんだったねぇ。でもまぁ、結構退職金貰えたんでしょ? どっか旅行でも行くべ」
マガジンラックの旅行雑誌を漁りながらフジコがけしかけてくる。
そういえば確かに最近旅行にいけてない。学生時代はいろんなところに貧乏旅行にでかけていた。あのときはお金は無かったけれど時間だけは売るほどあった。
今はお金はソコソコあるけれど、全然時間が取れなくなったな。
「そんなこといって、フジコそんな暇ないじゃん」
缶ビールを持った手で彼女を指差すと、すこしムッとした表情を見せた。
「何いってんの。すみれのためなら三連休くらいむしり取ってきてやんよ」
こたつに空になった缶を叩きつけてフジコはタンカをきった。
「うふふ、フジコカッコいい」
「でもさあ、須貝ちゃん、ちょっと薄情過ぎない? 連絡一本寄越してこないってどゆこと? すみれのことどうでもイイってこと?」
あら、いつの間に飲んでたんだろう? 若干フジコの目が座ってる。
「あの、ウチらべつに」
「わかった、わかった。でも命張ったくらいなんだから一発やらせろとか無いのかね」
「フジコ、言い方」
”あぶない! みーちゃん!!”
ふとあのとき聞いた須貝の声がリフレインする。
「みーちゃん、か……。ぐふふ、どんな気持ち? みーちゃん! 久しぶりに聞いたわ、みーちゃん」
「もう、やめてよ! ……ん? みーちゃん……」
「おう、アンタの名前はかわいいかわいいみーちゃ」
「そうじゃなくて! 秀平さん……ああ、なんで気づかなかったんだろう!」
「ん? すみれ?」
「あの人、秀平くん……! もしかしたら中田秀平くんかもしれない」
「ん、中田……? あ、そうだ! あたしの違和感それだったんだ……! うわー、忘れてたわ。ん、でも苗字?」
「そんなの親が離婚とかすれば簡単に変わるじゃない!」
中田秀平くん。私が中学のころ、3ヶ月だけつきあった彼氏。ガリ勉くんで、結局手も繋がないまま転校しちゃって自然消滅した関係。「みーちゃん」って呼ばれるのがすごく気恥ずかしくて、でも嬉しくて。事あるごとに呼ばせていたような気がする。
「そりゃそうか。いやしかしすごい偶然もあったもんだね」
「うん、でもま、本当にそうかはわからないけれどね」
連絡も取れるかどうかわからないよね……もう、会えないのかな。
「会って確かめるしか無いわな」
「え、でもどうやって」
「ちょっと! アンタきいてるんでしょ、チサト!」
わ、また適当なことを……と思ったら!
「よばれてとびでてじゃじゃじゃじゃーん!」
嘘でしょ、ふつーに出てきたよこの子!
「またかよ! それ誰もわかんないからやめな!」
フジコは何やら笑っている。ターバンはなにかのネタなんだろうか?
「なになに~代表と話せなくてもう寂しくなっちゃった?」
「バカなこと言ってないで。話せるなら出てきてよ! あれから須貝さん、大丈夫なの?」
「うん、来週末には抜糸の予定だよ?」
いやにあっさりと私のモヤモヤの答えを教えてくれる。正直拍子抜けだ。
「ねぇ、チサト。須貝さんって、旧姓は中田さん?」
「うん、そうだよー」
「あらアッサリ」
これまたあっさりと核心情報が飛び出てくる。
「どうして黙ってたの?」
「そういうことは、本人から聞いたほうがいいんじゃないのかなっておもうな」
「会えるの?」
「たぶんすみれさんからのアポイントなら最優先なんじゃないかなー?」
「じゃあ、アポ」
「直接話して予定を決めたほうがいいんじゃないのかなっておもうなー」
「うっ」
「電話はコールしてあげるねー。がんばってねー」
「あっ、ちょっ」
「は、はい、須貝です」
久しぶりの須貝の声。身体が急に熱くなるのを感じた。なんだか慌ててるみたい。
電話、迷惑だったんじゃないかな。
「野路です。こ、こんばんは。……あの、今大丈夫ですか」
「大丈夫です、ご無沙汰しています」
そのまましばらく沈黙が続いた。
かと思えば「「あのっ」」などとタイミングがかぶってしまう。
「あ……どうぞ」須貝が譲った。
「あ、はい。その、おかげんはいかがですか?」
「ええ、意外と大したことなかったみたいでって……は? そんなこと言えるわけ……ああ、ごめんなさい、いまチサトが余計なことを……そんなことより大事な話があるんです。よろしければ明日の夜、お食事できませんか?」
心臓がひときわ跳ねた。須貝に会える。理屈じゃなく、うれしい。
「えっ。あのあの、私は全然構いませんっ!」
「よかった、それでは詳細はメールしますね……それでは」
通話が切れた後も、スマホをじっと見つめる私に、
「よかったじゃん、すみれ。がんばんなよ」
とフジコが優しく声を掛けてくれた。
「えっ。……うん」
「……ねぇすみれ」
「なに、フジコ」
「気づいてる? 顔。めっちゃにやけてるの」
「えっ、うそ!」
慌てたけれど、スマホを見ると。そしてさっきのやり取りを思い出すと、自然と顔がにやけてくるのを止められない。