12-1 利用する者される者
「ま、色々噂になってるようだけれど、別に結婚しているわけでもないから、私は気にしない。が、業務に差し障りのない範囲で頼むよ」
社長は事も無げにいう。
「あの、私はなにも」
「ままま、私は気にしないから。ね。仕事さえきちんとしてくれれば。あ、でも私を誘惑しないでくれよ? これでも妻子を持つ身なのですね」
弁解しようにも途中で遮られてしまい最後まで言わせてくれない。
しかもなんだ、なんで私が社長を誘惑しなければならないんだ。
「ですからなにも」
「野路さん。それ以上いくら弁解しても無駄だと思いますよ。大丈夫です、我々はそのような噂で貴方の評価を変えることはありません」
橋野の言葉に内心半分ほっとしてしまうが、それはつまり私は遊び人で男をとっかえひっかえしているとこの二人が思っている、ということだろう。
もう、基本的に私の言うことは聞くつもりがないのかもしれない。
こうなったら汚名をそそげるチャンスがくるまで、真面目に仕事をして徐々に回復するしかないのかもしれない。
噂の出所は中倉に間違いないだろうけれど、今の状態では証拠がない。正直はらわたは煮えくり返っているけれど、今ジタバタしても仕方ない。アイツが噂を広めた証拠を掴まないと。
「まぁ、噂の方はそんなもんですが、実はそれはいいんです、もう」
橋野が社長に目配せをして口を開いた。もういいってどういうことよ。
「最近は設計や試作の工数見積もりをAIにやってもらっていますね」
最近は見積の精度向上などをうたって彼女に見積をさせている。でも参考程度にと聞いていたけれど……。
私が首肯すると、橋野は言葉を続けた。
「AIによって見積の出るスピードは確かに従来の数倍になりました。ところが見積と実績の作業工数に大幅な乖離がでる場合があってね。プロジェクトが大赤字になるケースが頻発しているのです」
チサトのせいではない。見積をするうえでの学習データと前提条件が少なすぎるのだ。だから正式採用はしないようにと念を押していたのに。
「そ、それは」
けれど私の言葉はやはり途中でさえぎられる。
「どうやら設計は当初から正式採用していたようでね。設計の連中は工数がずいぶん低く見積もられる場合もあったと言っています。なんでも」
そして橋野は眼鏡のフチをくい、と持ち上げた。
「野路さんに採用するよう、強く要望されたと言っていてね」
「……嘘です! 私は『使わないように』と念押ししていたはずです!」
「野路くん。事実はどうでもいいんだよ。結果がどうなのか、これだけだ」
「よく考えるまでもなく、これまでもAIは細かいレベルでは誤りがかなりあったイメージがあります」
「それも誤解です、AIは情報が少なかったり、与えられた情報が誤っていたらそれだけ精度は落ちます。正しいデータと正しい学習、これがAIには」
「わかりました。ということは野路さんにはそれは難しいということですね?」
「え? それはどういう」
ここでまた橋野は社長を見る。社長は軽く頷いた。
「社長。どうも我々は野路さんに大変過酷な業務を押し付けていたようです」
「なっ」
「本件は当初の計画通り、社長室にて数名のチームで推進するよう、体制を変更したいと思いますがいかがでしょう」
「うん、いいんじゃないか? 女性1人だと何かと大変だと思っていたのだよ」
「社長!」
社長を見ると、まあまあ、といった感じで手でジェスチャーしている。
「野路さん。AIについて、しばらく社長室で確認させていただきます。それまでは新規案件の立ち上げは中止。既存のものについても一旦凍結ということに」
「そんな。従業員の方の仕事がまた苦しくなってしまう」
「そうはいっても野路さん。誤った結果を出すAIに仕事はまかせられないでしょう?」
肩をすくめて橋野は止めを刺しにきた。
「野路くん。そういうことだから。今までの業務にしばらくもどっていてくれるか」
社長の言葉に、うなだれるしかなかった。