閑話
「えっ、今なんて言った母さん」
定例の母の電話は、困った事態を運んできた。
「せやから明日そっち行くから、その日の晩泊めてやって言うたんや」
関西生まれの母は二十数年暮らす福岡の言葉にも染まらず、相変わらずチャキチャキの関西弁でまくしたてる。しかも声も大きい。
「そんなの聞いてないよ」
「いま言うたやん」
ケロッとひどい言い草をする。
「んもう、そうじゃなくて急すぎるよ」
「約束の期日。先週末やったん覚えてる? まさか忘れたとは言わさへんよ?」
「う、それは」
「おかあさんとの約束やからな? ちゃんと見せてや。カレシ。ほな明日」
言いたいことだけ言い終わるとプツリと電話は切れた。
「どうしよう……」
そうだった。母親との約束。なんであんな約束をしたのか。
いや、あのときは仕方なかったのだ。
あんなトカゲみたいな男と見合いさせられることと比べたら、大した話では無かったのだ。期日は一年。その間に彼氏をゲットする。たったそれだけだったのだ。
フジコを見ればいい。あいつに彼氏がいなかった時期などあっただろうか。
そう。近所のパン屋さんでチョココロネを狩ってくる、いや、買ってくる程度の気安さで彼氏など余裕で捕獲……ゲット、モノにできる。
――そう信じていた頃が、私にもありました。
「彼氏を作りたい? 明日の午前中までに? あんたバカ?」
フジコはどこまでも辛辣だった。
「無茶だってのはわかってる! でもでも、彼氏いないと困るの!」
「なんでさ」
「母さんが見合い写真持ってくる」
「え……つばきさん、東京に来るっての? 明日?」
「うん」
「……あたし、今から週末東京離れるわ」
「え、ちょっとまって」
「んじゃ、がんばってねすみれ」
「やだ、フジコ! ……この薄情者~!!」
ぷつりと切れたスマホを恨めしく見つめるけれど、ここからガシャって彼氏がドロップするわけでもない。ため息をついてテレビでもつけてみる。気晴らしにもならないと思うけど。
ニュース番組を眺めながら、今から話をあわせてくれそうな人を頭の中でサーチしてみる。
会社の連中……ああ、論外なやつしか浮かばない……。
商店街の人たちはどうだろう? パン屋のお兄さん……はすでにかわいい嫁さんがいる。しかも仕事だ。他、は……おじいさんか中年のおじさん。あんな人達に頼んだ日には、そのまま祝言だとか言われそう。
嫁不足は商店街にも深刻な影を落としているのだ。
「あー、困ったどうしよう」
そんな、テレビのキャスターが読み上げるニュースになにげに耳を奪われた。
『そんな苦境を打破したのがAIシステム! このシステムを……』
「あ」
いるじゃん。
翌朝、迎えに来た羽田空港の喫茶店で対面した。母はキラキラした目で彼を見つめる。
「えー……こちらが彼氏の」
「お母さん、はじめまして。すみれさんとお付き合いさせてもらっています、須貝秀平と申します。このとおり若輩者ですがよろしくおねがいします」
須貝が挨拶をすると、しばらく呆けて固まっていた母だったが、徐々に頬を染めると、突然動き出ししゃべりだした。
「あらあらあら、まあまあまあ! 結構いい男やないの! どないしたん、ドコでこないな上玉釣ってきたんや」
などとまくし立てながら腕やら肩やら、胸をべたべた触りだす。
「母さん、そういう言い方やめてよ! そして触らないでよ! で静かにして!」
しかし須貝も心得たものだ。慣れているのだろうか、やんわり母の手をにぎると、にっこりとほほえみながら話しかける。
「いえいえいえそんな恐縮です。それよりこんなに素敵なご婦人にお会いできるとは、しかもすみれさんの御母上だなんて。すみれさんが素敵なのは、やはり親御さんあってのことだったんだと、私、今まさに感動しているところです!」
「まっ……。まあまあまあ! 顔だけやなしに口も上玉やったんやな、これでアッチの方も具合良かったら完璧やなあっはっは!」
そして肩をバンバンと叩く。周りの人が好奇の目で私達を見る。死にたい。
「よろしくおねがいします、お母さん」
「つばきちゃん、って呼んでええで!」
「はい、ありがとうございます、つばきさん」
「んもういけず、つばき『ちゃん』やって」
「すみません、つばきさん。『ちゃん』は、すみれさんのためにとっておきたいと思います」
「ぐはっ。あかん! ……ウチもうあかん! イケメンの色気に当てられて、もう……おとうちゃん、ゴメン、ウチ」
そのままよよよ、と机に突っ伏す母。
「母さん、ほんとやめて……」
このまま母を羽田沖に沈めていこうかと、一瞬よぎった。
……一瞬だけね。
それからスカイツリーやら浅草、お台場などの観光スポットを巡って夜。
須貝とは別れ、自宅に母と戻った。こたつに座り、こたつの上の金魚鉢を見て目を細めた。
「あらー、ふなちゃん元気しとった? んーなになに? すみれが、いびきうるさーて敵わんて?」
「んなこと言ってないでしょ」
フン、と鼻を鳴らしてお茶の準備をする。
「なぁ、すみれ」
「なに母さん」
急須にポットのお湯を注ぎながら返事する。
「須貝さんやったっけ。ようできた人やな」
「うん、そうでしょ? 自慢の――」
「あの子、ホンマにアンタの彼氏か?」
「……なに言ってんの、当たり前じゃない」
こたつに座り、お盆に載せた湯呑と急須を置く。
「ま、どっちでもええけど。……あの子はエエ子や。絶対離れたらあかんで」
「ええ? どうしたのよ急に」
「オバハンの勘や。結構当たるんやで」
「ということはお見合いは」
「は? そんなもん、はじめから用意してへんわ!」
ええ……。
「こんな急なイベント、しかもなるべくなら避けたい相手とのイベントや。それに嫌な顔ひとつせんと付き合ってくれる男なんてそうそうおらへん。おまけに受け答えは完璧。どれだけイケメンやねんな? ウチが若かったら」
「ちょっとそれは」
「冗談やがな! ……ま、とにかく、そういう相手を探せただけでも十分合格や」
そしてそっと頭を撫でられた。
「がんばっとるな、すみれ」
……なに? 結局母さんは私を泣かせに来ただけ? 本当に心配性なんだから。
ありがと。




