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社長室の扉をノックすると内側からサッと扉が開いた。
「どうぞ、野路さん」
橋野がわずかに笑みを浮かべて立っていた。奥では社長が立ち上がり、せわしなく手招きをしている。またろくでも無いことをいいはじめるのではないか。
「どうも」
橋野に一瞥をくれてから、警戒しつつ中に入る。
この男、確か歳はそう離れてなかったはず、確か29だったか。上役に取り入るのだけがピカイチにうまくて、この歳で秘書室長、なんて肩書をゲットしている。ちなみにそれまでは秘書室、なんて組織自体が無かった。結構なイケメンさんで社内外にファンは多いと聞く。ちなみに私にとってはただのウザイ腰巾着にしか見えない。
こんな薄っぺらい男のドコが気に入ったのかしら、社長は。
「野路くん、よく来てくれた。ま、ま、そこに腰掛けてくれたまえ」
「え、ここに、ですか」
「ささ、早く早く」
社長が勧めたのは立派な来客用ソファ。嘘か真か定かでないが、会社生活の中で一度座るか座らないかというほどの代物らしい。そもそも社長室に呼ばれることがまれな上に、さらに社長が勧めないと普通は座らないからだ。
ちなみに座るときは退社するときか、詰められるとき。もっとレアケースは褒められるときということらしい。
私は今回どれに当てはまるのだろうか。正直そこまで心配はしていないが、躊躇しているうちに社長がソファにやってきて指差すものだから、仕方なく腰掛ける。
「呼んだのはほかでもない。いや君とあのAIの働きには目をみはるものがあるとね、そこの橋野くんも言うものだから、いっちょ社を上げて君たちの活動をバックアップしようじゃないか、という話になってね」
思ってもみない内容に、驚いて橋野を見た。彼は満足そうにひとつ頷いてから口を開いた。
「社長のおっしゃるとおりです。提出頂いた資料を拝見して一部は実践を始めていますが、いやはやアレはすごい。驚きました。これはもう、社長賞ものだと、私が社長におすすめしたのです」
社長賞。正体はだれも知らないけれど、何やら金一封がもらえるともっぱらの噂のアレだ。
「今回の功績から考えると、それも妥当かなと話しているところでね。ただ――」
ここで社長が一度言葉を切る。嫌な予感しかしない。
「社員一人ひとりが目に見えてわかる成果でないと、不平不満が出るのではないかという意見があってね。どうしたものかと苦慮してるんだよ」
今度は橋野が身をのりだす。
「そこで私達は提案してもらったプランのうち、ITを駆使しないと実現不可能な提案について、君たち自身で実現してほしいと思っているんです」
「「やって、くれるよね?」」
男二人に迫られ、とたんに全身から嫌な汗がにじみ出てくるのを感じた。
「まぁ、いいんじゃない? すみれさんがあんな状況で断れるとは思ってないし」
「そう言ってもらえるとたすかる」
自分の机に戻ってくるなり会話がスタートした。というかチサトがまくしたてる。
「それよりチャンスじゃない? 社員のみんなに直接アピールするいい機会かなって」
「えー? やだめんどいよ」
「うわありえねー」
チサトが汚物を見るかのように私を見下す。実際はノートPCの画面だから、常に私が見下ろす格好になるはずなんだけれど、この瞬間は見下されてる気にさせられた。
「え、どうして? メリットないじゃん。それにあんまり目立つことしたくない」
忘れてるかもしれないけれど、本当は毎日マクロをちまちま作って三時になったらお菓子をたべて夕方までのんびりってスタイルが好きなんだよ? そんなバリキャリ志向ないんだから、正直そっとしておいてほしい感はある。
「でもここでちょっと頑張れば認められるんだよ、社長賞だよ! 金一封だよ!!」
「うっ。それは正直、魅惑の響きだよ」
金一封かー。うーん、うーん。
そんなのもらえたら、ぷち豪遊できるかな。恵比寿の高級中華で豪華ディナーとかいいね。ふなちゃんの水槽も換えてあげられるかな。あ、でも今のサイズじゃないとこたつの上にもって来れないんだよねー……。そうそう、ラグも換えたいなぁ。カーテンも新調したらすてきかもね。雰囲気変えたいんだよね最近。
「ってなんでこんなに物欲半端ないの私」
恐ろしく自己嫌悪に陥ってしまった。
「ストレス溜まっちゃってるかな? いっそ清い労働で発散しようではないか!」
あー、なんだか昭和初期のプロパガンダみたい。また妙なことをいいだした。
「わかった、わかったわよ。やるわよ」
半ばやけくそ気味に放った言葉を、彼女はニコリと受け止めた。




