3-3
「だから、なんで経費で落ちないんだよ!」
出社するなり経理課の別の女性社員に、男が食ってかかっている現場に出くわした。朝からお盛んなことで。
「で、ですから何度も言っているように、二次会以降は経費処理できないとあれほど」
この男、確か営業の中倉と言ったか。ガタイの良さから若い頃はラグビーとかやってましたー、なのでタフです! とかいうんだろうな。その栄養を少しはお脳に回すべきだったんだと思う。
女性も負けじと社内ルールを説明しているが、この脳筋は言うことなんか聞かないと思う。
「んなこといったってよ、アソコで解散! なーんてしたら仕事取れないっしょ!?」
「それは私が知るところでは」
「だーかーらー! あそこで飲ませないと仕事取れない、売上上がんない、君の給料もでない、アンダスタン!?」
「ひっ」
机をバンバン叩きながらスゴむ脳筋。対して声にならない悲鳴を上げる女性社員。
「俺らが必死こいて金かせいでんの、オタクらそのおかげでメシ食えるの。その辺わかってる!?」
経理の女性社員はすっかり萎縮しちゃって涙目になっている。可哀そうに。上司……はまだ出社してないかー……っておい浦野主任様ぁ。アンタなにすみっこで新聞広げて聞こえないふり決め込んでんの、助けてあげないの!? チームでしょアンタら!
おおかたスナックかキャバクラ辺りの領収証を乱暴に机に叩きつける。それに合わせて女性社員の身体がはねる。
「とにかく、落としてよ。頼んだよ! じゃ、そういうことであとシクヨロ~」
最後手をひらひらを振ってこの場を離れるべく、こちらに近づいてくる。道を譲るように脇に避けると不躾な視線を向けてくる。おおかたダサい女、くらいに思っているんだろう。
「さっさと仕事しろよな、ったく」
捨て台詞を残して姿が消えたのと同時に数人の女性がすごまれていた人に駆け寄る。
大丈夫? などという声とかすかにすすり泣く声が聞こえる。
私は一言も声を出せず、一歩も動けなかった。
「すみれちゃん、お茶」
私はお茶ではない。おまけにちゃん付けはするなとあれ程言ったにもかかわらず、上司の浦野は妙な笑顔を貼り付けて湯呑を掲げる。彼の湯呑には相撲の番付表みたいな文字で何やらびっしり書かれている。――ああ、またあれやるんだ。うんざりしながら浦野のところに向かう。
「ねね、すみれちゃん。今日はー……これ! 何て読むか知ってる?」
ほらきた。浦野が持ってるのは『難読駅名湯呑み』、だそうだ。なんでも全国津々浦々の難しい読み方の駅名が印刷されているという。毎日ひとつずつクイズみたいに私にたずねてバカにするのがこいつの日課だ。
『雑餉隈』を浦野は指さしている。確かに難しい――福岡出身者以外には。雑餉隈。西鉄の駅だ。三か月だけ付き合っていた、初めての彼氏が引っ越した先。手すら繋ぐこともなく引っ越しちゃって、そのまま自然消滅したガリ勉君。そういや彼、今なにやってんだろう。名前、何だったっけ。
「えー? なんて読むのかなぁ? ざつげくま?」
「ぷっ、ははは! あいかわらずモノを知らない子だなぁ、君は。いいかい、これは……あれ、なんだったかな。……まぁ後でおしえてやるから、とりあえずお茶、お願いね」
「はあい。あ、さっきのなんで助けてあげなかったんですかぁ? かわいそー」
「ええ? 営業様に楯突くなんて、恐れ多くてできるわけないじゃないの。ほら、そんなことより、はやく、お茶」