ユメの中の私 ~怖い夢とあなた編~
「おめでとうございます」
医師が言った言葉に、私は頭を鈍器で殴られたような気がした。
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初めてできた恋人。下の名前で呼び合うだけでドキドキしていたのに。手を繋ぐタイミングが一緒になって、顔を合わせて照れ笑いしていたのに。
……もう、遠い日の記憶だった。
《好き》から《愛》に変わって、ドキドキが無くなってしまったように思う。それがとても悲しくて、恋しくて、何度も《愛》を求めてしまった。
そのせいだろう。女性特有のアレは予定日を三週間を過ぎても来なかった。ただ、体調が悪い時があって、嫌な予感が強くなっていた。
そして、医師の発言。目の前が真っ暗になった。
私も彼も、学生だった。子供なんて産めない。でも、それならこの命は殺さないといけない。
……ぃやだ。
……殺せない。私には、この命を殺せない! 殺したくない!!
でも、……育てることもできない。
両親に言うことも考えた。でも……妹、弟、祖父母……今で、精一杯だ。
彼?
……言える訳がない。言えば彼はきっと、「結婚しよう」と言って笑うだろう。でも、今から働いて、生活できる? 折角入った、大学を辞めてまで!!
どうすればいい?
どうしたらいい……?
どうすれば……どうしたら……
どうして、こうなっちゃったのかな……?
一晩中、泣いた。軽い気持ちで《愛》したこと。育てることのできない自分のこと。責めては泣いて、お腹の子を思ってはまた泣いた。
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「ママ!」
幼い子供は私に向かってそう言った。
「パパ、ぼくのかちだよ!」
幼い子供はそう言って振り返った。その先には、顔がぼやけているけれど、彼の姿があった。
「ふふふ。勝たせてあげたんだよ」
「えー? またそれー?」
幼い子供と彼は、楽しそうに笑う。
「ママ、ぼくがおおきくなったら、ぜったい、ぼくのおよめさんになってね!」
「ダメダメ! ママはパパのお嫁さんなんだから!」
「えー! やだー」
「やだー、じゃないの!」
笑い声がこだましていく。
だんだんと、視界が歪む……――
目を開けると、いつもの天井だった。目が痛い。また、視界が歪む。
「……ごめんなさい」
幸せな夢だった。幸せすぎて、お腹の子が望む未来を見せてくれたのだと思って、また泣いた。
「ごめんなさい……っ」
何度も、何度も、「ごめんなさい」と呟いて泣いた。
本当は授業があったけど、行く気になれなくて、その日はずっと部屋に引きこもって泣いた。友達から心配するメールがいくつか届いたけど、『風邪引いた』と嘘をついた。
夕方には心配した彼が来てくれたけど、「うつしたら悪いから」と言って会わなかった。こんなに泣いた顔じゃ、会えない。
……会いたくない。
「……ごめんね。……ごめんね」
親にも言えず、彼にも友達にも黙ったまま、数ヶ月が過ぎた。私は……中絶でき(ころせ)なかった。
初めは誰にもばれなかったけど、そろそろダメ。もう「太った」じゃ言い訳できない。だから……お別れ。
「ごめんなさい」
暗い部屋をそっと抜け出す。持ち物は必要最低限。お金も、引き下ろせるだけ引き下ろした。
これからどこへ行こう。
どうやって生活しよう。
考えなんて何もない。でも、どうにかなる。そんな気がした。
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……懐かしい夢を見た。数ヶ月前の私。新しい場所に来て、たくさんのいい人に会った。私と、お腹の子、どちらも大切に思ってくれる人たち。
学校のことや親のこと、彼のこと、気にならなかった日はないけど、今は、前を向いて働いていくしかなかった。
毎日死ぬ気で働いて、
そして……
「ふぎゃぁ、ふぎゃぁ」
初めて会った子は、とても元気に、泣いていた。
「……はじめっ……まして……っ」
あの日で枯れたと思っていた涙が、止まることなく流れてきた。
あの夢と同じ、男の子。目元が彼に似ている。くるんとはねた髪は、私似かな?
……でもね。
「ごめんね……っ」
私は、あなたを育てられない。
親しくなった人たちに別れを告げて、小さなあなたを施設に預けることにした。迎えに来る予定なんてないから、『置いていく』が正しいのかもしれない。
あなたへ手紙を書いた。
あなたが大きくなったら読んでほしい。そんなことを考えながら、やっとできた、あなたへの手紙。
でも本当は読んでほしくない。だって、ただの後悔だから。何も選べない私の、あなたへの謝罪……
「……ごめん。……ごめんなさい」
あなたに、何度謝っただろう。
あなたに、何度涙しただろう。
あなたに、何度励まされただろう。
あなたの笑顔に、何度……何度……
産まれてくれて、
「ありが、とう……っ」
育てられなくて、
「ごめん、なさい……」
あなたを置いていくこと、
「ごめ、なさぃ……」
あなたが望む未来を叶えられなくて、
「……ご、め……な……さぃ……」
あなたは、最後まで、笑ってくれた。
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「大丈夫?」
目を覚ますと、目の前には彼がいた。そういえば、昨日から《お泊り》してたんだっけ?
「泣いてる」
彼はそう言って、私の目元を指で拭った。そう言われてから初めて、泣いていたのだと気づく。
「夢を、見たの……」
「怖かった?」
「うん……すごく……」
『ママ』
彼の顔が、夢に出てきた幼い子供と重なる。
「すごくっ……すごく、怖かった……っ」
視界が歪んで、幼い子供が消える。泣きだした私の頭を、彼は撫でてくれた。
「大丈夫だよ。夢なんだから」
おわり
夢って不思議ですね。
実際に起こってないことでも体験できるような気がします。
でも、子供を産んで捨てるなんて、たとえ夢でも、もう二度とごめんです……