大聖堂の惨劇(前編)
その日は、大司教公国の首都シリウスラントにとって最悪の日となった。
突然、アトルヘイム帝国の黒色重騎兵隊が大司教公国の城門を突破して市内になだれ込んできたのだ。
黒色重騎兵隊は大司教のいる大聖堂を目指して市内を騎馬で掛けた。
黒色重騎兵隊第一部隊のノーマン率いる数騎が大聖堂へ先乗りした。
大聖堂の入口で、レナルド率いる公国聖騎士団が彼らを阻んだ。
聖騎士のレナルドがノーマンらの前に出て、何の用かと尋ねた。
ノーマンは騎馬から降りてレナルドと対峙した。
「そちらに囚われている我が国のサラ・リアーヌ皇女殿下をお帰し願いたい。再三の問い合わせにも応じず、誠意ある対応をしていただけなかったのは残念だ」
「一体、何のことです?」
レナルドが尋ねると、「この期に及んでまだシラを切るか!」とノーマンは憤った。
だが、レナルドは本当に知らない、と答えた。
「我が父なる皇帝カスバート三世の命により強硬手段に出させていただく」
ノーマンが合図すると、黒い鎧の一団は市内に進軍して行った。
市民たちは悲鳴を上げて騎馬の一団を避ける。
「貴様たち、無礼であろう!」
レナルドの後ろにいた聖騎士が叫ぶ。
ノーマンはその騎士を睨むと、レナルドに手紙のようなものを投げて渡した。
「こんなものを寄越しておいて、よく言う」
レナルドがその手紙に目を通すと、「こんなもの、大司教様が出すわけがない、偽物だ!」と怒った。
それはアトルヘイム帝国に届いた皇女誘拐の犯行声明文だった。
ノーマンと数人の部下たちは、大聖堂の扉の前で聖騎士たちと睨みあいになった。
その時、別の聖騎士が慌てて駆け込んで来て、レナルドに耳打ちした。
「なんだと…!」
レナルドはノーマンたちをそっちのけで、その聖騎士と共に市内へ飛び出して行った。
すると、市内のあちこちから悲鳴が上がった。
ノーマンたちも異常に気付いて空を見上げると、首都上空に、ドラゴンが飛んでくるのが見えた。
「あれは…!ドラゴン!」
ノーマンは叫んだ。
大きく翼を広げたドラゴンが悠々と、こちらへ向かって飛んで来る様が見えた。
「ノーマン隊長、あれは先日帝都に現れたドラゴンでは?!」
ノーマンの部下が空を見上げながら云った。
以前、アトルヘイム帝国の帝都トルマの上空にもドラゴンが現れた。
あの時帝都はパニックになったが、ドラゴンはただ帝都の上空を旋回し、飛んで行っただけだった。
それがここにも現れたのだろうか。
「一体何が目的なんだ…」
ノーマンは部下たちに警戒を怠るなと命じた。
人魔大戦以来のドラゴンの来襲に、公国の人々は逃げまどった。
ドラゴンはただ上空を通過していっただけだったのだが、どこからか、「魔王が攻めてくる」という噂が流れ、混乱に拍車がかかった。
市内を駆けていた黒色重騎兵隊も、この異常を感じ取り、戦闘隊形を取りながら城門近くへと移動した。
公国聖騎士団は市民の動揺を抑えるために市内に出動した。
だが人々の恐怖を押しとどめることが出来ず、大聖堂の礼拝堂に入りきれないほどの人々が押しかけた。
大聖堂の入口にいたノーマンたち黒色重騎兵隊員らも、その騒ぎに巻き込まれ、市民たちに押されて礼拝堂の中へと流されて行った。
その直後、これ以上市民が入りきれないという状況になったと、公国聖騎士団が礼拝堂の扉を閉ざし、大聖堂の敷地に人々が入れないようにした。大聖堂に入れなかった市民たちは、公国騎士団が詰める城門へと助けを求めて押し寄せた。
城門は固く閉ざされ、市民たちは都市から逃げ出すこともできず、に閉じ込められた形になってパニック状態になった。
救いを求めて礼拝堂に集まった人々は、ざわつきが収まらなかった。
人々の流れに巻き込まれて礼拝堂の中になだれ込んだ黒色重騎兵隊のノーマンと数人の部下たちは、身動きが取れないまま、人込みの中にいた。
壇上にある講壇の前に大司教が現れると、市民たちは「大司教様!」と叫び、両手を胸の前に組んで祈りをささげ始めた。
「市民たちよ!この国は勇者に護られている!諸君らの信じる心が必ずや魔王を打ち倒すであろう!」
大司教がそう叫ぶと、市民らは「おおー!」と歓声を上げ、ようやく落ち着きを取り戻した。
そこで護衛の聖騎士に引率されて檀上に連れてこられたのはエリアナたち勇者候補パーティだった。
「この勇者たちが諸君らを守る。安心するがよい」
いきなり檀上に連れてこられた彼らは、事情が良く呑み込めていなかった。
大聖堂の部屋にいたところを連れてこられた彼らには、一体今、外で何が起こっているのか、知らされていなかった。
「そんなの嘘っぱちだ!」
その声は突然聞こえた。
市民たちは「なんだ?」と声の主を探した。
すると、大司教を挟んで勇者候補たちの立っている檀上の逆の端から1人の男が現れた。
その男は7~8歳くらいの少女を抱えていた。
「あの男、旧市街地で会った奴だ…」
将は男を見て思い出した。
帽子こそ被っていないが、その顔に見覚えがあった。
「皇女殿下!!」
男が連れている少女を見て、ノーマンは叫んだ。
「皇女?」
「え?どういうこと?」
ノーマンの言葉に、将もエリアナも驚きを隠せなかった。
礼拝堂にいた人々もざわついた。
皇女の姿を確認したノーマンは、人混みをかき分け、檀上へ移動しようとした。
「動くな!動くと皇女の命はない!」
男の手にはナイフが握られていて、それを皇女の顔の前にチラつかせた。
健気にも少女は泣きもせず、じっとしていた。
「くっ…」
「俺が用があるのは大司教だけだ。おとなしくしてりゃ無事に帰す」
「貴様、何者だ!」
大司教の背後にいた護衛の聖騎士たちが叫んだ。
「俺は12年前に勇者召喚された異世界人、シンドウ・ヒデトだ」
それを聞いていた将たちは驚いた。
エリアナが思わず男に向かって云った。
「嘘よ!12年前って前回の勇者召喚よね?誰も召喚できなかったって聞いたわ」
「表向きはな。そこにいる大司教やら祭司長やらが望む能力を有していなかったって理由で、俺は、俺たちはゴミみたいに切り刻まれて捨てられたんだ!」
エリアナと将は、彼の発言をにショックを受けた。
シンドウの云うことが本当なら、優星が突然消えた理由に説明がつくからだ。それはずっと、2人が心の奥底で恐れていたことだった。
「たわごとを。このような得体のしれぬ者のことなぞ、聞く必要はない!聖騎士たちよ、この者を捕らえよ!殺しても構わん」
大司教の命令で、聖騎士たちはシンドウを取り囲んだ。
「へえ、こいつらは皇女様の命はどうなってもいいらしいぜ」
彼はノーマンに向かって挑発した。
ノーマンは慌てて声を上げた。
「待て!手を出すな!話を聞こう!何が望みだ?」
「決まっている!ここで大司教の罪を暴露することだ!」
シンドウは大声で叫んだ。
大聖堂にいた大勢の市民たちはざわついた。
ノーマンは男を取り押さえようとしている聖騎士たちに向かって云った。
「手を出すな!皇女殿下に何かあれば、我々帝国は全軍を持ってこの国を攻撃する!」
彼がそう云い放つと、聖騎士もシンドウも双方睨みあったまままったく動けなくなった。
その時、大聖堂中に甲高い笑い声が響き渡った。
「な、なんだ?誰が笑ってる?」
市民らは声の主を探して大聖堂中を見渡した。
檀上にいる大司教の真後ろに、天井から謎のローブ姿の人物がひらりと降りてきた。
その人物は白い不気味な仮面をつけていた。
市民らはその仮面の人物を見て悲鳴を上げた。
大司教もそれに気づき、後ろを振り向いた。
聖騎士たちは、不審な奴だと仮面の人物を左右から挟むように取り囲んだ。
その隙にシンドウは聖騎士たちをやり過ごし、舞台の端に少女を連れて移動した。
「あら、そんな邪険にしないでよ。ワタシとあんたの仲じゃない、ねえタロス?」
仮面の人物はそう大司教に云った。
フードに覆われて顔を見せない大司教が、一瞬躊躇したように見えた。
「貴様など知らん」
突然の展開に、勇者候補たちも、聖騎士らも、シンドウも、ノーマンらも、市民たちもボーゼンとしてこれから何が起こるのかと見守っていた。
すると仮面の人物は、壇上から市民に向かって呼び掛けた。
「みなさ~ん?大司教様のお顔を見たくないですか~?」
市民たちは仮面の人物の発言に驚いてどよめいた。
大司教は慌てて聖騎士たちに命じた。
「早くその者を捕らえよ!」
聖騎士たちは仮面の人物に殺到するも、ひらり、ひらりと躱され、なぜかまったく捕まえることができなかった。そして講壇の前に立つ大司教の背後に立った。
「はーい、皆さん、よく見てね!」
仮面の人物は大司教のフードを勢いよく奪い取った。
その途端、市民から大きな悲鳴が上がった。
フードの下から現れた顔は、青白く、耳が尖り、口から牙がのぞいていた。それは魔族そのものだったのだ。
仮面の人物は甲高い笑い声を上げながら、スッと大司教の後ろに身を引いた。
「魔族だ!」
「大司教様が魔族だなんて!」
「そんなバカな!大司教様が魔族のはずがない!」
聖騎士たちも驚きを隠せない。
魔族は見つけ次第殺すというのがこの国の教義なのだ。
だがその教義を唱えていた大司教その人が魔族だなどと、誰が想像しただろうか。
その時、誰かが叫んだ。
「あれは偽者だ!」
するとその声は市民に伝染していった。
聖騎士たちはどうしたらいいかと動揺していた。
「魔族が大司教様に成りすましたんだ!」
「本物の大司教様は?」
「きっと魔族に殺されたんだ」
「許せないわ!魔族め!」
「殺せ!魔族を殺せ!」
市民から上がったその声を聞いた聖騎士たちは、ようやく自分たちを納得させる答えを探し当てた。
「そうだ、これは大司教様に化けた魔族だ!偽物だ!ならば討伐しても問題はない!」
「殺せ!殺せ!」
「殺せ!殺せ!」
市民たちからも叫びが上がった。
最初に大司教に向かって市民の誰かが靴を投げた。
それをきっかけに、市民らは大司教に向かって殺到した。
沸き上がった群衆心理というものは、伝染し、膨れ上がっていく。もはやだれにも止めることはできず、生き物のようにうねり1つの意志となって行動を起こしていった。
彼らは檀上にいる大司教の足を掴み、ローブを掴み引きちぎろうとしていた。
「殺せ!殺せ!」
「魔族を殺せ!」
大司教の皮を被った魔族は、これまで自分がそう仕向けてきた市民らの意思によって、逆襲されようとしていた。