ホリーとノーマン
その日の朝、ホリー・バーンズは大きな溜息をついていた。
彼女の部屋に、早朝使いの者がやってきて、これからアトルヘイム基地本部にある情報局長マニエルの私室に来るよう呼び出しがかかったのだ。
「マニエルから呼び出しだって?」
ベッドの上でそう暢気に云うのはノーマンという男だ。
彼は黒色重騎兵隊の中でもエリート集団と云われる第一部隊の隊長を務める、この国の英雄の1人である。その容姿は凛々しく、国民からの支持も厚い。
ノーマンは小さな地方領主の次男だったが、帝国大学に進学してその頭角を現し、戦場でいくつもの功績をあげて出世してきた。ついには皇帝の側近である帝国円卓騎士の1人であるエイヴァン将軍に気に入られ、その娘を妻とした。妻は帝都から離れたエイヴァンの領地に豪華な邸宅を構えて住んでいるが、彼自身は任務のため、帝都に宿舎を借りて住んでいる。
ホリーはそんな彼と初めて遠征で一緒になり、戦場という特異な環境の中ということもあり、徐々に親しくなっていった。そしてその関係は、帝都に戻って来てからも続いていた。
「帝国の英雄を寝取ったことを追求されるのかもね」
「まさか」
「奥様とお義父様への言い訳を考えておいた方がよいかもよ?」
「おいおい、興ざめすることを言わないでくれよ」
「あなた、こんなことをいつまでも続けられるってまさか思っていないわよね?」
「少しくらい夢を見させてくれよ…」
「何にせよ、出かけます。あなたも人に見られないうちにお帰りになって」
ちっとも悪びれない不倫男を、ホリーは憐れむように見た。
彼女はノーマンを置いてさっさと着替えを済ませて出かけて行った。
基地本部のマニエルの私室に入ったホリーは、彼の両脇に衛兵が2人立っていることを訝しんだ。
マニエルは情報局長として、帝国内の醜聞などのもみ消し工作等も行っていると聞く。
ホリーは少しだけ覚悟を決めた。
「早朝からお呼び立てして申し訳ないね」
「いえ。何の御用でしょうか」
マニエルは自分の机の前に座って、前に立つホリーを見た。
「先日の遠征でも大活躍だったようだね」
「…自分の仕事をしただけです」
「単刀直入に言おう。黒色重騎兵隊第一部隊隊長のノーマンと君は男女の仲だと聞いたが本当かね?」
「情報局長ともあろうお方が下士官のするような噂を信じますの?」
「ノーマンは国民からも人気がある男なのでね。軍としてもそのような噂はなるべく抑えたいところなのだが、兵士たちの噂話が外部に漏れてしまうと困るのだよ」
「…単なる噂です」
「ノーマンの妻は円卓会議のエイヴァン将軍の娘だ。こんな噂が将軍の耳にでも入ればノーマンも君もただでは済まない」
「私にどうしろと?」
ホリーは溜息をつきながら、マニエルをキツイ目で睨んだ。
「…まあ、それはまだいい。問題はサラ・リアーヌ皇女殿下誘拐事件の方だ。先日大司教から皇女殿下を誘拐した旨、脅迫状が届いたのだよ。皇女の命と引き換えに、公国の独立を認めろとね」
ホリーの表情が硬くなった。
「…それは存じませんでした」
「表沙汰にはなっていないからね」
マニエルはじっとホリーの表情を見ている。
「マルティスという便利屋を知っているかね?」
「…いいえ。初めて聞く名です」
「そうかね」
「私は先日まで『大布教礼拝』に参加していたのですよ?国内で何が起こったか知りませんが、私には関係のないことです」
「その便利屋が言うには、君から良からぬ頼まれ事があったというんだが」
「身に覚えがありません」
「あくまでシラをきるというのかね」
「私は知りません」
ホリーはもう表情を変えることはなかった。
「そうかね?」
「私が国民的英雄でもあるノーマン隊長と交際しているのを快く思わない者が、皇女誘拐犯にでっちあげて私を粛正しようと企んでいるのではありませんか?」
「なるほど、そういう考え方もあるね」
マニエルの目は鋭くホリーの表情を読み取ろうとしていた。
「そもそも君は大司教公国から無期限で出向ということになっていたね。それは事実上の追放とも取れる。君ほどの実力者が、おかしな話だ」
「…何がおっしゃりたいの?」
「君はあの国で、大司教の不興を買うような失態を犯したんじゃないのかね?」
「おっしゃる意味がわかりませんが」
「皇帝陛下がサラ・リアーヌ皇女殿下を目に入れても痛くない程可愛がっておられるのは知っているね?」
「ええ。お年を召してから生まれた末の姫だと伺っています」
「その皇女殿下が攫われたとなれば、皇帝陛下は大司教公国へ軍を派遣することも辞さない。君はあの国に恨みがあって、皇女殿下を誘拐し、大司教の仕業に見せかけて2つの国を戦わせようとしていたのではないかね?」
「情報局長は、なかなか空想力がおありですね」
揺さぶりをかけても表情を変えないホリーに、マニエルは少々苛立ちを覚えた。
「私の空想なら良かったのだがね。よく考えてごらん。我が国と自治を認めている大司教公国の関係は良好だ。大司教公国が、独立するメリットなどあるはずがないのだよ。ましてや皇女殿下を誘拐するなんてありえない」
「私にはメリットがあるとでも?」
「…君が買収した侍女は逃げる直前に拘束したよ」
ホリーは、はーっ、と大きく溜息をつき、語りだした。
「なんだ。もう証拠を押さえてるってわけね。最初からそう言えばいいのに」
「認めるんだね?」
「白状しますわ。確かに皇女を城から連れ出すように侍女を買収したのは私だけど、元々この話を持ってきたのは大司教公国の従者よ。私はお金を出しただけ。アトルヘイムの軍が大司教公国を攻めたら、あのいけ好かない大司教に復讐できるって思ったのよ」
「いけ好かない、ねえ…。あなたともあろう方が、そんなことをして無事で済むと思ってたんですか?」
「死刑にでも何でもすればいいわ」
「あなたにこの話を持ってきた者に心当たりは?」
「よく知らないけど、たぶん大司教に不満を持つ誰かよ」
「なるほど」
「で、私をどうするの?」
「君は主犯ではないが皇女殿下誘拐は大罪だ。だが君ほどの優秀な者が、このような私怨で処罰されるのはもったいないと思う。皇帝陛下からの裁定が下るまでしばらく身柄を拘束させてもらう」
「ご自由にどうぞ」
この件について、帝国は情報局長マニエルの名で、何度か大司教公国に宛てて皇女の状況を確認する内容の文書を送っていた。
だが、この文書は大司教公国の城門ですべて回収されていて、大司教の元へ届くことはなかった。
城門に詰める兵士の中に、アザドーの手の者が数名混じっていたのである。
アトルヘイム皇帝は返事がないことに激怒し、軍を派遣するという強硬手段に出たのだった。
ホリーは間もなく軟禁状態から解放された。
大司教公国へ皇女奪還のための部隊が派遣されることが決定したからだった。
その指揮を執るのは皇帝の信頼も厚い黒色重騎兵隊第一部隊隊長のノーマンだった。
彼のたっての願いもあり、ホリーを道案内として同行させることになったのだ。
当然マニエルはいい顔はしなかったが、ノーマンが自分が責任を取る、というので仕方なく折れる形となった。
軟禁から解かれたホリーは、ノーマンの宿舎に保護される形になったが、彼女はノーマンから叱責を受けることになった。
「なんてことに加担したんだ、君は!俺が引き受けなかったらどんな処罰を受けることになったか…」
「私に恩を売るつもりならお門違いよ。助けてなんて頼んでないわ」
「意地っ張りなところも君の魅力ではある。だがどうか今は素直になって欲しい」
「…そんな優しさ、残酷なだけよ」
「ホリー…」
「マニエルから、大司教公国へ行ったら、そのまま向こうに残れと言われているわ。つまり、国外追放という処分よ」
ノーマンはホリーを抱き寄せた。
「それでも、焼きゴテを当てられて強制労働所送りになるよりはずっといい」
「…私、あなたが思うような女じゃないわ。この国で、あなたを踏み台にしてのし上がろうと考えていたのよ」
「そんなことは一目見た時からわかってたさ」
「本気じゃないくせに」
「誘ったのは俺だ。君を守る責任がある」
「…バカね、本当に」
ホリーはノーマンの背に手をまわして、その胸に体を預けた。




