疑うべき真実
ラエイラのホテルの最上階の部屋に大司教はいた。
彼はフードを深く被ったまま、窓の外を見下ろしながら、もう一人の人物と話していた。
「ヒュドラは退治されたか…」
「100年前の記述にある通りの姿でしたね。いやはや、良い物を見れました。あんなものを召喚できるとは、魔族の召喚士とはすごいですなあ。さすがは大司教様、よい手駒をお持ちで」
少し興奮気味に話すのは、緑色のローブを着た中年の男だった。
「それでカッツ卿。報告は?」
それはナルシウス・カッツ祭司長だった。
彼は大司教公国で資料室に引きこもっていたはずだったが、大司教からもたらされた太古の記述物や古文書を漁るうちに数年前から発掘作業に出向くことが多くなった。
ただ、その歴史には魔族が関わることが多いため、公国の教義上、表沙汰にはされていなかった。
「考古学者としては、この前の魔族の遺跡以来の大発見をしたいと考えています」
「ほう?何か見つけたのかね?」
「元オーウェン王国の旧市街地です。こんな近くにあったとは意外でした。オーウェン王国の古文書によると、どの時代にも同じ名前の人物が出てくるんです。不老不死か、輪廻転生か、あるいは神か」
「まるで魔王のようだな」
「ええ。その者がその地で死んだという記述を見つけました。そこを掘れば、この前の魔族のようなものがまた出てくるかもしれません」
「そうだな、またあのような遺物が出ることを期待している」
「ええ、引き続き調査を行います」
ナルシウス・カッツはうきうきした表情で部屋を出て行った。
それと入れ替わりに、音もなく部屋に侵入してきた者がいた。
「イドラか。どうした?おまえがこんな明るい時間から私の元へ来るとは珍しい」
それはフードを被ったローブ姿のイドラだった。
「今のは、ナルシウス・カッツ…ですか」
「ああ、おまえがイシュタムと呼んでいたあの魔族の遺跡を探し当てたのは奴だ。おまえの存在も知っている」
「…彼は人に関心がないですからね」
「今度は神の骸を探し当てたいと、オーウェン王国跡地を調査に行くそうだ」
「神?…おかしなことを言う」
「まあ、何かの役に立つこともあろう。それよりどうした?」
「大司教にお聞きしたいことがありまして」
「なんだ?」
イドラはフードを跳ねのけて素顔を晒した。
「…その顔は…」
「驚きましたか?」
「…ああ、一体何があった?」
「あなたも顔を見せたらどうですか」
「…おまえらしくないな。どうしたというのだ」
そう云いながらも、大司教は常に被っていたフードを後ろへ降ろした。
そこから現れたのは青白い肌、目はぎょろりと大きく吊り上がり、口の端からは下唇から上に向かって牙が生えている、まぎれもなく魔族の顔であった。
「何があった?なぜその顔の傷は治った?良い薬でも見つかったのか?」
「ええ。とても良い薬に巡り合ったんですよ。おかげで200年の戒めが溶けました。…200年前のあの事件のこと、あなたも覚えているでしょう?」
「200年もの間、おまえは魔王を恨んできたはずだな。その傷が治って恨みも忘れたか?」
「いいえ。ただ、記憶を整理しておきたいのです」
「記憶?何のだ」
「…ユミールは本当に魔王に殺されたのかということを」
大司教は首を傾げた。
「本当に、どうした?」
「タロス。あなたが殺したのではないのですか?」
「何を馬鹿な。誰かになにか吹き込まれたか?」
「答えてください。どうなんです?」
「…くだらん。答える必要があるのか?」
「答えなければ同意とみなす。そして200年も私をたばかってきた報いを受けさせる」
「フッ、バカバカしい。誰に吹き込まれたか知らんが、そんなたわごとを信じるとはおまえらしくもない。おまえも知っている通り、ユミールは魔王の炎に焼かれて死んだのだぞ」
「…では否定するのですね」
「当然だ」
イドラはタロスの今の言葉に不信感を抱いた。
「…炎に焼かれて死んだ?」
「そう言っただろう?」
「剣で殺されたのではなかったのですか?」
「ああ、そう、そうだった。剣でな。刺したのだ。だが魔王の炎に焼かれたことは間違いない」
「…あなたは見ていたのだろう?その現場を」
「もちろん、見ていたさ。魔王がやってきて、ユミールを剣で刺す現場を」
今までは憎しみに支配されていて、疑いなど持たなかった。
だが、冷静になれば、見えてくる真実にイドラは気が付いた。
「その時、あなたはどこにいたんです?」
「何?」
「ユミールが死んでいたのは、私がいた部屋の隣の部屋だった。だが私はあなたを見ていない。あなたはそれをどこで見ていたのです?」
「部屋にいたさ。おまえは子供だったから気付かなかったのではないかな」
「…部屋にいた?」
「その直後に魔王が屋敷に炎を放ったのだ。子供だったおまえは記憶が混同しているのだろう」
イドラは頭の隅に封印していた200年前のあの光景の記憶を呼び起こした。
これまでは辛すぎて、あまり思い出したくはなかった記憶だ。
火の手が上がって、異変を感じたイドラはユミールのいた部屋に駆け付けたが、そこには横たわるユミールがいた。床に血が流れていたのを覚えている。
その直後だった。凄まじい魔王の業火が、すべてを包んでしまったのは。
焼け落ちていく屋根、消し炭になっていく壁。凄まじい熱さ。
焼け落ちた壁のその向こうに、魔王の黒い姿が浮かび上がった。
そうだ、魔王は壁の向こうにいたのではなかったか。
立ち尽くすイドラの顔面に燃え落ちた屋根の一部が落ちてきた。
その瓦礫に顔を焼かれ、泣きながらうずくまるイドラを連れ出してくれたのはマルティスだった。
彼の背中に背負われ、屋敷の外に出ても、辺りは炎に包まれていた。領地全体が燃えていた。
多くの人々が逃げまどい、ようやく火のない場所まで避難した。そこにタロスはいた。
…あの時、タロスの隣に誰かがいた。
そうだ、あれは…。
イドラは顔を上げた。
タロスはちょうどフードを被るところだった。
大司教のふりをするタロスに、イドラは鋭い目を向けた。




