カラヴィアとユミール
カラヴィアは湯船の中で大きく伸びをした。
「そうねえ…もう200年くらい前のことなんだけど。ある時、魔王様が魔王城に人間の娘を連れてきたことがあったの。もちろんカブラの花粉を吸ったら死んじゃうから、そりゃあもう、城中大変な対策をしたのよ」
「人間の娘…?」
そういえば、魔王城の人たちは人間の私がいても驚かなかったっけ…。
あれは人間を受け入れたことがあったからだったんだ。
魔王の好きになった人ってもしかしてその人のことだったのかな。
「魔王様はその娘を大切にしてたわ。城から出ると死んじゃうから一歩も外へ出さないようにしていたの。毎日のように娘の部屋へ通って、娘のいう事ならなんでも聞いてあげてた。そうして年月が経って、娘は大人になったわけ。人間はすぐ年を取るからね。ワタシはさ、その娘の話し相手になれって命令されてたからいろいろと相手してやってたわけよ。あ~…ちょっと出ていい?熱くなってきちゃった」
カラヴィアは湯から出て、湯船のふちに腰かけて足を組んだ。
「まあ、ワタシが思うに魔王様の一時の気まぐれだったと思うのね。でもさ、その娘、というか女ね。こともあろうに魔王様の子供が欲しいって言い出したの。そんなの無理に決まってるじゃない?そもそも魔王様は一切手なんか出さなかったんだから」
私にはその人の気持ちがなんとなくわかる。
好きな人の子供が欲しいって思うことは自然なことだもの。
だけど、人間と魔族は別の生き物だから子供はできない。どんなに愛していても…。
「魔王様はうまくはぐらかしていたわ。でもそうしているうちに女は病気になっちゃったの。心の病気ね。長い間閉じ込められていたことも原因だったと思うけど」
カラヴィアの言葉に、私はハッとした。
魔王が私を閉じ込めたり、無理矢理どこかへ連れて行こうとしたりしなかったのは、そんな過去があったからなんだ…。確かに私も城にいて毎日退屈だった。外へ出るために指輪を作ってくれたりしたのも、私を気遣ってくれてたんだ…。
「女は毎日、泣いていたわ。魔王様の顔を見るたびにね。それで魔王様は女の元へ寄り付かなくなったの。どっちも不幸よね~?それを見かねた魔貴族のユミールってのがさ、よせばいいのにその女の記憶を消しちゃったのよ。魔王様に関する記憶をごっそりね」
「…記憶を、消した?」
ユミール…ユミールって、イドラの云ってた人じゃない…?
でも…好きな人の記憶を消すって、それはどうなの?
私ならきっと耐えられない。辛くても、覚えていたいって思うけど…。
まさか魔王の怒りを買ったっていうのはそのこと?
「それで…魔王は怒ってユミールって人を殺したの?」
「え?ああ、そりゃー怒ったわよ。でもそのおかげで女は泣くのを止めたし元気になったの。魔王様は仕方ないって思ったんじゃない?」
「え…?それじゃあ何で…」
「だけどさ、それじゃ魔王様が可哀想だと思わない?ユミールのやつ、人間の女のことばっかり考えて魔王様の気持ちは無視かよ!って思って許せなかったわ。人間なんか100年もしないうちに干からびて死んじゃうんだから、ほっとけばよかったのにって。わざわざ魔王様の気持ちを傷つけるなんてどう思う?」
「それは…記憶を消すのはちょっと酷いと思う…」
「でしょー!?だからさ、ワタシ、ユミールに化けてその女を城の外に連れ出してやったのよ。そしたらさ~すぐ死んじゃってさ。人間てあんなにすぐ死ぬとは思わなくてビックリしちゃった」
「え?待って、どうして連れ出したの?」
「だってさ、その女、魔王様の記憶がなくなったから、なんで自分がここにいるのかわかんなくなっちゃったみたいでさ。家に帰りた~いって泣くんだもん」
「…それが彼女が死んだ原因、なの…?」
「そーよ。ワタシ言ったのよ?ここから出たら死んじゃうわよって。でもその女、それでもいいからここから出たいって言うんだもん。ワタシは望みを叶えただけ。死んだのはワタシのせいじゃないわよ?」
「でもなんでユミールに化ける必要があったのよ?」
「そりゃ…あいつが魔王様のお気に入りだったからよ」
それじゃ、ユミールって、この人に濡れ衣を着せられたってこと?
「ユミールのやつ、人間の女を殺したってことで魔王様の怒りを買ってさー。領地の家ごと焼かれてやがんの!」
カラヴィアはホホホと笑った。
私はじわじわと怒りが込み上げてきた。
ユミールも、イドラも、こんな理不尽な人の犠牲になったのだ。
だけどこの人は、悪いことをしたとは思っていない。
なによりもそれがこの人の罪だ。
「あんた、マジでクズね…」
「言っとくけどワタシが考えたことじゃないわよ。魔大公がこうしたらワタシが魔王様の一番になれるって言うから、その通りにしただけなんだから」
「魔大公…?エウリノーム…?」
「あらやだ。知ってるの?今の内緒ね」
またエウリノーム!
相当ヤバイ奴じゃん…。
やっぱりユミールの死にも、エウリノームが関わってたんだ。
このことを早くイドラに知らせてあげなくちゃ。
魔王は騙されてたんだって…!あの人の恨みを少しでも溶かしてあげないと。
「わかったでしょ?人間が魔王様と恋するなんてあり得ないのよ。あんたもその女みたいになりたくなければ忘れることね」
「私は、忘れたくないわ。病気になってもどうなっても、覚えていたいって思う」
「死んじゃっても?」
「…魔王は不老不死なんでしょ?あなただっていつかは死に別れるんじゃないの?」
「ま、まあ…それはそうだけど、あんたとは一緒にいる時間が違いすぎるって言ってんの!」
「時間の長さなんか関係ない。たとえ一瞬でも愛した人の心に残れれば…私はそれでもいい」
「奇麗ごとをいうわねえ。そうやって自分を納得させてるんだ?健気~」
「悪い?」
「忘れた方が楽になれるのに、バカな女ねえ」
「私は忘れたくない!」
「ふーん…。諦める気はないんだ?」
カラヴィアの雰囲気が少し変わった。
「あなたが魔王様を忘れて、もう二度と会わないっていうなら、このまま見逃してあげてもいいと思ってたのに」
「見逃すって…どういう意味?」
「ワタシは魔王様からあなたを殺すように言われてきたのよ」
「嘘よ!」
カラヴィアは湯船のふちから降りて、再びお湯の中に戻った。
私は思わず立ち上がって後ずさった。
「ゼルくんがそんなこと言うわけない!」
「…ゼルくん?それ魔王様のこと?随分気安く呼んでくれるじゃない。愛されてるって己惚れてるのかしら?」
「彼は、私を守るって言ったもの!」
「…気に入らないわね。そういえばあんた、魔王様から指輪を貰ったんですって?」
「貰ったけど?」
「寄越しなさい!それはワタシが貰うべきものよ!」
「嫌よ!」
私は反射的に湯船から上がってバスローブを取った。
このポケットには指輪が入っている。
こんなバカ女に渡すわけにはいかない。
バスローブを身に着けて、私は後ずさりした。
カラヴィアはゆっくりと湯船からあがった。
「ほんと、ムカつくわねえ…」
ふいに彼女は、その姿を変えた。
そこに現れたのは薄いブルーのストレートの長い髪をした女性魔族だった。
「それが本当の姿…?」
「そうよ。美人でしょ?魔王様が愛してくださったほどですもの。なんたってワタシは魔王様と一夜を共にしたこともあるのよ」
「嘘!」
ものすごく胸がモヤモヤする。
私、この人に…嫉妬してる…?
「嘘じゃないわ。ワタシと魔王様は結ばれたんだから」
「そんなの信じない!」
「ホホホ。本当よ。人間の女が死んで、ユミールを失った魔王様はずいぶん落ち込んでたのよねえ…。だからワタシ、人間の女に化けて魔王様の寝所に忍び込んだの。そのあとは…わかるわよね?」
「し…信じられない!あんた、人の弱みに付け込んで…サイッテーのサイアク!」
ありえない!ありえないでしょ、この女!
私のゼルくんに何てことすんのよ!
「うるさいわね!」
カラヴィアは攻撃魔法を撃ってきた。ジェット噴射みたいな水の魔法だ。
すんでのところで躱した私は、大浴場から逃げ出した。
「ホホホ、逃がさないわよ」
背後でカラヴィアの笑い声が聞こえた。
「あら、ちょっと待ってよ。ワタシも服取って来るから」
カラヴィアは緊張感のない声でそう云った。
今のうちに逃げよう!
私はバスローブのまま裸足で走って、元来た扉へ飛び込んだ。
内側から鍵を掛けようとして、慌てて、その場で鍵を落としてしまった。
仕方なく背中で扉を押えていた。
「そんなところに逃げたって無駄よ~」
扉の向こう側からカラヴィアの声がする。
ありえないことに私の立っている扉の内側に、カラヴィアの腕がすり抜けて出てくる。
「ええっ!?何?」
慌てて扉から逃げる。
走りながら後ろを見ると、扉をすり抜けてカラヴィアがこちら側へやって来るのが見えた。
何なの?あれ!
超怖いんだけど!
扉をすり抜けるスキルとかマジホラーじゃん!
「あんたに戻られるとワタシが困るのよ。ここで死んでちょうだい」
ヤバイヤバイ!
通路を走る私の目に、扉が見えた。
そうだ、ポータル・マシン!
あれで逃げよう!
部屋に逃げ込んで扉の鍵を内側から閉めた。
なんとかポータル・マシンまで走って、台座に乗る。
転送ボタンを必死で押した。
しかし何も起こらない。
「え?何?何で動かないの?やだ!ちょっと!動いて!」
私は何度もボタンを押した。
そうしているうちに、カラヴィアが部屋の扉をすり抜けて入ってきた。
「フフ。もう逃げ場はないわよ。さあ観念しなさい…って、ダメじゃない、それに乗っちゃ」
「動いて、動いてー!」
カラヴィアは慌てて駆け寄ってきた。
私は台座の上に座り込んで何度もマシンの転送ボタンを押し続けた。
「何?それ壊れてんの?それだと困るんだけど!魔王様の元へ戻れなくなっちゃうじゃない!」
カラヴィアはマシンのボタンの部分を覗き込んだ。
私を殺そうとしてる割に、なぜか緊張感もなく、マシンばかり気にしている。
その時、私の乗っているマシンの台座が奇妙な振動を始めた。
「動いた!?」
「ちょっと!戻られちゃ困るのよ!」
目の前にカラヴィアの手が迫ってきたと思った瞬間、私の体と意識はどこかへ飛んだ。
空になったポータル・マシンの台座は振動し続け、やがて止まった。




