グリンブル事変
治安維持機構の治安部隊は、さすがに精鋭ぞろいだけあって、その手際もよく手慣れたものだった。
校内に残っていた侵入者たちを全員拘束し、彼らが捕らえていた教師たちを無事解放した。
騎士団が縛り上げていた連中も、治安部隊が連行していった。
解放された教師たちが、中央広場にいた生徒たちを誘導して、そのまま下校させた。
私の周りには多くの生徒たちが集まって来て、質問攻めにされてしまっていたのだけど、教師たちが彼らを宥めて連れて行ってくれた。
ユリウスたち騎士団員たちの周囲にも女生徒たちが群がっていたけど、彼女らも同様に教師に先導されて渋々帰って行き、広場にはもう私たちしか残っていなかった。
マリエルは、まだ心細いので私と一緒にいたいと云った。
その時、アスタリスが1人でコソコソと逃げ出そうとしていたデイジー先生を捕まえて広場に連れてきた。
デイジー先生は、アスタリスの手を振り払った。
「先生はアザドーのメンバーだったんですね」
「何のことかしら」
私が聞いても、先生はアザドーのメンバーであることを認めなかった。
アリーと言い争っていた時に気付くべきだったと私は後悔した。
「ねえ、トワさん、これは誤解なのよ。話せばわかるわ」
デイジー先生が私に手を伸ばそうとした瞬間、彼女の首から下が氷漬けになった。
彼女は言葉を発する前に、ジュスターの氷魔法によって、動きを止められてしまったのだ。
「な、なによこれ!」
「トワ様に触れるな」ジュスターが冷たく云った。
「ずっとそのままでいると、体だけが壊死しちゃうんだよね。早く解いてもらわないと、そのきれいな体もゾンビィみたいに腐っちゃうよ?」
ネーヴェが可愛い顔して怖いことを云った。
「ひぃぃ!冷たいじゃない!早く解いて!」
「お願いする態度じゃないよね?」
ネーヴェが彼女を追い詰める。
やっぱ、彼ドSだわ。
「わ、わかったわ、喋るから、お願い…」
デイジー先生には、魔王が質問した。
それでわかったことはアザドーが、アカデミー襲撃と同時に、グリンブル王宮を襲撃することになっていたということだった。
アカデミーの子供たちを人質に取り、王に退位を迫る予定だったという。
「本当にそれだけか?アカデミーを襲った目的は他にもあるだろう?」
「ポ…ポータル・マシンよ。アザドーはこの研究に多額の投資をしてきたわ。なのに教授が横流しするような環境に不安を感じて、もうここには置いておけないと上層部は判断したのよ」
デイジー先生は、氷漬けのまま、がたがたと震えだし、もはや魔王の話も聞こえていない感じだった。
唇が紫色になって、歯がガチガチと音を立てだした。
相当冷たいらしい。
「ジュスター、解除してやれ」
魔王が命じると、ジュスターは氷を瞬間に破砕した。ようやく彼女の体は自由になったが、寒さのあまりその場に卒倒してしまった。
「この女は治安部隊へ渡せ」
魔王の命を受けて、シトリーがデイジー先生をひょいっと担ぎ上げて門の方へ歩いて行った。
「魔王様、今の話ですと、アザドーはすでに王宮を包囲している可能性があります」
「アスタリス、見えないか?」
「王宮の中までは見えませんが、城の門付近に魔族が複数うろついているのが確認できます」
「ふむ。王宮を制圧するつもりか」
「魔王様、助けてやるの?」
「…マサラと約束したからな」
魔王が王宮へ乗り込む算段をしている時、私はいろいろなことが急に起こってパニック状態になっているマリエルを励ましていた。
「ゼルくん、私、マリエルを送っていきたいんだけど」
だけどそれは却下されて、魔王はマリエルを連れて治安維持機構本部で待っていろと私に云った。
魔王がカイザーを貸してくれと云うので、ネックレスを渡した。このまま聖魔騎士団を連れて、王宮へ乗り込むという。
「私は行かなくてもいいの?」
「先ほどの彼らの戦いを見ていなかったのか?アザドーに彼ら以上の魔族がいるとは思えん。それに、おまえは先ほどのカイザーへの魔力供給で疲れているだろう?今はおとなしくしておけ」
「…うん、わかった。皆、頑張ってね」
「トワ様、心配はいりません、すぐに終わらせて戻ります」
ジュスターはそう云って私に礼を取った。
私とマリエルは、治安部隊に護られて、治安維持機構本部へ戻ることになった。
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魔王と聖魔騎士団は、王城の前までやってきた。
「アスタリス、中はどうなってる?」
ジュスターの問いかけに、アスタリスは<遠見>をして答えた。
「王宮に勤務している人々は城の中庭に集められています。王がいるのは王宮の中の玉座の間ですが、そこまでの通路は武器を持った魔族の一個中隊が封鎖しています」
「では正面から突破するか」
魔王がそう云うと、騎士団員たちは玉座の間を目指して王宮へと乗り込んだ。
騎士団員たちは、魔王の行く手に立ち塞がる者たちを次々と打ち倒していった。
城の鋼の扉は閉まっていたが、シトリーが素手で簡単に開けてしまった。
王宮の通路には魔族の一個中隊がいたが、ネーヴェが魔法を連発し、武器を手にしたカナンたち武闘派が、襲い掛かる魔族たちを確実に打ち倒して先へと進んでいく。
彼らが魔族を倒して、魔王のために道を作っていく。
やがて彼らは玉座のある謁見の間にたどり着いた。
この扉の先に王と王妃がいるとアスタリスは云う。
シトリーが謁見の間の大きな扉を開けると、中にいた見張りの魔族がこちらを振り向いた途端、ユリウスが無言で倒した。
玉座の近くに複数の人影が見えた。
魔王城には及ばないものの、謁見の間は天井も高く、どこかのコンサート会場くらいの規模の大きさがあった。そのため、入口の魔王のいる場所からは玉座にいる人物の顔もわからなかった。
「誰だ」
玉座近くにいた人影の1つが、良く響く大きな声で誰何した。
「む、あれは…」
魔王は玉座に向かって歩を進めた。騎士団員たちもそれに続く。
「魔王様、あの者を御存知ですか?」
「ああ。あの赤い髪は間違いなくメトラだ」
ジュスターの問いにそう答え、魔王が指した先にいたのは、赤い短髪の上級魔族だった。
背が高くスラッとしたスタイルの良い男性魔族で、赤く塗られた軽鎧を着用し、腰には細剣を帯びていた。
そして彼の隣にはアリーの姿があった。
「メトラって、魔王護衛将のお1人の…」
ウルクがそう云いかけた時、魔王が静かに呟いた。
「カイザー、出てきて我の姿になれ」
すると、魔王がつけているネックレスからカイザーが黒髪の青年の姿で現れた。
そのまま、一行は玉座近くまで歩み寄る。
「なんだ?おまえたちは」と、下級魔族が数人やってきた。
赤い髪のメトラは、ハッと驚いた。そこに立っているのが魔王であることに気付いたのだ。
それは正確には魔王の隣にいる魔王に化けたカイザーだったのだが。
メトラは部下たちを叱りつけ、慌てて走り寄って、カイザーの前に跪いた。
彼の部下たちは何が何だかわからないまま、それに習った。
「魔王様、本当に魔王様なのですか?いつ復活なされたのですか?」
「メトラよ。貴様の目は節穴か。我はこっちだ」
カイザーの隣にいる少年の姿の魔王がそう云った。
「ええっ?い、いやしかし、このお姿こそ魔王様では…」
すると青年魔王の姿のカイザーは、巨大なドラゴンの姿になった。
「おおお!カイザードラゴン!!」
突如現れたドラゴンに、メトラの横にいたアリーと、背後にいた魔族たちは驚きの声を上げた。
『今の姿は我の擬態だ。魔王は転生したばかりでこの姿なのだ』
「そ、そうでしたか、転生おめでとうございます」
メトラは深々と頭を下げた。
「あなた、魔王だったの…!」
アリーは困惑したように云った。
「しかし、その魔王様がなぜこのような場所に…」
「我はアカデミーにいたのだ。貴様の無礼な部下共が、生徒を人質にとろうと襲撃しに来おったので、叩きのめしてやったわ。そしてその首魁に罰を与えに参ったのだ」
「なんと!知らぬこととはいえ、お許しください。無礼を働いた部下たちは全員殺します」
このメトラの言動に、後ろにいた部下たちは焦ってお互いの顔を見た。
魔王はメトラに問いかけた。
「おまえはここで何をしている?」
「無能な王を捕らえたところにございます」
「何が目的だ」
「この国を正しく導くためです」
「おまえの言う正しい国とは何だ?」
「魔族が人間を正しく導くことです」
アリーはそれについては、黙っていた。
玉座の前に、王と王妃が縛られて転がされていた。
猿轡をかまされていて口はきけないようにされていたが、先ほどの青年魔王の姿を見てなにやらうめき声をあげていた。
「貴様、この国の建国に我が手を貸したことを知らんのか」
魔王が云うと、王は縛られたまま、はげしく頷いていた。
「それは…存じております。しかしその恩を忘れてこの国の人間どもは増長しております。今こそ我ら魔族がその力を示す時かと」
「おまえたちの組織のリーダーは誰だ」
「私です」
「おまえは単なる傀儡だろう」
その時、メトラの後ろにいた魔族が激高して立ち上がった。
「ま、魔王だなんて嘘に決まってる!おい、おまえらこいつらを取り押さえろ!」
「ちょっとあんたたち、やめなさい!」
アリーの制止を振り切って、その魔族は魔王に向かって魔法を放った。
魔王の前に出たクシテフォンが掌で軽くその魔法を握りつぶした。
だがメトラはそれを咎めなかった。
「それがお前の答えか」魔王は冷たく云った。
「蜂起した以上、我々はもう止まれないのです」
「フン、まったくダンタリアンといい、仕方のない奴らばかりだな」
『まったくだ。身ほど知らずもいいところだな』
カイザーはドラゴンの姿のまま、メトラの部下たちに向かって火球を吐いた。
それによって魔族たちは吹き飛ばされ、玉座の間に大きな焼け焦げ跡が出来た。
「やめろ、カイザードラゴン。この場を炭にするつもりか」
魔王が呆れてそう云うと、カイザーはドラゴンの姿から青年魔王の姿に転変した。
「仕方がないな。おまえたち、少し遊んでやれ」
魔王が命ずると、騎士団員たちは魔王を庇うようにしてメトラたちと対峙した。
メトラの部下の魔族たちは、自分たちの人数の方が多いことを有利ととらえ、「許しを請えば命だけは助けてやるそ」などとジュスターたちを下に見る発言をした。
「不愉快なんだよね…あんたら」
そう云ったのはネーヴェだった。
彼が連続魔法で下級魔族たちを打ち倒すと、シトリーが2、3人同時に持ちあげて遠くに投げ飛ばした。
気付くと、残っているのはメトラとメトラの後ろで命令を下していた魔族1人だけになっていた。
アリーは少し離れたところでその様子を見ていた。
「ひぃ!メトラ様、助けてください…!」
メトラは溜息をついて、騎士団員たちと少年魔王を見た。
「まあ、私ごときが魔王様に勝てるなどとは思っておりませんでしたがね…」
「まだ抵抗するつもりか?」
「どうせ死ぬなら最後まで戦って死にたいと思います」
「…バカめ」
「魔王様、ここは私にお任せを」
メトラの前に立ったのはジュスターだった。
「トワがいないんだ、殺すなよ」
「心得ております」
「ほう、1対1での勝負ですか。私への餞別というわけですね、良いでしょう」
「やめて、メトラ!もう勝てっこないんだから、おとなしく降参しましょう!」
アリーが叫ぶと、メトラはそれを手を挙げて制した。
玉座の間で、メトラとジュスターの2人の戦いが始まった。
メトラは炎の魔法と細剣の使い手だった。
彼の武器は、その痩身から繰り出される素早い突きと、切っ先から放たれる炎の二段攻撃。
目を見張るのはその速さだ。
その速さはウルクの<高速行動>並みだった。
さすがのジュスターもその速度に対応できていない。物理と攻撃魔法無効がなければ、ある程度体にダメージを負っていたはずだ。
属性的には氷のジュスターの方が有利のはずだが、ジュスターが放つ氷魔法はことごとくメトラの炎によって消失させられてしまった。
「ほう、氷魔法を使うか。だが氷魔法耐性を持つ私には無意味だ」
火炎属性を持つメトラが、相対する氷魔法耐性を持つことは驚くべきことだったが、ジュスターの表情は変わらない。
ジュスターはずっと口の中で詠唱を続けていた。メトラの速さに苦戦しているようにみえたが、それは自分の魔法の威力を練り上げる時間を稼いでいたにすぎなかった。
ジュスターが距離を取って、必殺の魔法をメトラに放った。
「絶対氷結!」
メトラは氷耐性に自信をもっていたため、ジュスターの放った魔法を真正面から受けた。
ジュスターの魔法は、メトラをその余裕の表情のまま、フリーズドライのように一瞬で凍り付かせてしまった。
この状態で、彼をハンマーで叩いたら、粉々になって吹き飛んでしまうだろう。
「バカめ。氷耐性を過信したな。耐性をも上回る威力の魔法の存在を認知できなかったか」
魔王はそう云った。
アリーが泣きながら駆けつけてきた。
彼女の想い人とは、メトラだったのだ。




