過去の恩讐
グリスは驚愕の表情になった。
「こんなところで会うとは思ってもみなかったよ」
ジュスターの後ろから声をかけたのはユリウスだった。
「え…?その声…!ユリウス、なのか…?」
「そうだ」
「しかし、その姿は一体…」
グリスは戸惑っていた。
トワによって上級魔族へと進化した彼らは、もはやグリスの知っている姿ではなかったからだ。
「あんたの裏切りで僕たちは人間に囚われていたんだよ」
「そのおかげで僕たちはさるお方に助けていただき、上級魔族に進化することができたんだけどね」
ネーヴェとアスタリスが少し意地悪な口調で言った。
「上級魔族?進化?そんな話はきいたことがない」
グリスはあきらかに動揺している。
上級魔族4人を前にして、彼はもう抵抗できないと悟ったようで、抵抗するそぶりは見せなかった。
「その耳はどうした?自分で切ったのか?それとも誰かに切られたのか?」
ユリウスが指摘したのは、グリスの耳の尖っていた上半分が無くなっていたことだった。
耳の大きさが半分になっているが、尖った部分が無くなっているので魔族の特徴が無くなっている。
グリスは髪から少し出ていた耳を両手で隠すような仕草をした。
「それともそれは人間のふりをしているのか?」
「違う、違うんだ、聞いてくれ!」
グリスは必死に訴えた。
「何が違うんだ?人間の軍隊に村の場所を教え、村に引き入れたのはおまえだろう?」
「あ、あれは人間の軍隊に捕まって仕方なく教えただけだ」
「ならばなぜおまえだけが助かった?しかもこんな場所でのうのうと生きているのはなぜだ?」
「そ、それは…」
口ごもるグリスの首に、ユリウスは自分のマギから曲刀を出して突き付けた。
「正直に言え。嘘をついたら殺す」
「ひぃっ!」
これを見ていたネーヴェが「ユリウスって怒ると怖いんだ」と素直な感想を云った。
「わ、わかった、話す。話すからそれを引っ込めてくれ」
ユリウスは曲刀をしまった。
グリスはようやく語りだした。
村を出た彼は、他の仲間たちと魔王都をめざして歩いていた。ところが運悪く、彼らは魔族狩りのために巡回していたアトルヘイム帝国の黒色重騎兵隊に見つかり、捕らえられてしまった。
アトルヘイムの連中は、どこかに仲間がいるはずだと彼らを拷問にかけた。
グリスは口を割らなかったが、他の仲間たちは、村の場所をしゃべった。だが、アトルヘイムの兵たちは、「口が軽い奴は信用できない」と他の仲間たちを皆殺しにした。
それで、命だけは助けてやるから村へ案内しろと、グリスを案内人に仕立て上げた。
「そうだ、俺は自分の命のために村を、おまえたちを売ったんだ!だが他にどうすればよかったんだ?おとなしく殺されればよかったのか?」
グリスは叫んだ。
ジュスターたちは無言のまま聞いていた。
彼は村へ戻り、黒色重騎兵隊の一部が待機している場所へジュスターたちを誘導し、彼らがいない隙に村の結界を解いて黒色重騎兵隊を引き入れた。
村は焼き払われ、村にいた魔族は皆殺しにされた。
「おまえは、目の前で村人たちが殺されていくのを見ていたはずだ。そのとき、おまえは何を思っていた?」
ジュスターは静かに怒気を含んだ声で訊いた。
「俺は殺されないように死んだふりをしていたのさ。他の奴らのことなんか見ちゃいない」
「ゲスいね、あんた」
ネーヴェが侮蔑を込めた声で呟いた。
それに構わず、グリスは続けた。
「すべてが終わった後、村で生きていたのはもう俺だけだった。
アトルヘイムの奴らは俺の前に来て、こういったんだ。『おまえは裏切り者だ。もう魔族として生きていくことなんてできないだろ?』と。そして、俺が魔族を捨てて人間として生きるなら助けてやると言い、これが証だと奴らはその場で俺の耳を半分切り落としたんだ」
「…むごいことを」
「それから俺は血まみれで、あてどなくさ迷い歩いた。血の臭いを嗅ぎつけて、魔物が襲ってきたりもした。そんな時、人魔同盟が俺を助けてくれたんだ」
「人魔同盟?」
ユリウスが胡散臭そうに訊き返した。
「人魔同盟は、人間と魔族の共存を望む集団だ。その本部がこのグリンブルにあるんだ」
「その人魔同盟で、世話になっているというわけか」
「…おまえたちには悪いとは思っている。だが俺にはどうしようもなかったんだ」
グリスは俯いたまま云った。
ジュスターはふと考え付いて、グリスに尋ねた。
「グリンブル王国では人間と魔族は十分に共存できていると思うが。その人魔同盟とはどういう活動をしている組織なのだ?」
「…人魔同盟というのはある組織の下部組織に過ぎない」
「ある組織?」
「いずれわかることだろうから、話しておく。その組織の名はアザドーという。その影響力は大きく、グリンブル王国をはじめ、各国の経済を裏で支えていると言っても過言ではない。アザドーは人間の各国にネットワークを持っているんだ」
ネーヴェが興味なさそうに「ふぅん」と鼻を鳴らし、「人間の国がどうなろうと興味はないんだけど」と云った。
するとグリスは、ユリウスに向き直った。
「確かに俺は裏切り者だが、村の連中を殺したのは人間どもだ。俺は人間が憎い。おまえたちもひどい目にあったんだろう?」
ジュスターを始め、皆それには無言だった。
「だったらおまえたちもアザドーに協力してくれないか」
「…何を言っている」
グリスの突然の変容に、ユリウスは呆れた。
「アザドーは大戦後に人間に虐げられてきた魔族たちが始めた組織だ。彼らの本当の目的は、人間たちを裏から支配することだ」
「勝手にやればいい。私たちには関係ないことだ。ここへ来たのは、おまえが裏切ったという事実と理由を確かめるためだ」
ユリウスは吐き捨てるように云った。
「じゃあ、どうするんだ?俺を殺して気が済むのならそうすればいい」
開き直ったグリスの態度に、ネーヴェは頭に来たようだ。
「望みどおりにしてやるよ」
ネーヴェは静かに魔力を解放しつつあった。彼の周囲に風が舞い始め、その風は小さな刃となってグリスを襲った。
グリスは悲鳴を上げて頭を腕でガードした。
「よせ、ネーヴェ」
ジュスターの制止で、グリスの傷は腕だけですんだ。
今度はユリウスがグリスの前に立ち、その胸倉をつかんだ。
「村に戻った時、奴らに脅されていると、なぜ打ち明けてくれなかったんだ!」
「うぅ…、か、勝てないと思ったんだ…!」
「このバカ者が!」
ユリウスはグリスの頬を拳で思いっきり殴った。
グリスの体は吹っ飛んで床に尻もちをついた。
「私は、おまえが死んだとずっと思っていた。だがこんな形で会うとは思ってもみなかった。…以前の私ならば、怒りの感情にまかせて今この場でおまえを八つ裂きにしただろう。だが…」
グリスは頬を押さえながらユリウスを見上げた。
「だが、心のどこかでは、おまえが生きていてくれて良かったとも思っているんだ…」
ネーヴェがユリウスを見て、やれやれ、といったジェスチャーをした。
「甘いね、ユリウスは。でもそんなところも君らしいよ」
これにはアスタリスも頷いた。
「本当はこの店ごと消し炭にしてやりたいところだが、あの少年から働き場所を奪うのは気の毒だ」
「…ダイスを知っているのか?」
「ああ。人間になど興味はないが、あの少年の真っ直ぐな目には心惹かれるものがあった」
グリスはそのまま両手を床について、土下座した。
「すまなかった。今更許してくれとは言わん。…俺だって、仲間を裏切って平気だったわけじゃないんだ。だけど、平気なフリをしなければ、生きていけなかった。俺には、おまえたちみたいな強さも運もなかったんだ!」
強さと運。
ユリウスはその言葉の意味を噛みしめた。
自分たちは、たまたまあの方に会って、助けられて、力を貰った。これが運だというなら、何という強運だろう。
それは他の3人も同様に思っていたことだ。
「で、この者の始末、どうする?」
ジュスターはそれを3人に委ねようとした。
「僕はもういいや。土下座してる奴を切り刻む趣味はないし、興味なくなったよ」
「僕も、真実が知りたかっただけでしたから。それに彼を殺したって仲間が戻るわけじゃありません」
ネーヴェとアスタリスに続いて、ユリウスも口を開いた。
「…すいません、私情を挟んでしまって。団長にお任せします」
ユリウスはその美しい瞳をジュスターに向けた。
ジュスターはそれを受け止めて、彼の肩をポンと叩いた。
「ユリウスに幼馴染を手にかけさせるわけにはいかん」
そう云って、ジュスターは土下座したままのグリスを見下ろした。
ユリウスは皆に頭を下げて、最初に部屋を出て行った。
「あんた、命拾いしたね」と云って、ネーヴェがそれに続く。
「ここには来ていない他の仲間たちもいる。皆があんたを許したわけじゃないから」
アスタリスも捨て台詞を吐いて出て行った。
ジュスターは最後にグリスを一瞥した。
「私たちは治安維持機構本部にしばらく滞在している。他の仲間もいる。謝る気があるのなら、来るがいい」
彼らが出ていくと、壁に貼り付けられていたガースとメルクの氷が粉々に割れて2人は床に転がった。2人共息はあるようだ。
グリスはユリウスに張り飛ばされた頬を押えて「ってえ~」と叫んだ。
今頃になって、痛みが襲ってきたが、彼はその痛みを心地良く思った。
店の奥からユリウスたちが出てくると、ダイスは驚いていた。
「あれ?あんたたち、どこにいたんだい?親方は?」
「ああ、もう話は済みました。ちょっと行き違いがあって喧嘩になったけど、もう大丈夫ですから」
ユリアスはそう云って、他の3人と共に店を去って行った。




