誘拐未遂事件
魔王が助けた少年はダイス・オヴェリアンと名乗り、ヨナルデ組合に属しているアルネラという小さな村から来たと自己紹介をした。
年は17歳だという。
ヨナルデ組合って何だろう…という顔をしていた私に気づいたのか、ダイスが説明してくれた。
彼によれば、ヨナルデ組合というのは、ここから東に位置するヨナルデ大平原にある村々が結成している組織のことだった。
ヨナルデ大平原…って、たしか大司教公国を脱出するときにも通ったような。
とにかくヨナルデ大平原ってとこは人間の国の東側で大きな面積を占めている場所らしい。
その多くは農家や畜産をしている。
ヨナルデ組合ってのは、要するに農業協同組合のことらしい。
人間の大陸の食糧の約半数を彼らが生産しているというから驚きだ。ものすごいシェアじゃないの。もしここに何かの被害が出たら、人間は食糧不足で生きていけなくなるんじゃ…?
ダイスは、収穫時期の人手不足を補うための農業機械を作るために、アカデミーのマシーナリー科に入学したという。ダイスは村長の息子なのだそうだ。
「だけど、この学校は学費が高くて…。それでも父さんはなんとか工面してくれたんだけど、制服まで買う余裕はなくて。借金するわけにはいかないから、授業のない日は道具屋で働いてるけど、生活費を稼ぐので精いっぱいなんだ」
「大変なんですね」
マリエルは気の毒そうに云った。お金持ちの彼女にはわからない感覚だろうけどね。
ユリウスがダイスの前にティーカップを置いていい香りのするお茶を淹れてくれた。
ダイスはお茶を一口のんで、目を見開いた。
「…っすっげー美味い…!なんだこれ」
「ユラニアの葉を発酵させたもので淹れたお茶ですよ」目を丸くする彼に、ユリウスが答えた。
「ユラニア?嘘だ、俺飲んだことあるけど、こんなんじゃなかった」
「新芽だけを使って手もみしながら発酵させると甘みが増すんです」
「新芽だけ?そしたらほんの少ししかできないじゃないか」
「そうですよ。だから貴重で、高品質なんです。なんでも大量生産すればいいってものでもないんですよ」
「…あんたすげーな…」
ダイスはしきりに感心していて、ユリウスはさわやかな笑顔だけを返していた。
「マシーナリー科にいるのなら、また会う機会もあるな」魔王が云った。
「…あ!もしかしてあんたか?編入してきた天才科学者って。さっきからもうずっとその噂で持ち切りなんだぜ」
「ほほう…天才とな」
魔王は嬉しそうだ。結構チヤホヤされんの好きみたいだ。
「ごちそうさま。あんたのお茶、サイッコーに美味かったぜ」
ダイスは丁寧に礼を云って午後の授業があるからといって、お茶を飲み干して席を立った。
このアカデミーには彼のような苦学生が少なくない。
だからどうしても金持ち組と貧乏組に別れ、学園カーストが生まれてしまう。
それはこの学園の仕組み上、仕方のないことなのかもしれないけど…。
ふと、魔王が云った。
「小さいとはいえ、人間の食糧の半分を生産してる組合に加盟する村の村長が、教育費にも困る程の経済状態だというのはどうも解せん。その組合とやらがどういう仕組みなのか、一度調べてみる必要がありそうだ」
云われてみれば確かにそうかも。
真面目な農家さんが報われない世界なんて、ろくなもんじゃない。
そして彼はさりげなくネーヴェに、ダイスがまたあのお坊ちゃまのボディガードに襲われないように注意しててやってくれ、と命じていた。
優しいとこあるじゃん。
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それは学校が終わって、迎えの馬車で治安維持機構本部に戻る途中の出来事だった。
馬車の前にフラフラと飛び出してきた人がいた。
アスタリスは咄嗟に避けたけど、その人は道の真ん中で倒れてしまった。
「当たり屋か?」と魔王は云った。
「当たり屋?」
「わざと車の前に出て轢かれたフリをして示談金を取ろうとする詐欺師のことだ」
「そんなのいるんだ!?」
「この国では人を騙そうとする者は多い。おまえも気を付けるんだぞ」
「う、うん…」
「私が見てまいります」
ジュスターが馬車を降りて行った。
ジュスターは道に倒れている人物を見た。それは女の魔族だった。
「トワ様、この者、魔族ですが怪我をしているようです」
馬車の外からジュスターに呼ばれた私は、魔王を残して馬車の外へ出て行った。
うつ伏せで倒れている女性魔族に近づいて、声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
御者台からアスタリスが降りてきて、「轢いてはいません」と、怪我は馬車によるものではないと断言した。
返事がないので、近づいて助け起こした。
その女性は、髪をポニーテールにした美女で、頬に何かに引掻かれたような傷が3本ついていた。
「猫にでも引掻かれたのかな?女の顔に傷をつけるなんて酷いわ…」
その時、私の言葉を聞いた魔王が馬車から顔を出して、私が助け起こしている女性魔族を見た。
魔王が叫んだ。
「トワ、その女から離れろ!」
「えっ?きゃあっ!」
突然、倒れていたはずの女が、私を抱きすくめて背中からクシテフォンと同じような蝙蝠の翼を出して飛び上がった。
「この娘はいただいていく」
女はそう云って、上空へ舞い上がった。
「カイザードラゴン!トワを守れ!」
魔王が叫ぶと同時に、突如巨大なドラゴンが空中に現れた。
ポニーテールの女はドラゴンに驚き、思わず捕えていた私を離した。
落ちる!
そう思って目を瞑ると、私の体は地上に落ちる寸前にジュスターに受け止められた。
「くそっ!」
ポニーテールの女は諦めてそのまま飛んで行ってしまった。
カイザードラゴンは追おうとしたが、魔王に止められた。
こんな街中でドラゴンが飛んでいたらパニックになってしまうからだ。
ジュスターに地上に降ろされた私の元へ、魔王が駆け寄ってきた。
カイザーはすぐにネックレスに戻った。
「トワ、大丈夫か?」
「う、うん、平気」
「申し訳ありません。私の不注意です」
ジュスターは頭を下げた。
逃げた女の行方を<遠見>で追っていたアスタリスは、繁華街の大勢の人々の中に紛れ込まれてしまって追跡できなくなった、と報告した。
「ゼルくん、今の人、知ってるの?」
「いや。面識はない。あの傷に見覚えがあっただけだ」
「傷?あの頬の3本傷?」
「そうだ。あれは魔公爵ザグレムに捨てられた愛人の証だ」
「捨てられた…?」
愛人?
捨てられた?
え?魔族ってそういうのない種族じゃなかったの?
「何かヘマをやらかしたのだろう。ザグレムは愛情深いが一度機嫌を損ねると、ああして3本傷を顔に付けられて文字通り捨てられると聞く」
「そんな人がどうして私を?」
「おまえを攫ってザグレムに献上しようとでもしたのだろう。再び寵愛を得るためにな」
「献上?どういうこと?」
魔王は溜息をついて、私を見た。
「おまえはまだ、自分の存在価値をわかっておらんようだな」




