ランチタイムはテラスで
「あの、トワ…さん?」
翌日、語学科の教室でおそるおそる私に声を掛けてきたのは、グレーの髪をショートボブにした魔族の女子だった。
彼女の名はマリエルといった。
マリエルの家は、ここグリンブルで魔族向けのホテルやレストランを経営しているという。いわゆる社長令嬢だ。
マリエルはこの前の繁殖期で生まれた魔族で、マサラと同い年ってことになるけど、大人びた彼とは違って14、5歳くらいに見えた。
彼女の一族は、ソグラトという直轄領で暮らしていたのだけど、大戦に参加した一族の多くが帰れず、この国に避難してきたそうだ。そのままこの国で商売を始め、それで成功を収めたという。
マリエルは先月、ソグラトから国境を越えてこの国にやってきたばかりだという。それでまずは人間の言語を覚えなければいけないということになって、私とは1日遅れでこのアカデミーに編入してきたということだった。
周りは人間ばかりで、引っ込み思案なマリエルは友人がいないのだと云う。
「じゃあ、私とお友達になりましょう?私もここへ来たばかりで知り合いもいないのよ」
「ほ、本当にいいんですか?トワさんは魔貴族ネビュロス様の一族の方だって伺いました。私のような庶民がお友達になっていただけるなんて、おこがましいです…」
マリエルは俯いて、もじもじしている。
魔貴族ってそんなに偉いって思われてるのか…。あのオッサンがねえ…。
マリエルが云うには、教室の中でやたらと私と魔王が注目されているのは、魔王がネビュロス一族の御曹司だと聞かされていたからだったみたい。
この国ではネビュロスの名は相当有名らしい。
「一緒に来てる彼はそうだけど、私は一般人よ。気を遣わないで大丈夫だから」
そう云うと、彼女の表情がぱぁぁと明るくなった。
「い、いいんですか?よろしくお願いしますっ!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私たちはお互いにお辞儀し合った。
まさか人間の国の学校で、魔族の友人ができるとは思わなかった。
そうそう、また新たな魔族ウンチクをひとつ覚えた。
魔族は生まれてから最初の繁殖期を迎えるまでは成人とはみなされないようで、子供扱いされるんだって。そしてその間は無性状態なので、男女自由に性別を変えられるのだそうだ。
マリエルはどっからどうみても可愛い女の子だけど、ある日突然男の子になったりもできるということで…。やっぱ魔族ってスゴイ。
「トワさん、もうじきお昼ですよ。どうなさるんですか?」と、マリエルが訊いてきた。
お昼はユリウスがお弁当を届けてくれることになっている。
お弁当を届けてもらうのだとマリエルに話すと、
「それならきっと第一カフェテリアに届いていると思います。一般の子たちもいますけど、第一カフェテリアはVIP生徒用の個室が用意されているんですよ」と教えてくれた。
「個室?」
「はい。個室ではキッチンも完備されていて、お抱えのシェフにその場で料理を作らせたりもできるんですよ。だいたいいつも同じ方が使用されていますけど」
ほほう…。学生食堂にまで貧富の差があるんだな。
「マリエルは私より遅く編入したのに、詳しいのね」
「あ…私、転入前に見学にきたことがあるので…。その時は学食の隅っこで1人で食べていました」
「じゃあ今日は一緒に食べましょ!」
「い、いいんですか?」
マリエルは満面の笑顔になった。
1人ご飯はやっぱ寂しいもんね。
カフェテリアに行くと、多くの生徒はテラス席やソファ席など、思い思いの席に座って学食の料理を食べている。
ここの学食は学費に含まれているので、生徒なら誰でも利用できる。
その中央に、パーテーションで仕切られたスペースがあった。
あれがいわゆるVIP用個室か。
立って歩くと微妙に中が見える高さに仕切りがあって、お抱えのコックがその場で調理している様子がのぞき見できる。絶対わざと見えるようにしてるんだな。これみよがしな差別化だ。
だけどこんな個室で食べるのは恥ずかしいぞ…。
そう思ってみていると、その個室スペースの中に、今朝入口で会ったアリーの姿があった。
やっぱ彼女、VIPのお嬢様だったんだな。
私と目が合うと、ジロリと睨まれた。怖えー…。
その時、カフェテリアの一角で大きな物音がした。
「何でしょう?」
マリエルが驚いて声を上げた。
音のした方向を見ると、男性2人が争っていた。
どうやらケンカらしい。
2人のうち、1人は制服を着ておらず、ずいぶんと粗末な身なりをしていた。
それはこのお金持ち学校では逆に目立っていた。
もう1人は見るからにお金持ちのボンボンって感じで、一昔前のホストみたいなМ字バングの前髪をしていた。
そのお金持ちの息子の脇にはボディガードだと思われる大柄の人間の男が立っていた。粗末な身なりの少年を殴り飛ばしたのはその大男のようだ。
「ここはおまえのような貧乏人が来る場所ではないと言っている。さっさと出ていけ」
「俺はちゃんと学費も払ってる。授業を受ける資格があるんだ。おまえに文句を云われる筋合いはない!」
「少しばかり頭がいいからと言って、図に乗るな、貧乏人!」
「そっちこそ、学位を金で買わなきゃ卒業できない能無しのくせに!出ていくのはそっちだろ!」
うわ。
絵にかいたようなお金持ちと貧乏人の揉め事だなー。
これはあんまり関わり合いにならない方が良さそう…。
マリエルも怯えて「人間は野蛮です」とか呟いている。
「なんだと!この僕をバカにしたらどうなるか、わからせてやる!おい、やれ!」
命令を受けた大男は、少年の胸倉をつかんで持ち上げた。
少年は締め上げられた上で、顔や鳩尾にパンチを何発も食らっていた。
さすがに周りで見ていた生徒たちからも、「やりすぎだ」「ひどい」「死んじゃうよ」などと金持ちの息子に対する批判的な声が聞こえはじめた。
だが、金持ちの息子の報復が怖いのか、誰も止めようとしない。
さすがにこれは止めないと。
そう思って私が出て行こうとした時だった。
「人にやらせておいて、自分は口だけなのか。ずいぶん卑怯だな」
ん?どこかで聞いたことのある声がする。
って!
いつの間にか魔王が金持ち息子の前に立っていた。
「なんだおまえ。チビは引っ込んでろ」金持ち息子の言葉に、魔王が切れた。
「あぁ?だれがチビだ、こら。謝れ」
「チビにチビって言って何が悪い?」
あ~、チビとか、いっちばん気にしてることを云っちゃったわね…。
すると魔王は金持ち息子の顔面にパンチを繰り出し、鼻にあと少しで当たるというところで寸止めした。
そのパンチの勢いで、彼の自慢のМ字の真ん中の前髪がひと房、ナイフで切られたようにはらり、と落ちた。
「ひゃあ!な、なな…」
金持ち息子は無様に後ろへひっくり返って尻もちをついた。
何が起きたか理解できていないようだ。
思わぬ珍入者に、大男は掴み上げていた少年を床に落とし、雇い主の傍に駆け寄った。
「お坊ちゃま、大丈夫ですか?」
「ここ、こいつが僕を殴ったんだ!こいつをやっつけろ!命令だ!」
お坊ちゃまは魔王を指さした。
「殴ってなぞおらん。おまえは弱い上に嘘までつくのか?」
すると、大男が魔王の前に立ち塞がった。
大男と比べると、魔王の背丈は男の腰までもない。
「お坊ちゃまの命令だ。悪く思うな」
「貴様、人間の分際で我に歯向かうか」
魔王は静かに怒っていた。
だがその魔王を庇うように、どこからともなく突如現れた人物がいた。
それはワインレッドの髪を持つ、麗しの美形ユリウスだった。
「私の主に何か御用ですか」
突然現れた美形に、大男もお坊ちゃまも戸惑い、きょろきょろしている。
「一体どこから現れた…!?」
無理もない。
ユリウスの<光速行動>は常人の目には見えないのだから。
「まあいい、そのきれいな顔をボコボコにしてやる」
大男はそう云って襲い掛かろうとした。
だが、いつの間にか彼のズボンのベルトが無くなっていて、ズボンがストン!と床に落ちた。大男はそれに気づかず、一歩踏み出そうとした途端、足に落ちたズボンが絡みついてそのまま前につんのめって倒れてしまった。
大男は倒れたまま、何が起こったのかわからず狼狽えていた。そして自分がパンツ一丁の姿であることに気付いた。
「ひぃ!」
慌ててズボンを引き上げながら立ち上がる。
周囲の生徒たちからは笑いが起こった。
「く、くそっ!何なんだ!おまえ、何をした?!」
「これ、お返ししましょうか」
ユリウスの手には男のベルトがあり、それを大男に投げてやった。
大男は片手でズボンを持ちながら、もう片方の手でベルトを受け取った。
「これに懲りて弱い者いじめはやめるんですね」
とユリウスが云うと、周囲にいた女生徒たちから黄色い歓声が上がった。
私の隣にいたマリエルも「素敵…!」と声を出していた。
「チッ。おいしいところを持っていきおって」魔王はユリウスの登場に舌打ちした。
みっともないボディガードを従えたお坊ちゃまは、周囲の生徒らから完全に反感を買っていたことを悟った。
「こ、この僕がおまえみたいなチビを相手にするものか。僕はグリンブル王家の出入り商人コルソー商会の会長の息子だぞ。おぼえておけ!そこの貧乏人、命拾いしたな!行くぞ!」
そう云ってさっさとカフェテリアから出て行ってしまった。
大男はずり下がるズボンを引き上げながらその後に続いて行った。
「我をチビだと…許せん」
ぽつりと呟く魔王のまわりに、事態を見守っていた生徒たちがわっと駆け寄ってきた。
「君、すごいね」
「そんなに小さいのに、もしかして武道をやっているの?」
「いやーすっとしたよ。あいつ、本当に嫌味なやつなんだ」
女子生徒ばかりか、男子生徒まで魔王を取り巻いて質問攻めにしている。
そしてユリウスの周囲にも、目をハート型にした多くの女生徒がいた。
まあ、大事にならなくてよかった。
それよりも殴られていた彼が心配で、私は倒れている少年の傍に行った。
内臓とか傷ついてなければいいけど。
「あなた、大丈夫?」そう云いながら、私は彼の胸に手を当てた。
「う…だ、だい…じょうぶ…だ」
かなりつらそう。
治してあげたいところだけど、回復魔法は使っちゃダメなんだよね。マリエルの目もあるし、だいたい私の力は人間には効かないのだ。
「肋骨は折れてないみたいね」
「あんた、医師か?」
「ちょっと心得があるだけよ。でも治療室へ行って回復士に診てもらった方がいいわ」
魔法が一般的でない人間の国では、回復士の他に普通に医師もいる。
と云っても医師の主な仕事は、触診と薬の調合くらいだったりするのだが。
「これくらい、なんてことないさ」少年は拳で口の端についていた血を拭い、立ち上がった。
「おい、大丈夫なのか?」
いつの間にか魔王が傍に来ていた。
少年は、魔王に、助けてくれた礼を云った。
私たちの周囲に人が集まって来ているのを見て、ユリウスが「こちらへ」と誘導してくれた。
私とマリエル、魔王はその少年を伴って、ユリウスの後へ付いて行く。
そこはカフェテリアのテラス席だった。そよ風が吹いていて気持ちいい。
ネーヴェが場所取りをしてくれていた。
ユリウスは「よろしければあなた方もお昼を御一緒しませんか?」と声をかけた。
少年は「いいのか?」と云い、マリエルはユリウスに視線を奪われてポーっとなっていたようで「い、いいんですか?」とやっと口に出した。
ユリウスは「もちろんです」と優しく微笑んだ。
テラス席のテーブルいっぱいに、お重に入った豪華なお弁当が広げられた。何段重だよこれ。
「わー、すごい!」私は思わず声を上げた。
マリエルも少年も、驚きっぱなしだった。
「トワさん、この方はトワさんの専属コックなのですか?」
マリエルが訊いた。
違うと答えようとする前に「そうです」とユリウスが先に答えると、「羨ましいです…」とマリエルは頬を染めて云った。
私たちはテラス席の周囲にいた生徒たちからも注目の的だった。
「デザートはババロアとシャーベットを用意していますが、どちらが良ろしいですか?」
「両方くれ」
「ゼル様は食いしん坊ですね。よろしいですよ」
ユリウスがにこやかに笑った。
ふと、視線を感じて振り向くと、窓の向こうの個室スペースから立ち上がってアリーがこちらを見ていた。
私と目が合うと、すぐに彼女は視線を逸らした。
なんか気になるなあ…。
「ふぅ、美味しかった。ごちそうさま。こんなに食べたら午後の授業で眠くなりそう」
「でしたらこれを」
ユリウスが差し出したのは可愛らしい包装紙に包まれたキャンディだった。
「眠気覚ましにデュマの実を練り込んだキャンディです。スッキリしますよ」
「ありがと。ユリウスってほんとに何でも作れるのね。マサラがスカウトしたいって言うわけだわ」
真面目な話、ユリウスの作ったスイーツを見て、マサラが店を出さないかと相談にきたのだ。
この飴なんか、たしかに商品化したら売れそうよね。
「ありがたいお話ですが、私はトワ様の騎士ですから。トワ様に喜んでいただくためにやっていることですので」と云って断っていた。本当にユリウスは真面目で誠実だ。
料理は美味しいし、優しいし、イケメンだし。
こんな人が彼氏だったらいいだろうな、なんて思いながら隣を見ると、魔王と目が合った。
魔王は「フン」と鼻を鳴らしていた。
どうも彼には私の思考が筒抜けみたいなんだよなあ…。




