治安維持機構
治安維持機構は、グリンブル王国内の魔族の管理を行う機関であり、王都グリンブルにその本部を置き、王国内の各都市に出先機関が置かれている。
魔族がスキルを不正に使用して密入国したり、喧嘩や暴力沙汰などの問題を起こした際には、治安部隊が急行して逮捕や保護を行うのが主な仕事である。王国内には通常の警察業務を行う人間の治安部隊もいるが、彼らが手に負えない場合は協力することもあるそうだ。
この国では、魔族も人間もほぼ差別なく暮らしている。
ただ、観光客や商人など外からくる者も多いので、いろいろと揉め事も起こるのだそうだ。
そんな時、頼りになるのが治安維持機構の治安部隊だ。治安部隊は選抜試験を勝ち抜いた優秀な魔族だけがなれるという、憧れの職業なのだ。
そんな機構も自分が作ったのだと魔王は自慢する。
2人で部屋にいる時、彼はこの国の建国に尽力したという話をしてくれた。
「300年程前、我がこの地を訪れた時は、グリンブルという名の小さな集落が1つあるだけだった。
我はその村でガモウという人間に出会った。ガモウという男は、沿海州諸国で召喚された異世界人だったが、腕力も弱く魔法も使えないということで追い出されたのだという」
魔王は私を見て「おまえと同じだな」と云った。
たしかにね。ものすごーく親近感を持ったわ。
その頃は、異世界召喚は世界各地で行われていて、沿海州では、海の魔物を討伐してくれる勇者を召喚していたのだという。
そのガモウという人は元の世界ではやり手の商人だったようで、近隣の町や村との交易をして、小さな集落を豊かにしていったという。
魔王はその人間に興味を持ち、手を貸すことにした。魔族の国の農産物や特産品をその男に売らせたのだ。それはすぐに評判となり、集落にも人が集まってやがてそれは国となった。
それがグリンブル王国の始まりだった。
「おまえにやった扇子の本物は、そのガモウが持っていたのだ。ガモウは我に感謝してそれをくれようとしたが、長い年月を生きる我はそれが朽ちていく様を見るのが忍びなくてな。少しの間借りて、見よう見真似でそれを製作したのだ」
ガモウって人は日本人だったのね。
その人も、この世界へ来てきっとつらい目にもあってきたんだろうな。
それでも自分のできることを探して、精いっぱい生きたんだ。しかも国を作って王様になっちゃうなんてすごいなあ。
なんでもそのガモウって人は、その後も各国で召喚されて放逐された異世界人を受け入れてきたという。水洗トイレや電話なんていうものは、そういった異世界人からもたらされた発明品なのだそうだ。
建国を手伝うため、魔王の命により有用なスキルを持つ多くの魔族がこの地に移り住んだ。これを知った魔族の国の者たちが多く押しかけようとしたため、魔王と国王は中央国境を作り、入国を制限した。
グリンブル国王が代替わりしても魔王は保護を約束し、国内の魔族を監視するために治安維持機構の前身となる保安機関を設置したのだった。
ネビュロスが国境とその機関を管理し始めたのは大戦の少し前だったという。
人魔大戦が勃発した際は、中央国境とグリンブル王国の中立性を守れという命令を魔王から受けていたので、ネビュロスは前線には出なかったそうだ。
だけど、こんな大きな建物を作っていたとは知らなかった、と魔王は苦笑した。
「なあ、聞いて良いか?」
「ん?」
「どうして我と同じ部屋を希望したのだ?」
「だって、1人じゃ広すぎてもったいなくない?」
「確かにそうだが…」
「ベッドだってたくさんあるしさ。それに…」
「何だ?」
「こんな広い部屋でゼルくん一人ぼっちって寂しいんじゃないかなって思って」
「おまえはまた、我を子供扱いしておるのだな」
「そうねえ…子供じゃなかったらさすがに一緒の部屋にしてとは言えないもんね」
魔王は鼻でフン、と息をひとつついた。
「まあ、子供の方が良いこともあるということか…」
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治安維持機構内のジュスターの部屋を、ノックする者がいた。
彼が部屋の扉を開けると、アスタリスが立っていた。
「どうした?」
「団長、全員を集めて話したいことがあります」
「わかった」
ジュスターは遠隔通話で騎士団全員に自分の部屋に集まるよう伝えた。
「団長、見えましたか」
ジュスターはアスタリスの肩に手を置いていた。
<視覚共有>で、彼の見ているものを一緒に見ていたのだ。
「ああ…確かに奴だ」
「アスタリス、私にもいいか?」ユリウスが声を掛ける。
「どうぞ」
ユリウスもアスタリスの腕に触れて、目を閉じて<視覚共有>で彼の見ているものを視た。
「奴に間違いありませんね」
目を開けてユリウスが云った。
「…まさか、生きていたとは」
「どうする?やっちゃう?」
ネーヴェは明るく物騒なことを云った。
「駄目だ。この建物の中で騒ぎを起こすのはマズい」
「僕が奴の動向を見ておきます」
アスタリスの言葉を受けて、ジュスターは頷いた。
「団長、…奴は死んだはずでは?」
ユリウスがジュスターに問いかけた。
「どうやら我々は騙されていたようだな」
「裏切り者ってわけだ」
ウルクが吐き捨てるように云った。
「その裏切り者が、ここで何をしているか、だな」
カナンもそれに同調する。
「あれは何という名だったかな、ユリウス」
「グリス、です。…私とは同郷で幼馴染みでした。私とは違い、農作業や物を作る仕事を嫌っていて魔王都に行って、魔騎士になるんだと村を出て行ったはずでした」
「村を出た後、人間に捕まって脅されたのか、あるいは取引を持ち掛けられたか」
ジュスターの問いに答えたのはアスタリスだった。
「後者でしょうね。動きがありましたよ」
グリスは、かつて人間の国に取り残されたジュスターたちの村にいた魔族だった。
ユリウスの云う通り、彼は村に不満を持っていて、魔王都へ行くと云って出て行った魔族の1人だ。
その後、彼は傷を負って村に戻ってきた。
グリスは一緒に村を出た仲間たちが研究施設というところに囚われていると云い、助けるなら今だと話した。
彼の云うことを信じて、ジュスターたちは軍を率いて囚われた同胞を救いに出かけたのだ。
ところがその隙に、村がアトルヘイム帝国の軍隊に襲われた。
村は人間の目から逃れるための結界で覆われていたはずだったのにもかかわらず。
それは、村に戻ってきたグリスが結界を解き、彼らを引き入れたからに違いなかった。
当初、グリスは人間に利用されたにすぎず、村人らと共に殺されたのだと思われていた。
だが、そのグリスはなぜか生きていて、アスタリスによってここで目撃されたのだ。
それはどういうことなのか。
「マサラと話をして金をもらっていました。どうやらこの街で商売をしているようです」
「俺たちを裏切っておいて、こんなところでのうのうと商売をしているわけか」
普段無口なクシテフォンですらも、かなり憤っているようだった。
「まずは奴と会って、話を聞くべきでしょう。なぜ裏切ったのか」
ユリウスはいつもの優し気な表情ではなく暗く沈んだ顔になっていた。
「わかった。ともかくグリスの動向を探ろう。この話、魔王様にもトワ様にも内密にな。この件は我々の問題だ」
ジュスターの言葉に一同は「はい」と返事をした。
「トワ様、優しいから心配しちゃうもんね」
ネーヴェが云うと、ジュスターが頷いた。
「そうだ。我々ごときのことでお心を悩ませるわけにはいかん」
「僕が監視していますから、皆は普段通りにしていてください」
「すまない、アスタリス。頼りにしている」
ジュスターがアスタリスの肩に手を置いてそう告げると、彼は嬉しそうに「任せてください!」と張り切った。
アスタリスは村を救えなかったことを未だに悔やんでいた。今度こそ、皆の役に立って見せると意気込んでいた。




