旅立ち
第三章開始です。
視察に行くという名目で、グリンブル王国へ赴く魔王の警備と受け入れを任されたネビュロスは、魔王の信用を取り戻そうと必死だった。
魔王は自分を満足させたなら、その見返りとして、肉体改造のリミットを3か月から5か月に伸ばしてやる、という条件の緩和を提示した。ネビュロスは即食いついて「最上級のおもてなしを用意します」と張り切った。
魔王や私たちの案内役として、ネビュロスは自分の部下を魔王都へ送り込んできた。
マサラ、という魔族で、ネビュロス陣営で最も切れるという触れ込みの人物だった。彼はグリンブル王国の治安維持機構の運営の傍ら、商人をしているという。
マサラはこれまで見た魔族の中で一番垢ぬけていた。
上質の男性用チャイナスーツのような服を着こなし、尖った耳には宝石のピアスをしている。
茶髪の前髪を長く、後ろを短く刈り込んでいる髪型は清潔感とおしゃれさを感じさせた。
少し吊り上がったオレンジ色の目からは、用心深さと頭の良さが伺えた。
ネビュロスはグリンブル王国と正式に取引をしている上得意であるため、入国に際しての雑多な手続きをパスできる王家発行のVIPカードを持っている。
交易品を輸送する部隊を指揮するマサラはこのVIPカードを持って仕事をしているのだった。
見るからにエリート商社マンってとこね。
魔王に謁見すると、マサラは平伏して目通りが叶ったことを喜んだ。
彼は大戦後に生まれた若い魔族のため、魔王に会うのは生まれて初めてになる。人間で云ったらまだ20歳にもならないらしい。この若さで頭角を現したのだから相当なものだ。
彼にとって魔王は伝説上の人物であり、対面できたこと自体に感動していた。今まで頑張ってきた甲斐があった、と打ち震えていた。
やっぱり魔族にとって魔王って特別な存在なんだと知った。
魔族と人間の大陸は東西に分かれているが、海と高い山に遮られ、地上を通るルートは3か所に限られる。
北の国境、中央国境、南の国境の3つだ。
その3か所には私たちがこの前破壊したような人間の砦が建設されている。
ちなみに海から船で行くルートもあるが、魔族の大陸付近の海には狂暴な魔物が現れるため、ほとんど使われていないそうだ。
グリンブル王国へは、その3つの国境のうち、許可証があれば自由に通行できる中央国境を通って行くことになる。
この中央国境を司っているのはグリンブル王国であり、王家が出した許可証と、魔族側の魔王もしくは各魔貴族が出した許可証がなければ通行できないことになっている。魔族側の国境管理は比較的領地の近いネビュロスが担当している。そういうこともあって彼は人間側と交易しやすい立場にいるのだ。
たまに、偽造許可証を持って通ろうとする者がいるのだが、許可証の真偽を見抜くスキルを持っている者が国境に配置されているため、偽造はほぼ不可能であった。
この国境にはグリンブル王国の雇った傭兵団が警備についている他、魔族側も守備隊を送り込んでいる。他の国境地帯では紛争が続いているのにもかかわらず、この国境だけは紛争とは無縁の中立地帯となっている。
この中立はグリンブル王と魔王が保証するもので、この地域で魔族が人間を襲うことはもちろん、その逆も禁止されている。
それは魔王不在のこの100年も続いていた。
グリンブル王国は、その建国創設に魔王が協力したことから、世界でも珍しい人間と魔族が共存する国となっている。
実はこの中央国境付近は、他の2つの国境とは違い、国境を越えてもしばらくカブラの花粉が届かない地域が広がっている。この地域にネビュロスは人間と魔族の新しい街を作ろうと計画中らしい。
マサラが魔王一行のために用立てたのはかなり上等な馬車で、馬車の客車部分が随分大きかった。
そして馬車を引いているのは8本脚の魔物スレイプニール。
スレイプニールは走る速度が異様に速いため、通常の客車だと吹き飛ばされてしまう。その速度に対応させるため、客車を重く頑丈で、大きくする必要があったのである。
その客車は鋼鉄製で、大きさは大型の観光バスほどもある。
魔王から話には聞いていたけど、スレイプニールを見るのは初めてだった。
タテガミから炎が上がっていて少し近づいただけでも熱気が伝わってくる。
御者台には<魔物使い>の上級スキルを持つ魔族が座っている。スレイプニールの馬車を扱うにはこうした専用のスキルが必要なので、このスキルを持つ者は就職先に困らないという。
熱くないのかと御者に尋ねたら、御者台を含む馬車全体に耐熱シールドが張られているので問題ないという。
大きな客車のおかげで、私と魔王の他、騎士団全員が乗ることができた。
馬車が走り始めると、その速さを身をもって感じることができた。
あまりの速さに客車の車輪が浮き上がり、まったく振動を感じなくなってまるで飛行機に乗っているみたいな感覚になる。たしかリニアモーターカーってこんな仕組みじゃなかったっけか。
初めての感覚に、車内は大騒ぎになった。
落ち着いていたのは乗り慣れている魔王とマサラだけだった。
そのマサラがグリンブル王国について、いろいろと話してくれた。
グリンブル王国は交通の要所であり、人も物資も大陸中から集まってくる。
そのため、多くの商人や移住希望者が城門前に長い行列を作っている。
人と魔族が共生しているグリンブルでは、問題を少なくするために、入国する毎に必ず身分証を作らされ、高額の保証金を支払うことになっている。
商店や施設を利用する際には、この身分証の提示を求められる。なにか揉め事などがあった場合は、その事情にもよるが、収めた保証金から賠償金が支払われることになる。足りない場合は国から借金を背負うことになるのだ。
王国を出る際に身分証を返却すると、手数料を引かれた上で保証金が戻ってくるので、皆なるべく問題を起こさないように努めるのだ。
なかなか上手いシステムだ。
だけど商売するにしても、お金を持っていなければこの国に入ることすらできない。
ただし、抜け道はある。
入国時、保証金が払えない者は、3日以内に働き場所を見つけることを条件に、国からお金を借りることができる。
そうして働きながらお金を返し、この国の住人になった者も多い。
住民になるには、借金を返済したうえ、この国で1年以上働いて税金を納めることが条件となっている。
商店や商業施設が多いこの国では、働き口はすぐに見つかる。
もちろん借金には利息がつくので、国もおいしい思いをするってわけ。
聞けば、この国の王様は代々商人だったらしい。
商人らしいアイデアだ。
「ともかく、お金がものを言う国だということは覚えておいてください」
とマサラは云った。
城門前の関所では、さすがにそのスピードを落としたので、大きな客車は普通のバスみたいな感じになった。
門に詰めていた警備の兵たちは、私たちの馬車を見ただけで敬礼をし、入国審査を待つ行列の脇を悠々と走り抜けていった。
城門でも同じ待遇で、長い行列の出来ている門を横目に、私たちの馬車は止まることなく別の門から入国した。
馬車にはVIPを示す看板が掲げられているが、スレイプニールの馬車を持つ者など魔族のVIPしかいないので、ほとんど顔パス状態なのである。
馬車がスピードをぐんと落としたので、窓のカーテンをあげて外を見ると、そこは多くの人々が行き交う活気に満ちた町の中だった。
「すごい人ね」
「ここはグリンブル王国の王都グリンブルです。約100万の人間と魔族が住んでいます。この国には他に、高級別荘地、ビジネス特区、農業地を含む生産都市があります」
マサラが説明してくれた。
魔王都とはまた違った街並みである。
多くの人々が行きかう通りを馬車は走り抜けていく。
城門から緩やかな坂が螺旋状に続いていて、その道沿いには商店がみっしりと並んでいる。
その螺旋の坂道のずっと奥の小高い丘の向こうに、うっすらとグリンブル城が見える。
住民以外にも、出稼ぎに来ている人や観光で訪れる者も多く、道は人でごった返している。
そのため、街の中では馬車は速度を落として走らねばならない決まりになっている。
この街の人たちにとっても、スレイプニールは珍しかったらしく、わざわざ立ち止まって見物する者たちもいた。
しばらく走ると、市街地から人通りの少ない街はずれにやってきた。
やがて前方にものすごく高い塀が見えてきた。塀というよりは城壁という感じだ。
馬車が塀に沿って走っていくと、大きな門が見えてきた。
馬車が近づくと、門が開いてそこを通り抜けていく。そのまま緑の林が広がる敷地内を走っていく。
奇麗に舗装された馬車道を走っていくと、やがて大きな建物が見えてきた。
それは高級ホテルのような壮麗な建物だった。確かに、ネビュロスが自慢するだけのことはある。
こっちがグリンブル城だと言われても納得できるほどの大きさと豪華さを兼ね備えていた。
それは城でもホテルでもなく、魔族の治安維持機構本部、という魔族専用の施設だった。
「すごいですね…人間の国にこんなの建てるなんて。さすが魔貴族です」
アスタリスが感嘆の声を上げた。
魔王城を見慣れてしまっているので、大きさには驚かないけれども、注目すべきはその華美な装飾だ。
壁や扉など1つ1つにキラキラした金箔が貼られていて、柱にはアールヌーボーっぽい彫刻が施されている。
馬車が止まり、マサラが扉を開けてくれたので、先に降車した魔王が、私に手を差し出してエスコートしてくれた。
足元には例によってレッドカーペットが敷かれている。
赤いじゅうたんを敷くのはこの世界でも共通なのね。
入口はまるで高級ホテルの車寄せみたいになっていて、大勢の人々が並んで出迎えてくれた。
彼らは治安維持機構の職員たちで、メイド姿の女性たちを含め、全員魔族だった。
マサラは私たちをVIP待遇で扱うようにとネビュロスから申し付けられていたようで、とにかく至れり尽くせりのサービスをしてくれた。
私と魔王には、それぞれに一流ホテルのスイートルームのような部屋が用意された。
護衛の騎士団員たちにもそれぞれに個室が与えられた。聞くところによると、治安維持機構本部に勤務する魔族たちは皆個室を与えられているのだそうだ。どんだけ広いんだこの建物。
私に与えられた部屋には、学校の教室が3つくらい入りそうな広いリビングルームと、ベッドルームが3つ、お風呂とトイレが3つ、トレーニングルームが1つ、食事のできる大きなテーブルが置かれたダイニングルームが1つついていた。
1人で使うにはあまりにも広すぎるので、私は魔王に一緒の部屋にしてもらってもいいか、と尋ねた。
魔王は最初、少し戸惑っていたけど、「おまえがいいのなら」と許可してくれた。
私は魔王からもらった指輪をつけていたので、人間だとはバレていなかったのだけど、マサラには自分が人間であることと、異世界人であることを話した。私の魔族を癒せる能力については、魔王がトップシークレットだ、と前置きした上で、「他の者に話したら命はないぞ」と釘を刺していた。
ついでに魔王の外見に関しても、転生したてでまだ力が発揮されていない、と説明してある。魔王の正体については混乱を避けるために、仮の身分を名乗ることにした。
それが『繁殖期外に誕生したネビュロス一族の御子息』というものだったため、魔王はなんとも苦い顔をしていた。稀に繁殖期の周期が異なる者がいるのだそうで、メギドラでは繁殖期以外でも子供の姿をたまに見かけることがあるという。
マサラは人間の私がなぜ魔王と知り合ったのかを聞きたがった。それで、前線基地でのことを話して聞かせると「それは運命ですね」とかなんとか云ってキラキラした目で私を見た。
「魔王様が人間の女性とエンゲージなさるなんてと不思議でしたが、聖魔の力を持つあなたとの運命の巡り合わせだったのですね」
「は?エンゲージって…」
「その通りだ。おまえもそのつもりでトワに接するようにな」
魔王は私の言葉を遮ってマサラに云い聞かせた。
マサラは「心得ております」と丁寧に礼を取った。
「ちょっと!何勝手なこと言ってんの!」
私が抗議の声を上げても、否定しても、マサラはニコニコして「照れなくても良いではありませんか」などと云って全く相手にしてくれない。
いや、照れてねーわ!
人の話を聞きなさいってば。
まったく、マサラ…コイツもなかなかのクセモノだわ。