聖魔騎士団
グリンブル王国へ行くことは決定したものの、その準備のためにある程度の日数が必要となった。
魔王は、今抱えている仕事にケリをつけてダンタリアンや大臣たちに引継ぎをしなければならなかったし、ホルスはグリンブル王国での魔王の迎えの準備をさせるためにネビュロスへの連絡をしなければいけなかったりと、皆多忙だった。
その中で私は1人ヒマしていた。
魔王都の城下町へ行こうと思ったけど、人間だとバレたら騒ぎになるというので、魔王から却下されたのだ。
魔族は一目見ただけで人間だとわかると云ってたけど、どうやら魔族と人間では纏っているマギの形が違うらしく、普段マギが見えない魔族でも、人間のそれは見えるのだそうだ。
魔王は、私に身分は与えたけど、その能力については魔王城のあの場にいた一定の身分以上の者にしか明かしていなかった。それを知る者たちは私のことを『聖魔』とか『聖魔の乙女』とか呼んだ。
それは私の癒しの能力を知って、利用しようと企む者たちから身の安全を守るためだったのだけど、そのおかげで城内をうろついていると、事情を知らない他の魔族からは、誰?って感じで見られることも多々あった。
そもそも、カブラの花粉を吸って平気な人間がいるという認識がないので、私が人間だと一目見てわかっても、見間違いではないかと皆、二度見していくのだ。
それでも、不思議となにか騒ぎが起こったり、誰かに嫌がらせされたりということはなかった。
もしかして、ここに人間がいたことがあったのかな?…って、そんなことあり得ないか。
部屋でカイザー相手に話をして暇をつぶしていたけど、やっぱり何かお仕事というか趣味が欲しい。
身の回りのことは全部誰かがやってくれるので、本当にすることがない。
上げ膳据え膳でご飯は美味しいし、大きなお風呂もあるしで、いうことないのだけど、魔族の国には本もないし、テレビもなければスマホもない。
彼らは自分の魔法紋ですべて賄えるから、そういうものは必要がないのだ。
趣味がゲームとか、ここでは絶望的だ。テーブルゲームとか、カードゲームなどはあるのだけど、騎士団員たちと遊ぶと、皆わざと負けて私を勝たせようとするのが見え見えで、接待ゲームになってしまってつまらない。
自分に生活スキルがないのが恨めしい。なにか打ち込めるものでもあればなあ…。
絵も歌も自慢できるほど上手くないし、裁縫も得意じゃないし、運動も好きじゃない…。
考えてみると、私って看護師って以外、何もできないんだな。
暇すぎて死ぬ…。
っと、こんなこと口に出そうものなら、またあの銀髪の天然が真に受けちゃうな。
することがないので、暇つぶしに魔王城の中を探検してみようと部屋を出た。
私が部屋を出るともれなく騎士団のメンバーが付いてくるのは、毎日交代で騎士団の誰かが私の護衛に立ってくれるからだ。
今日の部屋当番はアスタリスだった。
騎士団のメンバーはジュスターの命令で、毎日2人ずつ交代で休みを取っている。最低でも週2日程度のお休みは取れることになる。休憩も随時取っているようだし、うちの騎士団は働き方改革する必要はないみたい。ちなみに私の部屋当番になると、ランチと3時のお茶に呼ばれることが恒例になっているので、騎士団メンバーは当番が回ってくるのを楽しみにしているようだ。魔王も仕事をほっぽり出してその時間にはやって来る。
暇だ、というとアスタリスが、騎士団員のところへ行ってみますか?と声を掛けてくれたので、連れて行ってもらうことにした。
本城の1階まで下りてくると、楽器の音と歌声が聞こえた。
クシテフォンの声だ。
相変わらずいい声だなあクッシー。
声のする方に行ってみると、中庭の一角に置かれたベンチで、クシテフォンがサロード片手に弾き語りをしていた。自然と周囲に人が集まってきていた。
皆、うっとりと聴き惚れている。
「彼はああして非番の時は城のあちこちで歌っているんですよ。城内でも随分人気がありまして、彼を追っかけているファンも大勢いるんです」
アスタリスの説明にも納得だ。
その実力はストリートミュージシャンの域を超えてるもんね。
私もこっそり後ろの方でその歌声を聴いていた。
みんながクッシーの歌声を認めてくれているのがわかってなんだか嬉しい。
1曲終わる度にものすごい拍手が起こる。私は知らない曲ばかりだったけど、魔族の間では有名らしい曲が始まると、歓声が上がった。
集まっている人々を見ると、半数以上が女性魔族だった。
そういえば、魔王城に来てから、女性魔族をよく見かけるようになった。
魔王の云う通り、やっぱり都会は違うのだ。
魔王城に勤務する人々は、魔族の国の中でも超のつくエリートなんだそうで、魔族の憧れの就職先らしい。入城試験は相当な倍率らしく、魔王都の中には受験用の学校もあるそうだ。
城内に勤務する彼女らのファッションは洗練されていて、聞けば有名デザイナーが手掛ける洋服のブランドもたくさんあるみたい。
女性体になる理由には、そういうファッションの点において楽しいからだという声もある。
魔王都にはいわゆる銀座の高級ブランド街みたいな場所もあるんだって。
今日の非番はクシテフォンとネーヴェだけど、ネーヴェは街へ遊びに行っているのだとか。
魔王都に来てから、ネーヴェはよく買い物に行って洋服なんかを買っているみたい。ジュスターのスキルでもらう服もいいんだろうけど、ちょっと趣味が違うのかもしれない。
羨ましいなあ…!おしゃれなショップめぐりとか、超行ってみたいんだけど!
許可さえ出ればなあ…。
観客の邪魔をしないようにそっとその場を出ると、アスタリスが騎士団のメンバーがいる訓練場に案内してくれた。
訓練中呼び出すのも申し訳ないから、皆に連絡しなくていいからね、とアスタリスには伝えた。
訓練場は本城からは離れたところにある別棟の広場にあった。
結構な距離を歩くことになったので、途中でカイザーが「運んでやろうか」と声を掛けてきたけど、今日は頑張って歩くからと断った。
訓練場では多くの魔族たちが訓練をしていた。
その魔族たちの前には、なぜかカナンが立っていて、彼らを指導しているように見えた。
「僕らが最初にここへ来た時、この兵棟で最も強いとされている上級兵の部隊から目をつけられて、喧嘩を吹っ掛けられたんです。その時、カナンが1人でその場にいた全員を叩き伏せてしまったんですよ。それ以来、皆カナンを師匠って呼んで、ああして指導を仰ぐことになったんです」
面倒見のいいカナンらしい話だなと思った。
カナンと一緒に訓練所にいたテスカとシトリーが、私を見つけて駆け寄ってきて挨拶をしてくれた。
訓練の指示を出し終わったカナンも遅れて駆けつけてきた。
カナンは兵棟の構造と、訓練の内容について説明してくれた。
兵棟は下層に下級兵士が、上層には上級兵士が住んでいる。将官らはまた別の、将棟という建物に住んでいるという。
カナンたちは魔騎士という身分をもらっているけど、兵士としての階級は一般兵にあたる騎士団員なので、兵棟の訓練所を使っているのだ。
ま、新入りなんだし、何事にも順序ってものがあるわよね。
彼らに別れを告げて、次に向かったのは将棟にある上級将兵用のサロン。
ここは一般の兵士は立ち入れないところで、指揮官クラスの将兵だけが出入りできるところだ。
さすがに調度品も豪華で、サロン内にはお酒を飲めるバーもあった。
そこには食堂もあって、今日はユリウスが是非にと頼まれて、サロンの厨房に入ることになったのだという。
<S級調理士>を持つ者はこの魔王城の中でもウルクとユリウスしかいないため、あちこちから声がかかるのが実情だ。実は以前は魔王城にもS級調理士がいたそうだが、魔王の不在の間に魔公爵ザグレムに引き抜かれてしまったという。魔王城から引き抜くなんて、魔貴族ってすごいんだなあ。
もちろん魔王と私の食事を作ることが最優先されるのだけど、ジュスターが基本的にはウルクとユリウスを交代で魔王の厨房に入れることにしたので、どちらか片方は騎士団の仕事をすることになる。それをいち早く察知したサロンや食堂の責任者が、ジュスターに彼らを貸し出して欲しいと相談に来るのだった。
今日はウルクが本城の厨房にいるので、ユリウスは騎士団の仕事をするはずだった。
ユリウスは暇さえあれば新しいメニューを開発したい人なので、その申し出を断ることもあるみたい。それは試食を食べられる私にとって喜ばしいことなのだけど。
サロンに行くと、ジュスターが他の騎士団の人たちと話していた。
私の姿を見ると、すぐに駆けよってきて丁寧に挨拶をしたので、他の騎士や将官らもそれに習った。
ユリウスは厨房の中にいたけど、ジュスターに呼ばれて出てきた。
私、授業参観にきた親みたいで、なんだかとっても申し訳ない気持ちになった。
騎士団のメンバーの主なお仕事は、私や魔王の護衛の他、訓練と城内の見回りだ。月に数回、演習を兼ねて近隣の森へ魔物討伐に、他の騎士団と合同で出かけたりもする。あとはジュスターの裁量で訓練の内容を決めたりしているみたい。
みんな一生懸命働いている。
私は一人だけ働いていない罪悪感を抱えて部屋に戻ることになった。
部屋に戻ると、魔王が待っていた。
「おまえに贈り物がある」と魔王は云い、私の左手を取った。
魔王は私の中指に黒い石のついた指輪を嵌めた。
「うむ、ピッタリだな」
「え?何?この指輪どうしたの?」
「我の魔力が込められている指輪だ。これをつけていれば我の魔力に覆われて人間だとバレることはない。外へ出ても大丈夫だぞ」
「ホント!?」
おおー!なにそれ、すごいんだけど!
「ゼルくんてドラ〇もんみたい…!」
「ん?」
「ううん、ありがとう!」
私は魔王の体をぎゅっと抱きしめた。
私が外へ出たいと云った時から、こんなものを密かに作ってくれていたんだな。
んもー、オトコマエなんだから!
「こんなところに閉じ込められているのは、人間のお前には退屈だろう。我でもそう思うくらいだからな」
魔王は私の髪を撫でながら云った。
「ね、これから出かけてきてもいい?」
「ああ、気晴らししてくるといい。気に入ったものがあれば何でも買ってよいのだぞ」
「なんか、お金持ちのパパみたい」
「パパ?」
「なんでもな~い!行ってきまーす」
私はスキップしながら部屋を出て行った。
「急に元気になったな…。相当退屈だったと見える。ホルスの言う通り、指輪を贈るというのは効果絶大だったな」
魔王がパートナー持ちのホルスから、どうしたら相手が喜ぶのか、ドキドキさせられるのかを教わっていたことなど、私は知る由もないのだった。
ちなみに魔王都での買い物はすべて魔法紋を使用するキャッシュレス決済が採用されているらしく、現金を持つ必要がないそうだ。進んでるよねえ…。
アスタリスが会計課で手続きしてくれたので、私は護衛兼お財布係の彼を連れて、街へ出かけて行った。
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魔王城から出て行くトワの馬車を、近くの路上に止めた馬車の中から見送る人物がいた。
その人物は仕立てのよさそうな黒地に赤の刺繍の入ったボレロに白いレースの着いた襟シャツを身に着けた、怪しい美貌の男だった。
ゆるいウェーブのかかった漆黒の長髪に漆黒の瞳、印象的なのはその紅い唇だ。
彼の両脇と前の席にはいずれも美女ばかりが乗っている。
「ザグレム様、あの娘が『聖魔』に間違いありません」
馬車の窓から外を見てそう報告したのは彼の隣に座る青い巻毛の美女だった。
「…はて。人間の娘と聞いていたが、そうは見えなかったな」
「し、しかし、大臣からの報告では確かに人間だったと…。確認できず、も、申し訳ありません」
「フフ、お前が嘘を言っているなどと思っておらぬよ。そんなに怯えるのはおよし」
ザグレムは隣の美女の頬に指で触れた。
すると彼女は途端にメロメロになって、ザグレムの胸にしなだれかかった。
「おそらくは魔王が何かしたのだろうよ。だとしたらかなり親密な関係ということになるね…。うーん、それは厄介…。こっそり手に入れようと思ったんだけどねえ」
「ザグレム様、私たちが何とかしてご覧に入れます。そのようにお心を悩ます必要はございません」
美女たちが口をそろえて云う。
「おまえたちは実に頼もしいね」
「ですが、魔王はあの娘とエンゲージを考えているという噂もあるようです。そうなれば娘に近づくことすら困難かと…」
そう発言したのはザグレムの正面に座る赤毛のポニーテールの美女だった。
「噂?」
ザグレムは彼女をジロリ、と睨んだ。
「人間の娘とエンゲージなどできるものなのかね?」
ザグレムはポニーテールの美女に質問を返した。すると、彼女はハッとして急に怯えだした。自分がしくじったことを悟った。
「も、申し訳ございません、私にはわかりかねます…」
ザグレムは長く伸びた紅い爪で、その美女の頬を引っ掻いた。彼女の頬には猫にひっかかれたような3本筋の傷が出来、そこから血が滴った。
頬に三本傷。それは魔公爵ザグレムの寵愛を失った者の証であることを、同乗していた美女たちは知っている。
「ひぃっ!お慈悲を!ザグレム様…!」
「おまえはそんなにバカだったか?噂、などという不確かなものに踊らされてはいけないよ。おまけにそんな不確かなことを私に意見するとは、思い上がりも甚だしい。そんなバカは私の愛を受ける資格はないのだよ」
そう云って、ザグレムは他の美女たちに目で合図を送る。すると、彼女らは頷いて、頬に傷をつけられたポニーテールの美女を馬車から引きずり降ろし、道端に捨てた。
「お許しを!お許しを!」
許しを請うポニーテールの美女に一瞥もせず、ザグレムは「馬車を出せ」と無情に云った。
馬車は、頬から血を流す彼女を置き去りにして走り去った。
走る馬車の中で、ザグレムは美女たちに云った。
「おまえたちはあんな風にバカになってはいけないよ。私の愛を失いたくなければね」
そうして真っ赤な唇を歪めるように笑った。




