裏切りの対価
魔王ゼルニウスは、上階にある執務室へと入った。
後に続いて執務室へ入ったダンタリアンは、後ろ手に扉のカギを閉めた。
ダンタリアンは扉を背にして後ろで両手を組んだまま、部屋のソファに腰を下ろした魔王を見ていた。
「どうしたダンタリアン」
魔王は座ったまま彼を振り向いた。
ダンタリアンはなにかを呟いている。
「いでよ、<次元牢獄>!」
ダンタリアンが叫ぶと、魔王のいる場所が突如2メートル四方の牢獄と化した。
「やった!」ダンタリアンはガッツポーズをした。
「ダンタリアン、これは何だ?」
檻の中に閉じ込められている魔王は、ソファから立ち上がることもなく足を組んだまま、ダンタリアンを鉄格子越しに見ていた。
「魔王様、なぜ戻ってこられたのです。戻って来なければこんなことをせずに済んだものを」
「…おまえ、裏切ったのか?」
「この100年、あなたがいない間の魔王都は平和そのものでしたよ。この私が治めていたのですから」
「あれで治めていたというのか?主要道路の補修もせずに。あちこちガタガタだったぞ」
「…そ、そんなことは取るに足らんことだ!あとで補修部隊を派遣する!」
「直轄領地の管理もできておらんようだ。領主から苦情が来ておるぞ」
「あ、あとで確認するつもりだ!ええい!そんなことはいい!あなたは長い間、恐怖で私たちを支配した。だがそれももう終わりだ。あなたを殺せはしないがこうして永劫閉じ込めることはできる」
「我を閉じ込めて己が実権を握ろうとでもいうのか」
「私は今やこの国の王も同然。今更あなたに戻って来られても困るのですよ」
すると魔王は笑った。
ダンタリアンは「何がおかしい!?」と憤った。
「身の程知らずも甚だしいぞ。おまえごときが王だと?笑わせるな」
「何とでもいうがいい。もはやあなたには何もできはしない」
「本当に、おまえは愚かだな。哀れですらある」
魔王は檻の中でじっと腕を組んでダンタリアンを見ている。
「虚勢を張ったところでこの<次元牢獄>からは抜け出すことはできん。これはかつてあなたを倒した勇者の技なのだからな」
「ほう?初耳だな」
「その檻の中は異次元。どんな攻撃も異次元空間に吸い込まれてしまう」
「フン、誰が言ったか知らんが、勇者のスキルをなぜおまえが使える?」
「100年前の勇者の力を、私は手に入れたのだ」
「…おまえ、大丈夫か?頭でも打ったか?」
「人間と取引してこれを手に入れたのだ」
ダンタリアンの手には水晶玉のような宝玉が握られていた。
「ほう、それにスキルが封じられているのか」
「…さすが魔王様。ご存知でしたか」
「貴様、誰かに入れ知恵されたな?」
「これは私の意思だ」
「いいや、おまえは気付いていないだけだ。バカめが。だれぞの口車にでも乗ったか。そんなものまで買わされおって」
「人間の国は金さえ積めばなんでも売ってくれる。勇者も、情報も」
魔王はしばらく考えていて、口を開いた。
「なるほど。その人間の国との連絡役はネビュロスか。奴ならまがい物を掴まされかねんな」
ダンタリアンは目を見開いた。
「…どうして…」
「図星か。おまえの浅い考えなどお見通しだ。我は魔王だぞ」
「その魔王もそのような無様な姿ではないか。封印されて、もはやろくに魔力も残ってはいないだろう」
ダンタリアンは手を前に突き出した。
その手には宝玉が握られている。
「その檻に入ったまま、この城の地下で永遠の眠りについてもらおう」
ダンタリアンはその手を下へと動かした。
すると、魔王の入った檻は、執務室の床をゆっくりとすり抜けて消えていった。
「ふふふ…ハハハ!やった、やったぞ!魔王を捕らえた!」
ダンタリアンは誰もいなくなった執務室で大声で笑った。
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その頃、私たちは武装した魔族の襲撃を受けていた。
「皆殺しにせよとの命令だ。殺れ」
襲撃者のリーダーらしき者が部屋に入るなりそう云った。
部屋の中だからか、武装魔族たちは長い得物ではなく、剣を持って襲い掛かってきた。
この部屋ではスキルも魔法も使えないらしく、単に腕っぷしの強さがものをいう戦いになった。
こちらは丸腰だし、おそらく敵は舐めてかかってくるだろう。そこに隙が生まれた。
ネーヴェたち魔法組は後ろに下がって、カナンやシトリーたち武闘派の団員たちが前に出てそれを庇う。
彼らは役割分担がはっきりしているようだ。
武装魔族たちは狭い扉から1人ずつ攻め込むという、なんとも効率の悪い戦い方をしているため、大人数の優位を生かせなかった。
カナンは最初に扉から入ってきた数人を体術であざやかに倒すと、その手から剣を奪って、隣の部屋へと殴り込みに行き、そこにいた魔族たちを次々と剣でねじ伏せて行った。
カナンと共に隣の部屋へ乗り込んで空手のような体術を披露していたのはアスタリスだった。
魔法や攻撃スキルで劣る彼が、日々腕を磨いているその努力を皆は知っている。そしてそれは決して彼を裏切らないということを、今、彼自身が証明している。
ユリウスとクシテフォンは、隣の部屋から入ってくる兵士を待ち伏せして倒している。
ロアは、その2人を援護して扉から出てくる兵士を蹴り飛ばしている。
みんな、強い!
そもそも最初にカナンが剣を握った時点で勝敗は決していたのかもしれない。
あっという間に襲撃してきた全員を倒してしまった。
「一体どういうことなの?」
ジュスターに抱きかかえられたまま、私は呟いた。
「どうやら我々は罠にかけられたようです」
皆が敵を倒している間、シトリーは閉ざされている扉に体当たりしていた。
<超硬化>スキルが封じられているため、彼は生身で何度も扉に突進し、ついに部屋の扉をぶち破った。
外へ出たシトリーは、隣の部屋から普通に扉を開けて出てきたカナンと目が合って、苦笑いをしている。シトリーのこういうちょっとおまぬけなとこ、好きだわ。
全員が部屋から通路に出ると、スキルが使えるようになったアスタリスが、通路の向こうから敵が大勢やってくると報告した。
「魔王様が心配です」
ロアが云う。
それには同感だ。私たちですらこんな襲撃を受けたんだもの。
サレオスの言葉が私の脳裏に蘇ってきて、不安になる。
通路の奥から、槍を手にしたホルスがゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「ホルス殿…」
ジュスターが息をのんだ。
「案外やるようだな。一個小隊を素手で全滅させるとは」
「どういうことか、説明してもらえませんか」
ジュスターは怒気を含んだ声で云った。
「裏切ったのよ。そうでしょ?」
私の言葉に、ホルスは目を細めた。
「フッ。その通り。今頃魔王様は<次元牢獄>に囚われている頃だ」
「何だと…!?」
ロアはホルスを睨みつけた。
「魔王を捕らえてこの国の支配者にでもなるつもり?」
「なかなか鋭いではないか、人間」
「くっ…おまえたちは魔王守護将だろう!守るべき主を裏切るなど、武人として恥ずべきことだ!」
ジュスターの怒りは爆発寸前だった。
「魔王様のいない100年を過ごして、これまでどれだけ自分たちが恐怖に支配されてきたのかを知った。直接仕えた者ならばわかるはずだ」
どうやらサレオスが忠告した通りになってしまったようだ。
「主に不服があるのに、おまえたちは何もしなかったのか?それではおまえたちも同罪ではないか。主が道を踏み外したなら正しい道に進むよう手助けをするのが臣下の役目だろう!」
ジュスターはきっぱりと云った。
ホルスとジュスターの価値観の違いは明らかだ。
「…おまえにはわからぬ。私やダンタリアンに賛同する者も大勢いるのだ。我々がこの国を変えるのだ。事実、この100年は我らが国を平安に治めてきた。もはや魔王様は必要ない」
「何が平安よ。直轄領が襲われてたのに、放置してたじゃない?」
私が云うと、ホルスはほんの少し表情を変えた。
私はそれを見逃さなかった。
「…もしかして、知ってて放置してた?」
「何のことだ」
「このロアはナラチフの領主よ。助けを求めるためにわざわざここまで来たのよ」
「…ナラチフ…か」
ホルスは否定しなかった。
ロアはホルスを睨みつけた。
「ホルス様、どうなんですか?もし、そうなら、私はあなた方を許しません」
「だとしても、おまえたちにはもうどうすることもできまい」
「それがこの国の守護将の言うことですか!多くの領民が死んだのだぞ!」
「もう済んだことだ。そして魔王はもういない。おまえたちがどう騒ごうと、その事実は変わらぬ」
ホルスは槍を構えた。
「おまえたちにはここで死んでもらう」
ホルスの背後から大勢の兵たちが駆け付けるのが見えた。
これはヤバイかもしれない。多勢に無勢って言葉はこんなときに使うのよね、きっと。
「皆、逃げるわよ!」
「私が時間を稼ぎます。その間にお逃げください」
皆は、通路を駆け出したが、ジュスターだけはホルスの前から動こうとしなかった。
「ここは俺に任せて先に行けって?そんなの駄目よ!一緒に来なさい!」
私はジュスターの腕を取ってホルスと逆の方向へ駆け出した。
「カイザー、出て!時間を稼いで!」
『承知した!』
私たちと入れ替わりにカイザーが、ホルスの見知った人物となって現れた。
さすがにこの通路では元のドラゴンに戻るのは狭すぎたみたい。
「あ…あなたはサレオス殿!?なぜここに…!」
カイザーの擬態能力を知らないホルスは、サレオスの出現に混乱した。
敬語を使っているところを見ると、サレオスの方が先輩なのかしら。
『おまえたちは早く行け』
「カイザー!やばくなったら戻ってよ!」
『ここからは一人たりとも通さぬ』
突然出現したサレオスに、ホルスをはじめ、兵士たちは攻撃を躊躇しているように見えた。
やっぱ護衛将ってのは存在感があるんだわ。
カイザーは廊下を埋め尽くすほどの兵士たちに向かって火炎弾を放って煙幕を張った。
兵士たちはゲホゲホと咳き込んでいる。
その隙に、私たちは通路を奥へ奥へと走ってゆく。
「トワ様、なぜ私を連れて逃げたのですか」
ジュスターは私に腕を引かれながら問いかけた。
「置いていけるわけないでしょ?あんたが強いのは知ってるけど、どうせなら私が見てるとこで活躍してよね!」
「わかりました。必ず良い所をお見せします」
彼はそう云うと、追い抜きざまに私を抱きあげてそのまま走り、前方を走るシトリーたちにすぐに追いついた。
魔族の足って本当に速い。
だけど、走っているその通路は、両脇に多くの扉がある迷いの通路だった。
果ての見えない通路をどこまで逃げればいいのかわからないまま、私たちはひたすら走った。