わかっていない人たち
お風呂好きの私のために、魔王は騎士団員たちに、村の空きテントの中に香木で大きなお風呂を作らせた。
アスタリスが水の魔法でお風呂に水を満たしてくれて、魔王がそれをお湯にしてくれた。
どういう仕組みなのか、そのお湯の温度はずっと適温のまま保温されている。
湯舟の大きさは魔族の男性10人程が余裕で入れるくらいの大きさだった。
テントの中に衝立を立てて、脱衣場も作ってもらった。
テントの入り口には見張り役としてアスタリスに立ってもらっている。
1人で入るには広すぎるので、せっかくだからロアを誘って一緒に入ることにした。
「ふう~、天国だわ~!今日はいろいろあったわね」
「トワ様は死者を蘇らせたりもしましたし、さぞお疲れになったでしょう」
ロアは色っぽい上、すっごくスタイルが良い。
そんなロアの前で自分の体をさらすのは恥ずかしかったけど、これでもし、元の世界にいた頃のままの体だったら、完全に公開処刑だったな。
湯船に浸かって寛いでいると、脱衣場からカイザーの声がした。脱衣場で服を脱いだ時、ネックレスも一緒に置いてきたのだ。
『そんなに気持ちが良いのか?』
「うん、あんたも人型になって入れば?あ、女性限定だからね」
すると、カイザーはなんと私そっくりに変身して現れたので、私は驚いた。
「ちょっと!なんで私なのよ!」
『裸を見たことがあるのはおまえだけなのだ。仕方がないだろう』
「ちょ…エロいこと言わないでよ!」
そうなのだ。カイザーの擬態能力は『見たものに擬態する』ため、お風呂に入ろうと思ったら、裸の状態に擬態しなければならないのだった。
ロアはそれを見て驚いていた。
「カイザー様、すごいですね…!どちらが本物か、区別がつきません」
私に化けたカイザーも湯舟に入ってきた。
『うお!熱いではないか!なんだこれは!煮られてしまうぞ!』
「そのうち慣れるわよ」
私は客観的に自分を見ることになった。
「ふーん、私ってこんな感じなのね…」
『ロアと比べるとかなりあちこちが貧弱だな』
「うっさい!比べんな!」
「トワ様は美しいですよ」
うう、ロアにフォローされても素直に喜べない自分がいる。
そんな私のことなどお構いなしに、カイザーは熱さに慣れてきたようで湯舟をスーイと泳ぎだした。
「こら!泳いじゃダメ!」
『なぜだ?気持ちよいぞ』
「湯舟は泳いじゃいけないって決まりなの!」
そんな私とカイザーのやり取りを、ロアは笑ってみていた。
「トワ様、私が作った石鹸を持って来ていますが、お使いになりますか?」
「え!ロアの手作り?」
「はい。私は植物を使った上級製品制作スキルを持っていますので、いくつか持ってきているんです。よろしければ体や髪に塗るオイルや化粧水などもお作りしましょうか」
「すっごい助かる!ぜひお願いします!」
湯舟の外に出て体を洗うのにロアの作ったという石鹸をありがたく使わせてもらうことにした。
固形の石鹸と液体状になった石鹸があって、液体状のものはシャンプーとして使った。
ハーブが入っているみたいですごくいい香り。洗いあがりもしっとりしてて、リンスインシャンプーみたい。
後で石鹸を1つ貰って、下着とか洗濯しよう。
体と髪を洗って、再び湯舟でのんびりくつろぐ。
「そういえば、ロアは下着とかどうしてるの?」
「街に出た時に買っています。村では作れないので」
「やっぱり買わないとダメよねえ…。私替えを持ってないからお風呂の度に洗って乾かしてるのよ」
「それではすぐに傷んでしまいますね」
「そうなのよ。結構切実な悩みなんだけど相談できる人がいなくて…」
『ジュスターに作ってもらえばよかろうに』
「嫌よ!ジュスターの前で裸になるなんて、そんな恥ずかしいことできないわよ!」
『別に減るもんでもあるまいに…』
「カイザー様は女心がわからないのですね」
『女心…?』
良い機会なので、私はロアに魔族の繁殖期について聞いてみた。やっぱり経験者に聞くのが一番だ。
「繁殖期に入ると、すべての魔族の優先順位が繁殖行動に切り替わります。
戦争をしていたとしても、繁殖期のために切り上げたりするんですよ」
それは生物としての本能なんだろうな。
ロアが言うには、大戦後の最初の繁殖期は、大戦で多くの魔族が亡くなったので、とにかく子供を産んで増やせということで、大変だったらしい。
領地によっては、最低でも3人以上は産むように、と義務が課せられたところもあったという。
元の世界だったら大問題になりそうだ。
どっかの政治家がそんなこと云って猛バッシングされたことがあったっけなあ。
「ロアはこの前の繁殖期はどうしてたの?」
「私はパートナーを失っていましたので、領主としての仕事を優先させていました。繁殖期だからといっても必ずしも子供をもうける者ばかりではありませんので」
「誰かに言い寄られたりはしなかったの?」
「まあ…なかったといえば嘘になりますが、私には<エンゲージ>相手がいますので、手を出す者はおりませんでした」
「パートナーを巡って争ったりはしないの?三角関係になったりとか」
「そうですね…。そういう時は、普通は話し合いで決着しますが、それでもダメな時は決闘によって決めることもありますよ」
「うわあ…!やっぱ修羅場ってあるんじゃん」
イケメン2人に取り合いされるなんて。私のために、争わないで~って感じ?う、羨ましい…。
「ねえ、ロアのパートナーってどんな人?」
「あまり真面目とは言えないですが、いつも私を笑わせてくれる優しい人でした」
「領主だったんでしょ?」
「ええ。元々この地を治める一族の出だったので、なりゆきで領主になったと言っていました。私は外から来た移民だったので最初はなかなか街の人と打ち解けられずにいたのですが、彼と出会ってからは変わりました」
ロアの表情は、なんだか嬉しそうだった。
「大戦前の繁殖期で初めてパートナーになって、次の繁殖期には子供を作ろうと約束していたんですが、大戦が起こって、彼は一族の者に誘われて従軍することになったのです。それで、彼は離れていても寂しくないように<エンゲージ>しようと云い出したのです」
「へえ~、<エンゲージ>ってどんな感じなの?寂しくないってどういうこと?」
ロアはクスクス笑って、「トワ様も<エンゲージ>すればわかりますよ」と云った。
人間である私ができるかどうかははなはだ疑問だけど、今の話を聞いたら俄然興味が出てきた。
「ねえ、既に別の人と<エンゲージ>してる相手に申し込むことってできる?」
「普通はしませんね。するなら3人で話し合うことになります。エンゲージの破棄もパートナーと必ず話し合って決める、これがルールです」
「いいな、それ。人間にはそんな決まりないから、みんな自分勝手に浮気したり別れたり、相手を変えていくのよ」
『相手が死んでいたら、どうするのだ?』
私の顔をしたカイザーが、とんでもないことを聞いた。
私だってそこは聞いちゃいけないと思ってたのに。
ロアのパートナーは大戦に参加したまま100年の間戻ってきてないんだ。死んでるかもしれないって普通思うわよ。空気読めよ~!
「<エンゲージ>した相手がもし死んでしまったら、残された方は自分の意思で破棄することができるはずです。…私は怖くてできませんが」
ほらー!
見なさいよ、ロアの悲しそうな顔!
私はカイザーのほっぺを両手でぷにっと持って「無神経なこと聞かないの!」と叱った。
自分のほっぺを掴むってなんか変な感じだ。
カイザーはほっぺをつねられたまま謝った。
『しゅまぬ…』
その様子を見て、ロアは「気にしてませんよ」とクスクス笑った。
村の会合があると云ってロアが先にお風呂を出た。
その後、カイザーがなかなか出ようとしないので、私も先にあがることにした。
「その姿のまま外に出ないでよ」と注意して、服を着て先に出た。
『むぅ…女心か…』
カイザーは何かを思いついて、見張りのアスタリスに声を掛けた。
私と魔王は村長の家に泊めてもらうことになった。
「あー、パジャマがあればなあ」
「パジャマ?」
「寝る時の服装のことよ」
「ほほう。寝るためにわざわざ着替えるのか?」
「そうよ。何も着ないで寝る人もいるけど、私はちゃんと着たい派なのよ」
「ふむ」
着替えは持ってないから、ベッドで寝る時はいつも下着だけで寝ているのだけど、人んちのベッドで寝る時はなんとなく忍びない。
「ジュスターに作らせればよいではないか」
「あんたはいいわよね…」
ちょうどそこへジュスターがやってきた。
彼はなぜか、変な顔をして私を見た。
「ん?なに?」
「いえ」
「ちょうどよかった。我に寝着を与えよ」
「わかりました」
ジュスターは魔王に即座に前開きの薄手のガウンのような服を装着させた。
「おお、良いな!トワも作って欲しいそうだぞ」
「だから、私は無理だって…」
「それなら先ほどお作りしたはずですが」
「え?」
「先ほど風呂場で私を呼ばれたではありませんか」
「へ?ちょ、ちょっと待って!どういうこと?」
「その際、服を作って差し上げたはずですが」
「え?服を…?」
「それが脱衣場に置かれていたままでしたので、こうして持ってきたのですが」
ジュスターの手には薄いピンク色のゆったりしたスリーブレスのドレスと、どう見ても下着っぽい服が乗せられている。
「さっき、お風呂で…?」私はハッ、と気が付いた。
「カイザ~~~~~!!」
『呼んだか?』とピョコっとミニドラゴンの姿で石から出てきたカイザーの尻尾を、むんずと掴んで逆さ吊りにした。
『わわっ!何をする!頭に血が上るではないか!』
「あんたの仕業ね!」
『おまえのためにやったことだ。着替えが欲しいと言っていたではないか』
私に逆さ吊りにされたままのカイザーは、じたばたしながら必死で言い訳した。
「言ったけど!まさかあんた…ジュスターの前で裸になったわけ?」
『風呂から出て、そのままジュスターを呼び出した』
「なっ…!!」
私は怒りのあまり声を失った。
「おまえたち、何を言い争っているのだ」
魔王は暢気に訊いた。
「カイザーが私に化けてジュスターに裸を見せたのよ!信じらんない!」
「…そうだったのですか。あまりにそっくりだったので気付きませんでした」
ジュスターは感心したように云ったけど、いや、気付くでしょ!風呂場に呼びつけられた時点で絶対おかしいって思うでしょ!
『私の擬態は、魔力を見ることができる者でもなければ、まずバレないからな』
逆さ吊りのままカイザーは得意げに云った。
このヤロー、ぶん投げてやろうか。
「それの何が問題なのだ?カイザーの擬態が見られただけのことではないか」
「いや、あるでしょ!ありまくりでしょ!」
魔王はどうして私が怒っているのかわかっていなかった。
「私は気にしませんが」
ジュスター、あんたもか。
「こっちが気にするの!」
「我の前では平気で裸になったくせに…」
「ちょっ…!それ、今関係ないでしょ?それに…ゼルくんは子供なんだし」
「だから子供ではないと言っておろうが」
「もう、ややこしくなるから黙ってて!」
私に叱られた魔王は口を尖がらせたまま黙ってしまった。
『裸にならねば服が作れないと嘆いていたではないか。だから私が代わりになってやったのだ』
「それは良い考えですが、カイザー様に作った服はトワ様には着られませんよ」
『なんと!そうなのか?』
ちょっと、それ今更持ち出す設定!?そうなのか、じゃないわ!
そんなんできるんならとっくにやってるっての!
「私が作る服は、装着する本人のマギを使用するので、本人にしか着られないのです」
『そうだったのか…』
「私だけが恥ずかしい思いをした結果になったわね…」
「そうでもありませんよ」
「え?」
ジュスターが意外なことを云った。
「カイザー様がトワ様の体型そのままを見せてくださったので、記憶はできています。あとはトワ様が服を脱いでくれさえすればお作りすることはできます」
「だからそこが問題なんだってば」
「いえ、たとえば布で体を隠していても、服を着ていない状態なら構わないということです」
ジュスターがカイザーの擬態で私の裸を記憶しているとか、いろいろツッコミたいことはあったけど、ともかく私は彼を連れて風呂場に戻った。
タオルで体を隠した状態でも、ジュスターは服を作ってくれた。
もちろん下着も。これはかなり恥ずかしかったのだけど、もう背に腹は代えられない。
そして、一度ジュスターが作った服を着ていれば、今後は脱がなくても別の服を作ってもらって着替えることができるのだそうだ。
つまり、服が上書きされるってことね。その場合、着ていた服は消滅するので、気に入った服なら脱いで取っておく必要がある。もし太ったり痩せたりしても、自分自身のマギで補って補正できるので問題ないそうだ。
ジュスターによれば、団員たちは着る物には無頓着で、ジュスターの気分で服を上書きしているのだそうだ。
ネーヴェだけはこだわりがあるようで、ジュスターに要望を伝えてくるという。さすが騎士団のおしゃれ番長。
私は村にいる間に、皮紙に炭で作ったチョークでデザイン画を描いてジュスターに渡しておいた。下着について渡すのはかなり抵抗があったけど、ジュスターの鉄面皮を見て、もういいやという気持ちになった。
だけどこれで旅の着替え問題はおおむね解決した。