余談:波乱の繁殖期
聖魔府は私の住居のある中央宮、聖魔騎士団や聖魔軍の宿舎のある左宮、治療院や学校のある右宮と、皆が集まってちょっとした会を催したりサロンを開いたりできる離宮の4つの宮からなる。
それぞれの宮を結ぶのは広大な庭園と緑の回廊で、散策コースになっている。
左宮の中にはユリウスが世話をしている畑や花壇があって、私は毎朝、ミニドラゴンのカイザーを連れて、散歩がてらそこへ行くのが日課になっている。
今朝、そこへ行くとユリウスの代わりに、水差しを手にした語学講師のベルベットがいた。
「トワ様、カイザー様、おはようございます」
「おはよー…って、あれ、ベル?どうしたの?」
「実はユリウス様に畑の水やりを頼まれまして」
「ユリウス、まだ帰ってないの?」
「はい。昨日からグリンブルへお出かけになっていて、まだお帰りになっていません。もし帰らなかったら代わりに水をやっておいて欲しいと頼まれていたんです」
「何かあったのかな…?」
「例の通達の件で、どなたかのところへ寄ってらっしゃるとか…?」
「ああ、繁殖期のこと?」
『グリンブルに意中の相手でもいるのではないか?』
「ユリウスが?まっさか~」
一月ほど前、ゴラクドールの魔王府に魔王都から知らせが届いた。
魔族の繁殖期が到来したというのだ。
魔王都では個人差のある繁殖期調査のために、無作為に選出したパートナーのいる100人を観察対象に置いて、その半数以上に兆候が表れたら、宣言をするということになっている。
この知らせが魔王府から発表されると同時に、魔王はゴラクドールの大型ポータル・マシンを繁殖を望む者たちに開放し、魔王都へ戻ることを許可した。
人間の国にいると、なぜか繁殖期が訪れないのだそうで、子供を作りたい、パートナーを探したい、あるいは性別を変えたい者は魔族の国に戻る必要があるのだ。
繁殖期の期間は学校も休校になるので、聖魔府官舎に住むベルベットことベルは繁殖期で留守にする聖魔軍の人たちの雑用を引き受けることにしたという。
ベルは語学講師として聖魔府に赴任して来てすぐ、帰還していたセレスと付き合い始めた。
それを知った指揮官のジュスターは、セレスに聖魔府付き勤務を命じた。
聖魔軍諜報部隊は、要するにスパイ活動を行う組織なわけで、常にその任務のために世界各国どこかに送り込まれている。交代で定期的にゴラクドールに戻ることもあるけど、基本行きっぱなしのことが多いのだ。聖魔府付きとなれば、その任務はゴラクドール都市周辺に限定される。
それは人間であるベルの寿命が尽きるまでは、2人を離れ離れにさせないでやろうというジュスターの配慮だった。
ところが、それから間もなくして2人はエンゲージしたのだ。
人間と魔族がエンゲージできたことを、奇跡だと誰もが驚いた。
魔王とエンゲージした私の場合は別格扱いになっているそうで、誰も驚かなかったのだけど。
聖魔府にはベルの他にも多くの人間が働いていて、男女問わず魔族と恋仲になる者も少なくない。
彼らの成功は、そうした者たちの光になったのだ。
これには魔王も驚いて、2人が種族を越えて奇跡的にエンゲージできたのは、ベルが魔王の加護を受けた土地で育ったからだと分析していた。そして今後、魔王の加護を受けるこのゴラクドールで育った人間とならば、種族を越えてのエンゲージが一般的に可能になるのではないかとの展望を語った。
ちなみにベルとセレスがエンゲージできたとわかったのは、ベルの獲得した<運命共有体>という受動的スキルのせいだ。
聞きなれない<運命共有体>というスキルは、セレスによれば、2人で命を共有するということだそうだ。つまり、セレスの寿命の半分をベルに与えることにより、ベルはセレスと同じ刻を生きることができるようになったのだ。
セレスは自分の寿命を削ってでも彼女と生きることを選んだのだ。
それを証明するように、彼女が語学講師として聖魔府へやって来てから数十年が経つけれど、ベルの容姿は私と同じで、ここへ来た時とまったく変わらなかった。
今では聖魔軍や聖魔騎士団の連中ともすっかり仲良くなって、皆にベル先生と呼ばれ慕われている。
「あの、トワ様」
ベルの呼びかけに、思いに耽っていた私は、ふと我に返った。
「あ、ごめん。何?」
「不躾なことを伺ってもよろしいでしょうか」
「うん?」
「あの、その…トワ様も人間だとおっしゃいましたよね?」
「そうよ」
まあ、正確にはどうかわからないけど。
ベルと違って、私のこの体は、魔王とエンゲージしたから不老不死になったわけじゃない。神様が創った器らしいから、人間のように見えるけど本当は人間じゃないのかもしれない。
でもそんなこといちいち説明すんのも面倒だから、人間で通しているわけだけど。
「その、トワ様は子供が欲しいと思ったことはありませんか?」
彼女は恐る恐る、語り掛けてきた。
「歳も取らず若いまま、ずっと好きな人と一緒にいられて、それ以上何を望むんだって言われそうで…こんなこと、誰にも言えなくて…」
私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかる。
老いていく周囲の人間たちからは、姿の変わらぬことを羨ましいと云われる。
彼らには取り残される虚しさも、子供を持てない寂しさもわからない。
「いいのよ。当然のことだわ」
「トワ様も?」
「うん。それこそ、エンゲージしてからずっと悩んでた時期もあったわ。友人に子供ができたりするたびに、お祝いする気持ちと同時に、羨ましいような悲しい気持ちになったりもしたわよ」
「トワ様もそうなんですか!?」
「ええ。そのたびにどよーんて落ち込んだりしたもの」
「わ、私も同じです。私、なんて心が狭いんだろうっていつも自己嫌悪で…」
「セレスには話したの?」
「いいえ!困らせてしまうだけですし…。私のわがままなんだってわかってるんです」
ベルは表情を曇らせた。
ここへ来たばかりの時と比べると、ベルは格段に綺麗になったと思う。
セレスに大事にされている証拠だ。
「セレスと話し合ってみたら?これは2人で乗り越えなきゃいけないことでしょ?でないと繁殖期が来るたびに辛い思いをすることになるわよ?」
「…トワ様も、魔王様にお話しされたんですか?」
「うん。そりゃね。たくさん、たくさん話をしたわ」
「どうやって、解決なさったんですか?」
「うちの場合はね、種族の問題ってわけじゃないのよ」
『知らぬのか?魔王は唯一無二の存在だから、子供を作る必要がないのだ。それがこの世界の理なのだ』
私の肩に止まっていたカイザーが話に割り込んできた。
「ちょっと、カイザー…」
『なんだ、わかりやすく説明してやったぞ?』
「私が話してんのに勝手に割り込まないの」
『すまぬ』
カイザーは申し訳なさそうに頭を下げて、静かになった。
「まあ、今言った通りだから、たとえ同じ種族同士だったとしても無理なわけよ」
「そ、そうなんですか…。なんかすみません、私なんかとはレベルの違う悩みなんですね…」
「ううん、いいのよ。私も通ってきた道だから、気持ちはわかるわ」
ベルは私に頭を下げながら、深く溜息をついた。
「…そんなことわかってて彼と一緒に生きるって決めたはずなのに、私、ダメですね…」
「魔族に繁殖期が来るって聞いて、それまで抑えていた思いが溢れてきちゃったんじゃない?」
「…そうかもしれません。皆が繁殖期で里帰りだのなんだのと騒いでいるのに、私たちは蚊帳の外だって思うと寂しい気がして。彼も里帰りできなくて辛い思いをしているんじゃないかって心配で」
「考えすぎよ。第一あなたを魔族の国へ連れて行くことはできないんだから、里帰りしたいなんて思うはずないわ」
「そうでしょうか…」
不安そうな彼女に私は尋ねた。
「セレスは優しい?」
「はい!とっても」
即答するベルに、私は思わず笑ってしまった。
「あ。…すいません、つい」
「アハッ、じゃあ答えは出てるじゃない?優しい彼があなたを残して里帰りしたいなんて思わないってこと」
「あ…」
ふと、ベルの左手の薬指が目に入った。
「それエンゲージリングでしょ?」
「あ、はい」
「綺麗な細工ね。オーダーメイド?」
彼女の左手薬指には幅5ミリほどの銀のデザインリングが光っていた。
私のエンゲージ式以来、魔族のパートナーの間では式を挙げたり、指輪を贈りあうことが定番となっているようだ。
「はい。セレスと2人でグリンブルの職人を訪れて作ったんです」
「でもそれ、ずいぶん新しいように見えるけど?」
「古くなってしまったので、少し前に作り直したばかりなんです。付き合い始めた頃は、こんなに長く一緒にいられるなんて、想像もしていませんでしたから」
ベルはそのリングにそっと触れながら、その時のことを思い出しているように見えた。
「彼のこと、好き?」
「はい!…って、あ、あ~!また…すいません…」
ベルは両手で頬を押さえて真っ赤になった。
初々しいこの反応、いじりたくなる。
「…不思議だと思わない?」
「え?」
「その気持ち、何十年経っても出会った頃のままでしょ?」
「…そういえば、そうかも…。今まで考えたこともありませんでしたけど」
「それってさ、人間からみたら、奇跡なんだって」
「そうなんですか?私も人間ですけど…。そんな特別なことなんでしょうか?」
「浮気とか離婚とかする人もいるってことじゃない?」
「浮気って、セレス以外の人を好きになるっていうことですよね?ちょっと…考えられませんけど…」
「だよね~?そのせいで私なんて、友人に万年新婚さんなんて言われてよくからかわれてたんだから」
「万年新婚さん…」
ベルはクスッと笑った。
「でも、それがエンゲージなんだって。私たち、人間なのにその奇跡を体験してるんだよ?すごくない?」
「確かに、そうですね。…私、周囲のことばかり気にして、大切なことを忘れていた気がします」
「ベル…」
「私、彼と一緒に居られるだけで十分幸せなんです」
ベルは、自分の左手を指輪ごと右手でぎゅっと握った。
「トワ様、お話してくださってありがとうございます。胸の内を話せて、なんだかスッキリしました」
「そう?それなら良かったわ」
「はい。…私、彼に自分の気持ちを素直に話してみます」
「うん、それがいいわね。とにかく悩みがあったら、一人で抱え込まないでなんでも話すことが大事よ」
「はい。なんでも話すようにします!」
ベルが私に深々と頭を下げると、カイザーは私の耳元で呟いた。
『今のは魔王がおまえに言った言葉の受け売りだな』
「余計なこと言わないの」
実際、それは以前、同じように私が悩んでいた時、魔王が云った言葉だった。
どうにもならない悩みなのに魔王は「我がずっと子供の姿のままでいてやる」とか云うし、カイザーも「私がおまえの子供になってやる」なんて云ってくれて、慰めてくれたことが何より嬉しかった。
思っていたことを全部2人にぶちまけたら、なんだかスーッと楽になったことを覚えている。
悩みを人に話すって大事なんだなって思った。
だからベルにもそうして欲しいと思ったんだ。
「ねえ、ベル」
「はい、何でしょう、トワ様」
「昨夜魔王と話していたんだけど、繁殖期明けに学校のクラスを増やそうと思ってるの」
「クラスを?」
「繁殖期が終わるとゴラクドールにも魔族の子供が増えるでしょ?成人になるまでの数年間という期間限定だけど、学校で子供たちの教育をしようと思ってるの」
私の言葉にベルの表情がパッと晴れやかに変わった。
「魔族の子供たちの面倒を見るんですか?」
「うん。魔貴族陣営も独自で幼児教育をしているのよ。うちもちゃんとやらないとね。手伝ってくれる?」
「もちろんです!私、頑張ります!」
ベルは嬉しそうに云った。
「子供のうちから文字を教えるのもアリですよね!ああ、そしたら絵本が読めますね!さっそくグリンブルの図書館へ行って絵本を選んできます!」
彼女は全身で喜びを表すかのように、スキップしながら畑の水やりを再開した。
その時、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。
「トワ様~!」
庭園を走ってきたのはネーヴェだった。
「あ、ネーヴェ。おはよう」
「おはよう、じゃないよ、トワ様!お迎えに行く前に出かけちゃうのはナシだよ~!」
「ごめんごめん。何か今日は早く目が覚めちゃったのよ」
『私がついているのだ。何も心配はいらぬ』
「カイザー様、僕のお役目盗らないでよね」
毎日、聖魔騎士団の1人が私の護衛についてくれることになっているのだけど、今日の当番はネーヴェだった。相変わらずのタメ口だけど、ジュスターももうあきらめたみたい。
頬を膨らませて拗ねるネーヴェにベルが挨拶をした。
「ネーヴェ様、おはようございます」
「あ、ベル先生。おはよう。ああ、そうだ。セレスは明日からドール地方に遠征に出ることになりそうだよ」
「遠征、ですか?」
「どういうこと?ネーヴェ」
「後でジュスター団長から説明があると思うけど、繁殖期で諜報部隊も人手不足らしいんだ。セレスみたいな優秀な人が残っててくれて良かったって言ってたよ」
「そ、そうですか」
ベルはセレスを褒められて嬉しそうだったけど、遠征と聞いて不安そうでもあった。
「大丈夫だよ、ベル先生。今回の遠征は僕ら聖魔騎士団も同行するから」
「何かあったの?」
「ううん、何も起こらないようにするための遠征だよ」
「調査目的ってこと?」
「そんなとこ。だから心配いらないよ」
それが何のことだったのかわかるのは、もう少し後になってからのことだ。
「そっか、じゃあセレスが戻ってからにしようかな」
「え?トワ様、何ですか?」
「うん、後で皆に云おうと思ってたんだけどね。今のクラスを増やすって話、聖魔府のスタッフ全員集めてミーティングしようと思ってたのよ。そしたら魔王がオーウェン王国の郊外に新しく『オーウェン温泉』っていうのができたから、皆で行ってきたらどうかって言ってくれたの。スレイプニールの大型馬車も出してくれるって」
「ス、スレイプニール…!?わ、私なんかがご一緒してもよろしいんですか?」
「うん、もちろんよ。一週間くらい、ゆっくりしておいでってさ」
「はぅあ~温泉…!魔王様、お優しいですね!」
「うん。せっかくだしセレスが戻ってきたら、彼も誘って行こうよ。護衛としてって言えばジュスターもオッケー出すだろうし」
「いいんですか!?」
「うん、温泉に入りながらじっくり計画を練ろうよ」
「はい!お任せください!私、今からミーティングのカリキュラムを組んでおきますね!」
ベルは張り切って、空になった水差しに水を汲みに行った。
彼女の鼻歌が聞こえてくる。
そんな彼女を見たネーヴェは「いいなあ~、セレスは」と少し羨ましそうに呟いた。
『あれなら落ち込んでいる暇もなさそうだな』
「うん。そうね」
『そうか、これはおまえのために魔王が言い出したことだったな』
「そうなの。繁殖期に私が寂しくないようにってね。それに、ベルにも手伝わせたらどうかって言ったのも彼よ。あの人、魔王なんて名前に相応しくないほど、本当に優しい人よね。イケメンだし賢いし、言うことナシよ」
『万年新婚さんとはよく言ったものだな』
「ん?何?」
『何でもない』
カイザーは私の肩の上でそっぽを向いた。
私とネーヴェはベルに別れを告げて中央宮への道を戻って行った。
「ネーヴェは繁殖期、どうするの?」
「う~ん、まだ1人に決められないんだよね。今回は見送りかなあ」
そうだった。
こんな可愛い顔してネーヴェは案外遊び人だったのだ。しかも自覚がないときてる。
顔が良くて実力も地位もあるとくればモテるのも仕方がない。
「聖魔騎士団の中で繁殖期に入る人っているの?」
「いると思うよ。皆モテモテだからさ」
おまえが云うな、と内心思った。
「ジュスター団長なんて、すごいんだから。魔王府の外まで出待ちの行列ができてるんだよ」
「マジ?アイドルみたいじゃん…」
「それにカナンもいろいろと大変みたいだし」
なぜかネーヴェはククッと笑った。
カナンも誰かいい人ができたのかな?
「きっと皆、魔貴族陣営から申し込みがすごい来てると思うよ。僕のところにすら来てるんだから」
「ほえ~…。いつの間にかそんなことになってたのね…!」
100年ぶりの繁殖期は、まだまだ波乱を引き起こしそうだった。
トワがこの世界に来る10年~20年くらい前に、100年ごとの魔族の繁殖期があったようです。
なので、本編終了からそれくらい経っているってことです。
異種族間のこれって結構リアルな悩みですよね。




