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マルティス商会

 ゴラクドール市内の高層ビル群の一角。

 10階建ての新築ビルは先月完成したばかりだ。

 敷地を囲む塀に掲げられた看板には『魔王府公認マルティス商会』の文字があり、立派な門の両脇には屈強な護衛番の魔族が1人ずつ立っている。


 1階入口の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、獣人のロキとバルデルだった。

 受付係の魔族に挨拶をした赤と青の毛色の2人は、仕立ての良い明るいグレーのスーツを着ていた。

 衝立越しに小奇麗なオフィスを覗くと、豪華な応接セットがあり、そこでは従業員が掃除をしていた。

 その窓際のサイドボードの上には勲章やら記念品やらがずらりと並んでいる。

 ロキとバルデルはそこを素通りして2階に上がり、奥にある社長室の扉をノックして、返事も聞かずに扉を開けた。


「ただいまー!マルティス兄さん」

「戻ったよ!」


 部屋に入った2人は、そのまま表情を固まらせた。


「わお」


 窓を背に部屋の中にドンと置かれている社長の机の前で、1組の男女が抱き合っていたからだ。

 その男の方はマルティスだった。


「…んだよ、勝手に入ってくんじゃねえよ」

「お邪魔しちゃって、悪いな」

「朝からイチャイチャすんなよ、兄さん!」

「うるせーよ」


 若草色の高級スーツを着たマルティスと抱き合っていたのは、ベージュ色のミニスカスーツをカッコよく着こなしているロアだった。

 2人は悪びれる様子もなくパッと離れると、何事もなかったかのように仕事の話を始めた。

 ロキは仕事の証文をロアに渡した。


「ごくろうさま。うん、この証文で取引完了ね」


 ロアは当初、人間の文字が読めなかったのだが、トワが魔族のために始めた語学塾に通い、今では仕事に支障のないレベルにまでなった。


「完璧だろ?兄さん」

「俺のことは社長って呼べって言ってんだろ?」

「社長って一番偉い人のことだろ?ダメだよ、オイラたちの一番はトワ様なんだから」

「そうだよ。オイラたち聖魔軍はトワ様からのお願いで兄さんに協力してんだから、勘違いしないでくれよな」

「わーったよ。で、首尾は?」


 ロキとバルデルは請け負った仕事の成果を報告した。

 その内容にマルティスは満足した。


 マルティスはテュポーン災禍の後、ロアと2人でマルティス商会という会社を立ち上げた。

 彼はまず各地でテュポーンの毒の除染作業を請け負うつもりだと魔王府に申請すると、テスカの作った解毒薬と中和薬をタダで大量に仕入れることができた。その薬を諸国へ売り、莫大な儲けを出した。それを元手にアザドーから屍術杖(アートワンズ)を仕入れてまた売り上げを伸ばした。

 これを知ったトワからは、詐欺だと責められたが、除染作業には金がかかるんだとマルティスは悪びれない。それどころか彼女に対し、図々しくも解毒作業のための人員を借して欲しいとまで申し出た。

 これにはトワも怒りを通り越して呆れてしまった。


 マルティスはトワを騙すことなんてチョロいと思っていて、あと一押しで思い通りになるというところで、魔王が現れた。魔王は、遠征費用などかかる費用一式すべてをマルティスが負担するという条件付きで、聖魔軍を貸し出すことを許可した。

 マルティスは心の中で舌打ちした。

 魔王は人手は貸すけれど、彼らにかかる移動費や食費など一切の生活費を面倒見ろというのだ。なかなか痛いところをついてくる。商売において何より高くつくのは人件費なのだ。

 やはり魔王相手では勝手が違う。

 それでも冒険者などを雇えばそれにプラスして高額の依頼料を取られることになるので、マルティスはこの条件を呑むしかなかった。

 隙あらばお人好しのトワを言いくるめて利用しようと思っていた彼は、魔王から今後、トワと会うときは必ず自分を通せと釘を刺されてしまった。


 去り際に魔王に「もしトワに精神スキルを使っていたらその場でおまえを消すところだったぞ」と耳元で囁かれ、マルティスは心底ゾッとした。

 マルティスが商売で精神スキルを使っていることを知っていた魔王は、彼がトワにスキルを使うかどうか様子を伺っていたのだ。

 だがマルティスは、身内に対しては絶対にスキルを使わないと決めていたので、はからずもそれで命拾いすることになったのだ。


 ちなみに聖魔軍というのは、トワと契約した旧市街の魔族たち500余名のことだ。

 彼らはトワ直属の軍隊として魔王に正式に認められ、聖魔騎士団の下部組織として位置付けられた。魔王軍の最高司令官であるジュスターが聖魔軍の指揮官も兼ねることになったのだが、魔王命令とあって特例としてマルティス商会へ彼らを協力させることにしたのだ。

 実はマルティスは初めからそれをあてにしていた。

 ジュスターからの許可が出ると彼は以前から目をつけていたロキとバルデル以下、数名の有能な者たちを聖魔軍からスカウトし、派遣社員として雇用したのだった。

 彼らは無駄に人間の国に100年以上いたわけではなく、文字も読めて計算もできた。思った以上に有能で、頼んだことは完璧にこなしてくれた。

 ロキたちが自分たちの能力を生かせる仕事に就かせてもらっていることを知ったトワは、そのままマルティスに彼らを預けることにしたのだ。

 だがマルティスは、こうした経緯を知ったロアから、恩人のトワを騙すようなことをするなと、こっぴどく叱られ、小一時間廊下で正座させられて説教を受けた。


 ともかくも聖魔軍という人材を得たマルティスは、除染や解毒作業を各国から請け負い、その国から表彰されたり勲章を与えられたりもした。

 除染の依頼はイドラを通じて人魔同盟からも請け負うようになり、黙っていても仕事が転がり込んでくる状況になった。ロアの助言で貧しい人々向けにボランティアもするようになったおかげで、会社の評判は決して悪くはなかった。

 聖魔軍はつい先日までマルティス商会からの委託を受けて、世界各地に派遣され、解毒作業に奔走していたのだが、一ツ目族のラセツはどこへ行っても注目の的で、彼は世界各地で一躍有名人になった。


 一方、私生活での彼は、ロアとゴラクドールで一緒に暮らしている。

 ロアはナラチフ領主を正式に弟に譲って、マルティスの有能な秘書となったのだ。


「そろそろ準備した方が良いですよ」

「お、もうそんな時間か」

「そいじゃオイラたちも着替えてくるよ」


 ロキとバルデルは奥の階段を登って行った。

 会社の建物の上層階は彼らの住居になっているのだ。


「彼らはあんなこと言ってますけど、マルティスには感謝してるんですよ。他の聖魔軍の皆も、今日の晴れの日の警備を任されて喜んでます」

「トワが連中を使ってやってくれって頼んできたんだよ。旧市街で腐ってた連中が、こんなお披露目の場の警護を任されたんだ。感極まるってもんだ」

「…私だってそうです。本当に、まだ夢を見ているんじゃないかって…」


 ロアが遠い目をして云ったので、マルティスは彼女の手を握って現実に引き戻した。


「夢じゃない。これは俺とおまえが掴んだ現実だ」


 マルティスがロアを抱き寄せると、彼女は目を伏せて彼に身を任せた。


「…未だに思うんだ。どうしておまえのことを忘れて平気だったんだろうって。我ながら信じらんねえよ」

「またその話?もういいじゃないですか。こうしてまたエンゲージできたんですから」

「良くねえよ…勝手にエンゲージ解消して、肩の荷が下りたなんて言っておまえを傷つけたんだぜ。最低だ」

「でも、本音だったんでしょ?」

「…そんなにいじめるなよ。でもおまえが俺を信じてくれたから、今こうしていられるんだ。感謝してる」

「お礼ならトワ様に言ってください。あの方がいなかったら、今頃私たちはここにこうしていられなかったかもしれないんですから。しかもあなたの記憶まで戻してくださって、感謝してもしきれませんよ」

「まあな…。しっかしあの棺の中で一晩寝ろって言われた時には、ビビったぜ」


 マルティスは、あの日のことを思い出していた。

 カオス消滅後、聖櫃(アーク)はゴラクドールに持ち帰られた。

 その次の日、魔王府に呼び出されたマルティスは、トワから例の聖櫃(アーク)の中で一晩過ごせと云われたのだ。

 棺の中で寝るなんて気持ち悪いから嫌だと断ったのだが、トワから今後ゴラクドールで商売をするのにお墨付きを与えてやる、などというエサをちらつかせられたので、仕方なく云う通りにしたのだ。


 恐る恐る棺の中に足を踏み入れ、体を横たえて目を閉じた時、何とも不思議な感覚に襲われた。

 彼は奇妙な夢を見た。

 その夢の中で、思い出した。


 遠い昔、自分が一度死んだことを。


 あれはユミールの屋敷が燃え落ちた時だった。

 煙に巻かれて意識が遠くなった彼の体に、誰かが入ってきた気がした。

 その直後、イドラの悲鳴によって、失われかけた意識が引き戻された。

 彼は息を吹き返し、そのせいで誰かの意識は無意識のうちにマルティスの内に封印されることになってしまった。


 それを思い出したマルティスの前に1人の女が現れた。それは銀色の髪をしていたが、トワによく似ていた。

 夢の中にまでトワがしゃしゃり出てくるなんて、などと彼はボヤいた。

 彼女がマルティスに向かって手を差し伸べると、マルティスの中から見たことのない金髪の美青年が引っ張り出された。

 マルティスはぎょっとしたが、それが誰だかはわからなかった。

 トワに似た女は、その美青年と親しそうに微笑みあい、抱き合った。

 彼女は、マルティスを振り返って云った。


 ―この時をずっと待っていたわ。今まで彼を守ってくれてありがとう。


 そして2人はどこかへ消えてしまった。


 マルティスはそのまま深い眠りに落ちた。

 そして翌朝、迎えに来たロアを見て、彼は失われていた彼女に関する記憶をすべて取り戻していたことに気付いたのだ。

 その後、棺は魔王府の最上階に設けられた祭壇に祀られ、封印されることになったという。


「本当に、不思議な棺でしたね」 

「ああ、けどトワの奴、何にも教えてくれねーんだよ。『言ったってどうせ信じないでしょ?』とか言ってよ。結局、あの棺が何で、あれが誰だったのかもわかんねえまんまだ」

「あなたの中から現れたという人は、その女性の恋人だったのかもしれませんね。もしかしたら、あなたが私のことだけを忘れていたのも、その女性が嫉妬したからだったりして?」

「まさか。そもそもどこの誰だか知らねえ奴が、何で俺の中にいたんだよ?」

「さあ?長生きでもしたかったんじゃないですか?なにしろ図太さと生命力の強さだけがあなたの取り得ですからね」

「ひっでえ」


 ロアはころころと笑った。


「でも、私だけはそうじゃないってわかってますよ」

「さすがは俺のロアだ」


 マルティスはニヤッと笑って囁いた。


「…次の繁殖期にはナラチフへ帰って子供を作ろうな」

「はい、あなた」

「それまでにしっかり稼がないとな」


 彼はロアの肩を抱いたまま部屋を出て、階下の従業員たちに向かって叫んだ。


「さあ、今日は店じまいだ。ゴラクドールはじまって以来の一大イベントなんだからな!皆、準備しろよ!」


 階下からは「おー!」と威勢のいい返事が返ってきた。

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