問題解決
旧市街の大通りに集まっていた魔族たちは、突然上級魔族に進化したことに、嬉しさ半面、戸惑いも見せていた。
そんな彼らを横目に、マルティスが私に説明した。
「いいか?魔族の8割は下級魔族なんだ。下級魔族に生まれた者は一生そのままだ。上級魔族に進化できる種族ってのも稀にいるが、突然変異か特殊なスキル持ちくらいじゃねえと、こんな奇跡はまず起こらねえんだよ」
「そうなんだ…」
「おまえはその非常識をやっちまったんだよ。見ろ、こいつらも急に上級魔族になって、戸惑ってるだろ」
「わざとじゃないもん…」
「別に責めてるわけじゃねえよ。ただ、こいつらはもう故郷に戻っても元の生活には戻れねえ。それがこいつらにとって、いいことなのかどうかは、こいつらにしかわからねえことだ」
「でもさ、さっきのって、下級魔族の話よね?上級魔族になったら主がいなくてもいいんでしょ?自由に生きていけるんじゃない?」
「そういうことじゃねえんだよ。人間の常識を当てはめんな。上級魔族の中でも支配者ってのは血統が決まってて、誰でもなれるってわけじゃねえ。だから多くの上級魔族は下級魔族同様に主を持って、その血統を守って行くことになる。ただ、下級魔族と違って、嫌な主には離反して自分の勢力を持つこともできるし、俺みたいに独立して1人で生きて行くこともできる。上級魔族にはその選択肢があるってことなんだよ」
「じゃあ、自由になって生きていける選択肢を選ぶことができるんだよね?」
「…こいつらさっきまで下級魔族だったんだぞ?無理に決まってる…って、聞いてねーし!」
私はマルティスの話もそこそこに、さっさと彼らに伝えることにした。
「上級魔族になったんだから、無理に私に仕えなくても、自由にして良いんだからね!」
喜ぶ人もいるんじゃないかと期待していたけど、その場から去るものは1人もいなかった。
それどころか、
「そんなひどいことをおっしゃらないでください!」
「私たちを見捨てないでください!」
と泣きつかれてしまう始末だった。
それを見ていたマルティスが「ほらな?」とドヤ顔で云った。
とりあえず私は、そこにいる全員に向かって、ゴラクドールという都市へ向かうことを宣言した。
すぐ旅の準備をするように伝えると、魔族たちはそれぞれの家に戻って行った。
体が大きくなって家に入れなくなったラセツは、ロキとバルデルの家の前に座り込んで、私たちを警護すると云った。ちょうどその時、家の前に大型犬ほどもあるでっかい蜘蛛が出て、私はちょっとしたパニックを起こした。ラセツが一撃で退治してくれた後、魔族たちがやって来て、蜘蛛の死骸を持って帰って行った。
「あ~、びっくりした。あんなでっかい蜘蛛、初めて見た」
「主様、ごめんなさい。あれはドロステ蜘蛛っていって、あれの出す粘液を精製して魔物や動物を捕らえる罠に使うんだ」
「食料にもなるから、いっぱい捕まえてあったんだけど、1匹逃げちゃったみたい」
「げー!あれ、食べれるの…?」
それを聞いたマルティスが、何を思ったか、急にロキにその粘液精製スキルを持つ者を紹介してくれと云って出て行った。
「また何か金儲けになることを思いついたのね…」
『懲りない奴だ』
カイザーはミニドラゴンに戻って、私の肩にしがみつくように止まりながら云った。
私がバルデルと家にいると、数人の魔族たちが食べ物とか着るものとか、いろいろと差し入れを持ち込んできてくれた。
魔族たちの食料は主に旧市街の畑で自給自足で賄っていたのだけど、赤い雨のせいですべてダメになってしまったらしい。幸いなことに、既に収穫を終えていたものも多く、それらは屋根のある場所に置かれていたため、当座の食糧は確保できているという。
バルデルが差し出したジャーキーみたいな乾燥肉はそこそこ美味しかったけど、それがまさかの蜘蛛肉だったと知ってビックリした。保存食に向いてるんだな。
そうしているうちにマルティスが戻ってきた。
「いや、なかなか面白い話だったぜ」
「何の話?」
「なあロキ、ここにも黒い霧が来たんだろ?」
「うん、来たよ」
「そん時どうしたか、トワに話してきかせろよ」
ロキとバルデルは、いかにして黒い霧から危機を脱したかを話してくれた。
私はその黒い霧というものを直接見ていなかったので、その話を聞いてもあまりピンとこなかった。
「おまえね、もっと驚いて良いと思うぞ」
「だって直接見てないから、その黒い霧ってのがよくわかんないんだよ」
「これは使えるぞ。ペルケレの連中に高額で売りつけてやる」
「またそれ?」
私は呆れつつも、いつもロキとバルデルが食事に使っているテーブルに、マルティスと向かい合って座った。
私の肩にはカイザーが乗っている。
温かい飲み物を、ロキとバルデルが運んできた。
マルティスは失礼にも「毒は入ってねーだろうな?」なんて云いながら口を付けた。ロキは飲み水は地下道にある井戸から汲み上げているから大丈夫だと太鼓判を押した。
「それよりもゴラクドールまでこいつら、どうやって連れてくよ?」
「それをこれから考えるんじゃない」
大人しく脇に控えているロキとバルデルに視線を向けると、2人ともすんごく尻尾を振ってくれた。
マルティスはお茶を一口飲むと、真顔で話し出した。
「おまえなあ…いくら魔族の足が速いと言っても、ここからペルケレ共和国まで徒歩じゃ半年はかかるぞ。まあ、俺たちがペルケレに到着する頃には、国が全滅してるかもしんねえけどな」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」
「結構マジだぜ?先週オーウェン軍が出発したけど、テュポーンてバケモノはもう、ペルケレ領内に入ったって話だ。軍が着く前に首都が陥落するんじゃねえかな。俺も近くで見たけど、あんなデカブツ、どうやったって止めらんねえよ」
「首都って、セウレキア?オーウェン軍が出発したの?」
「ああ、ペルケレの討伐本部に要請されてな。聖属性が有効だってんで、魔法士だけでも至急来て欲しいってお呼びがかかったんだ。けど、オーウェン軍が出撃したのは、ペルケレ方面じゃなくてなぜか北の国境に向けてだってよ。何がどうなってるのやら」
「北の国境?なんでそんなとこに…。カイザー、何か知ってる?」
『私はテュポーンに関する情報は持っていない』
北の国境の先には魔族の前線基地がある。
まさかこんな時に、前線基地を襲うなんてこと、ないよね…?
「あーあ、こんな時魔王がいてくれたら、空間転移で全員連れて帰れるのにな~」
「魔王ってそんな大勢で転移できんの?」
『魔王は人魔大戦の時、魔王城から1万人の兵と共に前線基地へ転移したことがある』
「1万人!?うへぇ…!マジかよ…!そら魔貴族共が恐れるはずだわな」
『うむ。どれだけ領地が離れていても瞬時に大軍を送れるのだ。魔王の不興を買う者は即座に滅ぼされることになる』
「おっそろしいな…」
マルティスは青ざめながら、私を見た。
「おまえ、わかってんのか?そんなおっかねえ奴と一緒にいるんだぞ?」
「魔王はおっかなくなんかないよ。力があったってむやみに使ったりしないもん。スマートで頭が良くってカッコイイし。あんたと違ってすっごく優しいんだからね!」
「へえへえ。とうとう人前でそんなノロケ言うようになったのか、色ボケ女め」
「何よ、悪い?」
「んで?魔王と寝たのか?」
「バッ…!バッカじゃないの!?何言ってんの!私と魔王はそんなんじゃないわよ!」
私は思わず椅子から立ち上がった。
マルティスの下品さに腹が立ったのだ。
「だってエンゲージすんだろ?魔法紋のないおまえがエンゲージするとなったらそれしかねえじゃん」
「あんたってサイッテーね!」
『トワ、何を怒っている?魔王と寝ていたのは事実だろう』
「ちょっ…!カイザー!ややこしいこと言い出さないでよ!」
私は顔が真っ赤になるのを自覚した。
「あれは添い寝っていうんだよ!寝たって、そういう意味じゃないの!」
『どういう意味だ?』
「あんたは知らなくていいの!」
あー、もう~!
なんでこうなるのよ~!
マルティスはわかっててニヤニヤしてるし。
「なーんだ、手を出してねえのか。案外奥手なんだな、あの魔王。とっとと抱いちまえばいいものを」
「マルティス…それ以上言ったらコロス!」
「へいへい。んじゃあ結局エンゲージはしてないのか」
「わかんないけど…たぶん」
「スキルを見てみればいいじゃねえか」
「スキル…?」
「エンゲージ出来てれば、相手のスキルの一部が使えるようになってるはずだろ?」
「あ、そっか、忘れてた」
「案外魔王もスキル目当てなんじゃねーの?ま、人間とエンゲージなんてそもそも無理だろうけどよ」
「バカ、そんなわけないじゃん」
私は目を閉じて自分のスキルを確認してみた。
えっ?
何度も、何度も確認した。
「ええええ――!!?」
突然叫び声を上げた私に、肩にいたカイザーも、向かい側にいたマルティスも、双子の獣人兄弟もビックリしていた。
「何だよ、ビックリするじゃねーか」
「だだ、だって、だって…!!」
『落ち着け、トワ。一体どうした?』
「お茶飲んで、一回落ち着け」
マルティスが差し出したお茶を一口飲んだ私は、過呼吸気味の胸を押さえながらもようやくまともに話せるようになった。
「増えてるの!スキルが…」
「何の?」
「<空間転移>と<重力制御>っていうのが、増えてるの!」
『…それは、魔王のスキルと同じではないか』
「やっぱり…そうだよね?」
『空間魔法を使える者は稀にいるが、空間転移を使える者などそうはおらぬ』
「これ、魔王のスキルなんだ…。ってことは…」
それはかつて私に魔属性が現れた時以来の衝撃だった。
「…エンゲージできたってことだよね?」
「おまえ、マジかよ…」
『魔王とのエンゲージに成功したのだな』
「すげえな…。人間とエンゲージなんかできんのかよ…冗談で言ったのに。やっぱ異世界人は違うな」
結婚という制度のない魔族にとって、エンゲージはそれに準じることだ。
好きな相手とエンゲージすると、その相手のスキルの一部を使用できるという特典がついてくる。
通常は魔法紋の交換をするのだけど、人間の私にはそんなものはないから、エンゲージなんて半分諦めてた。
でも、エンゲージで得たスキルの中には不老不死系のスキルらしきものはなかった。そううまくはいかないか…。
エンゲージできたのって、あの時…かな?
意識をなくす直前に、魔王とキスしたんだ…。
また途中で眠くなっちゃったから、ダメだと思ってたんだけど。
そういえばあの時、いつもと少し違う感じがした。
お花の香り?みたいな匂いを感じて、なんだかいつにも増して胸がドキドキした。
もしかしたら、あの時、エンゲージに成功してた…?
でも、なんか思ってたのと違うんだよなあ。
イヴリスは「相手のことが好きで好きでたまらなくなる」って云ってたから、もっとなんかすごいことになるんじゃないかと思ってたんだけど…。
『トワ、トワ』
私は上の空で、カイザーの呼ぶ声が聞こえていなかった。
「ん?何?」
『<空間転移>が使えるなら、ゴラクドールへもひとっ飛びで行けるではないか』
「あっ!そっか…!!魔王はたしか、一度行ったことのある場所ならどこへでも行けるって言ってたよね?ゴラクドールなら余裕で行けるじゃん!」
「なんだよ、一気に問題解決じゃんか」
「フフン、日頃の行いが良いせいね」
私は目の前に積まれていた宿題がいっぺんに片付いたような、そんな晴れやかな心持ちになっていた。




