テュポーン捕縛作戦(中編)
外壁の上からテュポーンの様子を見ていたアスタリスが、カナンに合図を送った。
「よし、飛行部隊、出動!」
中央広場に面した建物の屋上からカナンが号令をかけると、彼の背後から翼を持つ魔族で構成された飛行部隊が飛び出した。彼らは数十人がかりで大きな正方形の黒い布状のものを持ちあげてテュポーンの真上まで運んだ。
テュポーンには頭の後ろにも目が付いていたが、どうやらそれも暗闇の中ではあまり役に立っていなかったようだ。
「騎馬部隊、出ろ!」
飛行部隊と同時に、地上では大きな鋼鉄製の鎖のような物を抱えた魔族の騎馬部隊が、数珠繋ぎに順番に走り出た。彼らはテュポーンの穴の周囲をぐるりと囲んで走り、持っていた巨大な鎖をその場に置いて引きあげて行った。
交代で別の魔族の騎馬部隊が出て、同じように抱えていた巨大な鎖を、穴の周囲に置いて立ち去った。
その騎馬隊とは別に、穴の外周には、魔法士を後ろに乗せた騎士たちが松明を持って待機していた。
深い穴に落ちたテュポーンだが、それでも首から上は穴の上に飛び出していた。
エリアナがテュポーンのために掘った落とし穴の周囲はすり鉢状になっていて手をかける場所がなく、あがけばあがくほど下へ滑り落ちていく蟻地獄のようになっていた。おまけに簡単に破壊されないようにと、穴の表面の強度を補強するために鋼鉄のコーティングを施してあるという念の入れようだった。
狭い穴の中にいるテュポーンは、その巨体が徒となって身動きができなくなっていた。何度も体を揺さぶって穴を抜けだそうとあがくが、ここへ来るまでに相当の魔力を消耗していて、穴を破壊するほどの力を出すことができなかった。
『グルル…おのれ、人間どもめ』
唸り声を上げたテュポーンは、顔の真ん中の穴から、黒い霧を吐き出した。
「魔法士隊、前へ!」
広場の奥からノーマンが号令を出すと、外周に待機していた人間の騎馬隊がテュポーンの穴の周囲まで出た。
馬の後部には魔法士たちが乗っており、号令に合わせて彼らは回復魔法をテュポーンに向けて放った。
この魔法士たちは、オーウェンからの増援が間に合わないことがわかって、討伐本部が国内外からかき集めた数少ない回復士たちであった。
苦手な聖属性魔法を顔面に放射されたテュポーンは、短く声を上げ、吐き出した黒い霧をすぐに顔の中に引っ込めた。
「今だ!落とせ!」
そう叫んだのは、飛行部隊を指揮するクシテフォンだった。
飛行能力のある魔族たちで構成された飛行部隊の中には、テスカの姿もあった。彼らは空中に浮かんだまま、大きな四角い黒い布を持って待機していたが、その号令を受けると、テュポーンの頭上めがけて、その布を落とした。
彼らが落とした大きな布は、テュポーンの巨大な頭を首の下までスッポリと覆ってしまった。
視界と顔の穴を塞がれたテュポーンはうめき声をあげながら、首を振って布を落とそうとした。
だが布の四隅には重りが付けられていて、首を振った程度では落ちなかった。
テュポーンは、顔にかかった布を取ろうと腕を動かそうとするが、肘が壁面に当たって腕を上げることができなかった。
「よし、次に移れ!」
ノーマンが合図すると、回復士を乗せた騎馬隊は後退した。
その合図を砦の上空で確認し、砦の外にいる主に伝えたのは、イヴリスの召喚していた下級精霊だった。
「さあ、皆さん、出番です!」
その合図を受け取ったのは、砦の裏門の外で伝令役を担っていたイヴリスだった。
イヴリスは同じく、裏門の外で待機していたマクスウェル麾下の召喚士部隊に合図を送った。
召喚士部隊が砦の外で待機していた理由は、魔獣召喚の依り代に、ペルケレ周辺で出た大量の不死者たちの遺体を使用するためであった。
始末された不死者たちは、砦の外に掘られた墓穴の中に山積みになって捨てられていたのだが、たまたまそれを見かけたマクスウェルが、それを魔獣召喚の依り代に使うことを思いついたのだった。
マクスウェル軍から選抜された召喚士たちは、穴の中に積まれた不死者の遺体を依り代に、次々と魔獣を召喚した。
召喚されたものの多くはケルベロスやサーベラスといった大型の肉食獣タイプだったが、中にはゴーレムのような巨人型の魔獣もいた。召喚された魔獣たちは砦の外から裏門を抜けて、一斉にテュポーンのいる広場へと走り込んで行った。
魔獣たちはテュポーンの穴の付近に置かれていた鎖をそれぞれ、口に咥えたり、両腕で持ち上げたりして穴の中に潜って運び、穴の内壁を使ってテュポーンの体の周囲をぐるぐると回り、その巨体に巻き付け締め上げて行った。
穴の中ではテュポーンが蛇の足を切り離して、複数の大蛇を地上に送り出そうとしていたが、それらの蛇も魔獣たちによって消滅させられた。
テュポーンの体にはどんな武器や魔法も寄せ付けない防御壁があるはずだったが、どういうわけかその鎖は、弾かれることはなく、ギリギリと巨体を拘束していった。
これは、聖魔騎士団のシトリーが発見したことだった。
それは以前、ジュスターが聖魔騎士団を集めてテュポーン対策会議を開いた時のことだった。
「今のところ、テュポーンを倒せる方法は見つかっていない。魔王様は、あれを止める方法、つまり捕縛する方法を考えろとおっしゃっている。おまえたち、何か意見はないか」
ジュスターの呼びかけに手を挙げたのは、シトリーだった。
彼は先日、人間の先発隊に混じってテュポーン討伐に出ていた。
その時、彼はテュポーンの蛇の足に直接触れてみたと云って皆を驚かせた。
「直接触れただと?防御壁は?」
「奴の防御壁はSS級の完全防御だと思われます。あれを打ち破れる者はそうはいません。それで、ふと思い立って、ただ触れるだけならどうかと思い、触ってみたら苦も無く触れることができました。その後、不意に敵意を向けたら、防御壁が発生し、あやうく腕を持っていかれる所でした」
「ふむ」
ジュスターは興味深そうに聞き、今の話を要約して話した。
「つまり、敵意を持った攻撃は弾くが、そうでない場合は弾かれない、ということか。奴は我々の敵意を感知して行動していて、敵意を持たなければ、接触が可能ということか」
「けど、敵意もなく攻撃したりできるものなの?」
テスカが素朴な疑問を口にした。
「確かに、その状態で攻撃することは難しいかもな。どう思う?ユリウス」
クシテフォンの問いかけに、ユリウスが答えた。
「魔王様は捕縛する方法を考えろとおっしゃったのですよね?ならば家畜を捕らえるとでも思えば良いのでは?」
「フッ、家畜か。辛辣だな」
クシテフォンはそう云ったが、ユリウスの意見は的を得ていた。
「…いや、ユリウスの言う通りだ。家畜を捕縛するのに剣は必要ない。罠を仕掛ければいいんだ」
そう云ったのはカナンだった。
その後、話を取りまとめて作戦案を立てた。それを作戦本部へ持ち込んだのだ。
その作戦は、テュポーンを砦に誘い込み、落とし穴に落とした上で捕縛するという単純なものだった。
シトリーの云った通り、魔獣たちはただテュポーンの体を鎖で縛るという召喚者の命令を遂行しているため、敵意に反応するテュポーンの防御壁では鎖を弾くことができなかった。
これが成功すると、鎖を持った別の魔族の騎馬部隊が展開し、先程と同じ作業を繰り返した。
その都度魔獣たちが召喚され、同じようにテュポーンの穴に潜って鎖を巻きつけていった。
穴の中のテュポーンは、それでも抵抗していたが魔力を消耗しているためか、砦に入ってきた時の勢いはもうなく、魔獣たちがこれでもかという位に鎖を巻きつけている間も、なすすべもなく拘束されていた。
飛行部隊の方も、最初に頭にかぶせた布と同じ布を続けて何枚もかぶせ、布の端についた重りで首元を縛り、顔の部分にも胴体と同じようにぐるぐると鋼鉄の鎖を巻きつけて、完全に頭を覆いかぶせることに成功した。
顔を布で覆われたテュポーンの口から、くぐもった声が漏れた。
その様子を空中から見下ろしていたクシテフォンが云った。
「さあ、毒を吐いて見ろ」
テュポーンは布で覆われたまま、顔の穴から赤い水を噴射すると、水は布に弾き返されて自らの顔に逆流した。
自分の毒を自分で浴びることになったテュポーンは、くぐもった声で小さく呻いた。
黒い霧も同様で、顔に密着された布をすり抜けることができず、外へ放出されることはなかった。
「フッ、いい気味だ。その布は鋼鉄が練り込んである特別製の布だ。水も霧も通さん。口が塞がれていては食事もできんだろう」
自らの仕事に満足したクシテフォンは、飛行部隊に帰還命令を出した。
魔獣たちにより、鋼鉄製の鎖でぐるぐる巻きにされた穴の中のテュポーンは、自由を奪われてもなお、巨体を揺さぶって、なんとか拘束を解こうともがいて穴の淵に激しく肩をぶつけ始めた。
それにより、穴の周囲は激しく振動した。
「拘束部隊、出るぞ!」
「おう!」
声を掛けたのは、ダンタリアンだった。
彼の率いる部隊は、魔王城から連れて来た、見るからに屈強な筋肉自慢の魔族たちばかりだ。
その中にはサレオスやシトリーの姿もあった。
アンフィスやケッシュのような体格に劣る者たちは、松明を持って辺りを照らしていた。
彼らは穴の周囲に置かれたままになっていた巨大な鎖を、複数人で同時に持ち上げながら前進した。
そして、テュポーンの頭を中心にして、その鎖を放射状になるように何本も渡し、穴のこちら側と反対側にそれぞれ魔族たちが鎖の端を持って、片方が時計回りにぐるりと回って巻き付けると、もう片端を持った者たちがそれとは逆方向に1回りした。
それは実にアナログなやり方で、さながら、穴の周辺を大勢の大男たちが走り回る運動会のような様相を呈していた。
魔族たちはそれぞれの方向で立ち止まると、ダンタリアンの号令と共に、力の限りその鎖を後ろへ引っ張った。
何本もの鎖で首を締め上げられたテュポーンは、苦しみのあまりくぐもった悲鳴を上げた。
彼らは締め上げた鎖の端を思いきり後ろへ引き、地中深く撃ち込まれた大きな杭に、その鎖の端を巻きつけて固定した。
テュポーンは、顔を覆われた上に首も絞められて固定され、体も鎖でぐるぐる巻きにされて完全に身動きが取れない状態になっても、呪詛のような言葉を口にしていた。
「このままおとなしくしてくれよ…」
ノーマンは祈るように云った。
「ようやく魔力が底をついたようだ」
魔力感知を持つサレオスがノーマンの近くにやってきてそう云った。
ノーマンはそれを聞いてホッとした表情になった。
広場にいた兵士たちは、動かなくなったテュポーンを見て、歓喜の声を上げた。
「うぉぉぉ!!」
「やった!作戦は成功だ!」
喜ぶ兵たちを尻目に、カナンは、地面に落ちていた槍を拾って、動かないテュポーンの体に向けて投げてみた。すると、その槍は防御壁にカチン、と弾かれて穴の中へ落ちていった。
「こいつ、魔力は底をついている筈なのに防御壁は消えないとは…。最低限度の魔力は残しているということか」
カナンの元へ、外壁の上で見張りをしていたアスタリスが降りて来た。
「アスタリス、こいつの体内は見えないか?」
「それが、ずっと見ているんだけど、真っ黒で何も見えないんだ。ただ…1つ気になることが」
「何だ?」
アスタリスがためらいがちにカナンに話した。
「あの魔法士たちが浄化魔法を撃った後くらいから、テュポーンの体内に光るものが見え始めたんだ」
「光?」
「うん。その光は見えたり見えなかったりするんだ。どういうわけかテュポーンの体内を移動していて、点滅を繰り返してる。…とても不確かなものだから核かどうかはわからない」
「核でなければ一体何だ…?」
「ごめん、僕にはわからない。余計な混乱をさせるのもどうかと思って、言おうかどうしようか迷ってたんだけど…」
アスタリスの肩をポンと叩いて、カナンは微笑みかけた。
「気になることは何でも報告してくれ。おまえの言うことは信頼できると俺は思っている」
「カナン…。うん、わかった」
「仮に、その光が核だったとして、これまでのようにシトリーに取り出してもらうことは可能か?」
「その光は人の大きさくらいあるんだ。しかも移動しているから、防御壁をかいくぐれたとしても無理だと思う。普通の人の何倍もあるような巨人でもない限り、掴み出すのは不可能だと思うよ」
「そうか…」
カイザードラゴンを除いて、魔族にそこまでの巨人はいない。
カナンは腕を組んだまま唸った。
そこへ飛行部隊を指揮していたクシテフォンが舞い降りた。
「カナン、ノーマンから作戦の参加者に交代で休憩を取るよう指示を出すので、魔族も同調してくれと提案があったぞ」
「ああ、わかった。まずは外から戻った陽動部隊に休憩を取らせよう。朝になったら砦内にいる者たちと交代させる」
「わかった、そのように手配しよう」
そう云って飛び去ろうとしたクシテフォンをカナンが呼び止めた。
「悪いが第2砦にいるネーヴェとウルク、それとキャンプにいるユリウスにもこちらへ来るように連絡してくれないか」
「それは構わんが、なぜだ?」
「俺の勘だ。何かが起きそうな予感がするんだよ。何もなければそれに越したことはないんだが」
「フン、お前の勘は侮れんからな。わかった、任せておけ」
クシテフォンが飛び去った後、アスタリスが不安そうにカナンに問いかけた。
「カナンは何が起こると思ってるの?」
「わからん。だが、嫌な予感がしている。さっきからうなじの毛がずっとビリビリと逆立っているんだ」
「僕も注意して見ているよ」
「ああ、頼む」
砦の中の兵士たちは、動けないテュポーンに油断し始め、作戦が成功したと喜びあってはしゃいでいた。
捕縛作戦は一応の成功を収めたのである。
 




