秘密兵器
テュポーンは周辺の小規模な都市や村を襲いながら、ペルケレ共和国領内へ侵攻していた。
討伐連合本部の想定では、このまま進めば少なくともあと1月以内には首都セウレキアまでたどり着くだろうということだった。
ここへ至るまでにずいぶん時間がかかっていたのは、広大な大平原をテュポーンがエサを求めて迷走していたからだ。
ヨナルデ大平原には複数の国へと続く街道がいくつも通っている。
その周辺には、まだテュポーンの情報が行き届いていない田舎町も多かった。そういった地方に住む人々は、赤い雨騒ぎに悩まされたものの、まさかそれを降らせたバケモノが近くにいるなどとは夢にも思っていなかった。重要な情報が手に入る大都市を経由せず、田舎町を巡って商売をしている商隊や冒険者などは、そんなこととは露知らず、いつもと変わらず暢気に大平原を旅をしていた。
テュポーンは、通りかかった人間を1人でも見つけると、追いかけては黒い霧を吐いて食らった。またそうした旅人たちが逃げ込んだ町や村を襲っては壊滅させるということを繰り返していた。
「まるで野盗のやり口ではないか!」
討伐連合本部で行われた会議では、監視部隊からもたらされたこのテュポーンの行動をそう非難した。
本部では何度も対策会議が行われ、その生態や習性について話し合われた。そこではテュポーンの魔力の源は人間を捕食することだと考えられ、あの怪物はただ人間を襲うためだけに移動しているのではないかという結論に至った。
もしそうなら、テュポーンには明確な目的地はないはずだが、なぜペルケレ方面にやってくるのかといえば、最初にオーウェン軍による誘導があったからではないかと指摘された。
オーウェン軍の魔法士に救援を依頼しておきながらも、会議ではオーウェン軍を罵倒するという矛盾を演じる人間たちに、会議に参加していたカナンは、うんざりしていた。
本部はテュポーンの進路予想から、セウレキアに至るまでの2つの要塞を防衛ラインに設定し、最も北に位置する要塞を第1砦、セウレキアに近い方を第2砦と呼称した。
砦防衛の総司令官には討伐連合本部から委託されたノーマンが就任し、彼を中心にペルケレの傭兵部隊長や各国から応援に来た各部隊長、魔族の軍を束ねる軍団長としてカナンが作戦の指揮を執ることになっていた。
第1、第2砦にてそれぞれ同時に作戦立案が進んでいて、第1砦ではカナンが提案した作戦が採用されることとなり、戦力と物資が運び込まれ、賑わいを見せていた。
その2つの砦とは対照的に静かになったのは、傭兵都市キュロスであった。
傭兵たちのほとんどが2つの砦に出発していったため、キュロスに残っているのは、警備のための二個中隊のみだった。
退屈な留守番を任された人間の傭兵たちは、暇つぶしのために門の前や城壁の上にある物見台から魔族のキャンプの様子をのんびりと眺めていた。
人気のないキュロスと違い、その郊外にある魔族のキャンプにはまだ多くの魔族たちがいて活気があるように見えた。第1砦へは比較的近いため、足の速い魔族たちは急いで移動する必要がなかったのだろう。
グリンブルで一仕事を終えたユリウスたちがキュロスのキャンプに戻った頃、陣の中央広場に作られていた大仕掛けの設備が完成しようとしていた。
それは直径40~50メートルはあり、高さ10メートルの屋根のついた巨大な円形の台座で、一見すると壁のない武道場のように見えた。台座の中央には太い柱が設置されており、その周囲を囲むように柱が立ち並んで円を描き、屋根を支えている。
キュロスから魔族のキャンプを覗き見していた傭兵たちは、その謎の大きな施設を、雨避けの避難所だと思っていた。
しばらく観察していると、その大きな施設の中から、馬に乗った髪の長い魔族が1人出て来た。
傭兵たちは「あれ?」と首を傾げた。彼らは、その施設の中に騎馬が入って行ったところを目撃していなかったからだ。
そこから出て来た騎馬の魔族を囲んで、なぜか人々は喜び合っていた。
そしてそのまま見ていると、今度はその施設から、騎馬の一個小隊が現れた。
これには彼らも、違和感を通り越して、驚愕するしかなかった。
「何だ、あれは…?兵隊が湧いて出てくるぞ!?」
「魔族の秘密兵器なのか?!」
「魔法具…?だけどあんなデカイの、見たことないぞ」
「お、おい!隊長に報告しろ!」
騒ぎを聞きつけたキュロスの警備隊長は、魔族のキャンプに出向いて、謎の施設の説明を求めた。
説明役を買って出たのは、施設の責任者であるユリウスだった。
その施設は大型のポータル・マシンであった。
だがユリウスは、その施設を『大規模軍隊転送装置』だと説明した。
それはポータル・マシンという名称が一般的にはまだ浸透していなかったため、ユリウスがわかりやすく説明するために考えた装置の名称だった。
かつて人魔研究所にあった大型のポータル・マシンよりも、段違いに高性能で、転送量も大きかった。
先ほどから行っていたのはその試運転で、無事に転送されてきた魔族を見て、喜んでいたのは設置に協力したセキ教授とその助手たちだった。
その場にはアルシエルの姿もあった。転送の際、膨大に消費される魔力と空間魔法を提供したのは彼だったのだ。そういう意味では、彼がこの装置の最大の功労者ともいえた。
この魔力の消費を抑えることが今後の課題になるだろうとセキ教授は話した。
ユリウスの説明によれば、この『大規模軍隊転送装置』は他に同じものが3つ、各地に設置されており、そこから瞬時に多くの兵士を騎馬ごと転送できるというものだった。
警備隊長は驚愕した。
そんなすごいものを魔族が持っているのだとしたら、もはや人間は太刀打ちできないと恐れたのだ。
どこで戦争をしていても、一瞬で増援や補給物資が送れるということになる。
これまでの戦争の在り方が一変してしまう、恐ろしい兵器だと思った。
傭兵隊長は、ほんの一瞬だが、この機械をこっそり手に入れて他国に売れば莫大な儲けになる、などという邪な考えを抱いた。
だがその考えを見透かしたかのように目の前の美丈夫は「残念ながら、この装置は人間には使えません」と断言した。
だがそれは事実とは齟齬がある。この装置はある程度の魔力がないと転送できず、魔力の低い人間だけを送ることができないというのが正しい。魔力の高い者が一緒なら、そうでない者を一緒に送ることはできるのだ。馬や物品が一緒に送れるのだから、少し考えればその間違いに気づきそうなものである。
また、人魔研究所のポータル・マシンで転送された不死者たちのように、魔法的処置で体内に魔法が蓄積された状態でも、転送可能となる。つまり実質的には人間でも使用できるのだ。
ユリウスが云ったことは人間の欲に釘を刺すためのささやかな嘘にすぎなかったのだが、欲に支配されかかった警備隊長を正気に戻すには十分だった。
ユリウスがアザドーの総帥メトラに提案したのは、遠隔地とこの陣を大型ポータル・マシンで結び、瞬時に兵士を転送するという作戦だった。
彼はテュポーンが現れた当初から、人間を当てにはしていなかった。
だが魔族だけで戦うにしても、ゴラクドールの魔王軍の兵力だけでは質も量も心許なすぎるため、前線基地や魔王城から兵力を集めるべきだと思っていた。それは魔王やジュスターも同じ思いだった。
そこで、ユリウスはセキ教授の大型ポータル・マシンのことを思い出し、これを改良して兵を転送することを思いついた。
彼は魔王に許可をもらって、その設置のための人員と資材の提供をアザドーに頼んだのだ。
セキ教授は、研究所の出資者からの依頼で、元々マシンを巨大化する計画を進めていたのだが、軍事利用に難色を示し、二の足を踏んでいた。だがテュポーンという共通の敵を倒すためならばと、積極的に協力を申し出てくれたのだ。
このことは内密に進み、聖魔騎士団のメンバーと関係者にのみ明かされていて、キャンプにいた者たちですら、何が作られていたのか知らなかった。
セキ教授は、彼のアカデミーでの教え子や助手たちにも声を掛け、手分けしてこの装置を作り上げた。
部品の製作と魔法具の調達にはマサラが手を貸してくれた。マサラはこの技術をグリンブル政府とコルソー商会には渡したくなかったのだ。
『大規模軍隊転送装置』を設置した場所は北の国境近くにある魔族の前線基地、魔王城、南の国境砦の3か所。
キュロスのキャンプで製作した部品を、防護服を着用したセキ教授が立ち会う形で魔族の工作員らが現地へ行って組み立てた。部品と人員の移送にザグレムがスレイプニールの馬車を何台も提供してくれたおかげで、たった2週間とちょっとで各地の装置の設置が完了したのだった。
南の国境砦に装置を置いたのはザグレム領が近いことと、他の魔貴族からの物資の輸送を受け入れるためであった。
そしてたった今、その南の国境砦の装置から最初の試運転が行われたのだった。
『大規模軍隊転送装置』から最初に騎馬で現れたのは、ザグレム公その人だった。
彼はユリウスの気を惹こうと、わざわざ自治領に戻り、自ら危険を承知で実験台になったのだ。
いつもは彼に冷たいユリウスも、この勇気を称えずにはいられなかった。
『大規模軍隊転送装置』からは、続けざまに魔族の兵たちが出てきた。
セキ教授が先方の装置の設置者と遠隔地用音声魔法具で連絡を取りながら、チャンネルを切り替えて、3つの装置からの転送者をそれぞれ受け入れるという仕組みだ。
次に現れた一個中隊は、北の国境砦に近い前線基地で指揮を執っていたサレオスの部隊だった。
魔王護衛将の1人であるサレオスがその場に姿を現すと、寄せ集めの魔王軍の魔族たちの間にも緊張感が漂い、空気が一瞬にして変わった。
サレオスの部隊には、彼の弟アンフィスと幼馴染のケッシュの姿もあった。
その後も、日を置いて『大規模軍隊転送装置』は各地から人や物を送り込んできた。
ネビュロスのように地理的に有利な者は自力で、国境からも遠い地方の魔貴族たちは支援物資を魔王城へ納入し、魔王城の装置を通して支援物資が持ち込まれた。
また、この後の兵の数が増えることを見越して、多くの天幕も持ち込まれ、キュロスの城壁からは無数の天幕が立ち並ぶ、なかなかに壮観な景色が見られた。
毒対策として、馬の飲み水には中和薬が投入されており、天幕のいたるところに中和薬と解毒薬の入った瓶が置かれている。
そして数日後、ついに魔王城からの増援が現れた。
やって来たのは魔王護衛将のダンタリアン率いる3千の精鋭部隊だった。
その大きな肉体美が台座に現れると、キャンプ内にはひときわ大きな歓声が起こった。
そのダンタリアンに、先に到着していたサレオスが歩み寄った。
「ダンタリアン」
「おお、サレオス殿。お久しぶりです」
「ホルスは留守番か?」
「どうしても来たいと言っておったのですが、なんとか説得して置いてきました」
「フッ、惚れた弱みだな」
「お恥ずかしい。…ところで魔王様はどちらに?」
「トワ様と共にゴラクドールにおられるようだが、魔王府から挨拶は不要と通達を受けて面会を断られた。どう思う?」
「ふむ、この緊急時に、前線に出られないとは魔王様らしくありませんな」
「同感だ」
そこへ、ユリウスがやって来た。
「ダンタリアン将軍、お待ちしておりました。サレオス将軍もこちらへ。我が聖魔騎士団のカナンが作戦の説明をしたいと申しております」
そう云って2人の司令官に華麗に礼を取った。




