アルシエル(1)
キュロスの魔族のキャンプには、ゴラクドールから魔王軍本隊1万が到着した。
これにより、キュロスのキャンプは一気に巨大化していったが、それで何かが変わるわけでもなかった。
キャンプには既に彼らを受け入れても余りあるほどの物資と人員が届いていたからだ。
物資の指示を行うユリウスが云うには、今後まだキャンプには人が増える予定だという。
この魔王軍本隊を率いてきたのはエルドランと魔族の優星だった。
優星は、ゴラクドールでの待機中、ずっとエルドラン相手に武術の稽古をしていて、その腕を見込まれたため、魔王軍の部隊長に任命され、彼と共に軍のリーダーを任されたのだった。
その間に2人はすっかり打ち解けて仲良くなっていた。
2人は本体到着の報告のため、ゼフォンの天幕を訪れた。
「魔王軍1万、只今到着しました。司令官のカナン殿が会議のため不在だと伺っていましたので、直属の上官であるゼフォン殿に報告に参りました」
エルドランはそう云って、ピシッと背筋を伸ばした。
優星もそれに倣った。
「わかった。硬くならずとも良い。普通に話せ」
ゼフォンはキャンプに戻ってから、カナンからの依頼で魔王軍本隊の副指令官に就任した。
魔王軍本隊が到着した後は、エルドランたちはそのままゼフォンの指揮下に入ることになっていた。
「優星、ほら」
エルドランが優星を肘でつついて、なにやら合図を送る。
すると、優星は一歩前に出た。
「えーっと、僕、ゼフォンに見せたいものがあるんだ」
「何だ?」
ゼフォンが不思議そうに優星を見る。
「ちょっと見てて」
「何をするつもりだ?」
優星はゼフォンにそう云うと、彼から少し離れた場所に立った。
「動かないでね」
優星がそう云った次の瞬間、ゼフォンのすぐ目の前に彼の姿があった。
「うお!」
ゼフォンは驚いて後ずさりした。
その様子を見ていたエルドランは、ゼフォンらしからぬ驚き方に、クスッと笑った。
「今のは…<高速移動>か?」
「違うよ。今のは<空間移動>だよ。まだ練習中で、あんまり長い距離は飛べないんだけど、討伐では役に立つと思って猛練習したんだ」
「<空間移動>だと…?空間魔法が使えるようになったのか?」
「うん。エルドランとの稽古が終わってスキルを見てみたら新しく覚えていたんだ。それでイシュタムが使っていた空間転移を思い出して、イメージして練習してみたらできるようになったんだよ。ただし、イシュタムみたいに複数人を一度に移動させることはできないけどね」
「私も初めに見た時は驚きましたよ」
「…すごいな。失ったスキルを蘇らせるのに成功したのか」
「うん。それと、前に話してくれたアルシエルの奥義ってさ、たぶん<屍術師>ってやつだよね?このスキルも覚えたよ。でもこれ…発動すると生命力を消費するってことになってるから、使うと動けなくなってしまうみたいだ。本当に切り札って感じだね」
「スキルを使って動けなくなったところを敵に狙われたのでしょう。ですが、<空間移動>を使えば、1人だけでも逃げられたはずです」
エルドランの言葉に、ゼフォンは首を振った。
「…亡きアルシエル殿は、部下を見捨てて1人で逃げるような人物ではなかった。自分を犠牲にしてでも皆を助ける方を選ぶような尊い人だった」
エルドランは静かに頭を下げた。
ゼフォンも目を瞑って、かつての上官に想いを馳せた。
そんな彼らに向かって、優星は静かに語りだした。
「僕、この体で生きていこうって決めてから、彼のことを知りたくなってさ。初めてアルシエルの魔法紋を見たんだ。彼は自分で日記のようなものを魔法紋につける癖があって、それを追ってみたんだ。彼の人となりがよくわかったよ」
初めて魔法紋というものに触れた優星は、その便利さに驚いた。
自分の生まれのことや行動などの個人的情報から覚書き、スケジュールにいたるまで、行動するために必要な事柄すべてがそこに納められていて、まるで体内にスマホが埋められているようだと思った。
アルシエルはスマホで日記を書くように、日々のことを記録していたのだ。
魔法紋に記録されたものはそれを脳内でショートフィルムのように見ることができる。
アルシエルの記憶を追って、優星はそれを再生してみた。
魔王護衛将筆頭という実力を持っていたアルシエルは、清廉潔白で生粋の武人だった。
その性格から、彼は部下たちに好かれ、親しくしている者も何人かいた。
だけど、天涯孤独で寂しい人でもあった。
彼は繁殖期外子で、親に捨てられた子供だった。
魔法紋の出自を見ると、アルシエルが魔侯爵アポルオンと魔伯爵マクスウェルの血統に連なる者だったことがわかる。
おそらくその当時、両者が敵対関係にでもあったか、表沙汰になっては困ることでもあったのだろう、彼は生まれてすぐ、どこかの洞窟に置き去りにされたらしい。そのまま放置されていれば、魔獣の餌食になっていただろう。
だが彼は運よく魔王に拾われ、魔王城で育てられた。
それ以降、アルシエルは自らの出自を捨て、魔王のためだけに働く戦士となったのだ。
優星は、初めて魔王に会った時、その視線がやけに気になったことを思い出した。
魔王にとってアルシエルは、身内のような存在だったのだろう。中身が別人になったと知って、複雑な思いだったんじゃないかと思う。それでも魔王が優星に何も云わなかったのは、優星という個人を尊重してくれたからなのか、それとも別人だと割り切ったからなのか、彼にはわからなかった。
アルシエルの日記には、魔王の役に立ちたい、恩を返したいという思いがいっぱい綴られており、その他は日々の鍛錬について描かれることが多かった。その中には、共に鍛錬をするゼフォンの姿もあった。一方で恋愛沙汰には全く興味を示さず、繁殖期の度に云い寄ってくる者たちにはうんざりしていたようだ。
そういうところは恋愛体質の自分とは違うな、と優星は思った。
「でね、試してみたいことがあるんだけど、手伝ってくれないかな?」
「何だ?」
「<屍術師>のスキルを一部解放してみたいんだ」
「一部?だがそれを使うと命に関わるんじゃないのか?」
ゼフォンは心配そうに尋ねた。
「そうなんだよ。自分で試すわけにもいかないからさ、このスキルのことについて、魔王府でいろんな人に聞いてみたんだ」
「魔王府には魔王様が魔王城から連れて来た優秀な魔族が多くいて、スキルや魔法に詳しい人が教えてくれたんですよ」
どうやら優星の問題に、エルドランも付き合わされていたらしい。
「ほう。それで何かわかったのか?」
「うん。<屍術師>は、死んでる人を不死者として蘇らせるスキルと、それを自由に操るっていう、2つのスキルが合わさったものらしいんだ。死者を蘇らせるのって、蘇生魔法っていう聖属性の魔法があるけど、それが失敗すると不死者になってしまうらしいんだよね。それは死者に悪霊が入り込んでしまうからなんだって」
「ほう…。では、そのスキルは初めから死者に悪霊を宿らせるものだということか」
「さっすがゼフォン!そう!その通りなんだ!<屍術師>の正体は、魔界から悪霊を召喚する召喚スキルだったんだよ。普通の魔獣召喚は魔力を使うけど、悪霊召喚は召喚者の生命力を直接使うから消耗が激しいんだそうだよ」
「なるほど…」
「悪霊って、神が魔界で魔族を創った時の残りカスだって言いますね。生命体になれなかった恨みを抱いてこの世を彷徨い、死者に乗り移って生きている者を襲うんだとか…」
エルドランが古い伝承を口にすると、優星は「へえ、そうなんだ」と感心を示した。
それからまた話を続けた。
「そしてその後にもう1つ、悪霊を操るスキルがくっついてるんだ」
「ふむ。わかったぞ。おまえのいう一部というやつが。その悪霊を操るスキルだけを行使しようというのだな?」
「察しが良くて助かるよ。それが上手く行けば、不死者をまとめて街から追い出すこともできるし、人を襲うこともなくせるかもしれないだろ?」
「それはわかるが、俺は何を手伝えばいいのだ?」
「このスキルが上手く使えなかった時に備えてさ。もし一部だけを使うことに失敗したら、大惨事が起こる上に僕も倒れちゃうだろ?その時はゼフォンに守ってほしいんだ」
「…俺を用心棒代わりに使うつもりか。それなら俺でなくとも、エルドランが同行すれば良いではないか」
「それが…、私はこの後、隊の武術指南を頼まれておりまして…」
「闘技場のチャンピオンは人気者なんだよ」
優星はそう云って笑ったが、ゼフォンはムスッとした顔で云った。
「それではまるで俺が暇みたいではないか」
「そ、そんなことないよ!ゼフォンが忙しいことはわかってるんだけど、こんなこと他に頼める人いないしさ。それにゼフォンなら絶対守ってくれるって信じてるし!」
優星が慌ててとりなすように云うと、ゼフォンはフン、と溜息をつきながらも、
「まあ、いいだろう。確かに今、不死者の問題は深刻だからな」
と請け負ってくれた。
「良かった~!作戦が始まるまではまだ時間もあるし、きっとゼフォンは時間があるだろうって思ってたんだ」
「その言われようは心外だな。俺は暇ではないぞ」
「あー、っと失言失言。だからさ、日帰りできる近隣の村へ行って実験してこようと思ってるんだ。どこへ行ったらいいとか何か情報はないかな?」
「それなら師匠…カナン殿に伺いを立ててみよう。どのみち外出するなら許可を取らねばならん」
「わかった。でも今留守なんだよね。誰かに伝言を頼めるといいんだけど」
「聖魔騎士団の方々でキャンプにいるのはユリウス殿だけだ。あの人に頼んでみよう」
「ああ!あの奇麗な人!ちょっと緊張するなあ…」
ゼフォンと優星が出かける算段をつけているのを聞いていたエルドランは、少し羨ましそうに云った。
「ずるいな。私も行きたかったよ」
「ごめんよ、エルドラン。でも君が残ってくれるなら何かあっても大丈夫だろ?悪いけど後を頼むよ」
優星は胸の前で両手を合わせて、お願いポーズをした。
それを見ていたゼフォンは、優星は案外、人たらしなのだと思った。




