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暗闇からの脱出

 暗い。


 真っ暗だ。

 どこを見ても光は見えない。


 先程まで、トワと共に魔界と呼ばれる場所にいたはずだった。

 トワが扉をくぐったと同時に、自分はこの真っ暗な空間に移動させられた。

 ここも魔界の中なのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。

 なぜなら、鼓動が聞こえるからだ。

 大きな心拍音が、まるで地響きのように伝わってくる。

 この感覚は覚えがある。

 テュポーンに呑み込まれた時に感じたものと同じだ。

 せっかくトワが助け出してくれたというのに、またテュポーンの中に戻されてしまったのか。


「まったく情けない…」


 だけど、不思議と以前のような絶望感はない。

 自分を気にかけてくれる者がいる、そのことだけで、前向きになれる気がした。


 トワに誓った。

 何があっても諦めないと。


 気持ちを前向きに持った時、自身に変化が現れた。

 ただテュポーンに呑まれるのを待つだけだったイドラの意識は、今、テュポーンの真っ暗な意識の海の中にあってもその輝きを失うことはなかった。

 イドラはテュポーンの黒い海の中に、自分の意識の島をしっかりと確保することができた。

 イドラの島は、黒い波が打ち付けても削られることもなくしっかりとそこにあった。それはまるで広い海原に浮かぶ無人島のようだった。


 あれからどれほど時が経っただろう。いや、経っていないのかもしれない。ここでは時間の感覚など皆無だ。


 先程まで、テュポーンはずいぶんと攻撃的だった。

 感じたのは、苛立ち。

 そこから派生する憎悪だ。

 おそらく人間共と戦ってでもいたのだろう。

 人間たちが何かしたのか、著しく魔力が低下したのがわかった。

 それから、静かになった。

 今は、急激な魔力の流入を感じる。回復しているのだろう。

 それは嵐の前の静けさ、といった雰囲気だ。


 テュポーンが興奮状態だった時は、島自体が大きく震える程の振動を感じていた。

 意識体の自分が振動を感じるとはどういうことだろうと考え、1つの可能性にたどり着いた。

 自分の意識が、テュポーンの依り代となったはずの体と、まだ繋がっているということだ。

 それは、自分の体を取り返せるチャンスがまだあることを示している。

 問題は、その方法を今のところ何も思いつかないことだった。


「それにしても暗いな…。この暗闇で、果たして明かりが灯せるかな」


 意識を集中させてみる。

 すると島の周囲にだけ、ほんのりと明るくなった。

 まだ自分にもそんな力が残っていたことに驚いた。

 誰かが助けに来てくれた時、暗闇の中にこうして明かりがあれば、ここにいることをわかってもらえるだろう。来てくれればの話だが。


 ふいに、何かの気配を感じた。

 テュポーンの意識に支配されたこの思念の空間に来られる者など、トワくらいしかいないはずだ。


「まさか、トワか?」


 イドラはかすかに期待した。

 自らも手に灯した明かりで周囲を照らし、目を凝らしてじっと暗闇の海を見つめた。

 何か黒いものが、意識の海を泳ぐように動いている。

 その黒さから、トワではないことだけは明らかだ。彼女はもっと光り輝いている。

 それは、明かりを目指してこちらへと動いている。

 明かりに近づいた時、動いていたのが真っ黒なヘドロの塊だったことがわかった。


「うわぁ!!バケモノ!!」


 思わず驚いて飛び退った。

 その物体は、テュポーンの真っ黒な意識の波の中から、黒いヘドロのようなものを滴らせながらこの島に這い上がって来た。


「く、来るなぁぁ!!」


 その黒いヘドロの塊は地を這うように、拒絶するイドラに構わずに近寄ってくる。


「ひぃ…!」

「イ…ド…ラ…」

「えっ?」


 ヘドロの塊が自分の名を呼んだことに、ビックリした。


「なぜ私の名を…」


 ヘドロの塊は、イドラの足元まで這ってくると、急にイドラの背の高さより高く伸びあがった。


「うわぁっ!」


 イドラは驚いて悲鳴を上げた。

 そのヘドロの塊の中から、ぬっと人の手が飛び出したかと思うと、着ぐるみを脱ぐようにヘドロの塊の中から人が現れた。

 それは特徴的な大きな角を額から生やした、イドラのよく知っている魔族だった。


「イドラ、我だ」

「イシュタム…!?おまえ、どうして…?」


 イシュタムは脱ぎ捨てたヘドロの塊を、テュポーンの意識の波の中へ投げ捨てた。

 ヘドロのバケモノの正体が、見知ったイシュタムだったとわかり、イドラはホッとした。


「まったく、驚かすな!どんな化け物がきたのかと思ったじゃないか!…まさか、テュポーンの意識に取り込まれないようにあんなものを身につけて擬態してきたのか?」


 イドラは悪態をつきながらも、イシュタムにどうやってここまで来たのかを問い詰めたが、例によってさっぱり要領を得ない。

 頭を抱えるイドラを、イシュタムが近づいて、ぎゅっと抱きしめた。


「…何の真似だ?」

「もう一度会えたら、こうしようと決めていた」

「…そんなこと、どこで覚えて来た?」

「魔王が好きな者にはこうすると良いと言っていた」

「なっ…!」


 魔王はイシュタムに一体何を教えているのだ?

 …いや、よく考えてみれば、ここは意識の世界だ。

 これは自分の抱いているイメージで、イシュタムの意識がイドラに見せている妄想に過ぎない。

 なのに、どうしてこんなにドキドキしてしまうのか。

 イドラが戸惑っているのがわかったのか、イシュタムはそっと体を離してイドラを見つめた。


「おまえが嫌ならもうしない…」


 イシュタムは肩を落として云い、イドラを抱いている腕を離そうとした。

 あきらかにがっかりしている。

 大きな体が小さく見えるほどに。

 今まで意地を張って来たけれど、こんな姿を見せられては受け入れざるを得ない。


「おまえはずるい」

「ずるいとは、どういう意味だ?」


 大きな角の魔族は、その体に似合わず小心者だ。

 イドラの顔色を伺おうと必死で、その言動を聞き逃さないように意識を研ぎ澄ませているようだった。

 それが妙に滑稽に思えて、肩の力が抜けた。


「…嫌じゃない。こんな無茶をしてまで私を救いにきてくれたこと、本当はとても嬉しいんだ」

「本当か?」


 しゅん、としていたイシュタムの顔が急にパッと明るくなった。


「…ああ。たとえ永遠にここから出られなくとも、おまえと一緒にいられるなら、それもいいと思うくらいに」


 イドラは、離れようとしていたイシュタムの胸に、自分から飛び込んだ。


「イドラ…?」

「おまえはウザくて、唐突で、乱暴で、私のいうことを聞かなくて、本当に困った奴だ」

「…それはすまないことをした。嫌なことは言ってくれないとわからないのだ…」

「一番嫌なことは、おまえが私の欲しい言葉をくれないことだ」

「…それは、何だ?」

「言わないとわからないか?」

「わからぬ…」


 イシュタムはイドラを抱き留めながら、困ったように云った。


「そういう鈍感なところが嫌いだ」

「き、嫌い…?イドラは我が嫌い、なのか…?」

「嫌いなわけがないだろう?」

「ど、どっちだ?わからぬ」

「バカ」


 イドラはイシュタムの腕の中で、彼の顔を見上げた。


「おまえは神のくせにバカだな」

「それは、我を卑下する言葉だ。おまえは我を軽蔑しているのか?だから嫌いなのか?」

「バカ。本当に軽蔑していたら、こんなことはしない」


 イドラはそう云って、イシュタムの胸に身を寄り添わせた。


「…我は混乱している。おまえの言うことがわからない」


 近い距離で見つめるイシュタムが、イドラには怯えているように見えた。

 この神には、いろいろと教育が必要のようだとイドラは思った。


「…おまえは、私が好きか?」

「好きだ」


 イシュタムは即答した。

 思考する余地すらなかったように。

 この素直さを、普段から言葉にすればよいのにと思う。


「私も、おまえが好きだ」


 イドラが初めて告白すると、イシュタムは目を見開いて、イドラを抱く手に力を込めた。


「イドラ…。我は嬉しい。どう言葉にしたらよいか、わからぬ。我にもっとおまえのことを教えてくれ。我はおまえと共に生き…おまえを理解したいと願う」


 すると、突如としてイシュタムの体が光り輝き始めた。


「どうした…?」


 イドラが云いかけたその時―。


「…お…おおおお…!」


 イシュタムが、突然雄叫びをあげた。

 驚いたイドラは、彼を見上げた。


「イシュタム…?な、何が…起こっている?」


 イシュタムの放つまばゆい光は、どんどん強くなっていった。

 それはイシュタムの中の何かが解き放たれたかのような、力に満ち溢れた光で、真っ暗なテュポーンの意識の海に少しずつ広がって行った。

 イドラはそのまばゆさに思わず目を細めた。


「これは…おまえの心か?なんという温かな光だ…」

「おまえの意識が、我に力を与える」


 イシュタムは、抱きしめたイドラをもその光の中に取り込んでいった。

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