本物の魔王
「なぜだ、なぜここへ来ることができた?」
「フン、魔王に不可能はない」
2人のゼルニウスが退治している。
だけど、どちらが本物の魔王なのかはすぐにわかった。
「トワ、どこまで思い出した?」
黒マントの魔王は、背中越しに私に尋ねた。
「全部」
「そうか」
彼はニヤリと笑って私を振り向いた。
「ならばもうここにいる必要はないな」
「何…?」
「トワが望まぬこの世界に意味はない」
黒マントの魔王は、私に手を差し出した。
私は迷わずその手を取った。
すると彼は私をまるでダンスを踊る時みたいに引き寄せて腕に抱いた。
「ゼルくん…!来るのが遅いよ」
私は魔王の背中に腕を回して抱きついた。
「待たせたな。ここへ来るのに少し手間取った」
「来てくれて嬉しい。本当に元の世界に戻されたのかと思ってたから…」
「おまえがどこへ行こうと我は追いかける。どこで、どんな姿になっても見つけると約束しただろう?」
「う、うん。…あ…」
私はふと我に返って、魔王から顔を背けた。
「どうした?」
「あんまり見ないで。これが元の世界の私の顔なの…。がっかりしたでしょ?」
向こうの世界では美少女だったかもしれないけど、今の私は現実の、平凡なモブ顔だ。
私はこの世界を元の現実世界だと思っていたから、全部そのままのイメージで実体化している。
こんなの、本当は見せたくなかったよ…。
すると彼は私の顔をむぎゅと手で掴んで強引に上を向かせた。
「そうか?地味で小粒だが、なかなか可愛い顔だぞ?」
「むぅ。さりげなくディスられた気がする…」
「どんな姿でも、おまえはおまえだ。中身がおまえなら、どんな外見でも構わん」
「ぜんっぜん褒めてないじゃん…」
「なら、今度はどんな約束が欲しい?」
彼は優しい目で私を見つめた。
「それじゃあね…」
私は彼にそっと耳打ちした。
「よし、わかった。その約束、叶えてやろう」
「本当に?できんの?」
「その話はまた後だ。ここから脱出するぞ」
「う、うん。ところで、あの人は誰なの?」
私はもう1人のゼルニウスを見た。
彼は私と魔王のやりとりを、無表情のままじっと見ている。
その美しい顔は、作り物みたいに見えた。
「恐らく、イシュタムの一部だ」
「一部…?」
「イシュタムとは意識体の集合だ。そのうちの一部が、おまえに興味を示したのだろう」
「そ、そんなことってあるの…?」
私と魔王の会話を聞いていた偽ゼルニウスは、私に語りだした。
「おまえの話す言葉を、我々は聞いていた。そして興味を持った。我々の別の一部は、おまえを排除しようと異空間へ送ろうとした。だが、我々はおまえを手に入れたいと考え、おまえの望む世界、つまりこの世界を創りだし、おまえを誘い込んだ」
「どうして?」
「おまえが神になるべき存在だと判断したからだ」
「か、神?」
神って何?
私は神じゃないわ。人間よ?
「ここから逃がすわけにはいかぬ」
偽ゼルニウスはそう云うと、目の前の世界が一変した。
私たちがいたマンションをはじめ、目に見えるすべての建物が砂のように渦を巻いて空間の中に消失してしまった。
そして、何の物体も存在しない、白と黒がマーブル状にゆらめくだけの空間になった。
そこは、以前イシュタムが私を連れて転移した時の亜空間に似ていた。
「トワ、我々はおまえが望む通りの世界を創ってやった。ここにいればなんでも思い通りになる。なのに、なぜ拒む?」
「なんでも思い通りになる世界なんて、望んでいないわ」
「ここにいれば安穏と幸せな日々を送ることができる。我とここで過ごしてはくれないのか」
「あなたは私を甘やかしすぎたのよ。こんなんじゃ私、きっとダメ人間になっちゃうわ」
「それの何が悪い?甘やかすのがなぜいけない?我と来ればすべてがおまえの望む通りになるのだぞ」
偽ゼルニウスは私に手を差し出した。
だけど私がその手を取ることはなかった。
「確かに優しいあなたといるのは心地よかったわ。だけどそんなの本物じゃない。私、人よりできないことが多いから、これでも結構頑張ってきたのよ。だから、甘やかしてくれる人よりも、ダメな自分を高みに引き上げてくれる人の方が好きなの」
私はチラッと魔王を見上げた。
魔王は私の視線を受け止めて、ニヤニヤした。
「おまえが望むなら、我もデレデレに甘やかしてやっても良いのだぞ?」
「…そ、それはそれで…いいんじゃないかな…?飴とムチって言うし…」
「まあ、そうするとおまえはすぐ調子に乗るからな」
魔王は私の体を片腕で持ち上げて、同じ目線で云った。
現実の私の背は、だいぶ小さいから、がんばって背伸びをしても、背の高い彼の胸の高さにも目線が届かなかったのだけど、それでようやく彼の首に両腕を回して抱きつくことができた。
「ちょっとくらいいいじゃん、調子に乗っても」
魔王の首に抱きついて身を寄せる私を、偽者さんは何か云いたげにじーっと見つめている。
「フフン、どうだ。トワの望みは我と共にあることだ」
魔王は勝ち誇ったように笑って云った。
「…なぜ我ではダメだったのだ?我の姿とどこが違うというのだ?」
「へ?…あ、そっか。あなたには魔王が自分と同じ姿に見えてるんだ?」
「…何?」
「言っとくけど、全然違うからね?」
「そんなはずはない。我はゼルニウスの姿を忠実に再現しているはずだ」
偽ゼルニウスは焦った様子を見せた。
その彼に、説明を加えたのは魔王だった。
「イシュタムは我の記録を持てないからな。故に我に近しい魔族の記録を元にその姿になったのだろう」
「その通りだ」
「あなたは知らないのね?魔王の姿は見る者によって違うのよ」
「なんだと…?そんなことがあり得るのか?」
「あなたの姿は確かに人もうらやむイケメンだったけど、正直私のタイプじゃなかったのよ。私の望む世界を創ったつもりだったんでしょうけど、私の好みまではわからなかったようね」
「それは想定外だ…」
私はこれまでのことを思い返してみた。
なるほど、と思い当たったことがあった。
「あー、わかった。宝くじの話をした時、傍にいたのは魔王とジュスターだけだったはず。あなたはジュスターの記録を見たわけね。ふ~ん、彼には魔王の姿はそういう風に見えてるんだ?」
「所詮はニセモノだ。貴様ごときが我の代わりになれるとでも思ったか」
魔王は私を腕に抱えながら、偽者を見下すように云った。
さすがにそれには偽者さんも怒りを覚えたようだった。
「貴様さえいなくなれば、トワは我とここで暮らせる」
「…また、記憶を消して、か?」
「それがトワのためだ」
「自分のために、の間違いだろう」
「黙れ!」
偽者がそう叫ぶと同時に、彼の背後に虎のような巨大な魔獣が現れた。
魔王は私を背中に庇った。
「魔王ゼルニウスを排除し、トワを確保する」
彼がそう云うと、虎は鋭い牙を剥いてこちらを威嚇した。
「ど、どうするの?脱出って言っても、出口がわからないよ」
「この世界は奴の創った世界だ。奴にしかわからぬ理がある。それを見つけなければここから出ることはできぬ」
「理…?」
「ここは実体のない、意識体の世界だ。実体があるように感じているのは、奴とおまえのイメージが具現化しているだけだ。だが、あの獣に食われたら、意識が消滅する」
魔獣は鋭い爪で魔王を攻撃してきた。
彼は私を庇いながら、それをすばやく躱して逃げる。
「攻撃できないの?」
「言っただろう?ここは奴の意識の世界だと。ここではスキルも魔法も使えん」
「ええっ?」
じゃあ、どうやってあの獣を倒すの?
この何もない空間じゃいつか追い付かれちゃうわ。
偽者のゼルニウスは無表情のまま、虎から逃げ回っている私たちを見ている。
ここじゃ癒しの魔法も使えない。
魔王が獣に襲われて倒れても、助けてあげられないじゃない!
どうしよう…!
…私が、ここに残るって云えば、魔獣を退かせてくれるの?
私がこの世界で、あの人と暮らすって云えば…。
「おい、間違っても我を助けるためにあいつに従おうなどとは考えるなよ」
魔王が背中越しに私にそう云った。
本当にもう、どうして私の考えてることがわかるんだろう?
そうね、それくらいなら、魔王と一緒にあの獣の手にかかった方がマシだわ。
彼と一緒に死ねるなら…。
待てよ、…そうだ、あの時、確か…。
『我の力は、おまえ自身には及ばぬのだ』
偽者はそう云った。
ここは彼が私のために創った世界。
この世界の理ってもしかしたら…。
…試してみよう。
「ゼルくん、下がって」
魔王の背中で、私は叫んだ。
「何っ?」
私は魔王の腕を掴んで、ずいっと彼の前に出ると、魔獣の方へと進んで行った。
「何をする?!食われるぞ!」
「大丈夫よ。ゼルくんはそこで見てて。この人は私に手出しできないはず…」
「よせ、奴は魔獣に意識を食わせて、おまえを操ることもできるんだぞ!」
「えっ?そ、そんなこともできるの?」
そんなの聞いてないよー!
虎に似た巨大な獣が、今にも私を食い殺そうとしているように見えた。
わー、鋭い牙。あれに噛まれたら痛そうだな…。
いいや!こ、怖くない。
怖く…。
ガルルル、って唸り声がめっちゃ怖い…。
でも、きっと大丈夫!
大丈夫な…はず。
その獣は、大きな口を開いて私に襲い掛かってきた。
うわぁ!
大丈夫じゃないかも!?
一瞬、私は目をぎゅっと瞑った。




