転送されてきた少女
次章の前のお話です。
たびたび話題に出てきている国のお話です。
その男は、天然パーマのような金髪の巻き毛で、20代半ばくらいに見えた。
彼の名はマルティス。自称便利屋である。
彼の住むアトルヘイム帝国は、人間の大陸の北方に広大な版図を有する超大国である。
その歴史は古く、近隣諸国を強大な軍事力を持って支配下に治めてきた軍事国家で、特に黒色重騎兵隊は世界最強の軍隊との呼び声も高い。100年前に勃発した人魔大戦では人間側の中心的な戦力となった。
この国は教育にも力を入れており、大学や士官学校も多く存在する。
首都トルマにある帝国大学では非常に高いレベルの学問を学ぶことができるため、国内外からの留学生も多い。その中には、各国の王族や貴族の子弟などもいて、帝王学や軍事についての知識等を学んでいる。
その広大な領土の中には魔族排斥を掲げる大司教公国も含まれており、帝国はその教義を支持している。そのため、アトルヘイム帝国は魔族討伐の急先鋒としても有名なのである。
だがそれが原因で、同じ人間の国でも魔族を受け入れているグリンブル王国やペルケレ共和国などとは国交を正式には認めておらず距離を置いている。
強大な軍事力を持つアトルヘイム帝国が、それらの国を静観しているのには理由がある。彼らの敵は魔族だけではなかったからだ。
この100年の間に大陸南方に興ったガベルナウム王国の存在である。
ガベルナウム王国は、南方の小民族を従えてその版図を拡大しており、ついにはアトルヘイム帝国との国境付近まで侵攻してきたのである。
更に10年前、追い打ちをかけるように、最南端に位置する属領国ヴォルスンガ評議国が独立戦争を仕掛けてきた。
ガベルナウム王国が、その後押しをしたというまことしやかな噂もある。
独立戦争は5年に渡り、ついにアトルヘイム帝国に独立を認めさせたヴォルスンガ評議国は、ガベルナウム王国をはじめとする諸外国に親書を送り、自国が再びアトルヘイム帝国に侵略されることのないように庇護を求めた。
これに名乗りを上げたのがガベルナウム王国だった。
これについては自作自演だと各国に揶揄されることとなったのだが、これでヴォルスンガ評議国は実質的にガベルナウム王国側についたことになった。
アトルヘイム帝国としてはこれ以上敵対勢力を増やすのは得策ではないと判断したのである。
そんな状況下において、盛況なのは軍事産業である。
武器や軍馬など、国内だけでは賄えず、国交のない国からも秘密裏に買い付けているのが現状だった。
マルティスも便利屋を名乗っているだけあって、裏ルートから仕入れた武器の売買を行っていた。
この日も、彼はそういった裏ルートで仕入れた新商品をアトルヘイム軍に納品にきたのであった。
学生らが通う帝国大学と柵を隔てた隣に帝国軍の本拠地であるアトルヘイム基地本部がある。
基地本部は軍の中枢司令部のある中央部、騎馬隊など主力部隊の基地である右翼部、魔法局の入る左翼部の3つの塔から成っている。
マルティスは、馬車を操って、左方の魔法局の中へ入っていった。
馬車が到着すると、灰黄色のローブ姿の男性が出迎えた。
「やあマルティスさん、待ってましたよ」
「コーネリアス局長、お待たせしました」
馬車に積んであった部品を、魔法局の局員たちが次々と降ろしていく。
ローブ姿の男性は、長い栗色の髪を後ろでひとつに縛っていて、人懐こい顔立ちをしていた。それはマルティスと同年代の魔法局長コーネリアスであった。
魔法局の局員たちは局内の研究室まで部品を運び、マルティスの指示でそれらを組み立てていく。
1時間のうちに、立派な装置が出来上がった。
装置は長方形のボックス型で、人1人が乗れる程度の円形の台座が付いている。
「これがグリンブル・アカデミー門外不出のポータル・マシンですか」
「ええ。アカデミーの教授から取り扱い説明書を預かってきました」
マルティスはコーネリアスに分厚い文書を渡した。
「この台座に乗って、このスイッチを押すと、もう1台の装置に瞬間転送されるんですね」
コーネリアスはわくわくして云った。
「はい。本来ならもう1台こちらにお持ちしてここで転送実験を行うのが効率が良いのでしょうがねえ」
「ほんっとーに申し訳ありません。私の力不足で、どうしても1台分しか予算が下りなくて…」
「いえいえ、事情はわかります。試作品にお金を出していただけるだけでもうちは大助かりですから」
コーネリアスは申し訳なさそうにマルティスに頭を下げた。
「うちの事務所にも同じ装置がありますので、転送実験はこの2つで行いましょう」
「助かります。で、これが空間魔法が封じられている魔法具ですか」
「ええ。この魔法具の小型化が今後の課題だそうです」
コーネリアスが触れたのは、台座の脇に取り付けられている高さ1メートルくらいの円柱だ。
根本部分から取り外し可能になっており、その中に魔法具が収納されている。
円柱のてっぺんには電源ボタンと転送スイッチ、操作盤が付いている。
「アカデミーの方はもう稼働に成功しているんですか?」
「ええ。まだ1人ずつですが、実験には成功してます。ですが、転送する人間に問題がありまして」
「ほう?どのような問題が?」
「ある程度の魔力がないと転送できないようなんです。それに転送酔いと言われる症状も確認されています」
「なるほど…。転送される人間も訓練が必要なんですね」
「そうなります」
「魔力が必要となると、実戦部隊の軍人を選抜する必要がでてきますね。う~ん、困った…」
「ですが、魔力のない人間でも転送できるようにと現在改良が進められています。アカデミー肝入りのプロジェクトですからね。今後に期待しましょう」
「さすが世界一のアカデミーですね」
コーネリアスは表情を一喜一憂させている。
マルティスはそれを面白そうに見ていた。
「ということは当面、実験は魔法士じゃないと無理ってことですか」
「ええ、そうなりますね」
「わかりました。局員の中で希望者を募ってみます」
「安全性は確認が取れているので、大丈夫ですよ。魔力が足りないと起動すらしませんからね。なんなら最初は私が実験台になっても構いませんよ」
マルティスはそうフォローした。
「一応、注意事項をまとめておきますね。このポータル・マシンは、台座の上にある『質量を持つ物体』を、空間魔法によって制御し、別のマシンへ転送する装置です。マシンにはそれぞれ個体コードが設定してあり、そのコードを設定することで、対応するマシンと相互転送が可能になります」
コーネリアスはマルティスの説明を、先ほどもらった説明書を見ながらうんうん、と頷きながら聞いていた。
「当面は1人ずつしか転送できず、1日に稼働できる回数にも限りがあります。それから重要なことは、魔法具の交換を定期的に行う必要があるということです」
「消耗品ですもんね」
「この魔法具は、グリンブル・アカデミーのマシーナリー科で開発中のものなので、一般向けにはまだ販売されていません。交換の際には私にご連絡くださればご用立てしますので」
「わかりました。10年以内にはなんとか軍用化したいものです」
「10年たたずに一個小隊を瞬時に戦場へ送り出せるようになりますよ」
マルティスがそう云うと、コーネリアスは「そうなるといいですね」と笑顔で云った。
「実験はいつから始めますか?すぐにでも構いませんが」
「あ~、そうしたいのはヤマヤマなんですが、急に前線から救援を頼まれまして。ガベルナウム軍と国境付近でまた始まったみたいで、しばらくそっちに出かけることになったんです。なので、戻るのは…う~ん、そうだなあ3~4か月はかかるでしょうか。申し訳ないんですけど、しばらく待っててくれませんか」
「こちらは構いませんよ。戻られたらいつものポストまで連絡ください」
コーネリアスをはじめ、局員たちは会議があるとのことで引き上げていった。
ちなみに、『ポスト』とは、人と連絡を取るための総合連絡所のことである。自分専用のポスト番号を取得しておけば、その番号を連絡を取りたい人に教えることで、伝言やメモのやりとりを代行してくれるサービスのことだ。マルティスのような御用聞き商売をやっている者には必須なのである。
『ポスト』のシステムを発明したのはグリンブル王国であるが、今では大都市ではどこでも存在するのが常識であり、各都市の『ポスト』は商人や冒険者を通じて結ばれている。実はこの『ポスト』のネットワークを円滑に進めるために、グリンブル・アカデミーはポータル・マシンを開発したのだった。
それを聞きつけたアトルヘイム帝国は、マシンの軍事転用を目論んでいる。
そもそも、この情報自体を帝国へ売り込んだのは当のマルティスなのであったが。
「では私も最終点検をしてから帰りますね」
研究員たちは去り、部屋にはマルティス1人が残った。
ポータル・マシンの電源には、空間魔法を封じ込めた魔法具が使われている。
その魔法具のスイッチを入れた時だった。
ふいに、ポータル・マシンが稼働を始め、その直後に「ドサッ」と何かが倒れる音がした。
「えっ?」
物音に驚いて見ると、何もなかったポータル・マシンの台座の上に、人が倒れていた。
「…うっそだろ…。そんなバカな」
この装置は今設置したばかりで、何の設定もしていない。
どこからか人が転送されてくるなんて、ありえない。
マルティスはおそるおそる、台座の中で倒れている人物に近づいてみた。
それは人間の少女で、彼は一瞬、その美しさに目を奪われた。
マルティスが抱き起すと、少女は一瞬だけ目を開けた。
その瞳の色は金色に輝いていた。
『お願い…この体を守って』
頭の中に直接響いてくるような声だった。
それだけ云うと、少女は気を失ってしまった。
「おいおい、一体どこから転送されてきたんだ?」
その少女は、明るいブラウンの長い髪をしていて、なぜかバスローブのようなものを羽織っていた。
こころなしか、髪も濡れている。
彼女は何度揺さぶってももう目を覚まさなかった。
「風呂上がりの娘が転送されてきたってか?ジョーダンきついぜ…」
しかし、このままにもしておけない。
こんな娘が装置内で見つかったら、不良品のレッテルを貼られてしまうかもしれない。
せっかく高値で買ってくれた上、メンテナンス費用までたっぷりといただいているのだ。おかしな噂が立つのはゴメンだ。
とりあえず、彼は人目に付かぬように、こっそりと少女を馬車に乗せた。
マルティスの事務所は、アトルヘイム帝国の帝都トルマ市内のダウンタウンにある。
市内の一等地にでも事務所を置けるほどの稼ぎはあるはずだが、家賃の安い下町に事務所を借りているのは、やはり後ろめたいことにも手を染めているからだった。
その事務所は、小奇麗な建物の1階と2階にあった。1階は事務所で、立派なオフィスフロアになっていた。そのオフィスの奥の部屋に、魔法局にあった装置と同じものが置かれていた。
2階は住居スペースになっていて、彼はそこで寝泊まりしていた。
マルティスは少女を抱きかかえて2階へと上り、1つしかないベッドに、彼女を寝かせた。
「どうすっかな…養護院に連れていくべきか…」
養護院というのは、事故や戦争で、夫や親を亡くした身寄りのない女子供を受け入れている国の施設である。
しかし、どこから来たのかと訊かれても、「ポータル・マシンで転送されてきました」なんて言えるわけがない。身元のはっきりしない者を受け入れてはもらえないだろう。
奴隷制度の残るこの国では、身元不明の娘など、手放した途端、売られてしまうのがオチだ。
マルティスは頭を抱えた。
娘は頬を叩いても鼻をつまんでも、水をかけても目を覚まさない。
「魔法で眠らされているのかな?やれやれ、困ったな。こんな女の子の世話なんて、したことないぞ?」
浅い呼吸をしているから、生きてはいる。
マルティスはふと、先ほど少女の言葉を思い出した。
「たしかこの娘、『この体を守って』って言ったよな…。普通、『私を守って』じゃねーのか?」
彼は首をかしげながら少女を見下ろした。
「ともかく目覚めてくんねーと困るんだよな。一度、回復士に見てもらうか…」
大司教公国の回復士は腕はいいが費用が高いので有名だが、仕方がない。
回復士を呼ぶには金がかかるというのは、この世界では常識だ。
マルティスが費用のことで渋い顔をしていると、隣の部屋に置いてある時計型の魔法具から音がした。
「おっと…。いけね、時間だ」
住居スペースの扉を閉めて、1階の部屋へ移動する。
奥の部屋にあるポータル・マシンを起動させ、台座に乗った。
台座横のスイッチを押すと、彼の姿は一瞬にして消えた。
次にマルティスの姿が現れたのは、別の場所にある同じ装置の中だった。
「う~、やっぱ気分悪いぜ…」
ぼやきながら台座から降りる。
そこは薄暗いレンガ造りの部屋の中だった。
装置の前にはローブ姿の人物が立っていた。マルティスはその人物に手を挙げて挨拶した。
その人物は、ローブのフードを後ろへはねのけた。
そこから現れた顔は、左半分が焼けただれたようなケロイド状の皮膚を持つ、魔族だった。
「よう、イドラ。定期報告だ。無事アトルヘイムにポータル・マシンを納品してきたぜ」
「ご苦労。相変わらず人間のフリが上手いな」
「まーな。この耳は生まれつきだしよ」
「いいや、幼いころはもう少し魔族っぽかったと思うが?」
「気のせいだよ」
マルティスは金髪の髪に埋もれていた自分の尖っていない耳に触れた。
「これは今月の分だ」
ローブ姿のイドラは、皮袋をマルティスに渡した。
マルティスはズシリと重い皮袋を受け取り、中身の金貨を確認する。
「まいど」
「また、仕事を頼みたい」
「へえへえ。今度は何だ?」
「宝玉を取り戻して欲しい」
「宝玉?なんだそりゃ」
「こういうものだ」
イドラは懐から手のひらサイズの透明な玉を取り出して見せた。
「ふ~ん。で、そりゃ何なんだ?」
「この中に魔法のスキルが封じられている」
「へえ!そんな便利なモンがあるのか!高いんだろうなあ?」
「これは売り物ではない。大司教公国の秘宝だ」
「秘宝?それが流出したってことか?」
「何者かに盗まれて、売られてしまったのだ」
「そりゃケッサクだ。このお堅い国がコソ泥に入られたってのかよ!」
マルティスは愉快そうに笑った。
「笑い事ではない。あれが悪用されれば大変なことになる。その宝玉は、魔力のない人間でも魔法が使えるという代物なのだ」
「マジかよ。…そりゃあ貴重なもんだな。さぞ高く売れたんだろうなあ」
「中には使用するのに相応の魔力が必要なものもあるが、それだけ強力な魔法が封じられているということだ」
「なるほどねえ。で、どこに売られたのかわかってるのか?」
「部下に調べさせた限りでは、アトルヘイム帝国の魔法局が買い取ったそうだ。グリンブル経由で販売された形跡がある」
「なるほど、それで俺に頼みに来たってわけか。いいぜ。その代わり報酬ははずんでくれよ?」
「いいだろう」
「あー…っといいたいところだが、アトルヘイムの魔法局長がしばらく留守にするらしいから、取り戻すのはその後になるぜ」
「…時間がかかってもいいから必ず取り戻して欲しい」
「ああ、それまでにこっちでも内偵を入れとくよ」
「頼む」
「ところでその宝玉ってのはどんなスキルが封じられてるんだ?」
「<防御力増加>と<覚醒能力封印>だ」
「<防御力増加>はわかるが、<覚醒能力封印>ってのは何だ?」
「100年前、勇者が魔王を封印したスキルだ」
「…は?マジか?なんでそんなもんがあるんだよ?」
「詳しくは言えんが、そういうことだから早急に頼む」
「わかったよ。しっかし、2つも秘宝を盗られるなんて、大司教もうっかりさんだな」
「他に何かあるか?」
「あー…。そうだ、腕のいい回復士を紹介してくんねえかな」
「回復士だと?魔族のおまえがなぜだ?」
「いや、俺じゃなくて人間の女なんだが、ちっとなりゆきで面倒みることになっちまってさ」
「人間の女だと?」
イドラはマルティスをギロリ、と睨んだ。
「厄介事は避けろと言ったはずだ」
「わかってるって。その女が治ったらオサラバするつもりだからさ」
「…ちょうどSS級の回復士がアトルヘイムに赴任することになっている。ホリーという女だ。魔法局に顔の利くおまえなら、金貨20枚程度出せば呼べるだろう」
「金貨20枚!?たっか!!」
「それでも安い方だぞ。言っておくが相手はSS級魔法士だ。おまえの精神スキルが効くと思うな」
「あっちゃ~…マジか…」
「それくらい大した金額ではないだろう?おまえにはかなり融通しているはずだが」
「まあな。恩に着る。じゃあ戻るぜ」
マルティスはイドラに軽く挨拶をして、ポータル・マシンの台座に再び乗ると、そのまま転送されていった。
自分の事務所へと戻ってきた彼は、2階の住居スペースへ向かった。
眠っている少女を横目に、隣の部屋で着替えを始めた。
「金貨20枚か…。さすがにボるねえ…」
マルティスは、変装するかのように帽子を目深に被り、眠っている少女に声を掛けた。
「そんじゃ、お坊ちゃん相手にひと稼ぎしてくっから、いい子で待ってな」
彼は鼻歌交じりに出かけて行った。
間章扱いですが、重要なお話です。
国の名称やら新キャラクターやら、いろいろ情報がてんこ盛りですが、人間の国がどういう状況なのかだけ把握しておいていただければと思います。




