見知らぬ自分
んっ…。
なんだかお尻がひんやりする。
―ザワザワ。
視力より先に触覚と聴覚が戻ってきた。
なにやら雑音のように多くの声が聞こえる。
何度か瞬きすると、ようやく視力が戻ってきた。
うっすらと周囲に人が大勢いるのが見えた。
私は地面に横たわっていたみたいだ。
起き上がろうとしたけど、何か自分の身体じゃないみたいに手足がうまく動かせない。
あれ?
私は…何してたんだっけ?
たしか、勤務先の病院に行く途中だった。
近道しようと思って、工事現場の前を通ったんだった。
そしたら、上から鉄骨が落ちてきて…。
そこで時間が止まったように感じて、意識がなくなったんだった。
私、死んだのかな。
ってことは、ここはあの世…?
とりあえず、体を起こしてみた。
ん?なんか白いシーツみたいなのが掛けられてる?
「おお!起き上がった!」
「奇跡だ!」
誰かが声をあげたと同時におおーー!っとどよめきがおこった。
ちょっと、ビックリするじゃんよ!
私の周囲には、大勢の人々が一定の距離を保って輪になって集まっていた。
体を起こして周囲を見ると、白っぽいローブ姿の100人位の集団に360度囲まれていた。
ひい!なにこれ怖い!
なんだか怪しげな宗教団体っぽいよー!
あの世ってお花畑が広がってるんじゃないのかー!
ふと、自分の裸足が目に入った。
靴を履いてない。
いや、靴どころか…。
え。
ちょっ!
私裸じゃん!やだちょっと!パンツも履いてない!
こんな大勢の前でヌードとかどんな羞恥プレイよ!
嫁入り前の娘になんちゅー仕打ちよぉ…。
かろうじて体に掛けられていたシーツみたいな白い布で体を隠した。
どうりでさっきからお尻が冷たいはずだわ。
この床、レンガでゴツゴツしてるし。
あの世には洋服って持っていけない決まりなのかな?
私はシーツを体に纏って、ようやく立ち上がった。
よく見ると、私の足元には大きな魔法陣のような不思議な図形が描かれていた。
こういうのアニメや映画で見たことあるぞ。
魔法とか使うときに床とかに描くヤツだ。
周囲の人々はその魔法陣の中に入らないように私と距離を取っていたんだってことに気付いた。
遠巻きに見ているだけで、誰も話しかけて来ないけど、言葉はわかる。
彼らの話している内容をよく聞くと召喚がどうしたとか云っている。
召喚…?
魔法陣の真ん中でポツンと立ち尽くす私の方へ、コツコツと足音を立てて紫色のローブの人物が近づいてきた。
着ているローブの色が他の人と違ってるし、金色の縁取りが刺繍されていて、かなり豪華な仕立てに見えるから、この中でダントツに偉い人なんだってことだけはわかる。
そもそもオーラが違う。
なんというか、この人が動くと視界がユラリと揺れる感じがする。
フードを目深にかぶっていて顔はまったく見えないけど、それほどの存在感がある。
「娘…だな?名は何という?」
いや見てわかるだろ。女だわ!なんで疑問形なのさ?
この人、顔は見えないけど、声はオジサンっぽい。
この感じだとイケメンではなさそうね。
「高堂永久です」
「タカド、ウトワ…」
あ、外国人に名乗ったみたいな感じになっちゃってる。
どこまでが姓でどこまでが名前だ?みたいな。
オッケーオッケー!慣れてる展開よ。
「トワ、で結構です」
「そうか、ではトワ。こちらへ」
紫ローブの人は手を差し出して私を誘導した。
むむ、紫ローブの人、手袋も紫だ。
顔も見えないし手袋だし、年齢もわかんない。ものすごく正体を隠したい人みたい。
ゲームだと絶対黒幕だよね。ラスボス感ぱねぇわ。
というより、ちゃんと言葉は通じるんだな。
紫ローブの人に広場から連れ出された私は、通路を通ってその奥のこじんまりとした応接室のような部屋に通された。
そこには西洋の騎士っぽい鎧姿の青年が控えていた。
「レナルド。これよりこの者の従者となり警護せよ」
「は、大司教陛下」
じゅうしゃ?だいしきょう?
なにそれ?
ハテナでいっぱいの私の前に立つレナルドと呼ばれた騎士は、紫ローブの人に丁寧にお辞儀をした。
大司教って、やっぱそんな偉い人だったんだ。
このレナルドって騎士が私のお世話係になるのか。
イケメン…というか俳優のブラッ〇・ピットを若くしたような感じ。
鎧とか初めて見た。動くたびに金属音がする。
本物の騎士だあ…。
カッコイイな。
で、大司教様はありがたくもこのシーツ一枚羽織っただけの、ほぼホームレス状態の私に、今どういう状況なのかを丁寧に説明してくださった。
「さて、驚いたかもしれないが、君は勇者候補としてこの世界に召喚された」
はい?
今なんと?
「えーっ!?勇者候補ぉーっ!?」
私が勇者ですって?
え?それ何ていうクエスト?
というか、ここ、やっぱあの世じゃなかったのか!
さっきの魔法陣みたいなやつ、マジで召喚するヤツだったんかーい!
「こ、これが噂の…異世界召喚!?」
つか、あの世も異世界も、行ったことないから知らないけど、ともかく今まで私が寝起きしていた元の世界ではないことだけは確かみたい。
異世界転生する人って、大抵元の世界で死んでるよね…。
そういえばここへ来る前の最後の記憶は鉄骨の下敷きになったとこで終わってる。
やっぱ、私あのまま死んだのか…。
だとしたら、ここをあの世だと思って第2の人生とやらを送るしかないのか。
いや、それにしても勇者って、ベタすぎるっしょ!
「…ってことは、魔王を倒すんですか?」
「おお、君は話が早くて助かるね」
…マジだったー!
「いや、勇者って言うと普通、魔王かドラゴン倒すってのが定番なんで…」
「すでに君の前に3人の勇者候補が召喚されている。彼らと力を合わせて戦ってほしい」
「へ?3人…?」
勇者が3人?
ゲームだと勇者って1人ってゆーイメージなんだけど…。
大司教は、私にこの世界の説明をしてくれた。
この世界では人間と魔族が長い間争っているそうだ。
「魔族って悪魔みたいなものですか?」
「君たちの世界ではそう呼ぶのかね。前の3人も同じことを言っていた」
「あ、でも私たちの世界では悪魔は架空の存在です。人が創ったイメージみたいなもので」
「ほう?それは面白い。君の世界では人間が創造したということになっているのかね?」
顔の見えない大司教はフードの奥で低く笑った。
「しかしこの世界では実在するのだ。奴らは人間よりはるかに強靭な体と力を持っている。この世界の版図の半分は魔族の住む地域となっている。その版図を巡って人間と魔族は常に争っている。奴らの侵略に対抗するには勇者が必要なのだ」
大司教はローブの袖から水晶のような小さな宝玉を取り出した。
「君の能力を鑑定させてもらう」
そう云って、大司教は宝玉を私の前にかざした。
私はドキドキした。
異世界召喚ていうと、たいがいチート能力つって、めちゃくちゃすごい能力持ってたりするものよね。
さーて、どんなすごい能力がついてんのかしら。
しばらく宝玉を見ていた大司教は、ワクドキしてる私に鑑定結果を伝えた。
「そなたの属性は聖属性のみのようだ。他の属性はない。使用できる魔法は回復魔法だけのようだな。レベルは…残念ながら最低クラスだ」
え。
マジですか?
そんなバカな!
大司教もフードの奥でがっかりしたように溜息をついた。
いや、がっかりしたのはこっちだわ。
「似ているのは顔だけだったようだな…」
「えっ?」
「なんでもない。今後修練に励むように」
そう云うと大司教はすぐさま立ち上がって、レナルドに耳打ちし、そのまま部屋を立ち去って行った。
異世界召喚されたのに、チートもなしって、それはないんじゃない?
どうなってんの、この世界の神様!
ボーゼンとする私にレナルドが声をかけてきた。
「大丈夫、最初はそんなものですよ。訓練をすれば能力は上がっていきます。あなたは異世界人なのですからきっと秘めた力があるのですよ」
彼はそう云って励ましてくれた。
あー、なるほど!修行でメキメキ実力発揮するタイプなのかも。
オッケーオッケー!
その後、「お部屋に案内します」と云って、彼は私に移動するよう促した。
そうだった、私シーツ一枚しか羽織ってなかったんだ。
スースーしすぎるから、一刻も早く着替えたい。
こういうとき、従者が男っていうのはちょっと不安だなあ。
私は立派な個室に案内された。
部屋にはベッドやドレッサーに豪華なソファもある。さすがにお風呂はなさそうだけど。
レナルドに聞いたら、私のいるこの建物は大聖堂と呼ばれていて、大勢の信徒が暮らしているんだとか。ここの地下には彼らが使う大浴場があるらしい。
どうやらここはどこかの宗教組織のようだ。
レナルドは、勇者としての訓練の後にお風呂を使っていいと云った。
訓練て何するんだろう?
「何かあればそこの呼び鈴をお使いください。侍女が参りますので」
そう云って彼は出て行った。
良かった、侍女がいるんだ。
生活必需品とか、さすがに男性には頼みづらいこともあるもんね。
レナルドが去った後、一人で部屋に取り残された私は、部屋を見回してみた。
この部屋には窓がない。
もちろん時計もない。
そのせいで今が何時で昼なのか夜なのかもわからなかった。
クローゼットの中には何着か服が入っていた。
たぶんこの部屋に入る者が男か女かわからなかったからなのだろう、どっちが着てもいいように前開きのシャツやローブっぽいワンピース、ズボンなんかが置いてあった。
クローゼットの下の引き出しにはこっちの世界の下着らしきものが入っていた。
男女両方あるけど形はそれほど元の世界のものと変わらない感じ。
問題はサイズだったけど、何なく着用できた。
んー?なんか、痩せたのかな、私。
顔を洗おうと思って部屋の中をうろうろしてみた。トイレはあるけど、洗面所がない。
ああ、そうか。昔の人は桶に水入れてそこで洗ってたとかいうよね。
予想通り、部屋の隅に大きな水瓶と手桶が置いてあった。そこから水を汲み、ドレッサーの上に置いてあった桶に注いで、顔を洗った。
だいたいこの世界の文化のレベルがわかった気がする。中世時代って感じかなあ。
桶の横に置いてあったタオルで顔を拭きながらドレッサーの鏡をのぞき込む。
「あれ…?」
私ってこんな顔してたっけ?
というか、これ誰?
よく見ると、私の顔じゃない。
鏡の中に知らない人がいる。
顔をマッサージしたり髪をくしゃくしゃしたり…。
ってやっぱこれ私だ!
え?召喚ってそのまんまの姿で呼ばれるわけじゃないの?
この世界の異世界召喚ルールってやつ?
これじゃ召喚じゃなくて別人に転生したってことじゃない?
鏡の中の自分の顔は、なかなかの美少女で、少なくとも日本人の顔立ちじゃない気がする。
やったー、整形費用が浮いたわ!…なーんて、浮かれている場合じゃない。
元の私は取り立てて美人ってわけでもなく、どこにでもいる普通の日本人女性だった。
でもこの鏡の中にいるのは、モデルみたいな美少女だった。
色白で睫毛バッサバサ。少し中性的な印象を受ける。
ああ、だから大司教も娘?って訊いたのか。
なにより若返ってる。見た目16、7くらいかな。
この美少女はいったい誰なんだろう?
そういえば大司教が「似ているのは顔だけか」とか気になることを云ってたような。
誰に似ているのかも気になるなあ。
元の自分と同じなのは長い黒髪と瞳だけ。
遠目にはわからなかったんだけど、よく見ると体型も違うじゃん。
そもそも骨格から違う気がする。
なんか手足長いし、スレンダーだし背も高くなってる気がする。
元は160センチもないくらいだったのが、今は170センチはあるような。
今までと目線の高さが全然違う。モデル体型ってきっとこんなんだろうな。
今ならモデルオーディションに胸張って応募できるぞ!
だけど、鏡見て自分だって自覚するまでに時間がかかりそう。
それくらい元の自分と違うんだもん。
頭が混乱してきた…。
なぜか急激な眠気に襲われた私は、パジャマがわりにクローゼットにあったシャツを着こんでベッドに身を投げた。
そしてそのまま泥のように眠ってしまったのだ。
もろもろのことは明日考えよう…。
もしかしたら全部夢だったっていうオチかもしれないし…。
夢なら醒めて欲しい。
気が付くと病院のベッドだったり…。