変貌する人格
目を覚ますと、彼は見知らぬ部屋に寝かされていた。
その部屋には他にも同じようにベッドに寝かされている者が何人かいた。皆、どこかを怪我して治療を受けているようだった。
「あ、気が付きました?」
声を掛けてきたのは栗色の髪の若い女性だった。
「優星様、ご無事だったんですね。良かったです。皆さん、行方不明になってしまわれて…」
ユウセイ?
私のことか?
「私のこと、覚えてらっしゃいませんか?勇者候補付きのメイドのコレットです」
ユウシャコウホ…?
何のことだろう。
鏡に映る自分を見ても、何も感じない。
これが…自分の顔か。
コレットと話しているうち、彼は自分が記憶を失っていることを自覚した。
彼女によれば、彼の名前は優星アダルベルトといい、異世界から召喚された異世界人だという。
コレットはかつて優星の仲間の世話係を務めていたと話し、当時のことをいろいろ教えてくれた。
だが、話を聞いても、何一つピンとくるものはなかった。
この国はかつて大司教公国と呼ばれ、異世界から勇者を召喚していた唯一の国だった。勇者の世話をできる彼女らは女性の憧れの職である上級メイドだったという。だがオーウェン新王国に乗っ取られたことで、彼女たちの待遇が下働きに格下げされたと嘆き、切々と不満をぶちまけていた。
優星は、それを優しく聞いてあげていた。
彼女に対して何か意見をするほどこの世界のことを知らないし、こういう場合余計なことを言わない方が良いということを本能的に察した結果である。
だが、真摯に自分の話を聞いてくれる彼の態度が良かったのか、コレットからあからさまな好意を向けられることとなった。
彼がいる救護室には他にも人がいて、コレットの他にも看護人や回復士の女性が何人か詰めていたのだが、いつの間にか優星の周りには、常に複数の女性たちが取り巻くようになった。ハンサムで優しくスマートな対応をしてくれる彼に、彼女たちはすっかり夢中になり、少しでも気に入られようと競い合って色々なものを差し入れるようになった。
優星は、好意を寄せられることには、悪い気はしないと感じていて、不公平にならないよう彼女たちを同等に扱った。
そんな彼のことがちょっとした評判になり、ある時この国の宰相だという男がやってきた。
その男は、ジーク・シュトラッサーと名乗り、掌の中に何か透明な玉のようなものを握っていた。優星はその玉に、なぜか見覚えがあるような気がした。
宰相は、勇者候補だった優星のことを知っていた。そして「勇者となって、わが軍の象徴になって欲しい」と云った。
彼にはその意味はよく分からなかったが、彼はそれを承諾することにした。それが宰相の持つ宝玉のせいだとも知らずに。
記憶のない彼の世話係として、倒れていた彼を担ぎこんだ騎士がつくことになった。
その騎士はカラブと名乗り、時々おかしな言葉遣いになるが、いろいろと親切に教えてくれる。云うまでもなくそれはカラヴィアの変化した姿であるが、もちろん彼は知らないことだった。
カラブが云うには、この国はこれから軍を動かすらしい。
「宰相は、市民への軍のイメージアップのために勇者候補だったあんたを利用することにしたのよ。あんたの見た目の華やかさに目を付けたのね」
「勇者って言われても、何をしたらいいのか…」
「あんたは奇麗な鎧を付けて、ただ笑って周りに手を振ってればいいの」
カラブはそう云った。
そんなことをする意味はよくわからなかったけど、ともかく従うしか外になかった。
やがて、軍が出発する日がやってきた。
首都のシリウスラントには各地から徴兵された兵士が集められ、その数は10万に上った。
旧大司教公国の回復士や魔法士たちも軍に組み込まれた。
女王と直属の紅の騎士団は同行しないが、オーウェン地方の貴族が私兵を伴って行軍に参加するため、彼らの世話をする非戦闘員も同行したので、軍は大所帯になった。
首都の市民たちは、この戦が領土拡大と独立地位の確立のためのものと聞かされていたが、保守的な者が多く、この出兵には冷ややかだった。というのも、首都からも多くの若者が徴兵されたからだ。
優星は銀色の目立つ鎧を着せられて、馬に乗せられ、軍の先頭集団の中にいた。
彼の前方には黒塗りの馬車が1台走っている。
窓は黒く塗られていて中を見ることはできなかった。
中に誰が乗っているのかも知らされていなかったが、毎日1人、奴隷らしき人間が馬車に乗せられるのを見ていた。不思議なのは、その奴隷が馬車に乗ったきり、出てくる様子がないことだった。
あの馬車にはバケモノが乗っていて、毎日1人、奴隷が生贄に捧げられているのだとカラブから聞かされた優星はゾッとした。そのためだけに、100人の奴隷が連れてこられているのだ。
そのバケモノの力を初めて見たのは、アトルヘイム帝国との国境砦へ向かう途中に出会った帝国の騎士団との戦いでのことだった。
いや、正確には戦いにすらならなかった。
先ぶれの兵士から帝国軍の軍隊らしき一団を見つけたと報告を受けると、先頭を進んでいた騎士らと黒塗りの馬車の御者がその馬車だけを残して後方へと下がって行った。
優星も味方の騎士に制止され、前方にポツンと取り残された黒塗りの馬車を見ていた。
なぜ馬車だけが残されたのか、優星にはわからなかった。
しばらくすると馬車の扉が開いた。
すると、そこから黒い霧がモヤモヤと外へと流れ出した。
黒い霧は前方の帝国の騎士たちの方へと流れ、彼らを包み込んでいった。
帝国騎士たちの乗る馬が、何か危険を察知したのかのように暴れ始め、隊列を無視してバラバラに逃げ始めた。馬から振り落とされる者もいて、その騎士が真っ先に霧に包まれた。
騎士たちは次々と黒い霧に包まれてしまい、姿を消していった。後方にいた帝国の指揮官は何が起こっているのかよくわからず、主のいなくなった馬だけが次々と逃げてくるのを見て、何か緊急事態が起こったのだと察した。
黒い霧が通り過ぎた後には、そこにいたはずの大勢の帝国騎士たちは姿を消し、彼らが着用していた鎧や武器だけが地面に落ちていた。
帝国騎士たちは、この黒い霧がただの霧ではなく、意志を持っていることに気付いた。
黒い霧は人間のいる方向を選んで向かって行き、取り込まれた人間は消失してしまう。その光景を間近で見た帝国騎士たちは悲鳴を上げて黒い霧を避けるように後退していった。
黒い霧はなおも敵の騎士たちの方へと移動を続けている。
部隊の半分以上が霧に覆われて姿を消した頃、ようやく敵の指揮官が撤退命令を出し、逃げていくのが見えた。
黒い霧は逃げる敵を追いかけて行ったが、ある程度の距離まで行くと黒い霧は馬車へと戻ってきた。
背後の騎士たちが、今の敵軍がアトルヘイム帝国の黒色重騎兵隊だったと話しているのが聞こえた。
逃げた騎士たちの指揮官はシュタイフという名だったが、優星の知るところではなかった。
優星をはじめとした味方の騎士たちは、呆気に取られてその様子を見ていた。
黒い霧は、開いた扉から馬車に戻ると、黒塗りの扉が再び閉じた。
それを見届けると、馬車に御者が戻り、先頭の騎士たちも馬車の前に出て、何事もなかったように再び行軍が始まった。
軍の後方では、下級兵士たちや奴隷たちが敵が落としていった武器や装備を回収していた。
優星の馬の隣にやってきたカラブは、前方の馬車を見ながら云った。
「今の見た?」
「いなくなった敵はどこへ行ったんだ?」
「皆、あの黒い霧に食べられちゃったのよ」
「食べ…られた?」
「言ったでしょ、あれはバケモノだって」
「そんな…」
優星は言葉を失った。
「ショック?」
「当り前じゃないか!大勢人が死んだんだぞ?」
「でも死んだのは敵じゃん?どーってことないでしょ」
「あんなバケモノに食われるなんて、もう戦争でも何でもないよ。敵とか味方とかそんなこと言ってる場合じゃない」
「へ~え」
カラブは意外だという表情で優星を見た。
「何のために、あんなものを飼ってるんだ?」
「そりゃ戦争を有利に進めるためでしょ」
「あんな恐ろしいものを手駒にして、よく平気だな…」
「魔王相手だからね。手段を選んでられないんじゃない?」
「魔王って、あんたが説明してくれた魔族の王様か」
「そうよ。この軍、このままペルケレ共和国方面に向かって魔王を倒すつもりらしいから」
「…魔王は何か悪いことをしたのか?」
「何もしていないわ」
「じゃあ、なぜ魔王を殺すんだ?」
「人間の国に魔族がいるのが気に入らないのよ」
「…どうしてだ?人間と魔族は仲良く暮らしてはいけないのか?」
思いがけない優星の言葉に、カラブは口を開けたまま唖然としていた。
「…あんた、本当に同一人物?」
「え?」
「何でもない。こっちの話。人って変われるもんなんだなあって驚いただけよ」
「…そうだよ、変わらなきゃ」
優星はそう呟いたが、それは自分のことではなく、人間と魔族の関係についてという意味だった。
今の彼はカラヴィアの知る人物とは真逆の性格になってしまっているようだ。記憶がないだけで、人はこれほどまでに変わるものなのだろうかと興味を持った。
「じゃあさ、いいこと教えようか。元凶はあの宰相よ」
「元凶?」
「あのバケモノを戦争の道具にしようって思いついたのはあいつなのよ。それでこんな無茶な行軍をすることになったのさ」
「…そういえばこの軍を指揮しているのもあの宰相だな…」
優星は軍の後方を振り返った。
軍の最後尾には宰相の乗った馬車がいるはずだった。
「あいつを止めたいなら宝玉を奪うことね」
「宝玉…?」
「あいつの持ってる透明な玉よ。見たことあるでしょ?」
「ああ…、あの小さな玉か。あれは一体何なんだ?」
「他人を支配できるスキルが封じられているのよ」
「そんなことができるスキルがあるのか…?」
「あんただってそれで操られたことがあるんじゃない?」
「…え?…あっ!」
優星は勇者になってくれと云われた時、なぜか断れなかったことを思い出した。
あれはあの宝玉の力だったのか。
「こんなやり方、認められない…!卑怯だ」
「だよね~?あんな宝玉、取り上げちゃいなよ」
カラヴィアは優星を焚き付けた。
以前とは違って清廉潔白な性格となった彼を動かすため、カラヴィアは更に彼の感情に火をつけるための燃料を投下した。
「これから通る帝国領の小さな村や町ではね、人間をアイツのエサにして、残った村の物資をすべていただく予定なのさ。人がいなけりゃ略奪にはならないでしょ?持ち主のいない物資を貰ってあげるだけの簡単なお仕事なのよ」
「ひどい…!」
カラヴィアの言葉に、優星は怒りのあまり拳を震わせた。
カラヴィアが語ったこの世界の様々な理不尽、コレットの語った差別や不満、怒り。宰相の傲慢、うわべだけの好意。そして得体の知れないバケモノと、そのエサにされる無垢な奴隷たち。それらに無関心な兵士たち。
これらの事実は、生まれ変わった優星の奥底に眠っていた仄かな灯を呼び起こした。
それは正義と呼ばれる感情に似ていた。




