脱出
ちょうどその時、ホールの連絡口の扉が開いて数人の研究員が入ってきた。
「施設長ー、どちらにいらっしゃいますー?」
彼らはフルールを探しにきたようだ。
こっちに来られると厄介だわ。
「カイザー、彼らをここから追い出して」
『承知した』
兵士のままのカイザーが片手を彼らに向けて叫んだ。
『大風渦!』
突如台風みたいな突風が吹き、研究員たちは悲鳴を上げながら扉の外へ吹き飛ばされた。
「あの連絡口を封鎖して」
『容易いことだ』
そう云うとカイザーは、発生させた突風で、水槽の前に置かれてあった大きな機械を次々と持ち上げ、連絡口の扉の方へ勢いよくぶつけて積み上げ、扉を完全に塞いだ。
「ここにある水槽全部壊せる?」
『問題ない』
カイザーは兵士の擬態を解き、元の赤い鱗をまとった巨大なドラゴンの姿に戻った。
その大きさはドーム状のホールの天井に頭が届きそうなほどだ。
『トワ。少し耳を塞いでいろ』
云われた通りにすると、カイザーはまるで超音波のような鳴き声を上げた。
耳を塞いでいてもキンキンする。
するとホール内にあるすべての水槽にヒビが入り、バリン!と音を立てて次々と割れていった。
割れた水槽からは中の液体が流れ出し、それと共に中に囚われていた魔族たちの体も床に投げ出された。
一番大きな水槽も見事に割れて、中に入れられていた銀髪の上級魔族も液体と共に外に投げ出されていた。
私は、横たわる彼の体にそっと手を触れ、回復させた。
間もなく彼は意識を取り戻した。
「う…」
銀髪の魔族は目を覚ましたようだ。
濡れた銀色の長い髪を体にまとわせながら、彼はゆっくりと身を起こした。
銀髪に見えた髪は、根元のところどころに黒のメッシュが入っている。
長い睫毛も銀色で、瞳は深いブルー。
よく見ると、青年魔王にも負けないほどの、とんでもない美形だった。
見とれていた私とその彼の目が合った。
「…人間の、女か?なぜここにそのような者が…」
『無礼な口をきくな。トワはお前を癒してやったのだぞ』
私の背後から巨大なドラゴンの顔をのぞかせながらカイザーが云った。その鼻息で私の黒髪が揺れる。
「癒す?ポーションを使ったのか?いや、それにしては…全身の傷が癒えているような…」
裸の男を前に、私は視線をさ迷わせていた。
そりゃあ看護師だから、裸なんか見慣れてるわけだけどさ。こんなイケメンとなると話は違ってくるわけよ。
それにしても魔族の男ってどうしてみんな腹筋ワレワレのいい体してんのかしら。
この男だって顔はずいぶん美形でおとなし気な感じなのに、肩や腕は筋肉質で、腹筋はシックスパックだし…ってああ、やっぱり目に入って来ちゃう。
「まさか、あなたが癒してくれたというのか?」
『だからそう言っている』
「貴公はまさか…カイザードラゴン?いやそんなはずは…」
彼はやっとカイザーに気付いたようで、急に眼を見開いた。
気付くのおそっ!
『そうだ、カイザードラゴンだ。100年の封印から先日目覚めたのだ』
「なんと…!」
銀髪の魔族は私の前に座り直し、深く頭を下げた。
そう、土下座。しかも全裸で。
「トワ様とおっしゃいましたか。ご無礼をお許しください。私はジュスターと申す者。命を救ってくださったこと、なんとお礼を申し上げてよいか…」
ジュスターというこの魔族、いかにして自分が人間と戦い、相手の卑怯な罠に捕らえられたかを切々と語ったんだけど、裸が気になって全然耳に入ってこなかった。
「このジュスター、一度は死んだ身。命の恩人のあなたのために働かせていただきたい」
時代劇みたいなセリフだなあ。昔の武士みたい。
「お礼はいいから…」
「お願いします。必ずあなたのお役に立ちます」
『トワ、この者、かなり魔力は高いぞ』
「そうはいっても、私も行くところがない身だしさあ…」
「100年前の戦いを生き残り、もはや帰る場所もない身の上。共に行かせてはいただけませんか」
『武人は義理堅いぞ。断ると自害するやもしれん』
カイザーってば、どうしてそう私をビビらすことを云うのよ…。
「わかったわよ。いいわ、許します」
そういうと、ジュスターの体が光った。
「え」
『契約が結ばれたようだな』
「うっそ…」
また、やってしまった…。
「ありがたき幸せ。これよりこのジュスター、トワ様の忠実な下僕として働かせていただきます」
「そーいうつもりじゃなかったんだけどな…」
『良いではないか。人手はあった方が良いぞ』
「それはいいんだけど、ジュスター、だっけ?とりあえず何か服を着てくれないかな…」
すると、裸のままのジュスターの体が短く光った。
「ん?また?なんか私おかしなこと言った?」
ジュスターはしばらく茫然としていたけど、2、3度瞬きをすると、私に向かってにこやかに微笑んだ。
「…これは面白いスキルをいただきました」
そう云ったかと思うと、ジュスターの裸の体は瞬時に貴公子のような立派な衣装に包まれた。
黒い詰襟の上下で、襟や袖口が銀色の模様で縁取られている。ちょっと派手な学生服か軍服みたいだ。
突然のことに、言葉を失った。
「な、何が起こったのかな…?」
「トワ様より<衣服創造・装着>のスキルをいただきました」
「え?何それ!?」
「ご覧の通り、魔力で着衣を生成するスキルです」
「…私が何か着ろ、って言ったから…?」
「ええ。なかなか素敵なスキルです」
「嘘みたい…」
これはマジで魔法の世界だ。
魔女っ子の世界観だ。
しかも彼は魔法のステッキもなしに、それをやってのける。
私は続けてまだ息のあった魔族たちを助けた。当然彼らも裸だったので、ジュスターが同じように衣服を着せてあげていた。
傍から見ていると、ジュスターがシンデレラに魔法をかける魔法使いみたいに見えた。
回復させた魔族はジュスターを含めて9人。
つまり半分以上の魔族たちは既に絶命していて助けてあげられなかったってことだ。
彼らは、自分たちが私に癒されたことに驚き、感動し、そして感謝した。
皆、それぞれ下級・中級魔族だったようで、姿も半獣人だったり、有翼人だったり、痩せていたり背が小さかったりと体格も見かけもバラバラだった。
ジュスターに与えた能力がなかったら、彼ら全員裸のまま移動になるところだった。
さすがに裸の男たちをぞろぞろ引き連れてってのは、ちょっと想像したくない。
ホントに彼がいてくれて助かった。
ジュスターは案外おしゃれさんだったみたいで、服の色は全員が黒のおそろいの軍服っぽい感じになっていて靴まで揃えている。なんだかかっこいい。
どうやら彼らは全員が知り合いだったらしく、ジュスターが私と主従契約を交わしたことを知ると、同じように私の下僕となることを願い出た。なぜかカイザーがそれを後押ししたので、それを許すと、彼ら全員の体が光った。
私と契約したことで、彼らの姿は大きく変化した。全員が上級魔族に進化したらしいとカイザーが教えてくれた。
魔族のクラスを示す下級、中級、上級というのは魔力の大きさによって分類されるのだけど、魔力が大きければ大きいほど、人間に近い体型になるのは不思議だ。
ジュスターたちは死んだ仲間の遺体を並べて、弔うように目を閉じた。
私は自分がいつの間にか取得していた蘇生魔法のことを思い出した。
この機会に一度試してみようと考えた。
ただ、以前聞いていた話が頭をよぎる。
蘇生魔法の成功率は40%以下、成功してもそのほとんどが不死者になってしまうということだった。でもやるだけやってみようと思った。
「蘇生魔法を試してみようと思うの。もし、失敗して不死者になってしまったら、悪いけど首をはねてやってもらえる?」
「わかりました」
返事をしたのはジュスターだった。
不死者になってしまったら、首を刎ねて殺すしかない。そうしなければ噛まれた者も不死者になってしまうからだ。
私は死亡して横たわる魔族の前に立った。
「蘇生―、お願い、生き返って」
かざした掌が熱く感じる。
しばらくそうしていると、私の前で横たわっている魔族の手足がピクッと動き出した。
「あ…!成功した…?」
次の瞬間、その魔族が急に起き上がり、私に襲い掛かってきた。
「ガァァァ!!」
「トワ様!」
咄嗟にジュスターが私の前に出て庇ってくれた。
その魔族は白目を向いて涎をたらしたまま、意味不明の呻き声をあげている。
失敗だ。これは完全に不死者になってしまっている。
ジュスターは私を背中に庇ったまま、不死者の体を脚で蹴り倒した。
「僕がやる!皆、下がって!」
そう叫んだのは、エメラルドグリーンの髪をした美少年魔族だった。
彼は、手で練った魔法を、起き上がってきた不死者に向かって放った。
「切断刃!」
次の瞬間、不死者の首がスパッと斬られ、そのまま床に落ちた。
首を失った体がドサッと倒れた。不死者はもう動かなかった。
いきなりのホラー展開に、膝がガクガクしてきた。私はジュスターの背にしがみつきながら、立っているのが精いっぱいだった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん…。やっぱり難しいわね、蘇生魔法って」
「魔族を回復するだけでも奇跡なのに、蘇生まで試みようとなさるなんて、あなたは本当にすごい方だ」
ジュスターは私の体を支えながらも、感動を口にする。
その時、塞がれているホールの連絡口の向こうから、研究員たちの声が聞こえた。
異変に気付いた他の研究員が護衛の兵士たちを呼んできて騒ぎ出したようだ。
援軍を要請しろ、なんて叫んでいる。
「はやいとこ脱出した方が良さそうね」
『ならば脱出路を作ってやろう』
カイザーはその巨体から鋭いビームを吐き出し、ドームの壁と天井を破壊した。
破壊された瓦礫が降ってくるのを、カイザーは自分の翼で受け止めて、地上にいる私たちを守ってくれた。
背中に乗れとカイザーは云ったけど、魔王の重力魔法がないととてもじゃないけど乗る自信がないと断った。馬にすら乗れない私にドラゴンに乗れとかムリゲーでしょ。
他の魔族たちは、壁に空いた大きな穴から外へ出ようと走った。
私もそれに続こうとしたけど、瓦礫が転がっていて行く手を阻まれた。そんな私の側に黒い翼を持つ、ウルクという名の魔族が舞い降りた。
「トワ様、失礼します」
そう云って彼は私をお姫様抱っこして空中へ舞い上がった。
華奢に見えるのに、意外と力持ちなんだな。
施設の外に出ると、異変を察知した警備兵たちが駆けつけてきた。
彼らを素早く体術で倒したのはオレンジのソフトモヒカンみたいな髪型をしたカナンという魔族だった。空手かカンフーかって感じの格闘技で鮮やかに片付けて行った。
筋肉質な体つきに見えるけど、しなやかな素早い動きで、はっきり言ってすごく強い。
邪魔者を片付けると、他の魔族が何かを見つけたらしく、施設裏へと手招きした。
手招きされた先には厩舎があって、馬が数頭と、幌馬車も何台か止められていた。
「これで脱出しましょう」
ジュスターが云った。
一番大きな幌馬車を選んで、私たちはその荷台に乗り込んだ。乗り切れない者は馬に乗った。
御者ができる者もいて、馬車を走らせてくれた。
施設から少し離れた小高い丘まで逃げて来て、馬車を止めた。
そこから施設を見下ろした。
カイザーは私たちを逃がすために、まだ施設内で暴れてくれている。私からあまり離れてしまうと、カイザーは体を保っていられなくなってネックレスに戻ってきてしまうので、その場所が限界だった。
『このような邪悪なものは地上から滅するべきだ』
カイザーはそう云っていた。
巨大なドラゴンが、口から激しい炎を吐き出し、要塞のような研究施設を瞬く間に業火の炎で包んだ。それはおとぎ話に出てくるドラゴンが、人間たちに罰を与えているかのような恐ろしくもどこか神々しいような光景だった。
研究員や警備兵たちが蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げ出していく様子が遠目に見えた。
「死んでいった同胞たちの弔いの炎のようですね」
ジュスターは、遠くで燃えている研究施設を見て、静かに呟いた。
第1章完結です。これから大司教公国を出て行くことになります。ようやく仲間ができました。




