記憶がないなら
ゴラクドールの魔王の執務室。
「…なんか、将たちもいなくなっちゃったけど…。大丈夫かな…」
トワたちが転移した後部屋に残されたのはジュスターと優星、それにロアだった。
突然のことにしばらく彼らは呆気に取られていた。
「皆さん、行ってしまいましたね…」
「ああ、ロア。トワ様からの依頼で、この部屋の右隣に部屋を用意しました。好きに使っていただいて結構です」
「ありがとうございます」
ジュスターは「任務に戻ります」と云い、さっさと執務室を出て行った。
魔王が留守にしても、魔王府の執務は大臣たちが務めあげているので滞ることはなかったが、魔王軍に関してはジュスターが全権委任されていたのだ。
しばらく部屋でボーっと突っ立っていた優星とロアはお互いに顔を見合わせた。
「ロア…さんだっけ。僕は優星アダルベルト。これからどうするの?」
「私はパートナーを探しているんです。トワ様から教えていただいた場所へ行ってみるつもりです」
「そうなんだ。じゃあ僕もコンドミニアムへ戻るかな」
そう云いながら2人は魔王府のホテルを出ても、ずっと同じ方向に歩いて行く。途中でそれに気付いて、2人は顔を見合わせた。
「もしかして、同じとこに行こうとしてる?」
「そこのコンドミニアムの最上階なんですが」
「…え?僕もそこにいるんだけど?」
「ホントですか?すごい偶然ですね…!」
「パートナーって、エンゲージしてる人?」
「ええ、そうです」
「話は聞いてるけど、エンゲージって、どんな感じなんだい?」
「フフ、興味あるんですか?」
「あ…ごめん。不躾な質問だったね」
「いえ、いいんですよ。あなたもエンゲージしたい人がいるんですか?」
「いや、まだそんな人はいないよ。だけど憧れはあるかな」
「あなたはとても素敵です。すぐにいい人が見つかりますよ」
「え…?そ、そうかな?」
「もっとも魔族は実力主義ですから、能力次第ですけど」
「な、なるほど…容姿は二の次ってことか」
「もちろん容姿を重視する者もいますよ。自分の能力に自信を持っている者はその傾向が強いと聞きます。人を値踏みするみたいで私は好きじゃありませんが」
じゃあ、ロアの相手はそれほど見かけがいいわけじゃないってことか…という言葉を優星はグッと呑み込んだ。それはあまりにも彼女に失礼だと思ったからだ。
「そういや、君のパートナー、名前なんていうの?」
「マルティスといいます。お調子者でどうしようもないですが、いい人なんです」
「…え?君の恋人って、マルティスなの?」
「…ご存知なんですか?」
「いや、ご存知っていうほど知らないんだけど、マルティスって人なら同じ部屋にいるよ」
「本当ですか!?」
ロアの瞳がキラキラ光っている。
優星は、ゴラクドールへ転移した後、将たちと共にマルティスたちの滞在するコンドミニアムにやってきて、魔王がこの都市を占領した後も、行く宛てが無かったのでそのまま厄介になっていた。
マルティスという人物とは同室になってからもそれほど話してはいないが、どうも性格的に合わないと感じていた。
将が云った通り、彼はあまり自分から動こうとしないタイプで、そのくせ口だけは出すという厄介な性格だ。正反対の性格のゼフォンとはよく言い争いをしているところを見ていた。
ロアはポニーテールにするには少し短い金髪を綺麗に結い上げていて、肉食系の猫っぽい顔立ちをしたエキゾチック系美人だった。ジムのカリスマトレーナーが着用するような上下セパレートの服を着用していて、見事な腹筋を露にしている。
下はショートパンツの上にミニの巻きスカートを履いていて、無駄なぜい肉のない奇麗な脚に、編み上げの靴を履いている。
はっきり云って、彼がこれまで見てきた女性の中でもダントツでスタイルが良くてカッコイイ。
この人とあのマルティスって奴が恋人同士だなんて、とても信じられない、と優星は思った。
その頃、コンドミニアムの部屋では、マルティスたちの元へイヴリスとコンチェイが訪れていた。
セウレキアに戻って闘士を続けたいというマルティスに、コンチェイはセウレキアの状況を説明しにきたのだ。
「多くの魔族が逃げ出したため、セウレキアの闘技場もトーナメントは中止だよ」
「人間だけじゃできねえのかよ?」
「…人間同士の戦いばっかりだと地味だとかで客が飽きるんだと」
「チッ。結局魔族に頼ってんじゃねーかよ」
「ってことで、おまえたちだけが戻ってきても仕事はない。開店休業状態だよ。多くの闘士がセウレキアからゴラクドールに駆けつけて、魔王軍に参加しているからな」
「あんたはどうするんだ?コンチェイ」
マルティスがコンチェイに尋ねた。
「私はセウレキアに戻るよ。闘技場の地下にはまだ残ってる魔族もいるしな」
「…奴隷たちか」
それを聞いていたエルドランが云った。
「奴隷たちを解放してやりたいな」
「そのために委員会と交渉するつもりだよ」
コンチェイはソファでだらけているマルティスを見た。
「おまえさんはどうするんだ?」
「俺は今の金を元手にグリンブルにでも行って商売を始めるさ」
「…なあ、マルティス…」
コンチェイが何か話しかけた時、扉にノックがあった。
コンチェイはそのまま歩いて扉を開けた。
「ん?あんた誰だ?」
「あの、こちらにマルティスがいると聞いてきたのだけど」
「もしかしてファンの方かね?」
「は?」
「悪いが直接来てもらうってのは受け付けてないんだよな。悪いが…」
コンチェイはロアを闘技場のファンだと勘違いしたようだった。
「この人はファンじゃないよ」
ロアの隣にいた優星が扉を押さえてコンチェイに云った。
「…ん?」
コンチェイは優星とも面識がなかった。
扉を挟んでの攻防に、イヴリスが入ってきた。
「マルティスさんに何の御用ですか?」
「…!」
ロアは部屋の中から出て来たイヴリスを見て驚いた。
まさかここに女性体の魔族がいるとは思わなかったからだ。
「あの、あなたは…?」
「私はイヴリス。マルティスさんのパーティ仲間です」
「え?パーティ?仲間?」
ロアはマルティスが闘士をしていたことは知らない。
イヴリスも、ロアのことをファンか何かだと思ったようだ。
「マルティスさんにお客さんみたいですよ」
イヴリスが部屋の中のマルティスに声を掛けた。
「ああん?何だよ…」
マルティスはイヴリスに呼ばれて扉の方へと歩いて行った。
そこには金髪ポニーテールの美女が立っていた。彼女は今にも泣きだしそうな顔になった。
「あん?あんた誰?」
「え…」
マルティスの衝撃的な一言に、彼女は凍り付いた。
「あ、あの…私…のこと覚えてない…?」
「まさか俺のファン?…なわけねーよな?もしかしてゼフォンと勘違いしてんじゃねーの?」
その様子を見ていた優星が思わず口を出した。
「あれ?マルティスさん、この人のこと知らないの?」
「知らねーよ。初めて会ったし」
「…!」
「やっぱり人違いだったんじゃない?」
優星はロアにそう云ったが、ロアは首を振った。
「いいえ…いいえ…!」
彼女はマルティスの腕を掴んだ。
「マルティス、私です!あなたのパートナーのロアです!」
ロアの宣言に、一同シーン、と静まり返った。
そして同時に叫んだ。
「ええーっ!?」
その声に驚いて、奥の部屋にいたゼフォンとエルドランもマルティスの傍にやって来た。
一番驚いていたのは当のマルティスだった。
「ま、まさか…ロア…?本人?」
「そうです!私ですよ!どうして知らないなんて言うんです…?!酷い…っ!!」
ロアは泣き出してしまった。
マルティスはどうしていいものやらと困惑していた。
「マルティス、正直に話せ」
ゼフォンはマルティスに向かって有無を言わせぬ力強さで云った。
マルティスは観念したように大きく肩で溜息をついた。
「もう逃げらんねーか…」
だだっ広いリビングのソファにロアを座らせ、彼女を取り囲むようにゼフォンたちは立っていた。ロアの正面に座るマルティスは、自分の記憶からロアの記憶だけが抜け落ちていることを語った。
「そうだったんですか…」
事情を聞いて、ロアは納得した。
コンチェイもこの事情については知らなかったようで、もっと早くに連絡してくれていたらロアに伝えられたのに、と云った。
「で、これからどうするんです?」
イヴリスが2人に尋ねた。
マルティスは真剣な表情をして、ロアに云った。
「ロア、俺とのエンゲージを解消してくれ」
「マルティスさん!?」
「おい、マルティス!」
マルティスの言葉を受けて、イヴリスもゼフォンも思わず叫んでいた。
「俺はあんたを忘れているんだぞ。このままでいいわけがないだろ…」
ロアはマルティスの顔をじっと見ていた。
マルティスも彼女の顔を見つめた。
「…わかりました」
ロアが静かに了承すると、マルティスは一瞬、寂しそうな表情になった。
イヴリスや優星たちも思うところはあったが、これは2人の問題だと、あえて口を出さなかった。
だが、マルティスはすぐに元のお調子者の彼に戻った。
「悪ぃな、これで俺も身軽になれるってもんだ」
「…マルティス」
声を掛けたゼフォンには、彼が無理矢理笑顔を作っているのがわかった。
その後、2人は同時に自分の腕からエンゲージの証である相手の魔法紋を消した。
「やー、これで肩の荷が下りたわ。スッキリしたなぁ」
マルティスが肩をぐるぐる回しているところへ、ロアが声を掛けた。
「マルティスさん。これで最初からです」
「…へ?」
「私、諦めが悪いんです。もう一度、最初から、あなたが私を好きになってくれるまで、追いかけますから。覚悟してくださいね」
「…ロア」
マルティスは真剣な眼差しのロアを驚いた顔で見つめた。
「そうだね、記憶がないなら、もう一度最初から作り直せばいいんだ」
優星がそう云うと、「あなた、いい事言いますね」と、イヴリスに褒められた。
「ハハ、おっかねーな、あんた」
マルティスは笑ってロアに云った。
「だけど、嫌いじゃないぜ、そういうの」
「フフ、元パートナーですから」
彼女はそう云って微笑んだ。
マルティスはそんな彼女を眩しく感じた。




