アトルヘイムの反乱
アトルヘイム帝国の帝都トルマは反乱軍の起こしたクーデターにより制圧された。
反乱軍の首魁であるグレイは皇帝一派の去った帝国城を占領し、一月のうちに臨時政府を打ち立てた。
臨時政府の大臣や官僚には自分の親戚や身内を任命し、政府を完全に私物化していた。
軍部を掌握する元帥には自らが就任し、大将にはノーマンの副官だったシュタイフが任じられた。
グレイは、この国を軍事に特化した国に作り変えるつもりだった。
当初彼は、オーウェン新王国の白の騎士団と共に7万という大軍で帝都を占領した。数の上で国内の駐留軍を圧倒し、帝国軍を整然と支配下に置いた。帝都の占領を終えると、白の騎士団は自国に引きあげて行った。彼らがいなくなると、帝都内の反乱軍の数は国内の駐留軍と拮抗する形になった。
そこで反乱軍が最初に抑えたのは魔法局であった。
当時、局長のコーネリアスと主要な魔法士らは帝国城に詰めており、皇帝と共に逃亡していた。
帝国軍本部内の魔法局に残っていた魔法士たちは当然抵抗したが、オーウェン新王国の、魔法を無効化する魔法具を身に着けた兵士たちに全員拘束されてしまったのだ。
その後、魔法士たちは全員、魔族の奴隷が身に着ける魔力封じの首輪を付けさせられた。
この首輪は鍵がないと外せず、魔法士たちは無力化させられたまま軍本部の魔法局内に軟禁されてしまった。
世界一の軍隊と称される黒色重騎兵隊を支配下に置いたシュタイフは、得意顔になり、自分を権力者だと思い込んで尊大な態度で彼らに接した。
帝国軍基地本部に残っていた部隊は、黒色重騎兵隊の第2、7部隊であったが、グレイの直属部隊である黒色重騎兵隊第10、11部隊が帝国軍基地本部を急襲し、第2部隊、第7部隊と帝都で市街戦になった。だが市民に犠牲が出たことで第2部隊、第7部隊は投降し、武装解除させられ、本部内で軟禁状態となった。
制圧された帝国軍本部基地の敷地のすぐ隣にある帝国大学の学生たちは、この反乱に最初から抵抗していた。
学生たちは、帝都を武力で制圧し、国民に戒厳令を敷く反乱軍に対して抗議デモを行ってきたが、その都度武力で抑え込まれてきた。
一部の学生たちは、反乱軍の兵舎に火矢を撃ち込み、火事を起こすなどの実力行使に出た。それはそのまま暴動にまで発展していき、多くの学生たちが帝国騎士団に拘束されて帝国城の牢獄に投げ込まれた。
一部の過激な学生たちの暴動の影で、冷静に行動していた学生の一派もいる。
彼らは国の秩序を取り戻すため、まず軍基地本部を取り戻そうと考えていた。
その学生の中には、魔獣を退治した際に軍部に協力した者たちもいた。彼らのリーダーはカムラといった。
彼らは反乱を起こしたグレイを『能無し』と呼んで蔑み、秩序を回復することを目的とする自分たちを皇帝軍とは呼ばず、正規軍と称した。
それはグレイが、魔王が皇女を送り届けに来た際に、彼らを勝手に攻撃したことに起因する。
確かに帝国は魔族排斥を掲げているが、恩を仇で返すような真似は人として悖る行為であり、避難されるべき愚行だ。
魔王を攻撃して無用な敵を増やし、帝国民を危機に曝すという愚かな行動を重ねたグレイという人物には、とうてい帝国を治める器はないと学生たちは判断したのである。
その学生たちの作戦を手助けしたのは、帝国大学内の警備に当たっていた黒色重騎兵隊第2部隊の第1~第5分隊であった。
彼らは大学に警備のために派遣されていたのだが、シュタイフなどはその状況を知らなかったようで、帝国軍本部が急襲された時も、彼らは学生らを守って大学敷地内に残っていたため、武装解除の難を逃れたのだった。
正規軍を名乗る彼らの目標は、いかにして帝都を反乱軍から解放するかだった。
それには国内に散らばる兵力を集めることが必要だった。
この国の主力部隊である黒色重騎兵隊は全部で12の部隊があり、その下にはそれぞれ分隊がある。
帝都の留守を守っていた第2、7を除く部隊は各地に派兵されている。
第3から第6部隊は分隊も含めてガベルナウム王国との国境砦に詰めている。
同じように第8、9部隊もヴォルスンガ評議国方面に出動していて不在である。
これらの出張部隊には何度か帝都へ戻ってきてもらうよう伝令を出したが、グレイの私兵団にことごとく邪魔されてしまった。
そこで正規軍が目を付けたのは、帝都から最も近い自治領区に駐屯している第12部隊だ。
第12部隊もグレイ側に取り込まれている可能性はあるが、いまだ帝都に戻ってきていないところをみると、確率は五分五分だと云えた。
その他の手段といえば、領土内を巡回している各部隊の下部組織である分隊に協力を求めることだった。
各分隊は、それぞれ持ち場が決まっていて、その地区の砦を拠点にしている。
おそらくそこにもグレイから召集がかかっているだろう。
だが今のところまだ、戻ってきている分隊は1つもないため、こちらの味方に付けられる可能性はある。
というわけで、まずは第12部隊のいる砦へ協力を要請しに学内にいた黒色重騎兵隊第2部隊第1分隊25人が向かうことになった。
だが、帝都を出たところで彼らは、いきなりシュタイフ麾下の黒色重騎兵隊第1部隊分隊に追われることになった。
敵はこちらの3倍、しかも分隊といえど第1部隊は精鋭ぞろいだ。万事休す、と彼らは天を仰いだ。
だが、ここで意外なことが起きた。
敵のはずの第1部隊の分隊が、攻撃してこなかったのだ。
それどころか、彼らは反乱軍を離反すると云い出し、同行させてほしいと申し出た。
彼らは第1部隊旗下第2分隊『黒の耳』、第3分隊『黒の目』及び第5分隊『黒の爪』の混成部隊だった。ちなみに第1分隊『黒の脚』は伝令部隊、第4分隊『黒の口』は広報部隊としてシュタイフが押さえている。
黒色重騎兵隊第1部隊といえば、精鋭中の精鋭であり、他の隊に比べると最も人数が少ない。
それは第1部隊が第2~12までの部隊の中から選抜された優秀な隊員たちで構成されているからだ。分隊はその第1部隊本隊には惜しくも入れなかったものの、それぞれの能力に特化した人間たちが集められ結成された部隊だ。
第1部隊は、皇女奪還の遠征中、ノーマンと共に行方不明になった者たちを除いても、シュタイフが率いて戻ってきた部隊にはその半数以上がいた。
彼らはグレイ直属の第10部隊と合流し、帝都内の警備に駆り出されていた。
第1部隊の隊長を務めていたノーマンにはカリスマ性があり、隊員たちからも人望が厚かった。だが副長のシュタイフは野心家で、実力はあるが人望はなかった。性格的にも少し問題があり、自意識過剰のきらいがあって、上司と部下に対する態度があからさまに違うという典型的な諂上欺下な男であった。
当初、ノーマンからシュタイフが副官として全権を委任されたため、第1部隊全軍は彼に従った。
国境付近で不死者の大群を目にし、白の騎士団と行動を共にするまで、彼らは自分たちがクーデターの片棒を担がされているとは思ってもみなかった。
だが軍において、上官の命令は絶対である。
それゆえこれまでシュタイフの命令を実行してきたのだが、自分たちが故国で味方を攻撃しなければならない事態に迫られると、さすがに難色を示した。
彼らの隊長はあくまでノーマンであり、そのノーマンは皇帝を護るため行方不明となっている。よく考えてみれば、シュタイフに従う義理はないのだ。何よりも、同士討ちはごめんだという思いが強かった。
だが全軍が命令違反で動けば、軍本部に囚われている他の仲間に危害が加えられるリスクがある。
それで出撃命令のあった彼ら分隊に自分たちの意志を託したのだった。
思わぬところで味方を得た正規軍は、そのまま第12部隊が駐屯している砦を目指した。
しかし、砦はすでにグレイの部下の騎士団に抑えられていて、砦に駐屯する第12部隊をも敵に回す羽目になった。
第12部隊は二個大隊が駐屯しており、砦にはグレイの配下の兵も合わせて5500の兵力があった。
正規軍は、数の上で圧倒的に不利だったが、それでもなんとか説得を試みようと使者を送った。
だがグレイの兵軍団に阻まれ、第12部隊と接触できないまま、戦況は膠着状態となった。
砦を前に、正規軍は攻めあぐねていたが、やがて砦からグレイの兵軍団が第12部隊一個大隊と共に出撃してきた。
こちらが少数とわかったためか、一気に殲滅しようと動いたのだった。
戦闘が始まり、正規軍は第1部隊の第5分隊『黒の爪』を中心に陣形を展開して戦った。
彼らはさすがに強かったが、圧倒的な数の不利に、次第に押されて行った。
正規軍は後退しながら、撤退の機会を伺っていた。
そんな最中、そこへ駆けつけてきた一団がいた。
「あ、あれは…!」
『黒の爪』の隊長であるヘルマンがその一団の先頭にいる人物を見て声を上げた。
「テルルッシュ将軍!!」
それは皇帝を逃がすために囮となって領土内を駆けまわっていたテルルッシュ率いる帝国騎士団であった。その数は1000騎以上に増えていた。
彼らは他の砦を回って、分隊を麾下に加えていたのである。
テルルッシュは戦場にいる第12部隊に呼びかけた。
「貴様らの主は誰だ?誰の命令を聞くべきか、今判断しろ!」
テルルッシュは円卓騎士らしく、槍を片手に堂々とした態度で馬上から叫んだ。
すると、砦に残っていた第12部隊の一個大隊も出撃してきて、戦場にいた第12部隊と合流した。彼らはこちらを攻撃してくるかと思われたが、馬首を翻し、グレイの兵軍団に攻撃を開始した。
第12部隊はその場でテルルッシュ将軍に従う、との姿勢を明らかにしたのだ。
劣勢となったグレイの兵軍団は砦を後にして帝都へ逃げて行った。
自治領区の砦はテルルッシュにより攻略され、自治領は皇帝側に組することとなった。
皇帝一行がこの砦にやってきたのは、それからしばらくしてからのことだった。
交戦を覚悟していた皇帝たちは、砦にテルルッシュがいることがわかって驚いた。
テルルッシュは皇帝と皇女の無事を喜んだが、魔族が同行していることを知ると、彼はエイヴァンに詰め寄った。
「皇帝を護る騎士ともあろう者が、魔族と行動を共にするとは何事か!」
そう云ってテルルッシュは魔族たちの砦への受け入れを拒絶した。
マニエルとコーネリアスは聖魔騎士団が皇帝を守るために戦ってくれたことを話し、何とかテルルッシュを説得しようとしたが、
「皇帝陛下がおわす場所に魔族を入れるなど、言語道断だ!」
と持論を展開し、魔族である5人を頑なに受け入れなかった。
皇帝自身はこれまで魔族排斥を国是として掲げてきた手前、それを愚かなほどに守ろうとするテルルッシュを否定するわけにもいかず、魔族たちの受け入れに否定も肯定もしなかった。
トワはこのどっちつかずな皇帝の態度に腹を立てた。
「トワ様、僕らなら野宿に慣れてるし、平気だよ」
ネーヴェはそう云うが、彼女は到底納得できなかった。
聖魔騎士団のメンバーたちは、人間に差別されていることには慣れている、と砦の中に入ることを最初から諦めていた。
トワはなんとか彼らを砦に入れてくれるよう頼んだが、貴族でも何でもない娘の話など聞いてももらえなかった。
「私も皆と一緒に野宿する!」
とトワが云ったが、彼らからは絶対ダメだと云われた。
すると、彼らに同情した騎士たちが、彼らのために砦から天幕を持ち出してきてくれた。
それで聖魔騎士団の4人とイシュタムは砦の門近くに天幕を張ってそこで寝泊まりすることにした。
彼らのためになにもしてあげられないトワは無力感でいっぱいになった。
サラと話している時には感じなかったが、やっぱりここは人間の国で、魔族に対する差別が存在するのだと改めて感じた。
「恩を売るわけじゃないけど、助けてあげたのにあの態度はないわよ…」
トワは、いつしか当然のように魔族の立場でものを考えていて、人間が当たり前のように行う差別に心から怒っていた。




