転移してきた者
魔王の言葉通り、何もなかった空間が歪み、そこから人影が現れた。
それはトワのよく知る人物たちだった。
「ユリウス、ウルク…!?」
「トワ様…!」
現れたのは聖魔騎士団のユリウスとウルクだった。
「ウルク!!」
トワは悲鳴に近い声で叫んだ。
ウルクは血まみれで倒れ込み、呻き声をあげていた。
トワが駆け寄ってウルクの左手をそっとどかせた。
「右手が…!」
彼は右の手首から先を失っていた。
トワは急いでウルクの右手首の止血を行った。
「ウルク!どうした!?一体何があった?!」
ジュスターもウルクの傍に駆け寄った。
ウルクは痛みに顔を歪めていたが、健気にもジュスターに笑みを返した。
ジュスターは不安気にトワを見た。
「トワ様…これは…」
「大丈夫、私に任せて」
トワは彼の右手首を両手で包むと、見事に右手を再生させた。
「もう大丈夫よ。痛かったでしょ?」
「おお…」
ウルクは再生された手を少し動かすと、トワの手を握った。
「ありがとうございます!」
彼はトワの手をぎゅっと握って離さなかった。
ユリウスはそれをさりげなく注意したが、ウルクは無視して手を握り続けた。
「やっぱりトワ様はすごいや…。本当に神様みたいだ」
この様子を見ていたアマンダは驚いたまま、固まっていた。
「すごい回復士だとは思っていましたが、こんな…、欠損部の再生を詠唱も無しに短時間で行うなんて、今見ても信じられません。<部位再生>持ちのS級回復士だってあそこまで奇麗に再生しようと思ったら半年はかかりますよ!」
回復士の事情に疎い将やエリアナもそれを聞いて、トワのしたことがどれだけすごいことなのかを知った。
アマンダはトワを見て、「本当に神様なんじゃないでしょうか…」と呟いた。
「何があったのか聞かせてくれる?」
トワはウルクとユリウスの傍に立っている、もう1人の転移者に話しかけた。
「イシュタル!」
彼の名を呼んだのは優星だった。
それは額に大きな角を持つ魔族で、優星のいう所のイシュタルだった。
魔王は転移してきた彼と対峙した。
トワが見る限り魔王も180センチ以上ある長身だが、彼はそれを軽く超えるマッチョマンだ。
「貴様…誰だ」
「…おまえこそ誰だ」
「名乗れと言っている」
「我はイシュタム」
「イシュタムだと…?ふざけているのか」
「嘘は云わぬ。そちらも名乗ったらどうだ」
「我は魔王ゼルニウス」
「魔王…そうか、おまえが我の兄弟か。トワの記憶の中で見たな」
彼らはお互いの名を聞いて思うところがあったようだ。
魔王とイシュタムが無言で対峙していると、魔王のネックレスの中からカイザーが語り掛けてきた。
『おまえたちは同じニオイがするぞ。だがイシュタムとやら、おまえはなにかが混じっているようだな』
「ほう…?おまえはその首から下がっている石に住んでいるのか?なんという生き物だ?魔界の生物か?」
イシュタムはカイザーに興味津々だった。
魔王とイシュタムはそうしてしばらく会話をしていた。
聖魔騎士団のメンバーも、彼に見覚えがあった。
「あれってラエイラで共闘した人だよね?」
「ゴラクホールに現れてトワ様を連れてったのもあの人だったっけか」
ネーヴェとテスカが思い出したように云った。
騎士団メンバーらがイシュタルについてひそひそ話しているのを聞いた優星は、彼らに説明し出した。
「イシュタムはイシュタルって人が魔獣退治のために呼び出して、イドラに召喚された神様なんだよ。あの体の中にはイシュタルとイシュタムが同居しているんだ。僕と話すときはイシュタルが出てきてくれるんだ」
「イシュタルがイシュタム?…ややこしいな。もっとわかりやすく説明してよ」
ネーヴェが優星の説明に対してクレームをつけたので、彼は地下神殿で起こったことを大雑把に話した。
ウルクを治療したトワの手際を見て感心していたイシュタムは、彼女の傍に歩み寄ってきた。
「おまえの癒しの力は素晴らしいな」
「私はこの世界にいちゃいけない存在だって言ったくせに」
「確かにそうだが、我はすべてを否定するわけではない」
「ふうん?この前と言うこと随分違うじゃない」
彼女はチクリと嫌味を云った。
以前イシュタムに言われたことを根に持っていたのだ。
それを聞いていた魔王はトワを自分の背に庇うようにイシュタムの前に立った。
「貴様、トワに何を言った?無礼は許さんぞ」
「魔族を癒す力はこの世界の理に反すると言った。それは今も変わらぬ」
「それがどうした。トワを望んだのは我だ。この世の理などクソくらえだ」
「ゼルくん…」
トワは魔王の背中にくっつくように身を寄せた。
イシュタムの冷たい言葉も、彼がいてくれれば、心までは凍らない。そんな気がした。
「だが、今はその力を貸してもらいたい」
「虫のいい話だな」
「私に何をさせたいの?」
「イドラを助けてほしい」
「トワは我のパートナーだ。勝手に連れていくことは許さん」
魔王はギロリとイシュタムを睨みつけた。
すると、ユリウスが2人の間に割って入った。
「魔王様、ウルクは魔獣テュポーンにやられたのです」
「…テュポーンだと?」
魔王の表情が変わった。
「魔獣テュポーン…?」
トワは首を傾げていたが、周囲はざわついた。
テュポーンと云う名はこの世界では知っていて当然の名前だったからだ。
ユリウスは話を続けた。
「イドラは魔獣テュポーンを呼び出そうとして、逆に身体を乗っ取られてしまったのです。奴の放つ黒い霧の毒液に触れただけで、物理・魔法無効スキルを持つウルクでもあのように肉体を溶かされてしまいました」
「自分が召喚した魔獣に体を乗っ取られるなんてことがあるの?」
「強力な魔獣を召喚しすぎると、魔力を失い、その心を食われることがある。召喚士は皆そのリスクを抱えているのだ。イドラは強い魔獣を召喚しすぎたのかもしれんな」
トワの質問に魔王が丁寧に答えた。
ジュスターはユリウスとウルクに尋ねた。
「この数か月間、おまえたちはどこにいたんだ?」
「大司教公国…いえ、オーウェン新王国です」
ウルクとユリウスは新しい国になった大司教公国の様子と、その地下に魔族たちが潜んでいたことを話した。
ウルクの話を聞いていた将はゾーイを振り返った。
「ゾーイ、おまえの国じゃねーか。何か聞いてるか?」
「情報が滞っていて、わかりません」
将はゾーイがオーウェン新王国出身であることを皆に話した。
ゾーイはジュスターから、ここへ来る前にオーウェン新王国の地下王国にいたことと、聖騎士レナルドを名乗っていたレオナルドが死んで、先ほどの優星に転生していたことを聞かされた。
「そうですか、事故死だと聞かされていましたが、レオナルド様はあなたが…。一体、先ほどのエウリノームとは何者なんです?」
「魔王様に次ぐ長命の魔族だ」
「…!」
「そのレオナルドという男、過去に一度死ぬか、瀕死の重傷を負ったりしなかったか?」
ジュスターの言葉に、ゾーイは思い当たった。
「…以前地下王国で落盤事故があって、奇跡的にレオナルド様だけが助かったことがありました」
「おそらくその時に本物のレオナルドは死に、転生した奴が乗り移ったのだろう」
「…なんと…我々は魔族を王にしようとしていたのか…」
ゾーイはショックを受けていた。
そして連絡用の宝玉を取り出した。
「その宝玉は?」
「父から連絡用にと渡されたものです。これで本国からの情報を受け取っていました。只の魔法具だと思っていましたが…」
「ゾーイの親父はオーウェン新王国の宰相なんだってよ」
将がジュスターに説明した。
「ほう…?お父上はこのような宝玉を他にも持っているのか?」
「はい。懐に忍ばせているのを見たことがあります。これと同じ通信用のものだと思っていましたが…」
「それにはおそらく何らかのスキルが封じられているはずだ」
ゾーイは驚いてジュスターを見たが、彼は淡々と話を続けた。
「おまえの父は魔法を使えるのか?」
「軽く火を起こせたりする程度には。…その宝玉のスキルとはどのようなものなんですか?」
「宝玉の中には、魔力の少ない者でも扱えるものもある。火や水のように目に見えるものだけでなく、人を操ったり騙したりといった精神スキルなどもある」
「人を操る…精神スキル…ですか」
ジュスターの説明を聞いて、ゾーイには思い当たる節があった。
以前の父は、平凡な地方領主だった。とり立てて才もなく、ただかつてのオーウェン王国の貴族の血筋というブランドにのみ固執する男だった。ところがこの数年、新王国建国のために、彼は各国と密かに交渉を重ね、成果を出し始めた。
その交渉術の鮮やかさから、周囲の者らに「SS級交渉士」などというあだ名をつけられるほどの有能な人物だった。それが宝玉スキルのせいなのだとすれば、急に実力を示し始めたことの説明がつく。
「その宝玉は、使い続けていても大丈夫なんでしょうか」
「宝玉は使えば使う程劣化し、結果が伴わなくなり、いずれ消失する。そうなったとき、宝玉により成功を収め続けていた者は精神に異常をきたすことがある。先ほどのあの者を見ただろう?」
ゾーイは先ほど見たエウリノームの醜態を思い出した。
以前に比べ、今の父は自信に満ち溢れている。父が宝玉によって結果を得ていたとしたら、それを失った時の反動が恐ろしいと彼は思った。
魔王からテュポーンについて聞いたトワはイドラが以前話していたことを思い出した。
「…そういえば、イドラは以前、魔王を倒す計画があるって言ってたわ…もしかしてそれが…」
「テュポーンは神イシュタムを殺した最強の魔獣だからな。我を倒すには良い手だ」
「ゼルくんでも勝てないの…?」
トワは魔王の袖を強く握って、不安げに彼を見上げた。
魔王はその手に触れて、「大丈夫だ」と云った。
それを見ていた優星は思わず「ラブラブだね…」と呟いた。
イシュタムはその優星の言葉をさりげなく聞いていて「ラブラブ」の意味を尋ねた。
優星は、好きな人と体を寄せ合ってスキンシップをとることだと説明した。
「だけど、言葉で伝えることも大事だよ。イシュタムは言葉が足りないからイシュタルに教わって、もっと勉強しないとね」
優星はイシュタムの弱点というべきところをズバッと斬り込んだ。
「なるほど、言葉で説明せずにあんなことをしたのがいけなかったか…」
イシュタムが云った独り言を優星は聞き逃さなかった。
「あんなことって?」
「イドラの胸を掴んだ」
「ええっ?」
優星は驚きの声を上げた。
「イドラって男だっけ?女だっけ?あれ…?いや魔族って関係なかったっけ?」
彼は混乱していた。
まさか、このイシュタムがそんな乱暴をしたとは信じられなかった。
「…もしかして無理矢理関係を迫ったの?」
「関係…?迫る?」
「いくら神でもやっちゃいけないことってあるからね!」
イシュタムは意味の分からない言葉を並べられて小首をかしげている。
「ダメだこりゃ…。イシュタル、出て来て代わりに説明してよ」
優星が云うと、一瞬イシュタムは動きを止め、再び話し出した。
「あんまりいじめないでやってくれ。イシュタムはああ見えてかなり落ち込んでるんだ」
今度は随分とざっくばらんなしゃべり方になった。
トワにも、明らかに『中の人』が入れ替わったのだとわかった。
イシュタルは、ここに至るまでのことを話し始めた。




