鈍感な人々
その途端、人間の優星は我に返った。
「え…?」
そこはロビーの2階で、後ろには階段がある。先ほどの着地点だ。
自分の手のひらを見るが、奪ったはずの宝玉はなかった。
「あ…れ…?宝玉は?」
「宝玉ってこれかな?へえ、<瞬間跳躍>なんていかにもひ弱な人間のスキルっぽいね」
優星の背後で、手に持った宝玉を見せたのは黒髪の男だった。男は異常なまでに真っ赤な唇をしていた。先程一瞬視界に入ったのはこの男だった。そしてその顔には見覚えがあった。
彼は周囲を見渡した。
殺したはずのトワの姿はどこにもなかった。
「ずいぶんと楽しい夢をみていたようだね。望みが叶って満足したかのな?」
紅い唇の男は楽し気に尋ねた。
「魔公爵ザグレム…!」
思わず優星は口走った。
「まさか、今のはおまえの…!」
その瞬間、彼は悟った。
ザグレムの術中に嵌められていたことを。
彼は幻覚を見せられていたのだ。
豊富な精神スキルを持つザグレムは、精神耐性を持たぬ彼にとって何とも厄介な相手だった。
そもそもなぜこんなところにザグレムがいるのだろう?
「ほう?私を知っているのかね?人間にまで知られているとは私も有名になったものだ」
「その宝玉を返せ!」
優星は取り上げられた<瞬間跳躍>の宝玉に手を伸ばした。
すると彼はひらりと空中に舞いあがった。
優星がザグレムを追いかけようとした時、横から強烈な物理的圧力を顔に感じることになった。
「ハッ!」
掛け声と共に、優星の美貌に、ハイキックが炸裂したのだ。
顔が歪むほどのキックを食らった優星は、2階から弾丸のように宙を飛び、顔面から階下に着地すると、そのまま数メートル程スライディングすることになった。
見事なハイキックを決めたのは、ロアだった。
「お見事」
後を追って来たカナンは、思わず拍手した。
優星は無様な格好で床に這いつくばり、完全に失神していた。
ロビーにいたテスカとロアは、後ろから駆けてくる人間の優星を見ていた。「そいつを捕まえろ!」というカナンの言葉を聞いて、ロアが動いたのだった。
カナンに続いてこの場に到着した魔族の優星は、顔面にハイキックを受けた自分の元の姿を見て、「僕の顔がぁ…」と嘆いていた。
「ザグレム様、何やってるんですか!」
ザグレムに声を掛けたのは、魔王から彼のお目付け役を仰せつかっていたアスタリスだった。
「何って、この人を捕まえてくれっていうから捕まえる手伝いをしただけだよ」
そう云ってアスタリスに、持っていた宝玉を渡した。
「今精神スキル使いませんでした?せっかく魔王様に封印を解いてもらったのに、また怒られますよ?」
「ちゃんと使えるかどうか確認したかっただけだよ。すぐに解けたはずだし、問題ない」
「さっき僕にも使いかけたでしょ?ダメですよ。僕も耐性魔法具もらってるんですから」
「それを先に言っといてくれればいいのに。まったく君は意地悪なんだから」
「どの口が言うんですか」
しばらく見ない間にザグレムとアスタリスはすっかり良いコンビになっていた。
ザグレムはそのまま、その場を後にした。
カナンたちは一応、ザグレムに会釈をして、去って行く彼を見送った。アスタリスはカナンに挨拶をすると、慌てて彼の後を追っていった。ザグレムは魔王に何事かを命じられたようで、一旦受けた罰を解除されたようだった。
一方、人間の優星を追いかけてきた将たちは、ようやく追いついた。
先に到着していた魔族の優星たちの前に、人間の優星が倒れている。
息の上がった将の口から出た言葉は、優星を問い詰めるものだった。
「おい!優星!さっきのはどういうことだよ!」
「何って、そのままの意味だよ」
「そうよ、将は鈍感なんだから」
「はぁ?何だよそれ」
背後にいたエリアナにも追い詰められることになった将は、納得がいかなかった。
彼らの後ろに追いついてきたゾーイとアマンダは、エリアナを含めた3人の様子を息をのんで見守っていた。
「優星はずっと前からあんたが好きだったのよ」
「え、マジで…?」
「…うん、好きだった」
優星はついに将の前でカミングアウトした。
将は複雑な表情をしていた。
エリアナは今の彼の言葉がひっかかり、問い詰めた。
「今過去形で言ったわね。なんで?」
「そりゃ…魔族になったし、もう元の僕じゃないからさ」
「…魔族になったから諦めるの?」
「うーん、それもなかなか難しいけどね。この体になって、気持ちを整理しようと思ってたんだけど、やっぱり本人に会うとダメだね。気持ちってそんな簡単に変えられないよ」
「悪ぃ…俺、おまえのこと、そんな風に思ったことねえよ…」
「わかってるよ。僕が告白したら君を困らせるってことくらいね。だから黙ってたんだ」
「あー、ごめん…あたしがバラしちゃった」
「謝らないで、エリアナ。驚いたけど、おかげでスッキリしたよ。おかしな形だったけど、自分の気持ちをはっきり言えて良かった」
「じゃあ、将のことは…?」
「別に、好きでいることは自由だろ?」
優星はスッキリした表情で云った。
エリアナは目をパチパチ瞬きしながら彼を見た。
「…なんかあんた、大人になったわね…」
「そうかい?」
「だって以前は将の顔色ばっか窺ってたじゃない。そんなふうに自分の気持ち絶対言わなかったもの」
「あー、そうだね。嫌われたくなかったっていうか…好きになってもらいたかったのかもね。ハハ、カッコ悪い」
「そ、そんなことありませんっ!」
叫んだのはアマンダだった。
「好きな人に自分を好きになってもらいたいって思うのは当然じゃないですか?カッコ悪くなんてないです!優星様、すごく勇気があると思います!」
アマンダの勢いに、優星もゾーイも驚いていた。
「優星様は、今の方がずっと素敵です!」
「あ…、ありがとう…」
優星は照れくさそうに云った。
「アマンダって意外に物をハッキリ言うタイプだよな…」
「こと恋愛のことに関してはね…」
将とエリアナがアマンダについてコメントしている間も、ゾーイだけは黙って彼女を見ていた。
その視線に気付いて彼女は急に頬を押えて恥ずかしがった。
「す、すいません…私ったら…」
「アマンダ、君は優星様が好きなのか?」
「ええっ?!」
思いがけないゾーイの言葉にアマンダは慌てた。
「ち、違いますよっ!!」
彼女は全力で否定した。
エリアナもこれには呆れた。
「なんでそうなるのよ!あんたバカじゃないの?アマンダはあんたが好きに決まってるじゃない!」
「エ、エリアナ様ぁぁ!なんで言っちゃうんですかぁ!」
アマンダは突然のエリアナの暴露に、驚きと恥ずかしさから飛び上がった。
それを聞いていたゾーイは「えっ?」と驚いていた。
「うちの男共はみんな鈍感ばっかでホント困るわね」
エリアナは呆れながら云った。
優星は、ゾーイとアマンダの初々しい反応に思わず微笑んだ。
「じゃあお返しに僕も暴露してあげようか。将はエリアナが好きだよね?」
「え?」
「…バッ、バカかおまえ…!急に何を言い出すんだよ!」
「僕が気付いてないとでも思った?」
思わぬところから火の粉が自分に降りかかって来て、将は焦った。
「将があたしを?そーんなわけないじゃない」
「…」
あっさりと否定したエリアナを、将と優星は唖然として見た。
「…君も十分鈍感だよ、エリアナ」
優星は呆れて云った。
勇者候補たちがそうしている間に、シトリーが気を失ったままの人間の優星を肩に担いで、移動しようとしていた。
カナンが将たちに「一緒にくるか?」と声を掛けた。
人間の優星の正体が気になった勇者候補たちと魔族の優星は、それに頷いた。
トワがいるのは、ホテル最上階のフロアに2部屋しかない豪華なスイートルームの1つで、魔王が執務室と兼用で使用している部屋だった。その隣のスイートにはザグレムが滞在していたりする。
カナンから報告を受けた魔王とジュスターは、ロアとテスカを先に部屋に通すことを許した。
ロアと再会したトワは、久しぶりに会えた嬉しさから喜びを爆発させていた。
テスカから事情を聞き、彼女が大変な目にあったのだと知ると、念のために彼女の身体を治癒した。騎士団メンバーらは、ロアが研究所で受けていたと思われる性的暴行については、彼女の名誉のために伏せることにした。彼女自身も覚えていないことでもあるし、こんなことはなかったことにした方が良いと、テスカもトワには伝えなかった。
「あなたがいてくれて良かったわ、テスカ」
トワに褒められてテスカは嬉しそうだった。
ロアがエンゲージ相手を探してやってきたことを聞くと、なんとかして力になってあげたいと思った。
そこでトワは初めてロアのパートナーの名前がマルティスだと知った。
最初にそれを聞いた時、すぐにあのマルティスとは結びつかなかった。どちらかといえば硬派なロアが、あのナンパでいい加減で守銭奴のマルティスのパートナーだということが想像できなかったのだ。
だけど、他人に見せる顔と好きな相手に見せる顔が違うことだってある、と思い直した。
「あのね、私、同じ名前の人を知っているの。だけどロアのパートナーかどうかはわからない。それでもよければ、一度会ってみる?」
「それは本当ですか?是非、会いたいです!」
「あんまりオススメはしないんだけどね…」
トワはロアにマルティスが滞在しているはずのコンドミニアムの場所を教えた。
あとはもう当人同士の問題だと、彼女はそれ以上踏み込まないことにした。
それからその部屋に、シトリーに担がれた人間の優星が連れてこられた。
彼は男前の顔をひどく腫らしたまま、だだっ広いリビングの真ん中に置かれた椅子に縛り付けられていた。
トワは優星を見て驚いたが、魔王は「今からそいつの正体を暴いてやる」と話したので、これはやはり別人なのだと察した。
縛られた優星の後ろには、ユリウス、ウルク、アスタリスを除く聖魔騎士団が等間隔に並んで立っている。
勇者候補と魔族の優星たちはその横に同じように立っていた。
彼が意識を取り戻すと、真正面には豪華な椅子が置かれていて、そこには魔王が脚を組んで座っていた。
魔王の前に置かれたテーブルの上には、人間の優星の持っていた宝玉がごろごろと転がっている。
それはすべて手のひらサイズの宝玉で、それぞれの大きさの違いは、その宝玉の使用頻度を現していた。
それをテーブルの傍に寄って、じっと見ているのはトワだった。
「ガチャガチャのカプセルがいっぱい…」
「ガチャガチャ?」
トワに向かって魔王が真面目な顔をして尋ねた。
この中でガチャガチャの意味を唯一知っている将は吹き出した。云われてみれば確かに、元の世界にあった、ガチャガチャと云われる、中に玩具が入った透明なカプセルに似ている。
「元の世界に、こんな感じのものがあったのよ。そっちはただの玩具だったけど」
「へえ…トワ様の元の世界にもこのようなものがあったのですね」
感心して云ったのは彼女の隣にいたロアだ。
テーブルの上に乗っている宝玉は6つ。
魔王の隣に立つジュスターは、これはほんの一部だろう、と云った。
「で、結局コイツは一体誰なんだ?」
将がストレートに尋ねた。
口を開いたのはジュスターだった。
「コイツの正体は魔大公エウリノームという魔族だ」




