研究施設
私は馬車に揺られていた。
しばらく無言でいたけど、一緒に乗っている見張りの兵士からの視線を感じてチラッと見ると、向こうから話しかけてきた。無精ひげの中年男だった。
「あんた、何やらかしたんだい?まさか魔族ってことはないよな?まったく人間にみえるが」
どうやら詳しい事情は聞かされていないみたい。答えるのも面倒だったけど、あんまりしつこいので仕方なく返事をした。
「私は人間だし、犯罪者でもないわ」
「へえ、じゃあどうして研究施設送りなんかになるんだい?あんたみたいな奇麗な娘がさ。あそこに入ったら2度と出られないって話だぜ」
「研究施設に入ったことあるの?」
「入口までならな。あそこの祭司長、ちょっとイカレてておっかねえのさ」
「祭司長?」
「そう、偉い人らしいけど、俺には理解できんね」
祭司長ってたしかホリーと同じ階級よね…。
その時、馬車が急に方向転換して、荷台にいた私は体を大きく揺さぶられた。
「おっとぉ…」
同乗していた兵士も思わず馬車の鉄格子を掴んだ。
外を見ると、なんだか大勢の人の姿が見えた。
彼らは何かを口々に叫んでいる。
「今の何なの?」
「ありゃ人魔同盟だな。道を塞いでこんなとこで集会かよ…まったく迷惑な連中だ」
「人魔同盟?」
「魔族と人間の共存を唱える連中さ。さすがに首都で活動すると捕まるからな。こんな郊外で抗議運動してんだな」
「へえ…」
この世界にもデモみたいなものがあるんだな。
魔族排斥を教義にしてる国で、人間と魔族の共存を訴えるなんて、勇気があるなあ。
「おそらく研究施設に対する抗議なんだろうよ。ここが酷い実験をしてるってのは市民でも知ってるくらいだからな」
「…酷い実験?」
「ああ。あんたみたいな若い娘があんなとこ行ったら何されるかわかんねえぜ。この前もアトルヘイムの軍隊が魔族の大物を捕獲したって大騒ぎになってたからよ。その魔族の相手でもさせられんじゃねえのかな」
そう云いながら、兵士がやたらじろじろと見てくる。その目がすごくいやらしい。
なんだかいやぁな予感がする。
「なあ、その前に俺といいことしねぇか?」
「はぁ?」
予想通り、やっぱこの兵士ろくでもないヤツだった。
ぐいぐいと距離を詰めてくる。
「どーせ研究施設に行ったら2度と出られないんだ。だったら今のうちに楽しんだ方が得だぜ?」
ニヤニヤしながら兵士は私の膝に手を伸ばしてきた。
「ちょっと…!触らないでよ!大声出すわよ」
「叫んだって誰も来ねえよ」
「やめて!誰か!カイザー、助けて!」
兵士が私に覆いかぶさろうとした時―。
ドカッ!
鈍い音がしたかと思うと、目の前にいたはずの兵士が、荷台の鉄格子に飛ばされ、磔になって気絶していた。
「えっ?」
目の前に立っていたのはイケメンすぎる青年魔王の姿だった。
それは擬態したカイザーで、兵士を思い切り殴り飛ばしたのだった。
『ふん、下郎が』
「カイザー!」
カイザーは気絶している兵士の襟首を持って片手にぶらさげ、その腰に下がっていた鍵を奪って荷台の鉄格子の扉を開けた。そして走る馬車の荷台から、その兵士の体をまるでゴミを捨てるみたいにポイッと投げ捨てた。路上に投げ捨てられた兵士の体が、馬車の移動と共に小さくなって見えなくなった。
『ふん、あれくらいでは死なないだろう』
「あ…ありがと」
魔王に擬態したカイザーは、私の隣に座って、私の両腕にかけられた縄を軽々と引きちぎった。
『怪我はないか?』
「うん、ありがと、助かったわ」
あんな痴漢みたいなオッサンに触られるなんて、考えただけでもゾッとする。
カイザーがいなかったら、今頃私…。
私の表情が青ざめたのを見たカイザーは、私の頭をポンポンと軽く手で叩いた。
彼の顔を見たら、ホッとしてなんだか泣きたくなった。
「うー!こういうときはハグしていいのよ!」
私はイケメン魔王姿のカイザーに抱きついた。
カイザーは私を受け止めて、そっと抱き返してくれた。
『これがハグか』
「そうよ。ハグしてって言ったらこうするの」
『わかった』
「…」
『…』
体を離そうとしたけど、ガッチリと抱きかかえられていて身動きが取れない。これじゃハグっていうより完全にホールド状態だわ。やっぱコイツにロマンチックな雰囲気なんて期待した私がバカだった。
「もういいから…!離して!」
『もっとずっとしてても良いのだが…』
「はいはい、わかったから。もうその姿にもだいぶ慣れたけど、やっぱ心臓に悪いんだからね!」
『他の者の姿の方が良かったか?何ならお前の勇者仲間にでも擬態しようか?』
私の脳裏に一瞬、将や優星の顔が浮かんだ。
「それだけは絶対やめて~~!」
そんなやりとりをしつつも、馬車は結構なスピードのまま走り続けていた。
「さっきの兵士、投げちゃったけど…もしかして、あんた…」
『もちろん擬態できるぞ。任せておけ』
「気持ち悪いから擬態するのは降りる直前にしてね」
『わかった』
「それから人間の前ではそのままの姿でいること。いいわね?」
『承知している』
やがて馬車は集落の入口に着いた。
その集落は、研究施設で働く人々のために作られた村で、村の奥には巨大な建物が見える。
施設、というけど、遠目に見るとまるで巨大なドーム球場みたいだった。
入口には、警備兵が数十人立っていた。
なかなか警備は厳重みたい。急に緊張感が襲ってきた。
御者にいた兵士が馬車を止めて後ろへ回ってきた。
「おう、奴隷を降ろしてくれ」
兵士に擬態したカイザーは、私と共に馬車を降りた。
さっきカイザーが引きちぎった縄を軽く手に巻き付けて、縄が切れていることをごまかした。
「そいつを研究施設内に連れてってくれ。俺は手続きして馬車を回してくる」
そう云って、もう1人の兵士は馬車を移動させるために別行動を取った。
私は兵士に擬態したカイザーと共に、研究施設の入口から内部に入った。
研究施設の中は大きな機械のようなものがたくさん置いてあって、まさに研究所っていう感じ。
ここだけはファンタジー世界というよりSFチックな世界だと思った。
守衛のいるロビーみたいなところを抜けて奥へ行くと、1人の男が歩いてくるのが見えた。
その男は、緑のローブを着て丸い眼鏡をかけている。
高度な回復魔法があるこの国で眼鏡をかけている人は非常に珍しい。たぶん、ファッションなんだろうな。私にはジョン・レ〇ンのコスプレしている人にしか見えなかった。
「ああ、来ましたね。連絡は受けていますよ」
丸眼鏡の男の高い声が少し耳障りだ。
「私はこの施設の責任者のフルール・ラウエデスです。トワさん、でしたね。フフッ。これから長いお付き合いになるのです。よろしくお願いしますね」
丸眼鏡の奥の目は笑っていない。なんだか気味が悪い人だ。
「ああ、そこの兵士。あなたはもう帰って結構ですよ」
私はカイザーに目配せした。
カイザーが擬態した兵士は、頭を下げて踵を返していった。
彼は施設を出る前に、ひそかに私のネックレスに戻ってきた。
「あなたには特別にこの施設の中を案内して差しあげましょう。これから死ぬまで過ごすところですしね」
そう云って、フルールは私の前に立って歩きだした。
外からは1つの建物に見えた施設の中は、複数の棟に別れていて、中央の通路で繋がっている。通路は棟ごとに連絡口の扉によって仕切られていた。
その通路を歩いていく途中には、多くの研究員たちがなにやら大掛かりな機械の前で作業をしたり、薬品をガラス瓶に入れたものを調合したりして理科の実験みたいなことをしたりしていた。彼らの白いローブが白衣みたいに見えてきた。
そうして歩いて3つ目の連絡口扉を抜けると、これまでで一番大きな棟にやってきた。
そこは、天井の高さがドーム球場よりも高いんじゃないかと思う程の大ホールで、フルールによればこの施設の中心となる場所だという。
真ん中の通路を歩いていくと、両脇に大きな透明のガラスでできたような水槽がいくつも並んでいる場所に出た。
「ここには捕らえた魔族が20体以上います。まあ、半数は死体ですがね。フフッ」
水槽の中には人らしき姿が見える。
よく見ると、背中に翼がある者や額に角が有る者、頭が狼のような獣人など、あきらかに人間とは異なる姿をしている者がいる。全員魔族なのだろう。
「こちらの水槽の中にいるのは生きた魔族たちです。魔法で眠らせていますけどね」
「彼らを捕らえて何をしているの…?」
「様々な実験をしています。そうですねえ、解剖したり薬物を投与したり」
「人体実験ってこと…?」
「彼らの体は情報の塊なのですよ。ここでの研究により、カブラの花粉の分析もできましたし、対策方法も提案されたのです。人類にとって非常に有用な研究対象です」
丸眼鏡のフルールが指さした方を見ると、魔族と思われる死体が無造作に山積みにされていた。それは体の一部が欠損していたり切り刻まれた跡があったりと、看護師だった私でも目を背けるほど残酷な光景だった。
「最悪だわ…」
このホールの通路には今、この丸眼鏡と私しかいない。
護衛の兵士を帰らせるってことは、私を下級の回復魔法しか使えない、ただの小娘と侮っているんだろう。両手も縄で縛られているように見えてるし、何も抵抗できないと思っているんだろうな。
「あなたは聖属性を持ちながら魔属性も併せ持つとか」
丸眼鏡はずい、と私の前に顔を寄せてきた。
「見たところ全く普通の人間に見えますがね…。大司教様によれば、最初は魔属性を持っていなかったと聞いています。この数か月の間に一体何があってそうなったのか、教えていただけませんか?」
「知らないわ。何も心当たりなんかありません!」
「そうですか、素直じゃないですねえ。まあ、これからいろいろ実験していくうちに素直になっていくでしょう」
この男は、私を実験に使うモノとしか見ていない。
「まずはあなたの魔法の能力を見極め、魔属性がどのように作用しているのかを確認します。それから…そうですねえ、先に交配実験から始めてみましょうか」
「こ、交配実験…?」
「魔族との間に子供を作れるかどうかの実験ですよ。その子供にどのように属性が受け継がれるのか確認しないといけません。
実はですねえ、これまでも魔族と人間の間に子供を作ろうと何度も試みましたが、まったく受精せず失敗続きでして。数百年にわたる実験の末、ようやく体外受精で1度だけ受精卵をつくることに成功したんです。それを人間の女の胎内に移植してみたのですが…結局ダメでした。母体から子宮ごと取り出し調べてみたところ、魔属性だけが確認できました。つまり人間の因子より魔族の因子の方が強いという結果がでたのです」
「実験台にされた人間の女性はどうなったの?」
「死にましたよ。まあ、魔族と強制交配させられた時点でほとんどの女は気が狂ってしまいますがね」
「狂ってるわ…」
「どうしても女の魔族が手に入らないので仕方がありません。女の魔族は希少な上滅多に流通しないのでね。おまけにうちの大司教様はケチで資金を出してくれないんですよ…。ですが、両方の属性を持つ稀有な存在のあなたならきっと成功するに違いありません。実験結果が非常に楽しみです」
「人間のためとかいって、人間も平気で殺してるのね」
「これは多くの人間のための研究なのです。多少の犠牲はやむを得ません。それに犠牲になったのはほとんどがあなたと同じ奴隷です。だ~れも気にしません」
丸眼鏡はすこし大げさな身振りで云った。
ダメだこの人、完全にイっちゃってる。いわゆるマッドサイエンティストってやつだわ。
「そうそう、ちょうど良いタイミングで最高の相手が手に入ったんですよ」
フルールはさらに歩いて行き、ひときわ大きな水槽を指さした。
その水槽には幾重にも大きな鎖が巻かれていた。
水槽の中には銀色の長髪の男性が入れられていた。魔族特有だという尖った耳がなければ、普通の人間に見える。他の魔族同様、鎖で拘束され、裸のまま水槽の中で眠らされている。
「今から数か月前、あの高名なアトルヘイム帝国の黒色重騎兵隊が、魔族の村を発見して襲撃し、捕らえた大物です」
魔族狩りが行われているって聞いたことはあったけど、捕まった魔族はここへ送られていたのね。
「この魔族は、自らをジュスターと名乗っていて、魔族でもかなり上位の上級魔族のようです。調べてみたところ、かなりの魔力の持ち主だとわかりました。上級魔族が捕らえられること自体、非常に珍しいことですからね。フフッ。大枚はたいた甲斐があったというものです。どんな実験をしようか、計画を立てていて…。そこへ、あなたの登場です。いや~わくわくしましたね!」
何がわくわくだ、この変態!
「どうです?彼、結構いい男じゃないですか?」
「お断りよ」
「あれ?気に入りませんか?」
「こんな悪趣味な人体実験は嫌だって言ってるのよ!」
「何を言っているんですか。これは人間のための大切な研究なんですよ」
「人間のためなら何をしてもいいの?」
「当然です。魔族なぞ我らと同等の生き物などではないのです。家畜以下、いや我らに害をなす分、たちが悪い害獣なのです」
「彼らは私たちと同じよ。知性もあれば感情もあるわ。こんなやり方は認められない!」
私は怒りのあまりフルールに向かって叫んだ。
「…あなたはやはり魔族なんじゃないですか?そうでなければ魔族のかたをもつなどありえない。どうやって両方の属性を持つに至ったか、聞かせてもらいましょうか」
フルールは私に向かって手を突き出した。
「なあに、すこーし痛い目にあってもらえば、すぐにしゃべりたくなりますよ。電撃なら体に傷はつきませんから安心してください」
丸眼鏡はその口元に笑みを浮かべながら、呪文を唱え始めた。
私に攻撃魔法を撃つつもりだ。
「カイザー!あいつを止めて!」
私が呼ぶと、フルールの前に先ほどの兵士に擬態したままのカイザーが現れ、彼の腕を掴んだ。
「いたたたた!なっ、なんだキサマ…!どこから現れた?」
フルールが言葉を紡ぐ間もなく、兵士の姿のカイザーは彼の腕をねじりあげた。
『トワ。こいつ殺すか?』
「とりあえずそのうるさい口を黙らせて」
『承知した』
「き、きさま、何だ?放せバカ!わ、私は祭司長だぞ!偉いんだぞ!私に逆らったらどうなるか…ぐもっ」
『よくまわる口だ』
カイザーはフルールの口ごと顎を押えたまま、彼の身体を持ちあげた。これでは魔法の詠唱もできない。
しばらく空中で手足をじたばたさせていたけど、カイザーが手に少し力を入れただけで彼はぐったりとなった。口と喉を圧迫されて気を失ったようだ。
『人間の階級というものは強さとは関係ないようだな』
カイザーはぐったりとしたフルールの体をポイっと放り投げ捨てた。
フルールの体は弧を描いて宙を飛んで行き、魔族の入った水槽に頭からぶつかって、そのままズズズ、とずり落ちて床に落ちた。
ぶつけた頭は相当痛いと思うけど、きっと死んではいないだろう。
「ありがとう」
『フン、胸糞の悪い奴だったな』
カイザーは兵の姿のまま、辺りを見回した。
『ここにいるのはすべて魔族のようだな。水槽の外にいる者は既に死亡しているか…。どうする?』
「もちろん、助けられるだけ助けるわ。私の力、今使わないでいつ使うってのよ」




