運命操作の悪戯
優星アダルベルトは、ようやくまともにしゃべれるくらいに回復した。
世話をしてくれるダリアという女性は人魔同盟という組織の、かつてはリーダーを務めた人間だった。
彼が名乗ると、ダリアは彼が勇者候補だったことを知っていた。
人魔同盟とは、魔族と人間の共存を謳うおかしな団体で、大司教公国周辺ではよく騒動を起こしていた連中だ。
今まではうるさい虫ケラ程度にしか思っていなかったが、まさかその連中に助けられるとは思わなかった。
彼がいる施設は、人魔同盟の所有する人間用の治療施設だった。聞くところによれば隣の建物には魔族用の治癒施設もあるのだとか。もっとも魔族の治癒などできないので、ほとんどはポーションを使用した後自然治癒に頼ることになるのだが。
人魔同盟の者たちは交代で彼の看護をしてくれた。
それは人間の女ばかりだったが、ある日ダリアが来て云った。
「フフッ、あなたが来てから、ここの女の子のスタッフたちがすっかり張り切っちゃって大変よ」
「…なぜです?」
「なぜって…あなたそんなナリして自覚がないの?」
「わかりません」
「それもまた罪な話ねえ…。でも、良かったわ。あなたも助かって」
あなたも?
「…私の他に助かった人がいるんですか?」
「ええ。ずっと、諦めていたのだけど、ここへ来て、その子が助かっていたことがわかったの」
「それは…誰の事です?」
「あなたも知ってる子よ。トワっていう女の子。一時行方不明になってたみたいだけど、ペルケレ共和国にいたことがわかったのよ。アザドーの情報網はさすがね」
「トワ…」
あの娘だ。
<運命操作>を持つ娘。
「トワは今どこに?」
「魔族と一緒に闘技場で闘士をやってたっていうから、セウレキアでしょうね。グリンブルには闘士の興行は来ないから、よくわからないんだけど、人間と魔族がパーティを組むなんてことできるのね」
「そう…ですか」
「今は体を治すことだけ考えて、ゆっくり休んで。そのうち会えることもあるわよ」
どうやら彼らの持つ情報は少し遅れているようだ。
彼はダリアに礼を云い、1つ頼みごとをした。
「あの、実はラエイラに個人的な荷物を置いてきているんです。取りに行きたいんですが」
「その体じゃ無理よ。良ければ代わりに行ってきてあげるわ。場所は?」
「中央区のビーチ・ホテルです。プライベート・クロークでレナルド・ベルマーという名義で預かってもらってる筈です」
「レナルドって…公国聖騎士長よね」
「ええ。私たち勇者候補の世話係でした」
「なるほど。彼に荷物を預けていたのね。わかったわ、任せてちょうだい」
「あ…、そのできれば中は見ないでもらえると助かるのですが」
「あなたのプライベートを覗く趣味はないわ。安心して」
ダリアはそう云って病室を出て行った。
彼女を見送って1人になると、彼はそっとベッドから体を起こした。
まだ、傷が痛む箇所がある。首の傷はほぼ塞がってはいるがミミズ腫れのような痕が残っている。
これは剣で切られた痕だ。
この体の持ち主は喉を切り裂かれて絶命した筈だった。赤い血をたくさん流して。
…滑稽だ。
自分が殺した人間に転生するとは、<運命操作>はずいぶんと悪戯好きのようだ。
フルールはこの遺体を依り代に使用するためか、傷を塞いで大切に保管していたようだ。
スキルを確認したが、有用なスキルはほぼ残っていない。それも当然か。
今のこの体は、少しだけ魔力の強い、ただの人間に過ぎない。
「…使えない体だ」
彼は吐き捨てるように云った。
だが、このタイミングであの体を捨てられたのはむしろ幸運だった。オーウェン新王国だの王だのと煩わしいことにはもううんざりだった。
ダリアから、オーウェン新王国が建国を宣言して、大司教公国が滅んだことを聞かされたが、別に何の感情も感じない。オーウェン新王国は女王カーラベルデを擁し、アトルヘイム帝国からの独立を宣言したというが、もう彼には関係のないことだった。
そうして数日をベッドの上で過ごした。
回復士による治療で、日常生活に支障がない程までに回復したある日、ダリアが再び病室を訪れた。
「あったわよ。荷物」
彼女は、皮でできた肩掛け紐のついた小さなリュックサックを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「苦労したわよ。本人じゃないと渡せませんの一点張りでね。それで、組織に頼んでレナルドの偽造身分証を作ってもらってようやく引き出せたの」
「そうですか。お手数をお掛けしました」
「どういたしまして」
彼は受け取った荷物を大事そうに抱えた。
「あなた、行く宛てはあるの?よければずっとここにいてもいいのよ」
「傷が治ったら、ペルケレへ行こうと思っています」
「ペルケレ?悪いけど、おすすめはしないわ」
「なぜです?」
「ちょっと大変な情報を聞いたのよ」
「何です?」
「これはまだ公になっていない情報なのだけど、どうやら魔王がペルケレ共和国の大都市ゴラクドールを占領したらしいの」
「魔王が?」
「じきに政府からも発表になると思うけど、上層部はかなり混乱しているわ。人魔同盟もそのことでずっと話し合っているの」
「それは…大変ですね」
「諸国は戦々恐々としてるようよ。ゴラクドールの次はどこを襲うのかって。グリンブル王国は魔王に使者を送ったらしいわ。たぶん人間専用の都市ラエイラを見直して中立を守るんじゃないかしら」
「魔王と戦おうという国はないんですか?帝国は?」
「アトルヘイム帝国は軍部のクーデターが起こってそれどころじゃないみたい。他の国も戦うのには消極的ね」
「勇者がいないからですか」
「それもあるんでしょうけど…いい?これはまだ極秘情報なんだけど、魔王の側近に『聖魔』っていう魔族を回復させられる人物がいるらしいの。噂によればその『聖魔』はSS級回復士以上の、広範囲回復魔法の使い手なんだって」
「『聖魔』…?」
「文字通りなら、聖属性を持つ魔族ってとこかしら。そんな人が本当にいるなんて信じられないけど、これが広まったらあちこちでパニックが起こるわね」
聖魔の力を持つ者…。あの娘のことだろう。
なるほど、魔王は先手を打ってきたか。
その存在を公にすることで、人間側を牽制してきたということか。
ということはあの娘もゴラクドールにいるということだ。
「世界は魔王に支配されることになるんでしょうか」
「…恐ろしいことをいうわね、あなた」
「魔族が回復できるようになったら、もう人間に勝ち目はありませんよ」
「確かにね。でもそうならないように私たちは動くわ」
「人間側には勇者がいないのに?」
「勇者がいなくったって、方法はいくらでもあるわ。私たちは戦う以外の方法を模索するつもりよ」
やけに熱弁をふるうダリアを優星は奇異な目で見つめた。
ダリアはフッと笑った。
「私の祖父はね、勇者シリウスの仲間だったのよ」
「え…!?」
「ジェームズっていう戦士だったわ。祖母は彼の世話係をしていたそうよ」
優星の目がキラリと光った。
その名を持つ者も、彼自身が手を下した覚えがあったからだ。
「祖母は亡くなった祖父の形見の日記帳を大事に持っていたわ。私も母からそれを受け継いだの」
「…日記…?」
「勇者のことも書かれてあったわ。祖父たちが勇者にしたこともね…。まあ、周囲がうるさいからこの話はあまり人にしないことにしているんだけど」
「もしやあなたは勇者の仲間の子孫として、魔族と戦うつもりなんですか?」
「いいえ。私が戦うのは差別と偏見よ。魔族と人間はきっと分かり合える。そう信じてる」
「…夢物語ですね」
「なんと言われてもいいわ」
その後、ダリアからゴラクドールは魔族以外入国できなくなったと聞かされ、行くのは止めた方がいいと止められた。
それで、彼はリュックを肩に掛け、強引にゴラクドールに行こうと部屋を出た。
そこで彼に幸運が訪れた。
外に出た時、他の施設から出てくる魔族に会ったのだ。
それは彼を研究所で助けてくれた魔族たちの1人だった。
優星は思い切って彼に声を掛けてみた。
その魔族はエメラルドグリーンの髪をした人間と見まごう美少年だった。
彼は優星を覚えていて、聖魔騎士団のネーヴェと名乗った。
ネーヴェは優星のことを覚えていて、「あんたも元気になったんだね」と声を掛けた。彼は優星が勇者候補だったことを知っていた。
この時初めて優星は彼らがトワを守る騎士団だと知った。聖魔騎士団の『聖魔』とはそういう意味だったのかと彼は納得した。
渡りに船とはこのことだった。
だがトワが『聖魔』なら、魔族たちのガードは堅く、簡単には会わせてはくれないだろう。
優星はネーヴェに、トワに会ってどうしても渡さなくてはいけないものがあると伝えた。
「渡さなくてはならないものって何?」
ネーヴェが用心深く訊くと、優星はリュックの中から宝玉を取り出した。
「それは宝玉…!?スキルが入ってるの?」
優星は、ネーヴェが宝玉を知っていたことに驚いた。これを出したのはまずかったか、と少し後悔したが、自分が彼女に会うための材料を他に持っていなかったので、押し切ることに決めた。
「大司教から奪い返してきたものなんだ。これをトワに渡したくて」
「ふーん?なんでトワ様にそれを渡す必要があるの?」
「これは強力なスキルみたいなんだけど、壊すのはもったいないし、トワならきっと悪用しないと思って」
「だったらその宝玉だけ預かるよ。トワ様に渡せばいいんでしょ?」
「あ、いや、それは…久々に会いたいし、直接渡したいんだ。けど、ゴラクドールは今、人間は入れないって聞いたから、一緒に連れて行って欲しいんだ」
優星は焦った。
ここで宝玉を取られるわけにはいかなかった。
「まあ、ロアも元気になったし、政府の頼み事なんかも聞いてあげたりしたし、そろそろ戻ろうとは思ってたけど」
「じゃあそのついでに…」
「あんた、なんか気に入らないんだよなぁ」
ネーヴェは優星を足元から舐めるように見た。
彼は一瞬バレたかとも思ったが、そんなはずはないと思い直し、やり方を変えてみることにした。
「…まあ、無理ならいいよ。だけど次に彼女に会えたら、君に断られたって文句を云っておくことにするよ。私は彼女と親しいからね」
「ちょっと、僕を脅迫するつもり?」
「そんなつもりはないよ。ただ早くトワに会わせてくれないかなあって思ってるだけさ」
ネーヴェは唇を尖らせて「これだから人間は嫌いだ」とぼやいた。
「いいよ、連れてってあげる。その代わり、トワ様の昔の知り合いだからって、偉そうにしないでよね」
ネーヴェは意地悪そうに云って、仕方なしに優星の同行を認めた。
「助かるよ」
優星はそう云ってニヤリと笑い、<運命操作>が働いていることを確信した。




