救世主登場
中央広場で魔族たちを包囲していた治安部隊を蹴散らしたのは、ゴラクドール上空に飛来したカイザードラゴンだった。
「魔王様だ!」
「魔王様が助けにきてくださった!」
ドラゴンに気付いた広場の魔族たちはドラゴンを見上げて一斉に声を上げた。
カイザードラゴンは広場上空に浮遊したまま、治安部隊に向けて火球を放った。
それと同時にドラゴンの背からジュスターやサレオス、アスタリスが降り立ち、その場にいたカナンに加勢した。
ドラゴンが来襲しただけでもパニックになったのに、更に腕の立つ魔族までやってきて、広場を包囲していた治安部隊の兵士らは動揺した。
そもそも彼らの仕事は都市の中で罪を犯した魔族らを取り締まることで、こんな風に魔族とまともに戦った経験などなかったのだ。
ドラゴンが広場に舞い降りると、彼らのパニックは頂点に達した。
極めつけは、その背から禍々しいオーラを纏った黒衣の男が下りてきたことだった。
広場の魔族たちは、息をのんだ。
彼らのほとんどは魔王を見たことが無かったが、その圧倒的なプレッシャーから、それが魔王であることを本能的に感じ取った。
魔王は圧倒的な魔力で、人間たちをねじ伏せた。
魔王と共に地上に降り立ったトワは、広場の最前列で膝をついていたエルドランに駆け寄った。
エルドランにとっては、トワは闘士仲間でもある。
その彼女が魔王と共に来ただけでも驚きなのに、なんと自分の傷を癒してくれたのだ。
しかも完璧に。
高価なポーションを使ったってこうはいかない。
エルドランは驚きの目で彼女を見た。
そしてその様子を、周りの魔族たちも目を丸くして見ていた。
「他に怪我をしている人はいない?ここが痛いよーって人は前に出て来て」
彼女は魔族たちに向かって叫んだ。
だが、まさか彼女が魔族を治癒できるなどとは知らない彼らは、何を云っているのだろうと、ポカーンとしていた。
広場には数千人の魔族が集まっていたので、後ろの方まで声が届かない。
彼女は広場にいた全員を座らせ、怪我をしている者だけを立たせた。1人で建てない者は近くの者に補助させた。
トワは彼らに範囲回復魔法をかけた。彼女は目に見えている対象を癒すことができるのだ。
「おお…!!」
「嘘だろ…!傷が治った!」
「わ、私の怪我もだ!!」
「マジか…さっき転んで擦りむいた傷も治ってるぞ…!」
トワが魔族たちを一瞬にして回復したところを目の当たりにした魔族たちは、驚きの声を上げた。
彼女の治癒の力は、立っていた者のみならず、範囲内にいたすべての者に及んでいた。
初めて体験する治癒される感覚に、そこに集まっていた魔族たちは驚き、ざわついた。
すっかり怪我が治ったエルドランは最前列で彼女を見つめていた。
「あなたは…何者だ?」
エルドランがトワに尋ねた。
「あれ?私のこと、知ってるでしょ?チーム・ゼフォンの水鉄砲士よ」
そう云って彼女は笑ってみせたが、エルドランはそれが彼女のうわべの顔にすぎないことを悟った。
この世に魔族を癒せる者がいるなんて、考えたこともなかった彼は、目の前の奇跡をなかなか受け入れられずにいた。
だが、彼の目の前で彼女は次々と奇跡を起こして見せ、それが現実なのだとようやく悟った。
ドラゴンとジュスターたちの働きによって、治安部隊は広場から撤退を余儀なくされた。
助けられた広場の魔族たちは魔王の前に平伏した。
だが、彼らの注目は魔王の隣に立つトワに集まっていた。彼らには指輪のおかげでトワが人間だとはバレていない。
魔王はトワを抱き寄せてよく通る声で叫んだ。
「おまえたち、この者の起こした奇跡を見たか?」
広場の魔族らは「おおー!」と声を上げた。
「この者には魔族を癒す『聖魔』の力がある。我ら魔族の救世主だ」
魔族たちは一層大きな歓声を上げた。
「もはや人間に媚びる必要はない。この都市はたった今から我ら魔族のものだ!」
「うおぉぉぉ――!!」
魔王の宣言に、広場の魔族たちは腕を振り上げて熱狂した。
広場には魔王を称える声が鳴りやまなかった。
それから間もなくして、ゴラクドールへマクスウェル軍が来襲し、この人間専用の大都市は魔族によって制圧されることになるのだった。
ことは数時間前に遡る―。
マクスウェル軍の宿営地に寄り道した魔王たちを、サレオスとザグレムが出迎えた。
ゴラクドール入国門でのマクスウェル軍の一件を見ていたサレオスは、監視対象でもあるザグレムを連れて、アスタリスを道案内に、マクスウェル軍陣営に様子を見に行くことにしたのだ。その際、ザグレムが、彼の愛人の駆るスレイプニールの馬車を用意したのだった。
そこで彼らは、カイザードラゴンで乗り付けた魔王一行と合流した。
マルティスや魔王に初めて謁見するイヴリスやゼフォンらは、その圧倒的なオーラに全身の毛が逆立つほどのプレッシャーを感じた。
特に優星は、魔王にジロジロと見られた上、声を掛けられたのだが、極度の緊張と恐怖でろくに言葉が出なかった。優星はかつての自分たちが、こんなすごい相手と戦おうとしていたのかと思うと、体の震えを止められなかった。
マクスウェルから事情を聞いた魔王は、彼にこのままゴラクドールを攻めよと命じた。
マクスウェルは素直に頷いたが、他の者たちは驚いていた。
イヴリスなどは、トワが仲裁に入って、魔王を止めるだろうと思っていたからだ。だが、この魔王の決定に、当のトワは何も云わなかった。
「ゴラクドールを攻め落とすの?」
思わず優星が呟いた。
「たぶんな」
マルティスがそっけなく答えた。
「それよりトワだ。あいつ、どうしちまったんだ。なんかいつものあいつらしくないよな」
「そうですね。てっきり魔王様を止めるものと思っていました」
「それになんだか、周りの連中の態度も違くね?」
ゼフォンとイヴリスは、魔王の隣で魔族たちにかしずかれるトワを見た。
「確かにな。マクスウェル軍の上の連中がやけに腰が低い」
「皆やっと、トワ様の偉大さに気付いたんですよ」
その時、トワがイヴリスたちに気付いて、人垣をすり抜けてやって来た。
「皆、無事で良かった!」
「トワ様ぁ~!」
イヴリスはトワを見た途端デレデレに破顔し、駆け寄ってぎゅっと抱きしめた。
ゼフォンがトワに語り掛けた。
「トワ、ゴラクドールにいたんじゃなかったのか?」
「えーっと、いろいろあってアトルヘイム帝国に行ってたの」
「アトルヘイム!?なんだってそんな…」
「誘拐された皇女様を偶然助けちゃって、送って行ったのよ」
「誘拐された皇女…?」
ゼフォンはトワの云うことが良く理解できなかった。
傍にいたマルティスは皇女というワードを聞いて眉間にシワを寄せた。彼は何か心当たりがあるようなそぶりを見せたが、特に何も云わなかった。
「…おまえ、魔王に気に入られて女王様気取りだな」
「それどういう意味よ」
「またマルティスさんはそういうことを…」
「だってよ、あいつらの態度見たかよ?魔王がいるからってチヤホヤしやがって!気に食わねーんだよ」
怒るマルティスを宥めるようにイヴリスは云った。
「ああ、わかった!マルティスさん、トワ様を魔王様に取られたみたいでヤキモチ妬いてるんですね?」
「はぁ?ちっげーよ!」
「その気持ち、わからんでもない。俺もなんだか遠い存在になったような、少し寂しい気持ちだ」
ゼフォンも同じことを云った。
「だから違うって!」
マルティスはムキになって否定したが、トワに「へえ~そうなんだ」とからかわれて舌打ちしていた。
その背後ではトワとイヴリスを、値踏みをするようにジロジロと見ているザグレムの姿があった。
目ざといマクスウェルはそれに気づき、慌ててザグレムの視線を遮るようにイヴリスの前に立った。彼はザグレムを警戒して、トワやイヴリスをはじめとする女性魔族たちに天幕に下がるように命じた。ザグレムは思わず愚痴った。
「あのねマクスウェル、私だってのべつまくなし女を落としてるわけじゃないからね」
「貴公の性癖は良く知っている」
「言っちゃなんだけど、君の娘は私の好みじゃないから安心したまえ」
「なんだと?イヴリスは美しいぞ?どこが不満だ!」
「いや、私はもっとたおやかな感じが…。って、いいのかい?そんなことを言って、私の後宮に入れても」
「それはダメだ!」
おかしな云い合いを始めてしまっていたザグレムとマクスウェルだったが、魔王が傍にやってきたので、云い合いを止め、おずおずと頭を下げた。
ザグレムはあの一件以来、魔王に対してかなり腰が引けていた。
マルティスは魔王からチラッと目線を受けて、冷や汗が止まらなかった。
イヴリスは魔王を間近に見て「ほぁぁ」と奇声を上げてしまった。
魔王はイヴリスからトワを奪うように抱き寄せて、その場にいた全員に云った。
「おまえたちに言っておく。トワは我のパートナーとなる者だ。今後そのように振る舞え」
「は、心得ております」
即答したのはサレオスだった。
ザグレムは無言で頭を下げ、マクスウェルは「おお…!」と少し感動したように首を垂れた。
ゼフォンと優星は呆然としていたが、マルティスは舌打ちし、イヴリスは憮然とした表情をしていた。
そして、魔王はそこで最初の宣言をした。
「これよりゴラクドールを攻め、かの地を占拠する。敵対する者はすべて滅ぼす」
魔王はそう云うと、トワとジュスターらを連れてカイザードラゴンで先行し、ザグレムは愛人とのんびり馬車に乗ってゴラクドールへ向かった。
魔王の宣言を受けて、マクスウェルは全軍の意気が上がり、ゴラクドールへと進軍した。
その中には不本意な表情のマルティスや優星たちの姿もあった。
優星は、先に潜入したはずの将たちを心配しながら馬に揺られていた。




