暴発
ゴラクドール市内にある治安局本部。
そこには、領主でもあるエドワルズ・ヒースが訪れていた。
都市の入口で魔族と治安部隊が戦闘を行ったという事実について、状況の確認に来たのだった。
治安局長を務めるのはエドワルズの甥にあたるグレッグ・ヒースという30歳になったばかりの男だった。
グレッグによれば、やってきた魔族はマクスウェルと名乗ったという。
エドワルズはそれを聞いて青ざめた。
彼は甥を怒鳴りつけた。
あろうことか、グレッグはマクスウェルの名を知らなかったのだ。彼はグレッグに、もう一度学校に行って歴史を勉強してこいと叱りとばした。だが、当のグレッグは意に介していなかった。
「そんなの大昔の話でしょ?それに、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。もう引きあげて行きましたし」
「これで済めば良いが…。念のためキュロスの傭兵部隊に出動要請を出しておく」
「大袈裟ですよ、おじさん」
「おまえはマクスウェルという魔貴族の逸話を知らんのか。一度戦った相手に対しては、決着がつくまで戦いを止めぬ、決して妥協をせぬ執念深い奴だというぞ」
「しつこいってことですか?でも奴の身内だという魔族は都市外に逃げたというし、もう襲ってくる理由がないでしょう?」
「そもそも、おまえはマクスウェルの子供が都市にいたことすら把握していなかったのだろう?その仲間がまだ残っていたとしたら、戻ってくる口実になるかもしれん」
「あー、そういうことですか。じゃあその連中を探して追い出せばいいんですね」
グレッグはあまり真面目に探すつもりはないようだった。
その態度にもエドワルズは怒りを感じた。
「魔獣騒ぎもあって、客が大挙して出て行っている。この祭りの期間に見込んでいた収入が大幅に減ったんだぞ。これ以上被害を出すな」
「わかってますよ。手っ取り早く魔族を都市から追い出せば文句ないでしょ?」
「無茶なことを云うな。一体何人の魔族がここで働いていると思ってるんだ?都市が機能しなくなるぞ!」
「おじさんが何とかしろって言ったんじゃないですか。大丈夫ですよ、一時的に追い出すだけですって」
「魔族がおとなしく従うわけがないだろう!」
「そのための治安局ですよ。さあ、もういいでしょう?」
グレッグは聞き飽きたとばかりに足早に出て行った。
エドワルズはこの出来損ないの甥を重要な役職につけたことを後悔した。
その治安局本部のある建物の地下には犯罪者を一時拘束しておく牢獄があった。
そこには人間に危害を加えた魔族や、スリや喧嘩などで逮捕された軽犯罪者たちが収監されていた。
その独居房の1つにはエルドランが投獄されていた。
ゼフォンを逃がすために治安部隊の足止めをしていたエルドランは、自分の役目を果たすと、その後はおとなしく彼らに投降したのだった。
数日を牢獄で過ごした彼を迎えに来たのはコンチェイだった。
コンチェイは闘技場運営委員会の事務局に出向いていたのだが、魔獣騒ぎもあって闘士たちをセウレキアに戻すことが決定した。彼はそこでエルドランが治安局に拘束されていることを聞いて、迎えに来たのだった。
「あまり無茶をするなよ、エルドラン。おまえさんはチャンピオンなんだ。パトロンから苦情が来るようなことは控えろ」
「…すまないコンチェイさん。迷惑かけるつもりはなかったんだが…」
「幸い、治安局の中にもおまえさんのファンだって人がいてな。連れて帰っていいと言ってくれたんだよ。興行も終わったし、セウレキアに戻ろう」
治安局を出たところで、2人は治安部隊の兵士に呼び止められた。
「つい先ほど、すべての魔族に都市からの退去命令が出た。おまえたちも直ちにこの国から出るように」
「すべての魔族にだって…?」
「おいおい、どういうことだ?」
「詳細については聞いていないが、この都市にいる魔族は全員、出て行くようにと本部からお達しが出ているんだ」
「全員?本気で言ってるのか?」
コンチェイは信じられない、といった顔で訊いた。
食料の調達や調理、ゴミの運搬から清掃、荷物の管理までこの都市を事実上動かしているのは裏方の魔族たちだ。人間の客に接する一部の仕事を除けば、魔族なしではこの都市は成り立たない。
それなのに、その彼らを全員追い出すなんて、どうかしているとしか思えないのだった。
「我々にはただ、そう命令が下っただけだ。事情は説明されていない」
2人は戸惑ったが、とりあえず闘士の宿舎に荷物を取りにいくことにした。
魔族の宿舎に行くと、治安局の兵士たちが詰めかけてきており、今すぐ出て行くようにと魔族たちを追い立てていた。
当然、闘士たちは反発する。
コンチェイが闘士たちをなんとか宥めて宿舎を出るように促したが、同じようなことが都市のあちこちで起こっているらしかった。
既に都市内では魔族たちが「納得いかない」と暴れ始めていたのだ。
コンチェイたちのようなゲストですらこの扱いに憤慨しているのだ、長く都市で働いていた魔族たちにとっては青天の霹靂だろう。
市内の各所から、治安部隊と揉める声が聞こえ、怒声が上がり、やがて炎や爆発が起こった。
ゴラクドールで働いていた大勢の魔族たちが反乱を起こし始めたのだ。
彼らは職を奪われることや、これまでの不遇に対する不満を、ここぞとばかりに爆発させていた。
コンチェイとエルドランは都市警備隊の誘導に従って通りを歩いていたが、広場を通りかかった時、大勢の魔族たちが道路上に集まりつつある光景を目にした。
「これはいかん。このままじゃ暴動がおこるぞ」
コンチェイは嫌な予感をそのまま口にした。
彼の云った通り、市内のあちこちに治安部隊が出動し、退去命令に従わない魔族たちと争い始めた。
ある者は商業施設に立てこもって治安部隊と攻防戦を繰り広げ、ある者はカジノホテルへ乗り込んで、人間の客を人質にとって治安局に要求を突き付けていた。
市内のあちこちでそういった揉め事が起こり、やがて魔族の中に死者が出る事態となった。
コンチェイたちが入国門で出国の手続きの列に並んで待っていると、先頭の方でなにやら言い争う声が聞こえた。
魔族が都市の外へ出る際、一定の金額以上の金を持ち出してはいけないという急な命令を治安局が云い出したため、魔族たちが納得いかないと暴れ出したのだ。
「ふざけんな!これは俺が苦労して働いて貯めた金だぞ!なんで没収されるんだ!」
列には他にも同じように金を持ち出そうとしていた魔族がいたらしく、その魔族を援護しようと続々と集まってきた。それを治安部隊が武力で押さえようとし、門近くで小競り合いが始まってしまった。
そのため、門が封鎖されてしまい、列に並んでいたコンチェイとエルドランは別の門へ行くよう都市警備隊に促された。
2人は徒歩で数十キロ先の別の門を目指そうとしたが、既にあちこちで暴動が起こり始めており、まともに道を歩くことも困難になってきた。コンチェイは、エルドランや他の闘士たちと共に一時、中央の噴水広場に面した建物の中に避難して、暴動が治まるまで待つことにした。
しかし、暴動は治まるどころか、数日後には都市全体に及び始めていた。
治安部隊は武力で魔族たちを取り押さえ、従わない者は容赦なく殺した。やがて治安部隊に追われた魔族たちは、コンチェイたちが避難していた中央広場へと集まってきた。
そこは最初に魔獣が出現した場所で、さすがに遺体は片付けられていたが、美しかった景観は無残に踏みにじられ、荒れたままだった。
そこへ続々と魔族たちが集合し、その数は徐々に膨れ上がって行き、数千人に上った。
コンチェイが連れてきた闘士たちもこの様子を黙って見ていられず、ほとんどの者が暴動に参加するために街中に飛び出して行ってしまった。エルドランだけはコンチェイが必死で止めたので、なんとか留まってくれた。
治安部隊も、広場に集まった魔族たちを見て、正直なところこの人間の都市にこんなに魔族がいたのかと驚いていた。
部隊人数を増員し、広場の魔族たちをぐるりと取り囲んだ。
武器を持たない魔族たちも多くいたが、彼らは治安部隊の武力によって広場に押し込められた形になった。
魔法で対抗しようとする魔族もいたが、治安部隊は魔法を弾く盾を構えてそれを無力化し、その攻撃への報復として、魔族たちに向けて弓矢が射かけられた。
何人もの魔族が弓矢に倒れると、仲間を殺された魔族たちは治安部隊に襲い掛かった。そこからはもう暴動というよりも戦争状態に発展していった。
無抵抗の魔族までが矢に倒れたのを見て、エルドランはもう限界だと、コンチェイが止めるのも聞かず、避難していた建物を飛び出して行った。
エルドランの登場に、広場の魔族たちから歓声が上がった。
闘技場のチャンピオンである彼は、魔族のヒーローだったのだ。
武器を持たない彼は、広場の魔族たちを守ることに専念した。1人で防御壁を展開し、治安部隊の攻撃を耐えていた。
だが数千人の魔族を庇うには、彼1人では限界があった。
治安部隊の容赦ない攻撃にいつしか防御壁は破られ、エルドランは傷だらけになった。それでも彼は広場の魔族たちを守り続けた。その姿に魔族たちも奮起し、エルドランの防御の後ろから攻撃し、抵抗し続けた。魔族たちはどれだけ味方が倒れても決してあきらめようとはしなかった。
戦っている者たちの中には闘士たちも混じっていたが、ほとんどの魔族は戦闘スキルを有していない、いうなれば素人である。
コンチェイは、治安部隊のあまりにも一方的な攻撃を建物の窓から見ていた。戦闘能力の低い彼はそこから動くこともできず、ただ彼らの無事を祈るのみだった。
だが、その状況が一変する。
どこからか1匹の大きな豹のような獣が広場に現れ、治安部隊をかく乱し始めたのだ。その獣は縦横無尽に暴れまわって治安部隊を翻弄した。
その魔獣は、傷だらけのエルドランの前で立ち止まり、その姿を人型に変えた。
周囲にいた魔族や治安部隊は、その光景に驚いた。
その人物はオレンジ色のタテガミのモヒカンのような髪型をした精悍な魔族だった。
それは聖魔騎士団の副団長、カナンだった。
彼はどこからか出した剣を両手に構えながらエルドランに声を掛けた。
「良く持ちこたえたな。あとは任せろ」
エルドランの目の前で、彼は素晴らしい剣技を披露した。
それはエルドランが今まで見たことのないほどの手練れで、思わず見とれてしまった。治安部隊は数は多いが、彼に比べたら烏合の衆に見えた。彼の指示の下、治安部隊と戦っていた闘士たちも統制の取れた行動をし始めた。
それでも、この大人数を相手にするのは至難の業だろうと思われた。
その時、コンチェイは大きな影が広場の上に落ちるのを見た。
何事かと空を見上げた時、その顔は驚愕の表情に変わった。
ゴラクドール上空に、ドラゴンが現れたのだ。




