勇者と魔王
アトルヘイム帝都を後にしてから、カイザードラゴンはヨナルデ大平原の上空をペルケレ方面に飛んでいた。
魔王が空間転移を使わなかったのは、ジュスターが話があると云ったからだった。
「だいたいの想像はついている」
魔王が云うと、ジュスターは頷いた。
「さすがは魔王様」
「だいたい、おまえは最初から怪しすぎる。魔王軍にいたと言っていたが、おまえほどの能力を持つ魔族が、我の知らぬような一介の兵であるはずがない」
「やはり無理がありましたか」
ジュスターが無表情に云った。
「ん?どういうこと?」
私は2人の会話についていけていなかった。
「ジュスターは我の部下などではなかったということだ」
「えっ?…嘘ついてたってこと?何で?」
「申し訳ありません。余計な詮索をされたくなかったもので」
この真面目なジュスターが嘘を云っていたなんて意外だ。
「トワ、おまえは勇者について、どの程度知っている?」
魔王はふいに別の質問をしてきた。
何でここで勇者の話?と思ったけど、知っていることを答えることにした。
「勇者って、100年前の?魔王を倒した後、行方不明になってるって聞いたけど…」
「それだけか?」
「…勇者は仲間に毒を盛られたのよね?」
驚いたのはジュスターだった。
「…どうしてそれを。誰も知らぬ事実のはずですが」
「あ…。ええっと…それは、あの、見たって言うか、覗いたって言うか…」
イシュタムと亜空間にいた時に見た誰かの記憶。あれは間違いなく勇者を知ってる人の記憶だった。だけどそれをここで説明するのは難しいんだよね。
ジュスターは少し考えて、私に詰め寄った。
「…私の記憶を覗いていたのはあなただったんですか」
「え?」
「少し前ですが、私の記憶に干渉する者の気配を感じたんです」
そういえば、あの時、覗いていたことを誰かに叱られたような…。
あれはジュスターだったの?でもまさか…。
「私の本当の名前はシリウスと言います。かつては英雄とか、勇者と呼ばれていました」
「勇者…?嘘よ…!だって勇者は人間だったは…ず」
私はようやく理解した。
「もしかして、転生した…?」
「そうです。あなたの言う通り、私は仲間に毒を盛られ、エウリノームに殺されました。しかしその前に<運命操作>によって、この姿に転生したのです」
「<運命操作>ってそんなことできるの…?」
「ええ。…元々<運命操作>は私が持っていたスキルなんですよ」
ジュスターは真顔で云った。
そういえば、この体は勇者の遺体だったってイドラが云ってたな…。スキルが戻ったのはそのせいなのかな。ちょっと待ってよ…。ってことは、私、ジュスターの元の身体に入ってるってことか…!でもこのこと、ジュスターは知ってるのかな?
よく考えたらそれって相当キモイよね…。死んだはずの自分の身体を私が使ってるって知ったら…。うう、私だったらすっごくイヤ!そんなこと、ジュスターの前で云えないわ…!
いや、でも今は私の身体だし、完全に女だし。よし、知らなかったことにしよう。
私が1人自問自答していると、魔王がジュスターに問いかけた。
「勇者がなぜ魔族に転生した?」
「さあ、なぜでしょう。人間を恨んで死んだからでしょうか」
魔王の問いに、ジュスターは自嘲気味に答えた。
「仲間に裏切られ、エウリノームにトドメを刺された私は、死にたくないと、私を裏切った者に復讐したいと思っていましたからね。ですが、<運命操作>スキルは、使用した本人にもどのような結果がもたらされるのかはわかりません」
「確かに、そうね…」
私も、お風呂を願ったら温泉に入れたっていう予想外の結果になったからね。まあ、私の願いはレベルが全然違うけど…。
「気が付くと私は、魔族に転生していました。この体の持ち主は、ゴラクドールの都市建設現場で奴隷として働かされていたまだ若い上級魔族でした。奴隷の仲間に聞くと、過酷な環境下で働かされ、衰弱死したそうです。転生した私を奴隷たちは介抱してくれました。私は彼らを先導して反乱を起こし、護衛兵の装備を奪って逃亡しました。そうしてさ迷い歩いているうちに、今の聖魔騎士団の彼らと出会い、人間の国で村を作って生きることにしたのです」
「…奴隷か。今でも人間どもが魔族を奴隷にしているらしいな」
「ええ。私もそうした奴隷商人にどこからか売られてきたと聞きました」
魔王は顎に手を当てて首を傾げた。
「身元は?魔族には魔法紋があるはずだが」
「私には魔族の知識がなかったので、自分自身が誰なのか確認する術を持ちませんでした」
「ふむ、それもそうか。人間には魔法紋などないからな。だが、それだけの実力があれば脱出も簡単だっただろうに」
「魔族の奴隷は魔力を使えないように魔封じの首輪を付けられるのです。もっとも私の場合、転生した時に魔力の流入によって壊れてしまったようですが」
「なるほど、そういうことか」
魔王は合点がいったという顔をした。
「その銀髪は、勇者の頃と同じだな」
「…おそらくは、魂の色が出るのでしょう」
そういや、イドラはこの体、元は銀髪だったって云ってたような。私が入ったら黒髪になったらしいけど、その理屈からすると、私の魂の色って黒だってこと?うーん、どーせならもっと奇麗な色が良かったなあ…。
それはいいとして。
「ジュスターが勇者だとしたら、魔王とは敵同士じゃないの?」
私の言葉に、2人は顔を見合わせた。
「ああ」
「そういえばそうですね」
「昔のように話して良いのだぞ、シリウス」
「これはもう癖で…すいません」
2人は今までのような主従関係ではなく、昔馴染みのような感じに見えた。
「魔王だって、勇者に倒されたんでしょう?恨んでないの?」
私の質問に、魔王はニヤッと笑った。
「確かにそうだが、正確には倒されてやったのだ」
「は?何よそれ…負け惜しみ?」
私が嫌味っぽく云うと、魔王は「違う!」と強い口調で否定した。
「こやつは我に一騎打ちを仕掛けてきた。その時、<覚醒能力封印>というスキルを使って、我の能力の一部を封じた」
「ええ。ですが私の聖属性の攻撃が通じたのはそれだけでした」
「…でも、魔王は勇者の聖属性攻撃で倒されたって…」
「人間共は魔族には聖属性の攻撃が有効だと思っているが、防ぐ手立てはある。こちらもそれに無策である必要はないのだ」
「…ともかく、攻撃が通じない以上、私には最後の手段しか残されていませんでした」
私にはピンときた。
「<運命操作>を使ったのね…?」
勇者は奥の手を使って魔王を倒そうとしたんだわ。
「ええ。どういう過程で叶うのかはわからない。だが、願えば必ずその通りになる。…たとえ、そのために誰かが犠牲になったとしても」
「え?」
「言ったでしょう?どういう過程でその結果がもたらされるかはわからないって。親しい誰かが<運命操作>実行の巻き添えになって死ぬかもしれない。そんな覚悟すら持たぬまま、愚かにも私はこのスキルを魔王を倒すために使おうとしたのです」
私はゾッとした。
自分の願いを叶えるために、誰かが命を落とすかもしれないなんて、そんなリスクがあるわけ?
これ、そんなヤバイスキルだったんだ…!
「実際、私の仲間が一騎打ちに割り込もうとして、魔王護衛将によって一撃で殺されました。すぐに蘇生させたので大事には至りませんでしたが」
そうだ、勇者は蘇生もできたって云ってたっけ。マジ万能だな。
「ところが、事態は思わぬ展開になりました」
ジュスターがまた無表情になって云った。
魔王はククッ、と笑っていた。
「そう、我はシリウスに取引を申し出たのだ」
「取引?」
「私が<運命操作>スキルを使おうとした時、この人はそのスキルについての説明を求めてきたんです」
「は?今から戦おうって相手にスキルの説明?」
「そうです。おかしいですよね」
「おかしいっていうか、まともじゃないわね…」
すると魔王は声を立てて笑い出した。
「<運命操作>なんて面白そうなスキルの名を聞いたら、誰だって知りたいと思うぞ?」
そんなのあんただけよ、と思いながらも私はジュスターに尋ねた。
「…教えたの?」
「知りたいというから説明しました」
私は呆れて、開いた口が塞がらなかった。仮にも戦争中よ?教えるあんたもあんたよ。
なんつーか、緊張感のない勇者と魔王ね…。
「で、取引って何だったの?」
「望みを叶えてくれるのなら、100年程消えてやると言った」
魔王は腕組みしながら偉そうに答えた。
「はぁ?何それ…。勇者の<運命操作>に願い事したわけ?」
「ええ、そういうことです。ここで魔王がいなくなれば、魔王軍は引かざるを得なくなると思い、受けることにしたんです」
「そんなこと言って、魔王が約束守ってくれなかったらどうするつもりだったのよ?」
「その時は<運命操作>スキルを、取引が無効になるよう上書きするだけです」
「…上書きできるの?」
「取り消すことはできませんが、上書きすれば結果を変えることができるんです」
「へえ…」
「まあ、そういうことで、取引は成立しました」
「我は約束が果たされるまで魔界で眠りについたのだ」
ジュスターは私を見て、フッと破顔した。
「それで、約束通り100年後にあなたが現れたというわけです」
「え?私?」
魔王は私の顔を意味ありげに見つめた。
ジュスターも同じように私を見ている。
なんでそこで私が出てくるわけ?
「取引って何?私と関係あるの?」
2人とも意味ありげに見つめるだけで、取引の内容については話してくれなかった。
私だけがわかってないという状況に、少しイラッとした。
「それ、いつ叶うの?」
「今すぐにでも」
魔王はそう云って私の前に立った。




