転生する者
その女性魔族は、ナラチフの領主ロアだった。
いつもポニーテールに結い上げていた金髪はバサバサに切られて顔にかかっていた。
カナンが彼女を揺り起こしても、その目は焦点が合っておらず、意識があるのかないのかも分からない状態だった。
シトリーが手足を拘束していた鎖をぶち切って、ベッドの上に彼女を寝かせた。
その際、彼女の首に付けられていた首輪のようなものも断ち切って外してやった。
「し、死んでるの?」
ネーヴェが恐る恐る尋ねると、カナンが呼吸を確かめた。
「いや、息はある」
「水を持ってくる」
クシテフォンが水を取りに部屋を出て行った。
「早くトワ様に診てもらわないと…」
ネーヴェが彼女の身体にローブを掛けながら云った。
それを受けて、シトリーが彼女を抱き上げて運び出そうとした。
「待って」
テスカがシトリーを止めた。
「この症状、薬物中毒だと思う」
彼はロアの腕に、薬物を注入されたことを示す内出血の跡があることに気付いた。
カナンはそれを見て眉をひそめた。
「ひどいことをする…」
「ショック症状が出てる。このままだと移動中に中毒死するかもしれない。ポータル・マシンに乗せるのはリスクがあると思う。僕が体内の薬物を中和してみるよ」
シトリーはテスカに従ってロアをベッドに降ろした。
テスカはロアの指先を切って血を取り、スキルで分析を始めた。
クシテフォンが水を持って来たが、うまく嚥下できなかったため、水に浸した布で、彼女の唇を潤してやった。その時、彼はベッド脇の壁に貼られた紙を見つけた。
「これは…」
そこには女性の人体解剖図と胎児の絵が描かれていた。
クシテフォンが皆にそれを示すと、彼らはここで何が行われていたのかを悟って、酷く不愉快な気分になった。
「人間め…!」
カナンは憎々し気に呟いた。
「ほんっと人間て最低だね…。ケダモノ以下だ」
ネーヴェも人間への侮蔑を口にした。
テスカは分析を終え、研究所にあった道具を使って中和液を作ることに成功した。
それを細い棒の先からロアの口に少しずつ流し込むと、彼女は激しく咳き込んで、ようやく意識を取り戻した。
最初は状況がわからず混乱していて、暴れたり取り乱したりしていたが、目の前にいる人物たちが見知った者たちであると認識すると、ようやく落ち着きを取り戻した。
「何があったんだ?」
カナンが静かな口調でロアに尋ねた。
「…私、トワ様にお会いしようと思って、グリンブルを目指してナラチフを旅立ったんです」
「…いつのことだ?1人でか?」
「ナラチフを出たのは1年程前です。大勢よりは人目に付きにくいと思って1人で…。半年かけて中央国境までたどり着き、国境を出たところで、乗ってきた馬が魔物避けの罠にかかって動けなくなってしまったんです。ちょうどその時、グリンブルへ行くという人間の商隊から、行き先が同じなら馬車に乗せてやると声を掛けられたんです」
「まさか、そいつらに…?」
「ええ…。しばらく共に旅をしていて、私も彼らに心を許し始めていた頃です。食事を共にしている時、飲み物に薬を盛られたようでした。意識が朦朧としていた時に聞こえてきたのは、彼らが私の馬にわざと罠を仕掛けていたという話でした。気が付くと私は身ぐるみ剥がされて奴隷商人に捕まっていました」
「女の魔族は珍しいから、高値で取引されるって聞いたよ。最初っからそのつもりで声かけたんだろうね」
「今にして思えば、甘い話ですよね…」
ネーヴェの云うことを噛みしめて、ロアは自分の甘さを悔やんだ。
ロアはトワが行方不明になっていることも知らず、ナラチフ領主を弟に移管し、故郷を出て半年以上かけて旅をして国境を越えてきたのに、人間に騙されて奴隷商人に売られたのだ。気を失っている間に魔封じの首輪を付けられたせいで、逃げ出すことができなかったという。それは先ほどシトリーが引きちぎったものだ。
商人によって各地で競りにかけられたロアが、人魔研究所に売られたのはつい先月のことだった。
奴隷商人が欲張って値段を釣り上げたせいで、なかなか買い手がつかなかったそうだ。大司教が亡くなり資金を自由に使えるようになったフルールは、個人的にロアを競り落としたのだった。
この話を聞いたカナンは首を傾げた。
「そんな危険を冒してまでどうして…」
「パートナーを探したかったんです」
「ああ、エンゲージしてるっていう相手か」
「ええ。私は人間の国に疎いので、トワ様のお力を借りようと一大決心して、グリンブルへ向かったのです」
カナンはロアの運の悪さに溜息をついた。
ロアがもし無事にグリンブルに着いたとしても、その頃トワはもうグリンブルにはいなかったのだ。
「無茶をする」
シトリーが呆れて云った。
「無茶は承知の上です。でもじっとしていられなかった…。100年待ったんですよ?もうただ待つのはイヤだったんです」
ロアの目から涙がこぼれた。
ここにいる騎士団全員、エンゲージをしたことがないため、ロアの気持ちを本当に理解することはできなかったが、それほどまでに人を想えることが少し羨ましくもあった。
彼らは、一途な彼女の想いをなんとか叶えてやりたいと思った。
ロアは人魔研究所に連れてこられてすぐに薬物を打たれて体の自由を奪われたという。彼女は、意識が混濁していて、この部屋へつれて来られてからのことは何も覚えていなかった。
カナンたちは、ロアがその間に何をされたかを覚えていなかったのは、不幸中の幸いだと思った。
「ロアのパートナーってのはどんな奴なんだ?」
ふいにカナンが尋ねた。
「名前をマルティスと言います。金髪の巻き毛で、一見人間とも見える姿をしています。だからどこかで人間のフリをして生きているのではないかと思うのです」
それを聞いて、聖魔騎士団のメンバー全員が同じ人物を思い浮かべた。
ペルケレの闘技場で、トワと一緒に闘士をしていたあの軽い調子の男。あの金髪の巻き毛の男は確か、マルティスという名ではなかったか。
彼らはお互いに目配せをした。
それが本人かどうか確信が持てるほどに彼らはマルティスを知らなかったので、ここではあえてロアには伝えないことにした。もし違っていたら、ロアをぬか喜びさせるだけになってしまうからだ。
ロアはグリスの勧めで、グリンブルにあるアザドーの病院施設に運ばれることになった。彼女には複数の薬物が打たれているため、運動系統に支障が出ていた。もう少し時間をかけて分析し、完全に解毒する必要があるとテスカが云ったからだ。
今の状態でポータル・マシンに彼女を乗せるのは危険があるとカナンは判断した。
カナンはラエイラに滞在している期間が長くなっていることを気にしていて、先にゴラクドールへ戻って状況を確認することにした。
「ロアが動けるようになったらゴラクドールへ連れて来てくれ。私は先にゴラクドールへ渡り、トワ様に話してみる。…ついでにそのマルティスと名乗る奴にも会って確かめてみるよ」
カナンはそう云ってラエイラに残り、ポータル・マシンでゴラクドールへと渡った。
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人魔研究所から聖魔騎士団によって救出された男は、グリンブル市内の人魔同盟の本部のある施設に運び込まれた。
その施設はアザドー本部のある高級ホテルの敷地内にあった。
施設内には人間のための病院施設があり、彼は重篤患者として個室の病室へと運び込まれた。
瀕死状態だった彼は、グリスが最初に高級ポーションを使ってくれたおかげで命を繋いでいた。
病院施設には上級回復士がいて、彼の怪我を日々治療してくれた。
どんな怪我人も一瞬で全快させてしまうトワとは違い、通常の回復士による重症患者への回復は時間をかけて少しずつ行われるものなのだ。
世話をしてくれるのはダリアという人間の女性だった。
ダリアが云うには、彼の傷が完治するまでにはもう少し時間がかかるとのことだった。
彼は、病室の壁にかかっていた鏡に映った自分を見て驚いた。
「あ…」
そこに映っていたのは、若い人間の男の顔だった。
整った美しい顔立ちをしていた。
だがそれは、彼が殺したはずの男の顔であった。
彼の口からは、かすれた笑い声が漏れた。
部屋でシーツを取り換えていたダリアはビックリして彼を見た。
「どうかしたの?」
「…」
「声、出せるようになったのね?」
「あ、ああ…」
「無理しないでいいわ。あなた、自分の名前は言える?」
ダリアは彼に尋ねた。
「優星…アダ…ベル…ト…」
彼はかすれた声でそう答えた。




